15年後目指すは「時価総額10兆円」!エンタメスタートアップ代表が描く人生計画とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第317回目となる今回は、株式会社Plott 代表取締役社長 奥野翔太(おくのしょうた)さんをゲストにお迎えし、幼少期のエピソードから現在の事業運営に至るまで詳しくお伺いしました。

大学時代にインターン先で「経営者」という人間に魅せられ、学生起業。現在では80歳までの人生計画を立てている奥野さんの野望に迫ります。

小さい頃から周りを楽しませることが好きだった

ー まず簡単に自己紹介をお願いします。

株式会社Plott代表取締役の奥野翔太と申します。三重県出身で、筑波大学在学中に学生起業をしました。

PlottはYouTubeでオリジナルアニメを制作・配信している会社でして、「テイコウペンギン」「混血のカレコレ」「秘密結社ヤルミナティー」などといった作品を手掛けています。
YouTubeのチャンネル総登録者数は250万人を超え、特に代表作である「テイコウペンギン」は約90万人ほどの登録者数を抱えています。

YouTubeはここ5年ほどで一気に加速した市場なんですが、アニメは制作コストが高いので、他のコンテンツに比べると市場の発達が遅かったんです。僕たちがこの事業を手掛けはじめたのは2019年の1月からなのですが、2019~2020年頃にアニメ・漫画領域の市場がかなり成長したかなと思いますね。

今後もYouTubeのアニメ・漫画領域を礎に頑張っていこう、というエンタメスタートアップを経営しています。

ー 登録者数230万人!すごいですね。少し奥野さんの過去にも遡ってお話を伺っていきたいと思います。どのような幼少期を過ごされたのでしょうか。

両親が関西人だったこともあり、活気溢れる家庭で育ちました。加えて、親の転勤による転校が多く、小さい頃から新しく人と関わりを持つことにはとても前のめりでした。人との出会い、別れが多かったので、自分自身で道を切り開いていきつつ、周りの人と楽しんでいくというのが身についたのが小学生の頃ですね。

ただ、転勤族に対して厳しいことも多く、僕や家族に対するよそ者扱いやいじめなどもありました。周りが楽しくできているかどうか、に関して多感になっていたかなと思います。

根性がついたのも同じ頃ですね。小学校から高校までサッカーをやっていたのですが、小学校の頃に在籍していたサッカーチームが戦術やテクニックよりも根性や気合を大事にするチームだったんですよ。気合で押し勝っていく、というのが自分の根本にあるかもしれないですね。

あとは小さい頃からお年玉があれば漫画を買っていて、お小遣いを漫画以外に使った記憶がないです。BOOK OFFや古本市場などの古本屋にもよく立ち読みしに行ってて、当時は「浦安鉄筋家族」や「金色のガッシュ!!」が大好きでしたね。今の漫画好きにも繋がっていると思います。また、小説もこの頃はよく読んでました。小学校の頃は休み時間を図書室で過ごすことも多かったです。この世代の人は分かると思うんですが、低学年は「ゾロリ」から始まり「デルトラクエスト」や「ダレン・シャン」などにどっぷり浸かった小学時代でした。

ー その後、18歳の頃に最初のターニングポイントが迎えたそうですが、何があったのでしょうか?

高校3年生の頃は、与えられるレールに疑問しか出てこないまま、モラトリアムを過ごしていました。なぜ周りのみんなは目標も無いのに勉強出来るんだろう?と本気で疑問に思っていて、受験勉強は正直真面目にやった記憶がありません。

そんなときに高校の親友から「お笑い芸人になるんやけど、一緒にやらへん?」と誘われまして。人を楽しませることや、みんなが笑っている空気感が好きだったので、一度は親に「芸人になります」と宣言したくらい真剣に悩みました。ちなみに親も受け入れてくれて、「事務所をサンミュージックにしてくれるなら……」という謎のオーダーをしてきてました(笑)

