東京から北海道の魅力を発信して地元に貢献。戸田健介が上京して感じた視野を広げる大切さ

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第388回目となる今回は、リトルホッカイドウ共同代表の戸田健介(とだけんすけ)さんです。

イギリス留学を通して、地元を応援し還元する考え方に衝撃を受けた戸田さん。就職で上京し、天職だと感じる仕事をしながらも外部の活動を続け、リトルホッカイドウを共同で立ち上げます。上京して視野を広げたからこそ気づいた学びや北海道への思いを伺いました。

 

「いい子供」でいたいという気持ちが行動の指針に

ー本日はよろしくお願いします。簡単に自己紹介をお願いします。

戸田健介と申します。北海道出身で、4年前に就職を機に上京しました。今は事業開発会社でマーケティング職に携わる傍ら4つほど副業をかけ持ち、また北海道の魅力を発信するコミュニティ「リトルホッカイドウ」の共同代表としてさまざまな活動を企画しています。

ー幼少期にターニングポイントがあったと伺いましたが、どのような出来事があったのでしょうか?

ちょうど中学校に入学するタイミングで親が離婚しました。母親一人で僕と弟を育てなければいけない状況に対して12歳なりにどうしたらいいのかずっと悩みました。日中は会社で働き、帰宅後は家事、資格取得のために夜遅くまで勉強をする母の姿を今でも鮮明に覚えていて、長男として自分が力をつけていかなければいけないと強く感じました。

ー具体的にはどのような行動をされてきましたか?

そんな母親の姿を見ているので、まずは「親を悩ませる・悲しませるようなことをしてはいけない」という考え方になり、誰が見ても「いい息子」でいたいというのが行動の指針になりました。一番悔しいのが母子家庭を理由にされることだったので、当時は両親がいる家庭で育った子供に勝つために「勉強と部活の文武両道」を目指してかなり頑張ってきたと思います。

ー母子家庭が原因だからと思われないように努力し続けてきたのですね。部活はなにをされていたのですか?

バドミントンです。運動神経は悪いのですが、健康的な子供像を目指してスポーツ系の部活にしました。そのなかでもバドミントンを選んだのは公園の羽付きのイメージだったので、あれならできると思ったからですね(笑)。中学でバドミントン部に入部してから、今に至るまで16年以上やっています。一応高校時代に北海道ベスト32の成績を残しました。何とも言えない数字ですみません(笑)。

ー中学・高校時代は勉強や部活に一所懸命取り組んでいたのですね。そのあとの進路選択では、目指していた大学に進学されたのでしょうか?

実家が北海道大学(以下、北大)に近いこともあり、北大の学祭に毎年行くことが恒例になっていたため、無意識に北大進学が家族と僕のゴールになっていました。

ー北海道以外の場所、例えば東京に行きたいといった気持ちはありませんでしたか?

正直「上京」にも憧れはあったので東京の大学も受験していました。ただ、もう少し母親の側にいたい、という気持ちと、北海道出身なのに北海道のことをあまり知らずに東京に出るのはもったいない、という気持ちがありましたね。
北海道は魅力度や人気が高い場所として紹介されることが多いですが、その魅力の部分をあまり満喫していないと思ったんですよね。それならもう少し北海道に残って北海道を最大限満喫して思い残すことがない状態で東京に行こうと決めました。

 

考え方を大きく変えた日本一周と海外留学

ー北海道大学の入学がゴールになっていたとのことですが、入学後はどういった気持ちで過ごしていましたか?

