チャンネル登録者数10万人超え!就活せずYouTuberになったまさの突き詰め力

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第382回目のゲストはYouTubeチャンネル「ぼなーるちゃんねる」のまささんです。

「好きなことで生きていきたい」という気持ちから大学4年生のときに就職活動を辞めてから、1年間の低迷期を経て、現在、ぼなーるちゃんねるはチャンネル登録者が10万人超え。相方のゆうやさんとともに野球経験を活かした動画を公開して人気を集めています。さらに、自身のYouTubeチャンネルを成長させた経験を活かし、動画ディレクターとして数多くのチャンネルに企画・撮影・編集の様々な面から関わっています。

一見、破天荒な道のりに思えますが、まささんはこれまでに着実に努力とその先の成長体験を積み重ねてきました。だからこそ、自分の理想を描き、挑戦ができる。まささんの活躍を支えた「突き詰め力」が培われるまでの歩みを取材しました。 

 

「NOは言われたことがない」両親の教育方針 

ー本日はよろしくお願いします。まずは自己紹介と、現在のお仕事を教えてください。

YouTubeチャンネル「ぼなーるちゃんねる」のまさです。高校時代の同級生で相方のゆうやと共同でチャンネルを運営しています。初投稿の2017年5月5日から約4年間、休まず毎日更新を続け、2020年12月1日にチャンネル登録者数が10万人を超えました!ふたりとも野球部だった経験をもとに野球や寸劇の動画を制作しており、視聴者さんは小中学生が多いです。

1年前の26歳のときに足を骨折して…そのときに動画撮影ができなくなってしまったので、編集者としての仕事を増やすことにしました。現在も継続しており、動画ディレクターとして、企画や撮影、編集といった作業を委託され、複数の企業や個人のチャンネルに携わっています。

 

ー今でこそYouTuberという働き方が広く知られてきましたが、挑戦的な進路にご家族からの反対はなかったのでしょうか?

両親は、僕が幼少期のときから「好きなことをやりなさい」と背中を押してくれる存在でした。僕がなにかを始めるとしたら「それは本当にやりたいこと?」と問いかけれくれましたし、塾や習い事などを強要することもありませんでした。

自分から「野球をやりたい」と言ったとき、進学先選び、休学や独立…相談すれば意見はくれましたが、僕の選択に「NO」と言うことは一度もなかったんです。

両親の祖父母がとても厳しい教育方針で、「これをやりなさい」「あれはやっちゃだめ」と決められることの多い環境で育ったらしいんです。ふたりともそれを嫌だと感じていたみたいで…それで、僕たち子どもには、自分がやりたいと思ったことを好きに選ばせてくれました。

 

偏差値20アップ!「勉強方法さえ分からない」からの奮闘

ーそんなご両親のもとで、高校まで大好きな野球に打ち込んでいたんですね。そこから偏差値の高い立教大学を志望されたのはどうしてでしょうか?

高校は野球の強豪校に通っていました。入学前はプロ野球選手になることを夢見ていたのですが、入学初日に「あ、無理だ」と思いました(笑) レベルの高い環境に身を置いたことで、野球選手になることの困難さを知ったんです。

高校3年生まで、進路先に迷っていました。そんなとき、妹が海外ドラマの「glee」を観ていたんです。gleeは、学校の中でマイノリティに属する生徒たちが合唱団のグリー部に入部して全国大会優勝を目指す物語。小中高と地元の学校に通学していた僕にとって、初めて海外の生活に触れた経験でした。のけ者にされるような人たちが主人公になるその世界観にすごく惹かれたんです。「海外へ行けば、この世界のなかに入れる」と信じ、大学へ進学したら海外へ行こうと決めました。

僕の通っていた高校からMARCHレベルの大学に進めるのは数人だけ。その進学先のなかから、英語教育に力を入れていて、オープンキャンパスの雰囲気が合っていたのが立教大学でした。

 

ーそれまでの生活は野球がメインで、勉強はあまりされていなかったのではないでしょうか?

