様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第415回目となる今回のゲストは、山口県の萩市で地元の仲間とともに、農業や空き家の改修などをしながら過ごしている地方移住者JO Mutsumiさんです。
JOさんが、地方移住を通して「今生きている時間を大切にしよう」と思えるようになった経緯を、幼少期からさかのぼってお伺いしました。
目を輝かせて働く大人との出会いが、その後の人生を左右する
ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。
JO Mutsumiと言います。去年の6月から山口県へ地方移住して、現在は萩市で地域おこし協力隊として活動中です。
活動内容としては、地域で取材した内容や日々の暮らしを発信することで、萩での暮らしに興味を持つ人を増やそうとしています。
ーJOさんがなぜ萩市に住むことになったのか、幼少期からさかのぼってお伺いできればと思います。幼少期はどんな子供でしたか?
私がまだ幼稚園の頃、なぜかはわからないですが、世の中すべて敵だという感覚の中、ひとりぼっちの寂しい世界にいました。
子供だったので誰に相談すれば良いか、どう解決すれば良いかわからず、ずっと1人で苦しんでいましたね。漠然とした不安で夜も眠れず、少し鬱に近い状態でした。
ー漠然とした不安はずっと続いたのでしょうか。
小学校に入ると話が合う友達が1人できて、中学に入ると2人できて……というように、1人ずつ気の許せる友達が増えていきました。今も、自分の安心できる世界が広がっている途中ではあります。
ー高校時代の思い出があれば教えてください。
実はあまり覚えていなくて……。大学生からの記憶はしっかりとあるんですけどね。
ーでは、大学時代についてお聞かせください。
大学は教育学部で、学校の先生になろうと思っていたのですが、大学3年のときに就職活動している友達の影響を受けて、企業のインターンシップに参加しました。
そこで目をキラキラ輝かせて働いている大人と出会い、「こんな大人がいるんだ」「こんな働き方があるんだ」と衝撃を受けたのです。いろんな価値観に触れて、まだまだ面白い世界がありそうだなと感じたのを覚えています。
ー特に影響を受けた社会人の方はいますか?
1番最初に参加したインターンシップで出会った、まちづくりに取り組まれている方に影響を受けました。
私はそれまで地元のことを考えたことはありませんでしたが、その方が地元の商店街の活性化に取り組んでいる姿を見て、山口県の地域に関わる仕事も面白そうだなと感じたのです。
ワラにもすがる思いで入居したシェアハウス「そのまんま荘」
ー大学卒業後は就職されたのですか?
就職活動はしましたが、結局やりたいことがわからず就職はしませんでした。結局、教授や親に勧められて大学院へ進むことにしたのです。
ただ、やっていることが自分の想いとかけ離れていて、とても苦しかったですね。大学のときに目をキラキラ輝かせた大人を見てきて、その大人たちとはまったく違う生活をしていて、「俺、何やってるんだろう」と思い悩んでいました。
とにかく苦しくて、半年ほどで大学院を辞める決断をしました。
ー思い切った決断ですね。辞めることに対して、周りの方には反対されましたか?
もちろんされましたが、体調を崩してしまい、大学院に居たままでは死んでしまうと思ったので親を説得して辞めました。
そんなとき、大学時代に仲が良かった友人が東京で活動し始めたというのを聞き、ワラをつかむ思いで東京に出たのです。
ー東京ではどのように過ごされていたか教えてください。
現金5,000円しか持っておらず、100円ほどの5枚入りトーストを買って昼と夜に食べる生活が、2か月ほど続きました。それでも、大学院に行っていた頃よりはずっと楽しかったです。
ー寝泊まりはどうしていたのですか?
東京へ出るきっかけとなった友達が、学生向けのシェアハウスを運営していて、部屋が空いていたので泊まらせてもらいました。
ーシェアハウスでの生活はいかがでしたか?
とても刺激的な毎日でした。シェアハウスの名前は「そのまんま荘」。住人は20人ほどいて、20人中10人はずっと住んでいるメンバーで、残り10人は就職活動中の学生をゲストとして迎えていました。
定常メンバーは、自分で珈琲のお店を経営している学生や、落語で日本一になった女の子など、個性的なキャリアを持った人ばかり。そこにリクルートスーツを着てキャリーバックを持った学生が来て、「こんな生き方があるんだ」と、殴られたような衝撃を受けていたのかもしれません。
普段は絶対に出会わないであろう海流がぶつかり合っているシェアハウスでしたね。1年で学生が400人ほど来て入れ替わりも激しかったので、当時は私もいろんな方と人生を分かち合っていたのかなと思います。
山口県萩市へ移住。幸せな時間の過ごし方に気づく
ーシェアハウスにはいつまで住んでいたのですか?
