「できる理由探し」から道は拓ける。RAHA KENYA代表・河野リエが一歩踏み出すきっかけのブランドを確立してきた道のり

今は第一線で活躍しているビジネスリーダーの方に、10~20代の頃のまだ何者でもなかった頃から、現在に至るまでのストーリーをお聞きする連載企画「#何者でもなかった頃」。今回のゲストはアパレルブランド 「RAHA KENYA(ラハ ケニア)」代表の河野リエ(かわのりえ)さんです。

就職活動や、アフリカへの移住で挫折と葛藤を繰り返した河野さん。そんな河野さんが再度奮起できた理由や、アパレルブランドのコンセプト「一歩踏み出すきっかけ」が生まれた経緯についてお伺いしました。

就職活動で60社落ちた自分に不甲斐なさを感じる

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

河野リエと申します。2018年に旦那との結婚を機にケニアへ移住し、アフリカ布を身にまとった女性たちとの出会いをきっかけに、アパレルブランド「RAHA KENYA」を立ち上げました。

ー現在は、ケニアでご活躍されているのですね。

一見すると華々しい経歴のように聞こえるかもしれないのですが、実は今まで紆余曲折した人生を歩んできたのです。

ーアパレルブランドを立ち上げるまでの人生について、詳しくお聞かせください。

最初の転機は就職活動の時期です。この時期に、初めて挫折を経験しました。

中学から大学まではエスカレーター式であまり努力もせずに進んできて、将来についても漠然と「かっこいい存在になりたい」「周りから認められたい」とかしか考えていませんでした。

アルバイト時代に与えられた仕事はこなせていたので自信がついて、就職活動も数撃てば当たるだろうと思ってたのですが、見事に60社すべて落ちました。

ー何社も受け続けるというのは大変ではなかったですか?

無心で受け続けていましたね。受かるために全力投球していたというよりは、落ちたときのことを考えて先の予定を埋めることで安心していたのです。

ー60社落ちたときの心境について教えてください。

「私って実は何もできないんだ」と思い知らされて、恥ずかしい気持ちでいっぱいになりました。友達に会って就職活動の話を聞くのが嫌でしたし、内定をもらった子たちと比較して、劣等感でいっぱいでした。

今思えば、自分のやりたいことに対してもっと深掘りすべきでしたが、自己分析も浅いまま、結局介護職に進むことになったのです。

2つの理由から進んだ介護職で「人間の奥深さ」を体感する

ー介護職に就くまでの経緯についてお聞かせください。

就職活動し始めの頃は、何となくかっこいいイメージのあるMR(医薬情報担当者)の営業職中心で受けていたのですが、全て落ちてしまって……。

周りからのイメージを取っ払って、本当に今自分がやりたいことは何だろう?と考えたときに、唯一行きたい理由が思い浮かんだのが介護職でした。

ー介護業界に進みたいと思った理由は何でしょうか。

理由は2つあります。1つは、おじいちゃんおばあちゃんに対する苦手意識を克服しようと思ったからです。

将来やりたいことについて考えたときに、伸ばしたいと思うような強みは見つからなくて。「あれもできない。これもできない」と苦手なことばかり思い浮かんだ中の1つに、おじいちゃんおばあちゃんがありました。

苦手なものを得意なものへと変えたいと思っていたのです。

もう1つの理由は、親が認知症になったときに自分が冷静に対応できるよう、知恵をつけたいと思ったからです。この2つの理由から、介護の会社を受けて務めることになりました。

ー実際に介護業界で働いてみて、ギャップはありましたか?

働く前は、「きっと辛い仕事なんだろうな」と思っていたのですが、働いてみると「人間って面白い!」という考えに変わりました。

漠然と怖いイメージがあったお年寄りと実際に話してみると、とても優しかったですし、おじいちゃんおばあちゃんの行動には必ず理由があるとわかったのです。

女性に対して敵意を向けるけれど、男性に対していつもにこやかなおばあちゃんに詳しく話を聞いてみると、女性に敵意を向けていたのは、その方自身がもともとキャリアウーマンとしてバリバリ働いていてプライドが高かったから。

男性に対してにこやかだったのは、離婚経験を経て旦那さんとずっと一緒にいれなかったからこそ、男の人に可愛がってもらいたいという想いがあったから。そういった裏の理由を知るのが、とても楽しかったですね。

憧れの丸の内OLとして働き “達成感” と “モヤモヤ感” を抱く

ー介護職はずっと続けたのですか?