部活動を引退した高校3年生の7月は、まだ僕自身の偏差値は約40。そこから猛勉強しました。そもそも、「勉強ってどうやってすればいいんだろう?」というところからのスタートだったんです。

そこでまずは勉強方法を確立するところから始めました。各教科の先生と、その教科で学年一位の成績を修めている生徒のところへ話を聞きに行ったんです。「俺、立教大学を目指しているんだけど、どうやって勉強したらいいかな?」って、知らない生徒にも聞きに行きました。そうやって勉強法が分かってからは、1日も休まず、遊ぶこともなく勉強しました。夏休みともなれば1日14時間以上も勉強していましたね。学年のなかで誰よりも勉強に身を投じていたのではないでしょうか。

 

ー高校時代から突き詰める力を持っていたんですね。

やりたいことがあるとしたら、その優先順位を生活のなかで最上位にすればいいと思います。僕の場合は、「立教大学に合格する」という目標を何より優先し、行動するときの判断基準にしていました。たとえば、「オープンキャンパスへ行く」という選択は進路のために必要なことなので時間を割きましたが、「友達と遊ぶ」は目標に直結しなかったので選びませんでした。受験が迫ってくると「体育は受験科目じゃないからな…」と体育の授業をさぼって勉強することもありましたね。

 

ーそうやって見事、現役合格されたんですね。

それまでは校内テストの順位も100位以下でしたが、冬には学年3位まで成績が向上し、偏差値も20以上アップして合格することができました。

受験勉強を通して、やりきった先の成功体験を掴み、自信につながったと思います。

 

問題意識、論理的思考、そして行動を学んだ学生団体

ー大学時代にはどんなことに打ち込んでいたのでしょうか?

世界最大の学生NPO団体「アイセック」に在籍し、大学3年時には代表を務めました。アイセックは若者のリーダーの輩出を目的として、海外インターンに行きたい学生のサポート、海外からやってくる学生を受け入れる企業を開拓する活動をしています。

 

ー代表になったのはどうしてですか?

アイセックという団体は素晴らしい活動をしていますが、当時の立教大学のアイセックは、あまりいい環境ではありませんでした。僕の同級生も30人ほど入会したのに、半年後には半分しか残っていなかったんです。僕も辞めることを考えていたくらいでした。でも、そのことに対しての問題意識はあったんですよね。

当時は教育に興味を持っていて、それで将来的にビジネスができればいいかな、と考えていました。そんなとき、「目の前にいる50人の人間も変えられないで、教育で社会にインパクトを与えることなんでできるのか?」と自分自身に問うようになりました。また、同級生たちが「まさが代表を務めるなら、私は副代表をやるよ」とか「まさが代表なら、来年も続けようかな」と信頼を言葉で示してくれたことから、代表を務めることにしたんです。

複数人の副代表たちと一緒に、まずは現状の問題点を洗い出し、その解決のためのアクションをとりました。約70人のメンバーをまとめ、団体としての成果を前年の8倍にでき、リーダーシップを学ぶ良い機会となりましたね。

 

月給2万円の生活を経験して

ーそして4年生の時に自身も海外インターンへ出発されたんですね。

休学をして、ベトナムとインドで半年ずつインターンをしました。ベトナムではIT企業でアプリ開発のプロジェクトマネージャーを務めました。インドでは接客業を経験したいと思い、5つ星ホテルに勤務していました。

 

インドのホテルでインターンシップをしていた頃のまささん。

インドでの最初の2ヶ月間は、辺鄙な場所にあるリゾートホテルだったため、周りになにもなく、どこにも行く機会がなかったんです。できることといえば、読書、英語の勉強くらいでした。内省する時間を多く持てたので、自分の将来や価値観を考え直すきっかけになったと思います。

インドで見かけた風景。路上のごみを豚が食べている。

インドのリアルな生活を体験できたことにも、影響を受けました。ベッドは藁の上に敷かれたシートだけだったり、お湯がでる時間が決まっていると知らなくて1ヵ月以上水浴びしかできなかったり…週6日働いて、月給2万だったことにも、「日本に生まれてなんて恵まれていたんだろう」と気付かされました。そして「労働者のままだと、豊かな生活を手に入れるのは難しいかも」とも思うようになりました。

 

ー常識を疑うような経験を経て、就職活動を辞められたんですよね。決断はどのようなタイミングでされたのでしょう?

その頃、逆オファー形式の就活サイトを利用していました。サイトに自分の情報を載せておいて、企業の採用担当の方からオファーがきたらオンライン面談を受けていたんです。誘われたら面接も受けていて、かなり好感触でした。

同時に、インターンとしては都心のビジネスホテルに移って、営業スタッフをしていたんです。ひたすらテレアポをする日々で、家に戻ってからは面談をして…。正直、そのときの自分の業務は楽しいと感じられませんでした。そして「働きたくないな」という考えが浮かんできたんです。それをさらに深掘りすると、「みんなが好きなことで働けるようになったらいいのに」という理想に行き着きました。