当時は僕が目指していた「いい子供」のゴールが北大への入学だったので嬉しかったのですが、その後どこに向かって生きていくのか分からなくなり、モヤモヤしている期間が3年ほど続きました。

そのもやもやを打破したのは大学3年の夏休みに行った日本一周でした。
サークルの先輩で日本一周をされていた方が、旅行中に毎日Twitterでその日に行った場所などを発信していてそれがめちゃくちゃ楽しそうだったのがきっかけでした。よくいう「自分探しの旅」じゃないですけど、さまざまな景色や人に触れるなかで自分自身の方向性が見えてくるのでは、という期待もありました。

日本一周で感じたことは大きく2つありました。
ひとつめは、日本はいい国だと感じたことです。実際に旅をするなかで人の温かさや治安のよさ、食べ物のおいしさや自然の豊かさなどさまざまな観点で見ると日本は魅力的な国なんだと感じましたね。それは海外15カ国の渡航を経てより強くなりました。
ふたつめは、「やればできる精神」が日本一周を通して培われたことです。正直札幌に生まれ札幌の大学に行き、札幌内で生活が完結する生活を送っていたので、それまでは北海道すら全然出たことがない状態。当時の僕にとっては1人で1.5ヵ月間旅に出ることは結構な挑戦で、本当にできるのか不安に感じていました。

ずっと北海道で生活している人にとっては、「他県に行く=海を渡る」なので意外とハードル高いんですよね。ただそんな不安交じりでの出発でしたが、実際に旅に出てみると刺激を受けることがたくさんありましたし結果的に最高の旅にできたことが、「自分なら何やってもうまくいく」と体験からくる自信につながったのだと思います。

ーイギリスに半年ほど留学されたご経験もあるそうですね。どのような留学生活だったのか教えてください。

大学で配属された研究室は、学生のプレゼン次第で海外の大学で共同研究する機会を提供する研究室でした。海外志向も比較的高い方だったので、教授の許可を得て3ヵ月ほどイギリスの大学留学しました。

留学中に一番印象的だったことは、実は研究活動はなくホストファミリーとの日常でした。
イギリス人の地元愛や国への想いが強いと感じるきっかけになったエピソードがあります。
ホームステイ先のお父さんはスポーツ観戦がすごく好きで、よくラグビーの試合に連れて行ってもらってました。お父さんが応援するチームは地元のチームなのですが、お世辞にも強いとは言えずむしろ最弱。試合が組まれた時点で敗北が決まっているのに、それでもお父さん含め地元の方はそのチームを熱心に応援するんです。

負けて悔しい思いをすることが分かっているのになぜ応援するか聞いたときに、「地元のやつが応援しないで誰が応援するんだ。俺は自分を成長させてくれた地元や環境に感謝しているし恩義を感じている。そんな愛すべき地元を代表するチームが目の前にあるのに、他のチームを応援なんかしていたら筋が通らんだろう」と話してくれました。

僕にとってはこの考え方は凄く新鮮でそして衝撃的でした。客観的に視れば敗北続きの弱小チームの応援であっても、その応援にはその人の地元への感謝を含めたさまざまな想いが乗っかているのだと。そんな自分を育ててくれた環境への感謝を何かしらの行動で還元する姿がかっこいいと思うようになりました。

また、ちょうど僕がイギリスに留学した頃は、イギリスのEU離脱是非が話題になっているタイミングでした。お父さんは「イギリスは離脱する。イギリス人は自分の生まれ育った地元や国が好きだ。EU離脱は結果的にイギリスを守ることになる」と言っており、その数ヵ月後に離脱が決まりました。

 

天職だと感じていた仕事からキャリアチェンジを決意

ー大学院を卒業後、就職をきっかけに上京されたそうですね。どのように就職活動をおこなったのか、また実際に上京して感じた変化を教えてください。

就活を始めるにあたり自己分析のために過去を振り返ったときに、日本縦断と海外でのホームステイが自分の価値観形成に大きな影響を与えていたと感じました。
日本縦断を通して日本が素敵な国だと知り、イギリスでのホストファミリーの地元に還元する生き方のかっこよさを感じたことから、僕自身日本の発展に貢献することや、自分が育った北海道に恩返しする生き方をしていくことが使命だと感じてそれがそのまま就活の軸になりましたね。

日本に直接的に貢献できる仕事ってなんだろう、と調べていくなかで、日本の歴史を遡ったときに日本を世界的な影響力ある先進国まで引き上げてきたのは「船」の存在だと気づきました。日本の歴史の大きな転換期には「船」の存在があり、また戦後の日本の復興は「船」を中心とした貿易だと思っています。日本の産業基盤を支える「船」に自分自身が携わることが直接的に日本に貢献できると考え、技術者として重工メーカーの就職を選択しました。

ー実際に入社されてから仕事は順調でしたか?