介護職時代は予想以上に楽しかったですが、そこでずっと働くイメージが湧かず、1年で退職しました。その後、教師になるために2年半社会人学生を経験しました。

ただ、教師になりたいと思ったのも、「世間一般的に立派な職業だから、教師になれば周りから認められるはず」というぼんやりした理由だったので、教師に対する違和感がぬぐえず、もう一度就職活動することにしたのです。

ー2度目の挑戦ですね。

1度目の就職活動のときに60社も落ちて、完璧ではない履歴書を持った自分が、どこまで行けるのかものすごく興味がありました。

結局、不動産会社の人事の一般職で採用され、丸の内OLとして働くことになったのです。始発で出社して終電で帰るなどして仕事に打ち込み、「意外と限界来ないな。楽しければここまで頑張れるんだ」と自信がつきました。

初めて自分が納得のいく形で働けましたし、失っていた自信を取り戻した時期でもありましたね。

ーまだまだ自分には可能性があると、期待が膨らむ時期だったのですね。

1年目は「自分がどこまでできるか知りたい」と思い、期待膨らませながらがむしゃらに仕事に取組んでいました。

ただ、1年経ってひと通りの仕事を覚えると、自分の中でひと段落ついてしまって……。その先のステップアップを考えられず、1年目ほどの情熱を持って働けない自分にモヤモヤしていました。

ーそこで転職は考えましたか?

転職するのは簡単ですが、1社で長く働く経験を経験をした方が良いと思っていたのと、会社が好きという気持ちがあったので考えていなかったです。

あともう1つ、転職を考えていなかった理由があって。当時お付き合いしていた今の旦那さんが、将来発展途上国で起業したいと言っていたので、もし結婚するとしたら海外移住することになると覚悟していたのです。

なので、選択肢としてはずっと不動産会社で働くか、海外移住するかの2択でした。

ー最終的に、どの選択肢を選んだのでしょうか?

結局、結婚を機に、30歳でケニアへ移住する覚悟を決めました。環境が変わることで、また新しい自分に出会えるかもしれないという期待に胸を膨らませていました。

ケニアへ移住し自信喪失。「でも」ではなく「できる」を意識する

ーケニア移住後について、詳しくお聞かせください。

移住するまでは、自分と本気で向き合わなくても普通に過ごせていて、丸の内OL時代に自信を取り戻して「私だったら何かできるはず」と思っていたのですが、ケニアへ移住して「私は何もできないんだ」という無力感を突きつけられました。

現地の方との会話の中で「何でケニアに来たの?」「あなたは何ができるの?」と聞かれたときに「これができます」というものが1つも思い浮かばず、何も答えられなかったのです。

そこで初めて、誇れるスキルや経験がないことに気づいて、自分と向き合わざるを得ない状況になりました。

ーご自身と向き合いながら、どのようなことを考えていたのでしょうか。

私は今まで、自分で自分の可能性を狭めていたんだなあと思いました。

例えば「起業家になる」という選択肢は、異次元の世界で到底無理だと決めつけて、選択肢にも入れていませんでした。

また、「こういうことや、ああいうことがやってみたい」と旦那さんに話はするものの、やる前に「でも」「だって」とできない理由を言っていました。すると旦那さんに「できる理由を探したら?」と言われてハッとしたのです。

例えばYoutuberになろうと思ったときに、いきなり動画編集するのは大変ですが、動画を撮ったり、編集ソフトを探すことはできますよね。そういうできる理由から目を背けていたことに気づき、「でも」と言わずに、できることだけ考えようと思ったのです。

ー意識が変わり、行動も変わりましたか?

