「行動力」と「楽しむ力」でキャリアを築く。Deltan COO 黒崎勇也の未来の切り開き方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第348回目となる今回は、Deltan株式会社COOの黒崎勇也(くろさきゆうや)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

留学先では100枚ものレジュメを手に採用面接に飛び込み、興味を持った企業にはDMでアプローチ。3社でのインターン経験やフリーランス時代についても「きつかったですけど楽しかったです」と笑顔で語る黒崎さん。
そんな黒崎さんに思い描く未来を切り開いていくためのヒントを教えていただきました!

ー まず簡単に自己紹介をお願いします。

オーダーメイドのマウスピース矯正サービス「hanalove」を提供しているDeltan株式会社 COOの黒崎勇也と申します。

リリースからちょうど1年くらいが経つのですが、現在は広告などを打っておらず、完全に口コミでお客さんが入ってきている状態ですね。
顧客層としては、昔から見た目が気になっていた方、もしくはワイヤー矯正をしていたけれども歯並びが戻ってきてしまった方の2パターンが多いです。露出が多い方や女性の方などは目立ってしまうワイヤーよりも透明で目立たないマウスピースを使いたいとの理由からお問い合わせをいただくことが多いです。部分矯正ではなく、全体矯正として奥歯の噛み合わせも含めて、低価格で矯正を受けることができるサービスとしてご利用いただいております。

僕がDeltan株式会社に入社したのは2021年2月で、代表に口説かれたことがきっかけです。サービスリリース時から関わり自体はあったのですが、事業に関わるというよりも歯科業界の知り合いを紹介したり、競合についてのリサーチのお手伝いをしていました。
代表とは元々一緒に仕事をしていた経験があり、夜中まで毎日いろんな事業の話や目指したい世界の話などをしていたんです。仕事では本当にいろんなことを教えていただきましたし、感覚的にこの人のことめちゃくちゃ好きだなと思っていて、口説き続かれて2月のタイミングで入社することにしました。

就職希望から大学進学へ。印象的な出会いに恵まれた学生時代

ー ありがとうございます!今はCOOとして活躍されていると思うのですが、これまでの人生をどう歩んでこられたのか幼少期から遡って伺っていきたいと思います。黒崎さんはどのような幼少期を過ごされたのでしょうか。

とにかく元気な子供でしたね。幼児期に母親の会社によく行っていたんですが、社長にも物怖じせずに話しかけていて、良い意味でも悪い意味でも空気を読まずに誰とでもフラットに接するような子供だったかなと思います。小さな悪戯もたくさんしていました。小学生の時は6つ上の年上の方とよく遊んでいました。年上の方によく可愛がっていただいた記憶があります。

環境としては僕の地元は田舎だったので、どちらかというと保守的な人が多かったです。一方で家庭自体は放任主義で好きなことをやらせてもらっていました。「これをやれ」と言われたことは全然なかったと思います。「自分の好きなことをやれ」と言われていました。

3つ下の妹が1人いますが、僕はお兄ちゃんぽくはないですね。お恥ずかしい話ですが、口喧嘩でも勝ったことがないくらい、妹の方が頭の回転が早く、しっかりしているタイプです(笑)

ー そこから中学、高校とうつっていくと思うのですが、中学校ではどのようなポジションだったのでしょうか。

僕はみんなと仲がよかったです。中学生になるとグループができると思うんですけど、僕は特定のグループに属しているわけではなくて、どこのグループとも仲良くできていました。楽しいことがあれば一緒にやりたい!と無邪気にそのグループに入るというのを繰り返していて、そういうところで複数のグループと仲良くやれていたのかなと思います。
あとは、いじめが多かった中学だったので、あまり人のことを信用していなかったんだと思いますね。客観的に物事や人をみていました。

ー 幼少期の無邪気な性格も繋がってきているんですね!高校時代はどのように過ごされていたのでしょうか。

高校は工業高校の建築学科に通っていました。当時は母子家庭で、早く母親を楽にしてあげたいと思っていたんです。高校を卒業したらそのまま建築関係の仕事に就こうと思っていました。
小学生の頃からずっとサッカーをやっていて、中学の頃に所属していたクラブチームの先輩が通っていた高校だったというのもその高校に進学した理由の1つです。

