「みんなと一緒」に疑問を持つ。高橋渉の捉える世界

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第323回目となる今回は、高橋渉さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

高校時代、似た価値観を共有する男子校コミュニティの中、「このままではいけない」と思い、留学を決意。留学をきっかけに社会問題に関心を持ち、大学の卒業制作でドキュメンタリー映像を制作。現在はフィクションを制作する映像会社へと挑戦を続ける高橋さん。彼が映像を通して捉える世界について迫ります。

 留学先で感じた“普通”を押し付けられる違和感

ー本日はよろしくお願いします。まずは自己紹介をお願いします!

テレビ、映画、ウェブ配信サービスの映像制作会社で演出業務を担当する高橋渉と申します。よろしくお願いします。 

ーどのような映像を扱うことが多いですか?

基本的にはテレビです。NHKの番組での特番制作や、番組制作に関わっています。去年は映画のメイキングを制作しています。

ー高校時代は留学をされていたのですね。

はい。アメリカに留学しました。母が学生時代に留学していて、姉も留学をしていたのですが、もともと僕はあまり行く気はありませんでした。男子校の似た価値観を持つコミュニティにいたため、変化を恐れていましたね。

高校では「いい大学に行かなきゃいけない」と、視野が狭い学生が自分を含めて多かったです。あるとき、それが急に気持ち悪くなって、自分は変わらなきゃいけない、もっと苦労したいと思いました。それで高校1年生の終わり頃、留学を決意しました。

ー留学には先生からの反対もあったとか? 

「留学行きたい」と話したときは嫌そうな顔されましたね。私立の進学校で、校内に留学を勧めるポスターは貼ってあるものの、積極的に勧める学校ではなかったです。当時は私も不真面目な生徒だったので、先生が反対する気持ちもわかります(笑)。でも、先生の反対で留学に踏ん切りが付き、自分で留学に必要な書類を持っていって、先生にハンコを押してもらいました。

ー留学先はどのようなところでしたか?

学校はキリスト教プロテスタントのペンテコステ派という新興宗教がやっているところでした。新興宗教と言っても、日本の意味とは違い怪しいところではありませんよ。幼稚園から高校3年生まで、60名ほどしかいない特殊な環境でしたね。

プロテスタントはミサではなく、サービスという礼拝があり、皆で手をあげて、大声を出して、ロック調に歌って踊るんです。

ーそれは特殊な環境でしたね。

最初は礼拝の慣習が理解できず、彼らの“普通”に入っていくことの難しさを感じました。彼らにとってイエスを信じることはごく当たり前ですが、宗教に馴染みのない私は押し付けられると感じるんですよ。 急に彼らの普通を押し付けられた私は、「私の普通ってなんだろう」「私ってなんだろう」と考えるようになりました

ー具体的にはどのように自分について考えたのですか? 

家族の血筋について考えたり、葬式の際、お願いしている曹洞宗について調べたりしていました。曹洞宗をインターネットで調べた結果、何をしたらいいのかわからず、座禅組んだりしてましたね(笑)。

ソーシャルビジネスに関わって気づいた、現場に足を運ぶ大切さ

ー大学選びはどんなことを大事にされていましたか?

高校留学していたときに、「社会の構造」に興味が湧きました。

社会の構造や政治、国際関係を学生に考えさせるのが上手い先生に出会いをきっかけにフィールドワークでフードバンクのボランティアをしました。フードバンクは、収入があっても食事が賄えない人のためにNPO・NGOが運営している団体で、余ってしまった食品や衣類を集めて配る場所です。

ボランティア先で、足の不自由なマークというおじいさんに出会いました。彼は自分の直接的な利益にはならないことを純粋にやっている人でした。キリスト教徒だったので、死後天国にいけるための三途の川の渡り賃として、働いていたのかもしれないですね。でも、足も悪い中ボランティアをしている彼を見て、衝撃を受けました。「言葉で知ること以上のもの」があったのです。

その出来事をきっかけに政治や社会に興味を持ちました。ソーシャルビジネスに興味が出て、いろんな社会課題を勉強できるところに行きたいと思い、慶應義塾大学の環境情報学科に入学しました。

ー入学してからはどのような活動をされていたのですか?

若者の投票率や政治参加について考えたくて大学に入ったので、政治系ネットメディアのライターインターンや衆議院議員さんの下でボランティアをしました。しかし、実際に働いてみて違和感がありました。現実とはかけ離れた理想論をお話されることが多かったのです。

あるとき、議員会館前でデモがありました。窓の外に見える原発再稼働反対のデモを見て「あれは民主主義じゃないよ」と政党関係者にに言われました。そのとき、デモをしてまでも命を守りたい人がいるのに、デモをしている人たちの気持ちを汲めない政治ってなんなのだろうと思いました。

そこから「政治家やライターは有権者の生活を本当に見ているか」と疑問を持ち始めて、現場に行くようになりました。最初は水俣病について調べてましたね。

ー水俣病を調べ始めたきっかけはありますか?