配属は第一希望の基本設計部でした。設計の中でも一番上流に位置する部署で、海外客先との技術的な交渉に始まり、客先の要望が技術的に可能かどうかを図面に起こしながら検証、そして営業とタッグを組んで受注獲得の作戦を考える。上流であるが故に制限のない中で自由と責任を持って仕事を進められる上、特許開発にも携わる機会があり非常にやりがいを感じていました。正直天職とさえ思ってました!

ーやりがいも感じながら順調に会社の仕事を進められたのですね。一方で会社だけにとどまらず、外部との幅広い活動をされていたそうですが、具体的にどのようなことをされていましたか?

性格的に1つの同じ場所に留まれないこともあり、好きな仕事もしつつ何か面白いことを仕掛けたい気持ちは漠然とありました。またキャリア形成を考えた時に、今は天職と思える仕事であっても、日本の経済状況を考えるといつ何が起こるか分からない不安はあったので、視野を広げつつ何かあった時に取れる選択肢を持つ状態を作る必要性は感じていました。

視野を広げる手っ取り早い方法が、色んな業界・職種の人の話を聞く「場」を作ることだと考え、折角「場」を作るのであれば自分の好きなものをコンセプトに作りたい。そうして生まれたのが「北海道会」です。

人との出会いを通して視野を広げつつ、地元への還元に微力ながら繋がると思い「北海道の魅力を発信する」をコンセプトのイベントを企画しました。

ー本業をしているなかで外部の活動の両立も大変だと思いますが、得られたものは多かったですか?

かなり多かったですね。北海道の人はどちらかというと全体的に温和だったりゆるさがあるに対して、東京の人は全体にエネルギーが高く上昇志向が高い人が多い印象です。これまで僕が関わることがなかった人や、考え方に触れるだけでも自分自身の成長になりましたし、結果的に自分のキャリアや活動の幅が広がるきっかけを得ることができました。一番の収穫は、「こんな人になりたい」「こんな人と仕事できるような自分になりたい」と思える人と出会えたことだと思っています。

ー28歳のときに「大手重工メーカーの技術職」から、「ベンチャーのマーケティング職」にキャリアチェンジされた経緯を教えてください。

様々な人との出会いを受けて自分の将来設計を見つめなおした際に、もっとチャレンジングな仕事をしていきたい、という想いが強くなっていることに気づきました。大手の会社の看板がなくともバイネームで勝負できる自分でありたい、そう考えた時に自分自身の成長スピードを加速させる環境としてベンチャーを希望しました。

そのなかでもマーケティングを志望したのは仕事の成果を数字で明確に測れる仕事だと思ったからです。技術職は直接的に数字と向き合う機会が少なかったため自分の成長の測りにくさを感じていました。また、新卒時の当初の想いである「日本に直接的に貢献する」に関しても、大手でキャリアを積み上げることに限らず、自分自身が世の中に通用する人材になり影響力を持つことでも叶えることができると思ったので熱量は変わりません。

ー大手メーカーの技術職からベンチャーのマーケティング職へのキャリアチェンジだと180度変化するイメージですが、正直戸惑いはありませんでしたか?