進学してからは正直全く勉強をしない学校生活を過ごしていました。勉強をすることで自分に何が残るのか、ちゃんと理解できておらず、勉強をする意味が分からなかったんです。サッカーに夢中になったこと、初めて結婚したいと思った女性と出会ってお付き合いをしたことの2つが高校時代の印象的な出来事ですね。
その女性は友人の紹介で会った別の高校の方で手の届かないような人だったのですが、ずっと頑張ってアプローチをし続けました。初めて結婚したい、ずっと一緒にいたいなと思う方で大学4年生まで付き合っていたのですが、大学から遠距離恋愛になったこともあり、結局別れてしまいましたね。

ー 遠距離恋愛、難しいですよね…。高校時代にはその方以外にも大きい出会いがあったんですよね。

そうですね。僕が通っていた高校に教育実習生として来ていた方との出会いは最初のターニングポイントだったと思います。
サッカー部のOBの方だったので、サッカー部のコーチとしても指導してくださっていたんですが、その人が誰よりも練習を頑張っていたんです。口だけではなくて、実際に行動するその姿を目の前で見て、この人みたいになりたい、と思いました。
その方に「どうしたらあなたみたいになれますか」と率直に質問をしたところ、大学に行くように勧められました。もう少し時間を使って自分が将来やりたいことを考えた方が良い、とフィードバックを貰って、大学に進学することを決心したんです。就職する、という目標とは別のマイルストーンが初めてできました。

周りとは違う意思決定だったので、就職した方がいいよと言われることも多かったですが、僕は結構頑固なところもあるので、「あの人みたいになりたいから大学に行く」と言い切っていましたね。昔から自分で決めたことはやり切るという考え方が強かったと思います。

工業高校は勉強する内容が普通の高校とは異なりますし、大学進学を決めたのも高校2年生の後半だったので、勉強しても間に合わず、指定校推薦でいける大学を選んで行きました。大学に行ければ将来のことを考える時間がつくれると思っていたので、学びたいことがあるというよりも大学に行くこと自体が目的になっていました。

「本気で楽しまないと意味がない」留学や3社でのインターンを経験

ー 時間を使って将来のことを考えられることを目的に進学されたんですね。入学されてからはどのように時間を使われていたんですか?

大学に入ってからはずっと1人で勉強していました。私立の大学でお金もかかっていましたし、考え方の合う友達もいなかったので1人で授業も受けていました。

大学3年生のときには1年間ほどの留学を経験しました。最初3ヶ月がヨーロッパ、残りがカナダですね。
留学に行くきっかけになったのは、高校生のときに付き合っていた彼女です。元々自分の意思があまりない人だったんですが、帰国後は自分の意思をすごく持つようになっていたんです。「意志を持つことがこんなにも尊いことなのか」と感じたことは今でも鮮明に覚えてます。人間としてこんなに成長できる環境があるのかと驚いて、1年間かけて親を説得しました。

当時の僕は洋服に月10~15万かけるほど洋服が大好きで、ラグジュアリーブランドの店員になりたいと思っていました。日本にも洋服が好きな人はたくさんいるけれど、本店のセールスを知っている人はあまりいないと思ったんです。本場の接客を知っていることで就職活動でも有利になるのではと思ってヨーロッパに行こうと決めました。
たまたまヨーロッパから交換留学で来ている友達がいたので、彼女に熱弁をして3ヶ月間、無料でベルギーの家に住むことになりました。自分の好きなブランドの本店にいっていろんな話を聞きました。共通していたのは、「似合わない商品は似合わない」と言い切ることです。白黒はっきりしていて、接客を受けていてすごく気持ちよかったです。

留学中は日本人がいないようなお店でアルバイトがしたかったので、レジュメを100枚印刷して採用面接に飛び込むなど、持ち前の行動力を活かしていました。インターンなども経験し、何事も本気で取り組めばなんとかなるということを身を以て経験しました。

この頃はいろいろなことを経験して割と調子に乗っていたのですが、日本に帰国してから鼻を折られることになります。金沢から東京にインターンで行っていた学生さんとたまたま会う機会があって「お前なんて何もできない」みたいなことを言われたんですよ。すごく悔しくて、僕もインターンをしようとwantedlyで気になる企業をピックアップし、アポなしで飛び込みました。

