様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第416回目のゲストはフリーランスでコーチとして活動している森越一成さんです。
旅、そしてコーチングと出会ったことで自分の人生を切り拓いた森越さん。幼いときには夢がたくさんあったものの、年齢を重ねるにつれて、その夢を語れなくなってしまったそうです。優等生らしい選択ばかりしてきたなかで、旅を愛する人々と出会い、再び夢を語るようになります。
大人になるにつれて失われていく無邪気さを求めて、コーチングを提供している森越さんの夢の変遷を追いました。
夢を描いていた少年、受験を境に現実思考に
ー本日はよろしくお願いします。森越さんの現在の活動について教えてください。
森越一成です。2021年4月にコーチング事業で独立をし、現在は地元の静岡県を拠点として活動しています。
名古屋大学経済学部を卒業後に、広告事業を扱うベンチャー企業でプロダクションマネージャーとして働いていました。7か月就業した後に退職し、転職期間をはさんで教育系ベンチャー企業で塾の校舎長となりました。そこで3年3か月務めてから、現在の個人事業主の働き方にシフトしたんです。
ーコーチング事業で人と関りながら、コミュニティ運営にも意欲的でいらっしゃいますが、どのようなビジョンを掲げているのでしょうか?
「この世の命がみんな友達」という世界を作りたいと考えています。人と自然が生活のなかで共存している少年のような状態が、僕にとって理想です。人間って幼い頃は、敵意なんてまったく持たずに過ごしていますよね。「あの子のこと好きだな」「一緒にいて楽しいな」そういうシンプルな感情が溢れる世界を実現したいんです。そのために、コーチングや対話が手段として有効だと感じています。
ー人とのつながりに重きを置いている森越さん。幼少期から人と関わることが好きだったのでしょうか?
父が人を笑わせることが大好きな人で、その影響もあって、「目立つことをして人を笑顔にしたい」という想いを小さい頃は抱いていたと思います。元気でわんぱく、とにかく目立ちたがり屋で、学級委員などの選出があれば進んで手を挙げるタイプの子どもでした。
小学校4年生のときには授業参観でコントを披露して、それが大ウケで…あのときの夢はお笑い芸人でしたね。
ー人前に立つことが好きなお子さんだったんですね。
進学した中学校が合唱に力を入れている学校だったので、クラスごとに「歌おう実行委員」という合唱のリーダーのポジションが用意されていたんです。中学時代は実行委員に熱中していました。振り返ってみると、いまの活動にも通ずるものがあると思います。
ひとりひとり声って違いますよね。その音色が響きあって、ハーモニーができあがっていく。コーチングも、ひとりひとりの違った個性を引き出すもので、それが響きあう世界を目指しています。きっと当時から、多様性ある空間が好きだったんでしょう。
ー高校時代も、やはりグループを引っ張っていくような存在だったのでしょうか?
高校では、なにかの役割に就くこともなく、正直、あまり楽しめませんでした。思えば、僕はなにかのポジションを与えられることで、花開くタイプだったんです。あの頃は、人からどう見られるかを過剰に気にするようになってしまっていて、異性と話すことすら恥ずかしくてできませんでした。
ーかつてはお笑い芸人になりたいと思っていたように、大きな夢を描く少年だった印象を受けました。年齢を重ねてどのように変化していきましたか?
高校受験を前にすると、自分の実際の学力ばかり注視するようになりますよね。そうなってから、段々と夢ではなく、自分ができる範囲で一番良さそうな選択を重視するようになっていました。なので、高校の志望校も、自分の偏差値で合格できる一番いいところを選びましたし、大学だってそうでした。
名古屋大学の経済学部に進学したのですが、経済学部を選んだのは、中学校の夢の名残でした。本が好きで、「ブックオフの社長になる!」と思ってたんです。そこから社長という憧れだけ残り、「じゃあ、経済かなあ」と進学を決めました。
旅を通じて、夢を語る仲間に出会う
ー大学では、どのようなことに熱中されていましたか?
学園祭の実行委員となって、お笑い芸人さんを誘致したイベントの企画運営に奔走していました。2年時までは、講義と学園祭準備にほとんどの時間を費やしていましたね。引退したときには、喪失感を覚えたほどでした。
就活を終えて4年生になった頃に、Twitterでたまたま「TABIPPO」のことを知りました。TABIPPOは、「旅で世界を、もっと素敵に。」をビジョンに掲げた会社で、イベント事業やメディア事業を通じて旅をする文化を広めています。
TABIPPOの企画のひとつに、「BackpackFESTA」という旅人を対象としたイベントがあるんです。全国で開催しているのですが、その初名古屋開催の運営メンバーを募集しているツイートを見かけたことが始まりでした。イベントごとに興味を惹かれていて、400人も集客をして開催する過程に携われるのは魅力だったんです。運営として参加し、僕はイベント内の新しいコンテンツ作りを担当しました。演劇サークルと共同で、お客さんも巻き込んだ参加型の演劇を上映することにしたんです。
ーTABIPPOとの出会いは、その後、どのような影響を森越さんに与えましたか?