正直会社の規模や業務内容、組織文化等180度違うキャリアチェンジをしたなと。ただ、いきなりキャリアチェンジをしたわけではなくて、視野を広げていた過程で、複業という形でSNSを中心としたブランディングやマーケティングに携わっていました。その経験が大きな財産となっており数字を作る難しさや楽しさを体感していたので、特に大きなギャップを感じることもなくキャリアチェンジできたと思います。キャリアチェンジに不安はつきものだと思いますが、それもしっかり視野を広げてさまざまな人とつながりを持っていれば、多角的にアドバイスをもらえるので、さほど不安に感じることはないと思っています。

ー実際に転職されてどうですか?やりがいや難しさなど感じていることはなんでしょうか?

求めていた「数字と直接的に向きあう」仕事をやらせてもらうなかでやりがいを感じる一方で、やはり簡単にはうまくいかない、という難しさも感じています。前職の造船は、受注から完成までに1,2年かかるためフィードバックもそれくらいのスパンで返ってくる世界でしたが、今携わっている広告運用は、自分の考えた施策が数時間、数分後には数字として返ってくる世界。PDCAを回すスピード感に慣れるのに時間がかかりましたね。あとは、自分が考えた施策がなかなかはまらないときは悔しいです。どんな仕事にも言えますが、改めてマーケティング職は正解がない仕事なんだと痛感しています。

ー現在は本業と複業を通して、日々マーケティングやブランディングで数字をつくるために邁進されていると思いますが、今後戸田さんが目指していることやありたい姿をお伺いしたいです。

30歳手前になって「一度きりの人生自分はどこまでいけるのか」を凄く考えるようになりました。僕が幸せを感じるときは、「やりたいと思った時に制限がない状態」なんです。思い立ったら考える前にすぐ行動という性格なので、その行動に制限がかかる状態にストレスを感じてしまう。なのでこれからも選択肢を広げつつ、プライベートも仕事も最大限謳歌できる人間でありたいというのが自分の目指す姿になります。

これまでの人生を振り返ると、日本一周やイギリスでの留学生活、会社の仕事選びや複業、さらには自分で立ち上げたコミュニティの運営も、自分がやりたいと思ったことは形にしてきました。
そのなかでも今燃えているのは、「リトルホッカイドウ」というコミュニティ運営です。「人」のつながりや力で僕は地元北海道に大きく貢献するような地域創生的な活動を行っていきたいと考えています。

 

リトルホッカイドウで地元に貢献していきたい

ー最後に、戸田さんが運営されているリトルホッカイドウについて、立ち上げた経緯など詳しく教えてください。

就職を機に上京後、自分の視野を広げるため、そして北海道の地域創生のために「北海道会」を立ち上げ2年半ほど毎月開催してきました。継続開催していくなかで、もっと面白ことを仕掛けていきたい、影響力を発信していきたい、と考えていた時に、SNSを介して北海道会に興味を持ってくれた方と意気投合して、「リトルホッカイドウ」というコミュニティを立ち上げました。

「リトルホッカイドウ」の魅力は、なにより東京を基点に活動していることです。
北海道に関するコミュニティは結構あるのですが、多くは北海道が拠点で活動も北海道内で完結しています。それでは北海道の魅力は届けきれていない部分があると思い、東京を活動の拠点に置きより効果的に北海道の魅力を発信できる状態を作りました。

また、北海道から東京に上京した人たちとつながるプラットフォームがあることで、北海道の地域創生に向けた活動を広げやすくなり、かつ地域創生に限らずお互いのビジネス領域を拡張させていくような動きも展開できるようになります!

今後は「リトルホッカイドウ」を北海道はもちろん最終的に日本全体への貢献までつなげるコミュニティとして育てていきたい思いがあるので、ぜひ北海道出身・北海道好きの人と一緒に、夢や想いを語りながらカタチにしていきたいです。
リトルホッカイドウ、今年は大きく活動を広げていく予定で、絶賛面白いことを企画している途中です。もし興味がある方は是非一緒に作っていけたらと思っています。

 

取材:増田 稜(Twitter
執筆:スナミ アキナ(Twitter/note
デザイン:五十嵐有沙(Twitter