そうして採用してもらったインターン先の1社が、海外向けにおにぎりやお弁当を広める「SAMURICE(サムライス)」という事業を運営しているアグリホールディングスです。wantedlyで社長のブログを読んだのですが、農業を変えるという圧倒的な熱意に魅了されたんです。アグリホールディングスでは日本のお米の消費を促すようなクラウドファンディングの企画から実行、飲食店への飛び込み営業、海外に日本の加工食品を流す貿易業務など、様々な業務に携わらせてもらいました。

その他にもサイバーエージェントやエス・エム・エスなどでもインターンをしていました。時間の使い方的にはかなりしんどかったですが、親を説得して大学を休学してまで自分がやりたいと思ったことをやらせてもらっていたので、自分で決めたことは本気で楽しまないと意味がないと思っていました。そのため、充実した楽しい時間でした。

新卒1号としてBANKに入社、フリーランスを経てCOOへ

ー かなり忙しい大学生活を過ごされたんですね。そこから新卒で入社する会社はどのように決めたのでしょうか。

元々はインターンをしていたサイバーエージェントの子会社に入社したいと思っていました。でも人を採用できるようなフェーズではなかったんです。
その会社に入社できないのであれば、他に探さないといけないと思っていたときに、たまたまFacebookのタイムラインでBANKという会社を目にしました。CASHという即時買取アプリを運営していて、当時DMMが70億円で買収したというニュースが流れていたんですね。すぐに人事にDMをして、インターンを通して新卒第一号として採用していただきました。

僕がBANKに入社を決めた理由は2つです。元々起業に興味があったので、短い期間で事業をつくり70億円で買収されるプロダクトをつくれる人たちがどんな人たちなのか知りたかった、という純粋な興味が1つ。もう1つは当時、業界に革命を起こす会社だと言われていたので、その革命を一緒に起こしたいとワクワクしたためです。

最初はカスタマーサポートチームの立ち上げに携わっていました。お客さまから来た問い合わせに対していち早く対応できる仕組みづくりをする業務です。対応が困難なお客さまも多かったので立ち上げには苦労しましたね。そんなときに幼少期から培われていた後輩力が役に立ちました。自分1人では何もできないということが分かっていたので、周りの人を巻き込みながら仕事を行っていきました。

その次はCASH MallのPMをやっていました。実際にCASHで買い取った商品を法人向けに売るヤフオク!のようなプラットフォームですね。BANKは「打席に立て」という言葉を大事にしていて、やったことがないことでも挑戦をさせてくれる文化を持つ会社だったので、PMは未経験でしたが志望してやらせてもらいました。
買い取った商品をオークション上に掲載するために、スマホで商品を撮影、アップロードをする、という作業を2ヶ月間ずっとやっていたのですが、正直しんどい作業でした。でも、売上をつくるため、事業を伸ばすためには必要な作業で、起業は甘くないということを実体験として学ぶことができましたね。

ー そんなBANKを2019年6月に退職し、フリーで独立されたんですよね。きっかけはなんだったのでしょうか。

一緒に事業をやろうと言っていた友達がいて、彼は先に起業をしていたんです。BANKに在籍している頃から手伝っていて、6月のタイミングで一緒にやろうと話していたんですが、色々あって結局その話は無しになりました。元々自分で事業をやりたいという思いもあったので、独立してやるしかない、とフリーランスとして活動することにしました。
独立してからはB2Bマーケティングの支援と人材のRA(リクルーティングアドバイザー)/CA(キャリアアドバイザー)をやっていました。

B2Bマーケティングの支援ではマーケティングオートメーションツールを使って、既存顧客からの売上を伸ばすための施策を回していました。CASHで働いていたときも1人のお客さまからの売上を伸ばすために、アプリ内の改善やプッシュ通知の改善、キャンペーンの企画実行を行っていたので、今までの経験を活かした仕事ができました。