行動はガラリと変わりました。何をしたいのかわからないと考えているだけでは状況が変わっていないことに気づいたので、やりたいことは全部やってみようと思ってから変わりましたね。

当時は英語が話せず、1人で日常生活を送るのも難しく不安だったので、最初は「挨拶をしてみよう」「1人でショッピングモールへ買い物しに行けるようになろう」「Uberタクシーの運転手からの電話に出てみよう」など、小さなことから始めました。

小さな一歩でも、成功体験が積み重なると「じゃあブログもできるかも」「YouTubeもできるかも」と、できる幅が広がっていったのです。

アフリカ布と出会いブランド確立。一歩踏み出すきっかけを作り続ける

ー実際にブログやYoutube活動はされたのですか?

1つの挑戦としてやってみたのですが、「これが本当にやりたいことではないな」とも思いました。実は当時から、頭の片隅にずっとアフリカ布の存在があって。

ーそれはどうしてでしょうか。

ケニアには、自分の好きなアフリカ布を選んでお洋服に仕立てる文化があって、周りの目を気にせずに着たい服を堂々と着ている姿を見て「かっこいいな」と思っていたのです。

ただ、「私には着れないよな……」と踏み出せないでいるときに、たまたまお洋服を仕立ててもらえる機会があったので、思い切ってアフリカ布を身にまとってみました。

すると、不思議とすごく前向きな気持ちになれて。初めて、真の自分に出会えたような気がしました。その姿をTwitterにアップしたときに、「欲しいです」という声をたくさんいただけたことが、ビジネスとしてアフリカ布ブランドを立ち上げたきっかけですね。

ー1つ1つの出来事が、今につながっているのですね。

20代の辛い時期を経験したからこそ、ブランドコンセプトである「一歩踏み出すきっかけの」が生まれました。

ーブランドコンセプトについて、改めてお聞かせください。

私自身、昔は周りの目ばかり気にして一歩踏み出せずにいたのですが、アフリカ布との出会いをきっかけに自信がついて新しいことに挑戦できるようになりました。

その原体験から、昔の自分と同じように挑戦したいけどできない方が、私たちのブランドを通じて「私でもできるかも」と思っていただけたらいいなという気持ちで、「一歩踏み出すきっかけを」というコンセプトにしたのです。

ブランドを運営している私たち自身も、一歩踏み出し続けようという気持ちで常にいます。

ー河野さん含めたスタッフの方々も、挑戦し続けているのですね。

今でも新しいことに挑戦することは怖いですし、逃げたいときもありますが、「できない」という言葉は飲み込んで、とりあえずやってみることを大事にしています。

失敗しても学びにつながるので、やってみて「やらなければよかった」と思ったことは一度もないですね。

ー河野さんの今後の展望についてお聞かせください。

今後やりたいのは、ケニアの方に向けて一歩踏み出すきっかけを作ることです。

日本では少しずつ実績を出せてきているのですが、ビジネスの場としてお世話になっているケニアではまだアクションを起こせていないと思っていて。

ケニアの方たちにも影響を与えらると、また新しい世界が広がると思うので、今からワクワクしています!挑戦することって尽きないなあと、改めて思いますね。

ー最後に、U-29世代の方々へメッセージをお願いします。

まず、やりたいことが1つでもあれば、「できない理由探し」よりも「できる理由探し」をしてほしいです。もしやりたいことがわからないのであれば、興味のあることをすべてやってみるのをおすすめします。

何かに挑戦するときは不安だと思いますが、私の記事を見て「私でもできるかも」と希望を持ってもらえたら嬉しいです。

どんな方にでも可能性はあるので、絶対に「私なんか」と思わず、自分の可能性信じて一歩踏み出してみてください。ものすごく小さなことでも積み重ねると、きっと大きな一歩につながるはずです!

ー河野さんのお言葉で、一歩踏み出せずにいる方の背中を押せたら良いですよね。本日はありがとうございました。河野さんの今後のご活躍、応援しています!

河野さんが運営されているアパレルブランド「RAHA KENYA(ラハ ケニア)」の商品や、日頃発信されている内容を知りたい方は、次のアカウントをぜひチェックしてみてください。

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取材者:山崎貴大(Twitter
執筆者:もりはる(Twitter
デザイン:高橋りえ(Twitter