仕事というのは、自己実現をする大事な要素だと思います。その一方で、仕事をしなくちゃいけなくて、自分の可能性を閉ざしている人がいるのも事実。人それぞれが好きなように働けるようになれば理想だ、というふうに考えるようになりました。

その気持ちは、面談をしてくださった担当者さんや友人にも話していました。企業で働くことも真剣に検討しましたが、どこに入社しても自分の熱を100%ぶつけられることがイメージできず、結局、独立の道を選ぶことにしたんです。

決まりきったテレアポ業務に従事していたことも大きく影響していると思います。自分で自由にアレンジする幅が、その仕事にはありませんでした。これまでを振り返ると、大きな目標があり、そこに向って自分なりにゴールの道筋を立てていくことが好きだし、楽しいと感じる人間なんだろうなって。自分でもがきながらやっていきたい、その思いが決断を後押ししましたね。

 

ーそのときは、YouTuberになるという具体的なイメージは固まっていたのでしょうか?

いえ、全く考えていませんでした。ただ、その相談をしていた友人のなかに、今の相方のゆうやもいたんです。僕の話を聞いて、「まさが独立するなら、俺も一緒にやるよ」と言ってくれました。

帰国してからふたりで具体的に考え始めて、最初は起業をするつもりでした。しかし、ふたりとも起業経験もなかったので…。自分たちが出来ることを模索しながら、「なにをするにしても応援してくれる人たちがたくさんいてくれたほうが心強いよね」という意見が出ました。当時、YouTubeがプラットフォームとして勢いを増していて、CMのフレーズだった「好きなことで、生きていく」という言葉が耳に残りました。自分たちの目的は手段はどうであれまさに「好きなことで、生きていく」だったので、YouTubeに挑戦することにしたんです。

 

突き詰めた先に、新しい選択肢がある

ー現在は登録者数が10万人を超えていて、固定の視聴者さんもいらっしゃるかと思いますが、軌道に乗ったのはいつですか?

一応、「1年間やってみて、伸び悩んだら違うことをしよう」とふたりで決めていたのですが、1年間やっても登録者数は約3,000人でした…。そのときは、トップYouTuberのはじめしゃしょーさんや水溜りボンドさんなどを参考に、マルチになんでもやる「やってみた」系の動画をアップしていました。伸び悩んでいたものの、周りの同時期に始めたYouTuberが頭角を現しだしていたことや、同じように頑張っている仲間ができていたことで、自然と僕たちが「YouTubeを辞めようか」と話をすることはありませんでした。

2年目に入ったころに作った野球をテーマにした動画の3本目が、一気に視聴回数数万を突破したんです。それから野球を軸に動画制作をするようになり、2,3ヶ月後にはチャンネル登録者数が1万人になりました。

 

ーテーマを突き詰めたことが勝因となったんですね。動画作りで意識していることはありますか?

普段の生活のなかから、常にリサーチをしていると思います。同じように野球をテーマにしているYouTubeチャンネルはよく視聴していて、そのなかでも伸びている企画はチェックしていますね。あと、テレビ番組を視聴しているときでも、「この文字の出し方いいな」「この編集にするとこういう感情が引き起こされるんだ」と、無意識に分析しています。それを自分たちの動画制作にも活かしているんです。

 

ー現在は収入面でも安定していて、大学時代の目標を叶えていらっしゃると思いますが、今後、まささんはどのように進んでいくのでしょうか?

野球をテーマにしたチャンネルをしているので、野球チームを作りたいですね!あとは、将来的にFIRE(Financial Independence,Retire Early/経済的自立,早期退職)することも考えていて、海外移住にも憧れています。そして、これまでの発信活動や、ライフスタイルを多くの人に届けることで、同年代や後輩たちが新しい選択肢に気付くきっかけになれたらいいと考えています。

周りの人の目にさらされて、挑戦的な選択ができない人はたくさんいると思います。自分の想いを大事にして生きれる人が増えれば嬉しいですね。日本に生まれた、というだけでもとても恵まれていて、チャンスがたくさんある状態だと思います。それを活かさないなんてもったいない!手段はなんでもよくって、「自分はどんなふうに生きたいのか」を考え、そのために必要な選択肢をとことん突き詰めてやっていく。とことんやりきった先に、分かることや、成長があると思います。

ー圧倒的に考え、行動してきたからこそのまささんからのメッセージですね。ありがとうございました。

まささん(Twitter/ぼなーるちゃんねる
取材:武海夢(Facebook
執筆:野里のどか(Twitter/ブログ
デザイン:髙橋りえ(Twitter