様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第315回目のゲストは、アディッシュ株式会社の松田光希さんです。
困難な道にチャレンジし続ける
ーこれまでの経験を踏まえて簡単に自己紹介をお願いします。
2015年に新卒で株式会社ガイアックスに入社しまして、最初はM&Aや経営管理周りをやっておりました。その後、ベンチャー投資をガイアックスでやることになり、コーポレートベンチャーキャピタルとしてGXインキュベートという子会社を立ち上げて、そこの代表を3年ほどやりました。
その後、2018年に今私が働いているアディッシュ株式会社に転職しました。投資先だったので、転職というよりも投資先に転籍するみたいなイメージですね。そこで1年半くらい上場準備業務をやって、上場してからは経営管理全般を担当しています。
ーこの世代で既に上場を経験してるって、物凄いことですよね……!
一体どんな人生を歩んで、ここまで辿り着いたのでしょう。
ぜひ、順を追ってお聞きしたいです!
カナダ留学を決心した中高一貫校時代
ー松田さんの生まれ育ちはどちらになりますか?
私は北海道出身で、札幌でずっと生活を送ってきました。大学を含め21年間過ごしました。
ー幼稚園・小学生の頃の自分を一言で言うなら?
「やんちゃ坊主」みたいな感じだと思います。よく運動して走り回っていましたね。
ー中学校・高校では受験はされましたか?
私立の中高一貫の男子校に進学しまして、ガラッと生活が変わりました。
小学5年生くらいの時に中学はここに行くと自分で決めたんです。
ー進学先のどんなところに惹かれたのですか?
後からすごい後悔したのですが、「男子校がいい!女性とかもういい!」と決めちゃいましたね。男子校かつ進学校となると、あまり選択肢がなくて。通学に片道1時間半かかるので、通学というイベントが増えたのは面白かったなと。
ー中高一貫校での6年間はどうでしたか?
中高一貫校で1学年150人くらいだったので、変わり映えしないんですよね。最終的には東大に合格できるくらいのレベルにはなるのですが、それだけみたいな感じだったので。
課外活動も部活も、打ち込むタイプでもなかったんです。
そんな時に、たまたま父親の関係で高校留学があるということを知って、挑戦することにしたんです。行ったことのないカナダに、1年。いろいろ考えましたが、実態としては日本の中高生活が飽きていて飛び出したいという気持ちだけでした。向こうに行けばきっと何か面白いことがあるみたいな。
留学先でのイエローカードから学んだ人生の教訓 ー留学直後にハプニングがあったそうですね。
留学の最初に、留学生のためのオリエンテーションが2週間くらいありました。最初の日に、共同生活でのルールの説明がありました。しかし、英語が分からなかったので、ルールの説明をしていることすら理解できなかったんです。
そのため、門限があることを知らなくて。
夜の見回り中に門限を過ぎているのに現地で仲良くなった女の子たちと部屋でトランプをしているところを見つかってしまって、いきなりイエローカードをくらいました。イエローカードが2枚出るとレッドカードになって強制送還になる、とそこで初めて知りました。
それから日本人と日本語で喋るのをやめました。毎日台湾やヨーロッパの友達とつるみまくり、英語力が飛躍的に向上しました。
人間、修羅場に置かれると死ぬ気で勉強しますね。
ーこの経験から得た人生の教訓はなんですか?
破ってはいけないルールがあるので、「ルールだけはとりあえず抑えておけ」ですね。逆にルールを抑えておくと、抜け道とか、どうやったら勝てるかとかが全部見えるので。
ー次なる人生の転期はどんなものがあったのでしょうか?
