様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第371回目となる今回は、横浜市立大学で起業家人材論を学びつつ、居場所クリエイターとして活動する川口あずささん(大学3年生)をゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
誰もがありのままの姿でいられる人と一緒に暮らせる世界をつくりたいと考え、居場所クリエイターとしての活動を始めた川口さん。そのきっかけとなった留学先での体験や現在の取り組みに迫ります。
みんなが笑顔になることが好き。学校行事に熱中して気付いた自分の本心
ーはじめに現在取り組まれている活動を、自己紹介を含めてお話いただけますでしょうか?
現役大学生で、起業やスタートアップ経営についての研究を専攻しています。一方で、昨年(2020年)の12月に、仲間とともにホームステイマッチングサイト「Homiracle」を立ち上げ、世界中のホストファミリーと日本人をマッチングさせるサービスを開発しています。
つい最近、「Homiracle」を通して作りたい世界やサービスを届けたい相手など、プロジェクトを次のステップへ進めるためにコアとなる部分のメッセージ策定を終えたところなんです。これをもとにクラウドファンディングで資金調達をする準備を進めています(※)。起業は強く意識していないのですが、手段としてはあり得ると思っていますね。
※現在、クラウドファンディングの募集は終了しています。
ー「Homiracle」の発想はとても独創的ですね。構想のきっかけは何だったのでしょうか?
構想を得るきっかけになったのは、私の経験に大きく関係しているんです。一つは大学であるキャリアカウンセラーと出会えたこと。もう一つは留学を経験して、私自身が大切にするものが何かに気付けたことだと思っています。
ーなるほど。それでは、生い立ちを含めてそのきっかけを詳しくお伺いしていきたいと思います。かなり活動的な印象を受けるのですが、どういった幼少期を過ごされたのでしょうか?
実は幼少期のころはすごく人見知りで、家族以外の人とはまともにしゃべれないような子供だったんです。ただ、母の勧めで小学校からチアリーディングを始めたところ、人前に出ることが恥ずかしくなくなり活発になっていきましたね。
学校の行事なんかも大好きでした。特に球技大会や運動会はワクワクしましたね。騎馬戦や大縄跳びといったチームスポーツが好きでした。
中学校ではチアリーディングを続けながら、部活動でバスケットボールを始めました。毎日朝練があって、夜は6時半までみっちりと練習。それが週6日です。帰ってきたらすぐにバタンと倒れていました(笑)。
ただ、そんな中でも相変わらず学校行事が大好きで、何かとリーダーシップを発揮してイベントを主導していましたね。とにかく毎日目の前のことをこなすことで精一杯。それが楽しかったんです。
ーずっと神奈川にお住まいなんですよね?高校はどのように選ばれたのでしょうか?
最初はなんとなく近所の高校を志望していたんです。しかし、友人に誘われて地元の塾の模擬試験を受けたところ、塾長に伸びしろがあるとほめていただいて、別の高校を勧められました。
勧められた高校に見学に行ったところ、学校の設備も整っていてグラウンドも大きく、何より体育祭をはじめとした学校行事にも部活にも力を入れていることを知りました。
既に中学3年生の秋ごろだったんですが、「高校では勉強も部活も学校行事も全部全力でやりたい!!」と思っていた私にとっては魅力的な高校に思えて、急遽志望校を変えたんです。
きっかけをくれた塾にもお世話になることになり、晴れてその高校へ入学することが出来ました。
ー実際に入学してからはどのように過ごされたのでしょうか?印象的な出来事を教えてもらえますか?