ただ僕はタレントになりたいというより、仕組みとしてのエンタメに興味があったんです。3DCGアニメーションに関わったり、アプリでゲームを作りたいと思って、最終的に筑波大学の情報科学類に進学しました。
道は違えど、彼は個人のタレントとしてエンターテイナーになる、僕は一人じゃできないようなことをみんなとやることによって、違う形でエンターテイナーになろうと決めたのが18歳の頃でした。

とはいえ、エンタメも幅広い言葉なので自分としては方向性がバシッと定まっていたとは思っていません。身近に経営者もいなかったので、起業家という選択もほぼ思い描いていなかったです。ただ、この選択は3,4年後将来のキャリアを選んでいく上で、非常に大事な指針にはなりました。

「経営者が僕の天職に違いない」半ば思い込みで踏み切った学生起業の道

ー 筑波大学に進学されて、どのような大学生活を過ごされたのでしょうか。

なんとなく道はきったものの、みんなほど無心で頑張れるものがなくて、大学の意義がいまいち掴めていませんでした。「本当にみんな興味あんの?」とか「コールしないと盛り上がれないなんてダッサ」と本気で思ってる痛い奴でした。

転機となったのはサークルを自分で立ち上げたことでした。当時あったフットサークルにも入ったんですが、プレイヤー同士の交流も特になく、ただ体を動かすコミュニティで面白くなかったんです。

僕の中でサッカーやフットサルの好きなところは周りとコミュニケーションを取れるところだったので、2年生の時に自分で新しくフットサルサークルをつくって、その運営を2年生の間は頑張っていました。斜に構えるのを一度やめて、自分が楽しいと思うこと、面白いと感じることをやっていたのが19歳の頃かなと思います。

結果150人規模のサークルとなり、小さい成功体験になりましたし、後輩に運営を引き継いでいく上で組織を継続することの難しさを学びました。

人は何か目標がないと動けないとか、大きな方向と実務を担当する人は別で良いとか、オペレーションはマニュアル化すべきだとか、どうやったら人を集められるかなど、この時に体感で学んだことは今振り返ると多くありますね。

ー サークル活動に没頭した奥野さんですが、21歳の頃にはベンチャー企業でのインターンを開始したそうですね。新しいチャレンジに踏み切った経緯を聞かせてください。

情報科学科に進学し、僕自身も授業ではプログラミングをやっていたんですが、筑波大学は世界大会にも出るようなトップ層のエンジニアも集まってくるような場所。自分が生きていきたいのはそのフィールドなのか、と懐疑的でした。自分の強みはもっと違うところにあるような気がしていたんです。

そこで生きる道を探すためにベンチャー企業でインターンをさせてもらいました。

ー ベンチャー企業のインターンではどのような業務をされていたのでしょうか。

バイト紹介のサイトやアパート紹介のサイトを運営していたんですが、入社当時は5人ほどの規模だったのでなんでもやりました。採用や営業、クリエイティブのディレクション、どういう形で事業を回してくかのオペレーション設計などですね。

様々な経験をさせてもらいましたが、インターンの経験の中で僕にとって一番影響が大きかったのは「経営者」という人間を知れたことです。ここまで生き生きと働ける人たちがいるということに衝撃を受け、感動しました。

経営者の仕事は事業を通してユーザーへ「楽しい」や「便利」といった価値を提供していくことです。ただ、それを一人でやっていくことではなく、組織でやっていくのが経営者の仕事。お客さんの楽しさだけでなく、社内の人間の楽しさも追求できるところに面白さを感じました。総合格闘技のようなこの仕事は自分の得意な領域でもあり、天職に違いない、と思ったんです。

その後、すぐに大学を休学して起業しました。

ー そうして学生起業されたんですね。最初はどんな事業をされていたのでしょうか。

一番はじめに手掛けた事業はゲーム制作です。好きなことで一発ドカンと飛ばしたいと考えていました。周りのみんなも好きなことだからやっていて楽しいし、その結果、コンテンツを触ってくれる人たちも楽しいと思ってもらえたら最高だと思ったんですよね。