入っていたメディア系のサークルの先輩にオススメされた石牟礼 道子(いしむれ みちこ)さんの『苦海浄土』がきっかけです。石牟礼さんは水俣病事件を調べるジャーナリストで、裁判の傍聴をしたり、現場に顔を出したりして、当時の現状をよく知っていた方です。

『苦海浄土』はそのインタビューを基に書かれた本です。私はその本を読んだのをきっかけに、「実際に人の声を聞くことでしか現実は知り得ないのではないか」「自分で見る、自分で聞くことでしか世界とは出会うことはできないのではないか」と考え、水俣病を調べ始めました。そこから、人に会ったり、人の声や語りだけではない空気感に耳を傾けたり、寄り添うことの大切さも考え始めましたね

 

卒業制作過程で気づいたドキュメンタリーの限界

ーその後大学の卒業制作もされてますが、何を制作されましたか?

ドキュメンタリーを制作しました。初めはアウトプットしなくてはという切迫感により、いい案が思い浮かばず、モヤモヤしていました。ハンセン病の回復者に会いに行きたい、話を聞きに行きたいと思う一方で、何かをアウトプットすることを強制されていることがすごく気持ち悪かったです。

現代はアウトプットしなきゃいけないという切迫感を持たされる社会だと思います。でも、アウトプットへの切迫感はまやかしだと気づきました。

映像ってアウトプット、つまり結果だと思いますよね。でも実は、映像も過程の一部なんです。その映像も受け手によって、様々な解釈が加えられます。それが連鎖していく過程を考えると、アウトプットとして作品を作ることへの切迫感はまやかしだと思いました。

−その後制作が進むきっかけがあったとか?

はい。映像を制作する先輩を見て、自分もカメラを回してみました。それをきっかけにカメラを撮ることが面白いと思いましたね。カメラを回していると、カメラは「事実を撮るものじゃない、世界を切り取るものじゃない」という気づきもあったりして。

カメラって、レンズを通して、自分が認識しているものとは別の世界を作り上げていると思うんです。1年後に映像を見ると全然別の世界に見えたりする。最初は事実を切り取るつもりで撮り始めても、違う世界ができあがっています。それが面白くなったのはサークル活動での映像制作がきっかけでした。

また、思ったことをノートに書き出すと、1年後に全然違った印象を受けるように、カメラで撮影した映像を振り返って見たときに、全然違う映像に映ることがあります。その魅力に気づいてからは、思考のツールとして、映像を記録するようになりましたね。後で見返したときに、自分の気づかなかったものが見えるんですよね。


ドキュメンタリーからフィクションへ

大学でドキュメンタリーを撮っているときに、その限界に気づき始めました。ドキュメンタリーって、生(なま)の世界を写していると思いがちですが、一部を切り取り、取り上げている時点で恣意的なものになります。

一見、生(なま)のものを取り上げているようで、実はプラスしたいメッセージがあって撮っていると思いました。そこから、ドキュメンタリーにこだわるのではなく、フィクションも撮りたいと思いました。フィクションは、仮の構造を、生(なま)だと思わせるようにあえて作る、感じさせます。そんなフィクションに関われるので、今の会社を選びました。

撮ることを通して、撮られる側の世界にも何らかの影響を与えうるとも思っています。人はその影響をコントロールしたいと思うのですが、僕は影響される先を楽しみたいです。

世界は思い通りにいくと思いがちですが、もっと複雑だし、その複雑に変化していくことに目を向けることが面白いし、意味がある。そんなところに惹かれますね。

ー今後の展望はありますか?

アートフィルムや映像詩的なものを撮ってみたいですね。その過程で、自分がわからないこととわかること見つけていくことは引き続きやりたいです。

また「わかりやすい言葉」に抵抗し続けたいと思っています。例えば、U-29キャリアさんの「誰もがユニーク」という考え方は大事にしなきゃいけない。みんなが同じだと思ってはいけないと僕も思うんですけど、そこにも疑問を持ちたいです。

ユニークさの質の違いってあると思っています。誰もがユニークといえば、それでいいのか。人に会って、言い淀みも含めて、人を見続けることで世界に主体的に出会うことも一つのアプローチの仕方なのではないか……などですね。

そうやって、何でも疑ってかかる。わかりやすい結論こそ疑うことを今後も考えたいですね。 

ー本日はありがとうございました!高橋さんのさらなる挑戦を応援しています!

取材者:山崎貴大(Twitter
執筆者:赤尾航
デザイナー:五十嵐有沙(Twitter