その高校へ行けて本当に良かったと思うのは、個性的な友人に出会えたことですね。中学までは同じ地域で育った子たちが同級生だったのですが、高校には神奈川中から生徒が集まっていました。考え方や時間の使い方なんかも人それぞれ全然違ってすごく刺激になりましたね。
部活では3年間ハンドボールに熱中したのですが、3年目の4月の大会で敗退してしまい早々に引退することになってしまったんです。その時の私の気持ちを表現すると、自分でも意外なことに「無」だったんです。こんなに時間を費やしてきたのに達成感も感じられず、無心でいるのはいったいなぜなんだろうと不思議に思いました。
そんな時に高校最後の体育祭の準備が始まったんです。体育祭では、全校生徒の前で発表する創作ダンスのチームを率いることになりました。音楽選びや振付け、練習もとにかく楽しかったですね。部活に当てていた時間や熱意を体育祭の準備に向けるようになると気付いたことがありました。私は敵味方がいるスポーツが好きじゃないんだな、って。
ハンドボールは敵味方が存在するスポーツです。こちらが頑張るほどに相手側は嫌な顔をするもの。そんな環境が実は好きでは無かったのかもしれません。一方で、昔からやってきたチアリーディングや体育祭で没頭している創作ダンスには敵がいませんでした。異なるチームに対しても応援するのが常で、自分が頑張るほどにみんなが笑顔になるんです。
やりたいことは絞らなくてもいい。ワクワクしたことならなんでもやる。
ー大好きだった学校行事がきっかけで、ご自身の本質的な性格に気付くことができたんですね。その後、大学はどのように選ばれたのですか?
高校受験の時と同様に不思議と志望校が見つからなかったんです。なんとなく志望する大学を決めて受験勉強に臨んだのですが、センター試験後の合格率判定ではなんとE評価。足が震えました。
考えてみればそれまでの人生は目の前のことに没頭していればいいだけだったんです。強く志望していた大学では無かったものの、E判定という事実を突き付けられた時に、始めて目の前に道が無くなっていることに気付かされたんです。これから先どう生きていくのだろうと不安に感じると同時に、目的もなく進路を決めようとしていた自分にいらだちを感じました。
ーそのいらだちが大学で留学などに挑戦するきっかけとなったのでしょうか?
結果、現在通っている大学に入学することができましたが、大学受験に挫折した悔しさをエネルギーに変えていこうと思ったんです。「これからは受け身ではなく自ら動いて、やりたいことを見つけるぞ」って。
アカペラやダンスなどいくつものサークルに入り、生協学生委員会などの活動にも参加しました。人に教えることも好きだったので塾講師のバイトも始めましたね。高校の時は小さなコミュニティに留まっていましたが、いろんな人と出会うために外に出ていこうと考えたんです。
また、大学1年生の時に、1か月間オーストラリアへボランティア留学に行き現地の幼稚園で働きました。園児たちは日本に比べ多国籍で肌の色も性格も違いました。現地のホストファミリーはお父さんがニュージーランド人で、お母さんが中国人という国際カップル。それでいて結婚はしていませんでした。多様な価値観を学ぶことができ、海外への興味が一層深まりましたね。
ー1年生のころからたくさんのことに挑戦されてきたんですね。
はい。ただ本当にやりたいことにはなかなか出会うことが出来ず、焦りを持った時期もあったんです。そんな時に出会ったのが大学のキャリアカウンセラーでした。
そのカウンセラーさんとは「キャリア形成実習」という講義で出会いました。大学の卒業生がゲストでやってきて、仕事のことやキャリアに対する考え方などを話してくれるんです。今振り返っても私の受けた講義の中でベスト3に入る面白さだったと思います。
ゲストの卒業生の方に私が取り組んでいる様々なことに興味を持っていただいたり、カウンセラーさんとキャリア形成について相談したりするなかで、自分のことを次第に肯定できるようになっていきました。
やりたいことに片っ端から手をつけているような自分でもいい。夢と仕事が一致しなくてもいい。本当にやりたいことを選ばなきゃいけない時に最低限優先順がつけられればいいじゃないか、って。
今では、「ちょっとでもワクワクしたことならやる!」という判断基準で動いていますね!