去年まで住んでいました。突然やってきたコロナの影響で、シェアハウスにゲストが来れなくなり、個人で受けていたイベント撮影の仕事もなくなって。
一日中家で仕事することが増え、「今は東京にいるタイミングじゃないのかもしれない」と感じて山口へ戻ることにしたのです。東京の暮らしはものすごく楽しかったのですが、直感的に移住を選択しました。
ー実際に移住してみて、どうでしたか?
最初は不安でしたが、大学時代にお世話になった社会人の方々から少しずつお仕事をいただけて、とてもありがたかったです。
山口のことに詳しい方から、地域おこし協力隊の募集をしているというお話を聞いて、何か地域に関わる仕事をしたいという思いで応募したところ、採用していただき、去年の10月からは山口県の萩市で働いています。
ー地域おこし協力隊での活動を始めてから8カ月ほど経ったのですね。活動してみていかがでしょうか。
活動し始めの頃、島へ取材に行ったのですが、島のおばあちゃんたちが毎日夕方になると海が見える場所に座って5~6人くらいで話しているんですよ。
当時の私はまだリモートワークをしながら、いかに効率的に働くかを考えていたので、何もせずにただ人としゃべって一日を過ごすというそんな過ごし方はあり得ないと思っていて。ただ、気づけば私もいろんな方とのつながりができて、一日中友達の家でゴロゴロしたり、畑を耕したりするようになりました。
そうすると、実は周りの人と一緒に過ごしてる時間が一番幸せだということに気づいて、島のおばあちゃんたちの気持ちがちょっとだけわかったのです。今は、「今日も幸せだったな」と思いながら毎日布団に入っています。
ー毎日幸せを感じることは、意外と難しいですよね。
そうですね。私も昔は時間をいかに有効活用するかばかり考えていました。
都会にいたときは見える景色は毎日同じでしたが、田舎は急に雨が降って泥がぬかるんだり、急に大きなムカデが出てきたり、毎日景色が変わるので面白いです。
ー周りの人と一緒に過ごしてる時間に幸せを感じるのは、幼少期の孤独だった時期が関係しているのでしょうか。
それはあると思います。昔の孤独だった記憶があるからこそ、今はいろんな方がそばにいてくれるだけで、すごく幸せだと感じていますね。
時間は有限だからこそ “今” この瞬間を大切に生きていく
ー現在は地域おこし協力隊として活動しているJOさん。3年後のキャリアについて教えてください。
この半年間だけでもいろんな変化があったので、3年後はまったく想像できないですね。ただ、「どんな未来になったとしても後悔しない過ごし方をしよう」といつも考えています。
ーJOさんにとって、後悔しない過ごし方とは?
周りの方と、自分の人生を分かち合って過ごすことです。一緒に活動している仲間や、地域に住んでいるおばあちゃんなど、今関わっている方たちと同じ時代を生きていて、同じ時間を過ごしているというのはすごく幸せなことだと思っていて。
これからも自分の時間を分かち合う人を増やして、どんどん輪を広げていきたいですね。
ー最後に、JOさんからユニーク世代へメッセージをいただきたいです。
私はいつも、「未来がどうなるか分からないからこそ、今の時間を精一杯過ごそう」と感じていて。私も東京の生活が突然終わって山口へ移住することになりましたし、今インタビューを受けているこの時間も、あと数分で終わります。
そう考えると、今感じていることはすべて伝えなきゃと思えるのです。「あの時伝えきれなかったな」と後から思いたくないので、「一緒にいてくれてありがとう」とか、「すごく幸せだった」と伝えるようにしています。
時間が限られてるからこそ、 “今” を大事に精一杯生きていこうといつも思っていますね。
ーJOさんから、幸せな時間をどう過ごすべきかについていろんな示唆をいただけたような気がします。本日はありがとうございました。JOさんの今後のご活躍、心より応援しています!