人は変わり続けている。みなものふたり代表の神原沙耶が思い描く「対話」とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第344回目となる今回は、みなものふたり代表の神原沙耶さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

神原さんはみなものふたり代表としてパートナーと第三者を交えて客観的な対話ができる事業を展開しながら、企業や教育者向けの内省支援プログラムや人材育成プログラムの企画・提供、コーチングなど多方面に活動されています。

社会人1年目で橋本病に。時間も体力も限界があることを痛感

ー本日はよろしくお願いします!まずは現在のお仕事について教えてください。

現在は「思い込みで作った世界を、対話を通して解きほぐす。」をミッションに、家庭を安心の場にするサービスを提供するみなものふたりの代表を務めています。

ー家庭を安心の場に……。珍しいサービスですね!前職はどのようなお仕事をされていたのでしょうか。

2016年に津田塾大学を卒業して株式会社リクルートキャリアに入社し、新卒採用事業領域で法人営業、新人育成企画、事業・サービス企画などを担当しました。他にも個人活動としてコーチングや内省プログラムの企画実施、NPO法人での活動なども行なっていました。

ーすごくアクティブに取り組んでいらっしゃいますね。お忙しかったのではないでしょうか。

そうですね。実は社会人1年目、これまで縁のなかった福岡県に配属され新規開拓営業を担当していました。「期待を超えたい」「成果を出して居場所をつくりたい」という想いが強く、自分自身にプレッシャーを与え続ける毎日でした。そんな日々を過ごしていたある日、急に体が動かなくなり倒れてしまったんです。

ーえっ!それは大変でしたね。

病院で検査をした結果、甲状腺の自己免疫疾患である橋本病が進行している状態でした。これまでの人生、体力には自信があったので驚きました。治療を始め、薬が効くまでの半年間は時間に余裕ができたので「中長期的に自分が本当に大切にしたいことは何か」を問う期間となりました。

家庭内と外でのギャップを感じた幼少期

ー病気がきっかけとなりご自身と向き合う時間ができたのですね。お話を聞いていると「期待を超えたい」「居場所をつくりたい」などのお気持ちが原動力の一つになっていたことが伺えますが、昔からそのようなお気持ちがあったのでしょうか。

私は共働き家庭の一人っ子として生まれ育ちました。父は単身赴任で、母も働きに出ていたためか「私を見て!」という気持ちが強い性格でした。

ーご家族が揃って過ごせる時間が少なかったんですね。

そうですね。でも中学生の頃、父の単身赴任が終わり家族3人での生活が始まりました。働きながらも私との時間を作ろうとしてくれたことに感謝していますが、私自身も電車通学をしていたので家族内で会話をする機会は多くはありませんでした。

父と母がふたりだけでお互いのことを会話をしている様子を見た記憶があまりなく、一人娘の私についての話ばっかりだったので「私は期待に応えられているだろうか」「私がいることで二人に我慢をさせていないか」と不安を感じていました。そういった経験もあり、その頃から「私が居てもいい理由を作らなきゃ」という想いを抱くようになりました。

ーなるほど。学校生活はいかがでしたか?

幼稚園はモンテッソーリ、小中高は国立大附属校という自由や自律が大切にされる環境で育ちました。家庭内ではなかなか自分の居場所を見出せませんでしたが、学校では周りに恵まれ、頑張った結果を認められたり応援されることが多かったです。

学校では充実している一方で、家庭では親を笑顔にさせることができていないように感じていたので自己肯定ができず、家族から遠ざかってしまった時期もありました。

大好きな祖父の「死」が自分と向き合うきっかけに

ー家の中と外での自分に対してギャップを感じていたのですね。その後、津田塾大学に進学されていますが大学2年生のときのある出来事が「自分の想い」を考えるきっかけになったのだとか。

大学2年生のとき、大好きだった祖父が亡くなりました。病室で祖父の死際に立ち会い、生まれて初めて「死」を実感しました。同時に「自分が死ぬときはどう死にたいのか」を考えるようになりました。真剣に考える中で、これまでの人生において何かを選択するときに「親が喜ぶだろうから」「世間体がいいから」を基準にしていたことに気がつきました。

幼少期から感じていた「自分の居場所」へのコンプレックスや、頑張っても褒められないことを環境や親のせいにしていた事実に直面したことで、自分で決めることへのこだわりが一層強くなりました。

ー「死」に直面したことで、ご自身の本心と向き合うきっかけとなったのですね。自分で決めることへのこだわりが強くなったとのことですが、新たに始めたことなどはありましたか。

探求や関心の方向性が人の意思決定やコーチングに向いたことで、心理学コーチングなどをキーワードに色んな人に出会い、学び、実践を繰り返していきました。

「人は変わり続けている」という前提を忘れない

ー2020年6月に独立をしみなものふたりを立ち上げられていますが、背景を伺えますでしょうか。

みなものふたりでは、お互いを「一個人」として尊重し合えるパートナーシップを育んでいきたい人向けに様々なプラットフォームを提供しています。これまで自分がいかに「自分の視点だけで思い込んだ」世界に生きていたかに気づいたことでみなものふたりというサービスが生まれました。

「パートナーであっても自分とは違う人間だ」ということを前提に、第三者を交えてフラットな場で対話をすることで勝手な解釈、勝手な期待と違いに気づき、受け入れていくという成功体験を提供します。ただ話を聞くだけではなく、対話をリアルタイムでグラフィックレコーディングすることで目に見える形で対話の記録を残しています。

世の中に「会話」や「議論」は溢れていますが「対話」は少ない。お互いの前提や価値観、意見の違いをわかり合おうとするのが「対話」なので意識的に対話をする機会を設けることが重要だと感じています。

ー対話を通して生まれる関係性に目を向けられたのですね!現在はどのようなメンバーで活動されていますか?

現在は22名のメンバーがいます。日本だけでなくフランスやインドに住んでいる人、20代から60代まで居住地や年齢も様々です。対面で会ったことがある人はわずかですが、みんな素敵なメンバーで不思議な一体感を感じています。

ー最後に今後のビジョンや展望を教えてください。

パートナー同士が定期的に「対話」をすることを一つの文化にしていきたいです。人は変化しながら生きているので、価値観一つとっても5年前と真逆になる可能性もあります。自分も相手も変化していることを意識的に考える仕組みや習慣があれば、より柔軟に物事を捉えることができるようになりパートナーはもちろん、自分のことを受け入れられるようになると思います。「変化に気づける対話」を軸に、これからも活動の幅を広げていきたいです。

ー本日はありがとうございました!神原さんのさらなる挑戦を応援しています!

取材:三木昌子(Instagram
執筆:yukako(Twitter
デザイン:五十嵐有紗(Twitter