ゲーム制作の後も色々な事業にチャレンジしたのですが、実際やってみると想定以上に大変で、なんでもできるという無根拠の自信は全て打ち砕かれました。自分では考え付かないような事柄がたくさんあり、市場に育てられたというのが正直なところです。

事業を立ち上げる際はタイミングが非常に大事なのですが、最初の1年間はとにかくタイミングをはかり続けた1年でした。ARのゲームやVTuber事務所なども検討し、結果、YouTubeアニメ領域に辿り着き生まれたのが「テイコウペンギン」です。

僕の中で転機になったのは、「テイコウペンギン」が伸び始め、会社の規模が大きくなったタイミング。メンバーが増えたことで「起業家」から「経営者」となりメンタリティの変化があったんです。

それまでは「ビジネスは戦いだ」と本当に殺気立って仕事をしていました。でも本質的な部分に立ち返ると自分はエンターテイナーになりたかった。当然ビジネスには戦いの側面もありますが、「分かち合う」という気持ちが大事だったんです。

自分の中で面白いと思うこと、楽しいと思うことを、メンバーと分かち合っていくことが重要なんですよね。経営者として自分の主張が強くなりすぎてしまう部分もあったのですが、そのあり方が変わったのが24歳くらいの頃だったかなと思います。

ー いま組織は50人を超える規模になってきたそうですが、プレッシャーに押し潰されそうな瞬間はないのでしょうか。

ないといえば嘘になりますね。人が増えれば増えるほどお金に関わることや健康に関わることなど色々な問題が起こるんです。潰れそうになったことはないですけど、自分の中の会社の重みがどんどん増えていくのは感じています。

一方で、人数が増えたことによって得られる喜びが増えました。例えば、起業当初はみんな週7で働いていたのですが、あるとき週5で働くことができるようになりました。そのタイミングでメンバーが土日に奥さんとバスケをしたと楽しそうに話してくれたんです。その人の人生が自分たちの頑張りによって少し彩られているんだなと感じ、とても嬉しかったですね。組織が大きくなるにつれて大変なことも増えましたけど、その分小さな幸せがとても増えました。

ー 周りの人のことも自分ごとに捉えられるのはすばらしいですね。昔からそうだったのでしょうか。

変わったのはここ2,3年くらいで、高校まではエゴイズムが強いタイプだったように思います。自分が好きだから人を楽しませる、といったように人の気持ちとかは考えているようで考えていなかったと思います。

でも事業や組織を運営する中で、自分の経営者としての器をすごく考えさせられ、ここ2年くらいで向き合うようになりました。自分のエゴイズムなんてどうでも良くて、その人の人生の1ページに挟まれるかどうかの方が僕にとっては大事だと認識したタイミングがあって、そのタイミングで人への接し方は大きく変わりました。

すぐに変わることはできないですけど、今までの自分に気付くことができたら、その過去の自分を置いていくことができるんです。自分の心の中には過去の自分はまだいるけれども、人から捉えられる概念としては切り替わったように見えるかもしれないですね。

「エンタメ領域で日本を代表する企業をつくりたい」

ー 事業についても伺わせてください。テイコウペンギンがヒット作品となった要因はなんでしょうか。

「テイコウペンギン」は、元々Twitter漫画家のとりのささみ。さんという方が描かれたキャラクターを僕らがアニメ化したコンテンツになります。まだまだ伸び代はありますが、一定のファンの方に愛してもらえるようになった理由としては3つあります。

1つはYouTubeでの漫画、アニメ市場の興隆。2つ目は原作キャラクターのエッジの立ち方や社会的な刺さり度。もう一つは最先端で戦い続けてきたからこそのYouTubeノウハウかなと思います。

当時、僕たちはVTuber市場にいてYouTubeをずっと見ていたので、その中でキャッチしたノウハウをすぐに事業に落とし込んだんです。YouTubeでアニメを作りたいという僕たちの想いに賛同してくださるクリエイターの方もすごく多くて、そういったところが具現化したのかなと思います。

ー すでに総登録者数は250万人を超え、うまくいっているように見えますが、今後の事業領域についても教えていただけますか?