一方で人材は未経験でしたね。元々はBANKを退職したタイミングで料理人と投資家のマッチングプラットフォームの事業で起業をしようと思っていて、エンジェルからの投資もほぼ確定していたのですが、その方にマーケットを知ったほうが良いとアドバイスをいただいたんです。お金や人の流れを勉強するためにはじめました。

どちらの仕事も毎月更新する形で請け負っていたので、プレッシャーがありました。辛かったですけど、新しいことだったのでラーニングする部分も多く、ひたすら楽しかったですね。時間がかかりましたが、自分が目指していた結果が出て、本当に最高な経験が出来たと思ってます。

ー 昔から新しいことを楽しめるという素質がすごくあったんですね!その後、Deltan株式会社に入るのでしょうか。

Deltan株式会社に入社する前に、一度Safie(セーフィー)というクラウドの防犯カメラを販売している会社に転職をしています。2020年の6月頃ですね。フリーランスのときに初めて自分で契約を取った会社で、人事と関わりがあったんです。契約を取ったあとに、個人としてB2Bマーケティングの部分でもお手伝いをしていたのですが、そのままマーケティングポジションのメンバーとして入社した形になりました。

この会社は当時150人くらいの組織規模だったのですが、僕にとってはこのフェーズの会社で働くのが初めてだったので、仕事の進め方が難しかったです。平均年齢が高めで大手企業から転職で入社される方も多く、とにかく新しい世界でしたね。

ー Safieでは8ヶ月ほど働かれて、Deltan株式会社に入社されたんですね。決め手はなんだったのでしょうか。

Safieでは2年ほど働くつもりだったのですが、インサイドセールスチームで売上1位を取るなど、やりたいことはやり切ったという思いがありました。そのタイミングで現在のDeltan株式会社の代表にどうしてもこのフェーズで入って欲しいと熱弁され、転職を決意しました。

現在は代表が主に法人を見ていて、僕が個人を見ています。上手く行かないことだらけですが、その分上手くいった時の喜びが大きいので、上手くいくまで実行しつづけてます。

周りを頼り、いち早く行動をしてきて、今がある。

ー 未来についてもお話を伺いたいのですが、個人として、会社として今後の展望や目標はありますか?

個人としてはかっこいいパパになりたいと思っています。自分の経験を通して子供に色々教えられる父親になりたいです。自分が経験してないと、何を言っても説得力がないと思うためです。自分の経験があるからこそ、子供の挑戦を全力で応援できると思いますし、その子が道を外れそうになったら助言ができる。そういう父親になりたいなとずっと思っています。

会社としては外部から出資を受けているので、上場もしくは買収されることをゴールに毎日愚直に事業に向き合います。また、この全く知識がないドメインで事業を作り大きくするという経験を元に、今後は違うドメインで事業をしたいと考えております。

ー 最後に起業したい、思い描く未来を切り開いていきたいU29世代へのメッセージをいただけますか

僕よりも若い方々にお伝えできることがあるとしたら、時間は有限であるということです。僕の心の中で寿命の蝋燭がたくさん立っていて、日々消えていくイメージがあります。それを日々感じながら生きていると、やはりやりたいことは早くやるべきだと感じます。別になんでもいいと思います。好きな人に告白するかどうかを迷っているなら、すぐに告白したほうがいいと思いますし、転職したいと思っているなら、転職すればいいと思いますしとにかく人生は短いので、何事もいち早くやったほうが良いと思っています。

もう一つは、やり方が分からないときはひたすら人に聞くこと。そもそも一人では何もできないことを理解して、周りの人に教えてもらえるように全力でお願いできることはとても重要なことだと思います。僕も連続的にそうした状況を起こして、今の自分があると思ってます。

また、僕のことを助けてくれた方にいち早く恩返しをしたいです。今でも僕にできることがあれば全力でやっています。インターネットが発達したとしても最後は人と人の繋がりが何よりも大事だと思っているのでもっともっと強くなって自分が好きな人が困っていたら助けられるような人間に必ずなります!

ー 頼り頼られを通じて初めて事をなせる、ということですね。ユニーク世代の方にかなり良いアドバイスをいただけました。黒崎さん、ありがとうございました!

取材者:高尾有沙 (Facebook/Twitter/note
執筆者:うえのるいーず(Twitter
デザイナー:五十嵐有沙(Twitter