カナダには、アメリカより治安がいいと思って留学したのですが、どの州のどの市に行くかまでは選べませんでした。
私が辿り着いた先は、人口が4,000人くらいのめちゃくちゃど田舎で、アメリカとの国境沿いの、治安が少し悪い町でした。
カナダは麻薬大国でして、友達の家の冷蔵庫を開けたら基本マリファナが入っています。もちろん留学生がやったら違法なのでダメですが、現地の人たちは普通にやっています。授業中に普通に目の前で白い粉が売買されているんですよ。衝撃ですよね。
(※2008年当時、医療用大麻は合法化されていたが、趣向用の大麻は違法。その後2018年10月に趣向用大麻も合法化となった。)
日本は生徒のたばことかドラッグとかの不法行為に関して学校が介入するじゃないですか。でもカナダでは全て自己責任。先生は気にせず、契約で教えているだけだからという感じなんですよね。自分の身は自分で守るという世界なので、これは結構良い経験になりました。
3ヶ月でキャッチアップした受験勉強法
ーこの後日本に戻られて1年分の受験コンテンツを全てキャッチアップされたようですね。
日本の教育課程における高校1年生の夏から高校2年生の夏までの授業を全部受けていないので、カナダの高校の単位を変換していました。しかし、こっちは東大を目指す日本の進学校で、向こうはヤンキーが授業に来ない田舎の高校だったので、変換するも何も受験にふさわしい難易度の高い授業はありませんでした。
物理の運動方程式とか全部分からないし、化学も基本の暗記事項も全然知らなかったので、教科書と問題集を3ヶ月くらいで一気にやりました。そうしたら、1年分全部終わっちゃって、1年かけてやっている学校の授業も、1人でやると数ヶ月で終わることに気づきました。
結局授業を板書して、友達と駄弁ってる時間が8割で、コンテンツにかけている時間は2割なんだなと思いましたね。
戻ってきて最初の試験からビハインドなしで上位に入っていたので、意外と問題ないんだなと思いました。コツコツ毎日3時間とか、多い日は毎日15時間勉強をやってキャッチアップできたので、考え方が変わりましたね。
ーその時に「こうやったら全部キャッチアップできる」という確信があったのですか?
いや、ないですね。
普通に学校指定の問題集をただひたすらに3,4周しました。参考書をたくさん買うのはダメで、1つの問題集をとにかくやり込めというのだけは知っていました。
そのため、どこのページになんの問題があって、回答のページがどこかまで暗記していました。元々暗記力があったんですね。
ー大学選定にあたり将来の夢はありましたか?
正直言って、無いですね。
それらしい理由は当時言っていたと思うのですが、旧帝国大学クラスに行っておけば、潰しが効くというノリで、「第1志望:東大、第2志望:北大」と決めました。
結局前期で東大を受けて、東大は落ちましたけど、後期で北大に受かりました。
ガイアックスとの出会いとM&A達成
ー卒業して新卒で入社されたガイアックスとはどういった形で出会われたのですか?
大学3年生の夏くらいからインターンや就活について考えるようになって、就活と真面目に向き合い始めました。
実際にちゃんと動き出したのが大学3年生の12月くらいで、当時その頃は外資のエントリーが始まっていました。いろいろと調べていたら、ちょうどロジカルシンキングセミナーとかフェルミ推定をするイベントをやっていて、そこの就活エージェント経由でガイアックスを紹介してもらいました。
ーガイアックスを初めて知った時にはここしかないという感じでしたか?
流石にそこまではないですね。自分の性格上、人に細かい指示をされるのが嫌いで、自由にやりたい、いろいろやりたいという気持ちが強かったです。営業もやってみたいし、マーケティングもやってみたいし、経営全般も見てみたいし、とか。
営業として裁量権がある、マーケターとして裁量権があるという会社はたくさんあるのですが、いわゆるジョブチェンジが簡単にできそうな会社は少なかったんです。
Webサイトに書いてあることが全てではないので、実際にヒヤリングしていく中で、私から面接の回数を指定していました。人事だけだと会社の全体像が分からないので、「中堅クラスのこういう仕事をしている人を」と逆にお願いしていました。会社の中で5,6人と会うと雰囲気が分かってくるので。
その中で最終的にガイアックスに決めました。
ーガイアックスではM&Aの担当を最初から希望されたのでしょうか?
いや、そんなことはなく、M&Aという単語すら知らないくらいでした。大学が理学部化学科で量子化学研究室なので、まず財務諸表を読めなかったですね。P/Lという単語も知らなくてキツかったです。
ー何も知らないという状況になり、焦りや迷いは生じたりしませんでしたか?