僕らがつくりたいYouTubeコンテンツはまだまだたくさんあって、まずはYouTubeアニメ市場で大ホームラン作品を生み出していきたいと思っています。

そのためにYouTubeで面白い動画を投稿していくのはもちろんのこと、YouTubeの枠に囚われず様々な角度から面白いものを体験できるインフラをつくっていきたいです。

今後3〜5年はYouTube×アニメのメインプレイヤーとしてもっと市場を拡大していきたいですし、僕たちのコンテンツが届く領域を増やしていきたいと思っています。

その先のお話をすると、全然違う未来を考えています。Plottはアニメの会社ではなく、本気のアソビ(=僕たちが面白いと心から思えるもの)で世界をアッと言わせたい会社なんです。

なので、5〜10年後はゲームの会社になっているかもしれないし、音楽の会社になっているかもしれない。小説を出しているかもしれないし、漫画を出しているかもしれない。どちらかというと全部やっていきたいと思っています。僕らが本気で面白いと思うものを世の中にずっと伝えていきたいです。

僕個人としての計画としては、5年後の30歳までにPlottをユニコーン企業に育てたいと思っています。国内で大ヒットアニメを生み出し、YouTubeアニメ領域を代表する会社になれたら良いなと思っています。

その先の10年、つまり今から15年後でいうと時価総額10兆円を目指しています。時価総額10兆円がどれくらいかというと、NetflixやDisneyといったプレイヤーがいる場所なんです。そのためには日本国内だけに止まらず、グローバルで大ヒットするようなIPを生み出す必要がある。さらにコンテンツを持っているだけでなく、何かしらのプラットフォームを持っていることが必要になってきます。そういった挑戦をしたいと思っています。

ユニコーン企業は一定生まれる可能性があると思うのですが、日本の企業はなかなかその先にいけない。まだまだ非現実な計画であり、目標なのですが、この15年でどう実現できるかが僕の挑戦になると思います。

50歳になったころにはPlottというコミュニティを完成させたいと思っています。後継者を探しつつ、エンタメ領域以外に何かできたら良いなと思っています。

Plottがエンタメ領域以外をやっているかもしれませんし、僕が退任して他のインフラをつくる事業をやっているかもしれないし、それはわからないですが、とにかく世界にたいして何か価値を提供できていたら良いなと思います。

60歳ではもっと抽象度を上げて環境問題や貧困問題など課題解決が難しい領域に取り組んでいきたいです。ビルゲイツさんは財団を持って活動していますよね。そんな風になれたらと思います。
70〜80歳の頃には、また次の自分のような人間が出てくると思っているので、そうした人間にバトンを渡したいですね。

今はとにかくエンタメ領域でやりたいことが山ほどあるので、環境問題などに心を向けられる脳のメモリが僕には残っておらず、日々考えられてはいません。ただ、常に今の挑戦をやり切った後に何をしたいかを考えています。

ー 最後にU29へのメッセージをいただけますか。

直近、MARVELシリーズが世界的に大ヒットしたり、韓流ドラマがNetflixで流行っていたりしますよね。

僕自身は日本のアニメ、漫画、ゲームといったコンテンツがとても好きで、そうしたコンテンツに育てられてきたのですが、10年後、20年後、30年後にそうしたコンテンツが日本から生まれてないかもしれません。

この状況に誰かが一石を投じないといけないと思っていて、PlottがYouTubeから本当に新しいコンテンツを生み出せれば、この先10,20年くらいは日本のYouTubeから生まれるアニメが世の中でウケていくと思うんです。そうした挑戦を続けていきたいです。

僕たちの世代から世の中を変えていくことをもっとしていきたいですし、できるできないではなく、変えるためにはどうするかという部分に目を向けていくことが必要だと思います。諦めずにトライを繰り返していくことが重要なことだと思っているので、そうした灯火を一緒に灯せる仲間を探しています。

取材者:増田稜(Twitter
執筆者:うえのるいーず(Twitter
デザイナー:五十嵐有沙(Twitter