TABIPPOで活動しているメンバーにとって、旅は当たり前のものでした。それまで、僕には全然旅へ行く習慣がなく…ただ、みんなから旅の魅力を聞き、はじめて行ったタイで、僕自身もその魅力にハマっていったんです。旅先では、自分のことを知っている人が誰もいません。「真っ新な自分だからこそ、なんでもできる!」そんな気持ちになれました。
また、TABIPPOと、それを通じて出会った人々の存在は、就職した後にも影響を受けました。
ー就職は、広告系ベンチャーにされたんですよね?
CM制作などを行う会社でプロダクションマネージャーとして働いていました。就職の決め手は、社長が語っているビジョンへの共感だったのですが、いざ入社してみると、そのビジョンが全く根付いていなかったんです。就職活動のときに行った自己分析が浅く、自分にフィットした環境を選べていなかったと感じました。また、激務のために会いたい人に会うことも叶わず、環境を変える必要に気付いたんです。
何よりも、その会社の内定が決まったのが、TABIPPOと出会う前だったので、そのときから僕自身の価値観が大きく変っていました。
BackpackFESTAのコンテンツのひとつに「世界一周の夢を叶えるコンテスト DREAM」というものがあるんです。自分がやりたいことを大勢の前でプレゼンして、一番支持を集めた人には世界一周航空券がプレゼントされます。そこで夢を語る人を見て、「自分のやりたいことって声に出していいんだ」って気付かされました。それまで自分の周囲には夢を語っている人がいなかったんです。夢を語り、それに耳を傾ける人がいるその空間に感化されました。
「自分のやりたいことや夢を発信して、それを叶えられる社会になっていけばいいな…」そんな思いから、転職活動を始めることにしました。会社を7か月で退職する決断ができたのは、TABIPPOで出会った同年代たちも同じように就職した環境で悩んで、同じように違う道を選ぼうと退職していたからです。背中を押してもらえました。
夢を語る人を応援したい
ー自分の中の夢に目を向け、次のステップに向かったんですね。転職後はなにか変化がありましたか?
転職期間の2か月を経て、教育系のベンチャー企業に就職しました。夢を持つ人たちのサポートがしたかったからです。ただ、塾で働く仕事だったので、どうしても目的が大学受験合格になってしまいます。子どもたちはそれぞれに、素敵な夢を持っていましたが、それを本気で応援することができませんでした。そんなときに知ったのがコーチングです。
ー夢を応援する手段としてコーチングを学び始めたのはどうしてでしょうか?
子どもたちと接する中で、思っていることを伝えるには限界があるという葛藤が生まれました。僕との相性によって、提案を喜んでくれる子もいれば、逆に反発する子もいました。それで、その子たちの夢と向き合うには別のアプローチが必要だと感じたんです。相手が考えていることを引き出す、コーチングに興味を持ち、2020年1月から独学で勉強を始め、その後、養成講座にも参加しました。
ー約1年後、コーチとして独立をされたそうですが、フリーランスを選んだ理由は?
やっぱり、「旅をしたい!」という気持ちが大きかったからです。旅の楽しさを知ったのが大学4年生で、社会人になってからはなかなか行けずにいました。それで、フリーランスになれば、世界一周だって行けると思ったんです。コロナウイルスの感染拡大の影響により世界は一旦白紙となりましたが、1か月半かけて日本一周の旅には出掛けました。
あとは、組織に所属して働くことをつまらないと感じるようになっていたからです。昔から他人の目を気にして、周りに期待された役割を果たそうとしていました。自分がやりたいことよりも、上司が望むことを優先してしまっていたんです。フリーランスとして個人で働くことで、自分のやりたいことに従って行動できると考えましたし、実際にそうなってみて、自分主体で働けているという手応えがあります。
ーかつての森越さんが夢を語ることを忘れたように、自分のやりたいことの実現を困難に感じる人もいると思います。
コーチになる過程で受講した講座で、「自分らしいコーチングを届けよう」というテーマで存在意義を考えたんです。そのなかで、「無邪気を呼び起こし、遊ぶように物語を繋ぎ、新しい世界を創る」が、僕の存在意義だと導き出しました。
自分のヒストリーを辿って、昔はあんなに無邪気だったのに、高校受験を前にしたときから周りの声ばかり聞くようになってしまっていたと思い返しました。僕のような人はたくさんいると思います。心から湧き上がる無邪気な感情が、いまの社会には不足していると感じるんです。もっと自分の感情を大事にしてほしい。難しい場面も多いと思いますが、実現のためにも、誰もが無邪気になれる場所を提供できるようになりたいです。
ー森越さんのいまの夢はなんですか?
コーチングに軸を置きながら、まちづくりがしたいです。多様性に触れ、豊かに生きられるようなまちです。そこに来れば自分のペースで、自分と向き合うことができて、自分の個性を表現できるような場所を、対話を通して作っていきたいと思います。
ー本日はありがとうございました。
森越一成さん(Twitter/note)
取材:大庭周(Twitter)
執筆:野里のどか(Twitter/ブログ)
デザイン:五十嵐有沙(Twitter)