当時は何が起きているか分かっていなかったので、逆に何も焦らなかったですね。見えてないから怖くない。めちゃくちゃ大変なんだろうな、でもよく分からないからとにかく頑張ればなんとかなるか、と楽観視していました。
ー一番最初は何から着手されましたか?
本屋に行きました。M&Aの実務における全てのプロセスが書いてある一番分厚い本を買って、全ページを読み込みました。いろいろなWebサイトの記事も確認すると、全部この実務書に書いてある内容を薄くして解説しており、自分の知識が間違っていないことが分かりました。
それと同時に財務諸表の読み方を最初の1ヶ月くらいでインプットしました。会計としてP/LやB/Sのプロフェッショナルになるには何十年もかかりますけど、読み方を勉強するだけならすぐできます。なので、そこだけ先にインストールして実務に入るという感じでしたね。
ー周りの先輩方に聞いたりせずに自分自身でいきなり始められたのですか?
上司が社長だったので、自分に対して手取り足取り教えてくれる先輩が存在しませんでした。自分で調べて強くなるしかなく、本屋のビジネス書コーナーを片っ端から読んでいくことしか方法がありませんでした。
ーその後、GXインキュベートを設立されますが、その時も迷われませんでしたか?
そうですね。流れでそうなりました。起業させてくださいと志願したわけではなく、戦略として必要だったんです。その役割がたまたま私だっただけという感じでした。
ー新卒1年目にM&Aを達成、次の会社を設立という2つの経験がどのように生きていますか?
社長に対する概念が変わりましたね。社長と聞くと、「すごくてなんでも知っている」というイメージがありましたが、そんなことはなく、ただ単に雇用されていない普通のビジネスマンであると分かりました。だから、物凄いというバイアスがなくなって、普通に接することができるようになりましたね。
アディッシュで上場を経験
ーアディッシュ株式会社ではどのようなことをされているのでしょうか?
アディッシュは、「つながりを常によろこびに」というミッションを掲げている会社です。
ネットいじめ防止を学校向けに提供するようなサービスや、スマホアプリやゲームのカスタマーサポートの代行サービス、企業が運営する掲示板の不適切なコメントや画像投稿を代わりにモニタリングするサービスを提供しております。
ーアディッシュでの具体的な業務について教えてください。
上場準備責任者としてお声がけいただいていたので、上場まではずっと上場準備業務をやっていました。予実を合わせたり、上場準備関連のドキュメントをひたすら書いたり、社内の経営管理として、毎月全ての部門の勘定科目が予算とズレていないかを一つ一つ確認したりしていました。
内部監査系の業務も担当していたので、各部門がちゃんと運営されているのかをヒヤリングしたりもしていました。
上場した後は、その業務は無くなり、IR全般と引き続き経営管理全般です。基本的には予算と実績と通期の着地見込みの集計といった仕事をしています。
もう一つ、完全に新しい領域として、データ分析やビジネスインテリジェンスの領域も担当しています。
ー困難な道や大変な道を選択し続け、チャレンジし続ける理由はなんですか?
私は、基本的に全てゲームだと思っています。簡単なゲームだとつまらないじゃないですか。難しいミッションやクエストをクリアすればするほど、より難しいミッションが出てくるのがゲームの特性ですが、人生も同じだと思っています。
いろんなチャレンジをしていくと、やったことのないチャレンジが見えてくるので、やればやるほど新しいゲームに出会える感覚でチャレンジし続けています。
ー今後の方向性、ありたい姿などを教えてください。
今年から始めているデータ分析やビジネスインテリジェンス領域の仕事について、レベルアップをしっかりして、価値を発揮できるようになりたいです。
上場準備やコーポレートキャピタル業務は一通りやらせていただいたのですが、それだけだと面白くないので、掛け合わせとして何ができるかを見極めていきたいです。
ー最後に言い残したことはありますか?
「できないと思ったことは大体できるよ」ということを伝えたいです。
ー松田さん、本日はありがとうございました。
取材者:あおきくみこ(Twitter/note)
執筆者:増井拓良
編集者:杉山大樹(note/Facebook)
デザイナー:五十嵐有沙(Twitter)