留学を通して見え始めた実現したい世界
ーひとつに絞らずにいろんなことに挑戦する自分を肯定できるようになったからこそ、2年生になっても海外留学などを積極的にされてこられたんですね。
2年生の時にはまずフィジーへ留学しました。たまたまFacebookでフィジー人の太陽のような笑顔を見たんです。この人たちと話せたら幸せになるだろうなと直感的に思いました。
フィジーでの何よりの経験は、とある大家族に出会えたことですね。お世話になっていたホストファミリーのご近所さんと仲良くさせていただいていて、その方が実家に私を招待してくれたんです。
行ってみると20人ほどの大家族。子供たちと澄んだ川で泳ぎ、夜には家族そろってテラスで語り合いました。みんなすごくオープンで、互いにフラットに接するんです。私もありのままの自分で居れた気がします。理想とする家族像を見つけたような気がして胸がジーンとなりました。それと同時に、“家族”というものに対して私自身が強いこだわりと関心を持っていることにも気付かされたんです。
―なるほど、そうしたご経験が「Homiracle」の構想につながっていくんですね。デンマークではどのような経験をされたのでしょうか?
デンマークでは、福祉と英語を学べる全寮制の学校へ通いました。留学の初日に、ある女の子が「私はデンマーク語の読み書きが苦手だから助けてね」と、とてもフランクに話しかけてきてくれたんです。
初対面の人に自分の苦手とすることを伝えるという率直なコミュニケーションに驚かされました。ただ、だからこそ私もその子に自分の苦手とすることを打ち明けることができたんです。デンマークでは“対話”というものがどうあるべきか、そして自分を着飾らないことの大切さを学べたと思っています。
―「Homiracle」は、ありたい姿でいられる居場所を探すサービスでもあると伺っています。デンマークで学んだ「着飾らない対話」も影響を与えているんですね。
はい。留学を通して私がやりたいことも絞られてきたように感じています。私は、自分を着飾ることなく、ありのままの姿で居られる人と一緒に生きられる世界を作りたいと思うようになったんです。
帰国後は起業家プログラムに積極的に応募して、その世界を実現するための手段を作ろうとしてきました。
さらに、『世界一周の夢を叶えるコンテスト・DREAM」に参加したことで、「Homiracle」の構想を具体化できたと思っています。
私にも世界一周という夢が昔からあったのですが、なぜそれをしたいと思っているのか、私が実現したいと思う世界とかけ合わせて考えていったんです。
思えばフィジーに滞在している時、突然招かれた大家族との生活に居心地の良さを感じる一方で、もともとホームステイしていたインド人の家庭にはいまいち馴染むことは出来ませんでした。一人ひとり、ナチュラルに居られる場所って違うんです。
日本には、ありのままの姿で生きられない環境に身を置く人が大勢いると思います。そんな人が、1週間という短い時間であってもありのままで居られる手段がホームステイではないかと考えたんです。
コンテストでは優勝できなかったものの、自力で「Homiracle」を広めていくことが私の今の夢。仲間とともに動き始めたところです。
―今後の具体的な展望を教えてもらえますか?
今はコロナ禍ということもあり、実際にホームステイを行うことは難しいと思っています。
まずは、世界中のホストファミリーとオンラインで繋がる機会や、キャリアカウンセラーとお話することで自分と向き合う機会をお届けします。
「Homiracle」を提供していく先に、私自身が描く自分のキャリアもあるんです。人の魅力を引き出せる人間になることですね。
情報社会のなかで憧れの物や人物ってすぐに見つかりますよね。自分の外にときめくものを見つけることは簡単なんです。でも、私はそれを自分の中に見つけたい。私が出会う人たちに対しても、その人の魅力やありたい姿を引き出せるような存在になっていけたらいいなと思っています。
ー本日はありがとうございました!川口さんのさらなる挑戦を応援しています!
取材者:高尾有沙(Facebook/Twitter/note)
執筆者:海崎 泰宏
デザイナー:五十嵐有沙(Twitter)