関係性をデザインする!若者とまちが溶け合うまちづくりの仕掛け人・hataori代表 たかはし くうが

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第362回目となる今回のゲストは、学生と社会の関係性をデザインする合同会社hataori 代表の髙橋 空雅 (たかはし くうが)さんです。

学生時代にまちづくりに興味を持ち、鹿児島を拠点に学生や若者をターゲットに地域創生活動を行っているくうがさんが、合同会社hataoriを設立するまでの経緯をお話しいただきました。

サッカーを通じて “攻め”ではなく “守り” タイプだと痛感する

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

初めまして、たかはしくうがと申します。現在は鹿児島で、合同会社hataoriの代表を務めています。

シティプロモーションや就職活動のお手伝い、オンラインでのワークショップの運営、ファシリテーションなど個人でも会社としても多岐にわたる活動をしています。

ーシティプロモーションとは、具体的にどんなことをするのでしょうか。

私は2年前から、鹿児島市のシティプロモーション事業に関わらせていただいているのですが、鹿児島市では鹿児島市内外にファンを作っていくことをシティプロモーションとして捉えています。

ー鹿児島市外だけでなく、市内にも目を向けているんですね。本日はくうがさんの過去を振り返りながら、まちづくりをするに至った経緯を伺えればと思います。小学校の頃、印象に残っている出来事があれば教えてください。

同級生がサッカーボールを自由自在に操っている姿を見て、「かっこいい!」と心底思って始めたサッカーでの出来事が印象に残っています。

小学4~5年生の頃は同級生が8人ほどいたのですが、転校や他のクラブチームへの移動により、小学6年生になるタイミングで同級生が僕を含めて2人だけになってしまったのです。その結果、私がキャプテンを務めることになりました。

ー実際にキャプテンをやってみていかがでしたか?

思うようにいかず、練習でも試合でも泣いてばかりでしたが、小学校でキャプテンを経験したことで、中学校ではサッカー部キャプテン、高校ではサッカー部ゲームキャプテン、大学では実習活動のプロジェクトリーダーを務めることができました。もし小学校でキャプテンになっていなかったら、その後も同じような役割は回ってこなかったと思いますね。

ー中学・高校のサッカー部時代、印象に残っていることがあればお聞かせください。

中学までポジションはボランチだったのですが、高校からセンターバックになり、攻めも守りもするポジションから守り重視のポジションに変わったことで自分の新たな可能性に気づくことができました。

味方の選手を動かしてマークにつけたり、逆に動かないように指示を出したり……相手チームとの駆け引きに派手さはないですが、頭で考えることがすごく面白かったです。

状況を見ながら適材適所で人材を配置する能力は、高校時代のサッカーで培うことができました。

「まちづくり」を知り、地域課題の解決に向けて奮闘する

ー高校時代は進路について大きく悩む時期だと思いますが、くうがさんは当時、将来の夢をどのように描いていましたか?

高校の頃は、サッカーにずっと関わっていきたいという想いから、学校の先生になってサッカー部の顧問として働きたかったです。

ただ、いざ大学を選ぶ時期になると将来について迷い始めて……。先輩に相談しに行ったときに、「俺、まちづくりしたいんだよね」と言われて胸を揺さぶられました。

当時、 “地域活性化” や “まちづくり” というワードは聞いたことはありましたが、何をするかなんて知らなかったですし、ましてや自分がそこに関わるなんて想像もしていませんでした。「自分が暮らしているまちの発展に関われるかもしれない」と考えると、何だかワクワクしたのです。

ー先輩がきっかけでまちづくりに興味を持ち始めたくうがさん。大学はどこに進まれたのでしょうか。

福岡にある、北九州市立大学の地域創生学群に進学しました。

ー地域創生学群では、具体的にどのような活動をしていたのか教えてください。

商店街や農山村地域の方々と一緒に、地域課題を解決するという実習活動がカリキュラムに組み込まれているのです。単位をもらえなくても参加したいほど私にとっては魅力的でした。

私は九州の最北端にある門司港というエリアの実習に参加しました。門司には、門司港レトロという観光地があり、そこにはコロナ前は年間200万人の観光客が来ていましたが、門司港レトロの反対側にある商店街は見ずに帰ってしまうという課題を抱えていたのです。

私たちは門司に来る観光客の回遊性を高めることをミッションに、まち歩きや他の地域へのイベント出展を通して魅力を発信するなど、いろんなことに挑戦しました。

ーくうがさんたちの活動は、地域の方々からどのように思われていたのでしょうか。

私たちがいることに前向きで、協力的な方もたくさんいましたし、そうじゃない方ももちろんいました。商店街での商売がそのまま自分たちの生活につながっている地域の方々と、あくまでも授業の一環として他所から来ている学生には温度差があったと思います。全員が「まちづくりを学びたい」と思っているわけでもないので、学生の中でもモチベーションに差がありましたね。

それでも、続けていくことで応援してくれる人や、理解してくれる人は徐々に増えていきました。

『日本を創り継ぐプロジェクト』に参加。心の交流ができる友達と出会う

ー大学時代のまちづくりに触れた経験は、今にもつながっているのですね。

実は大学生の頃、もう1つ転機となった出来事があって。

それは、東京で5泊6日で開催された『日本を創り継ぐプロジェクト』という合宿に参加したことです。合宿では、「デザイン思考」を使って社会課題を解決するアイデアを考えました。

ーなぜ参加しようと思ったのですか?

友達がTwitterでシェアしているのを見て面白そうだと思い、勢いで申し込みました。あと、今までずっと福岡で生活してきた私が、東京の学生の中に入ったらどこまでやれるのか試してみたかったのです。

ー実際に合宿に参加してみて、どうでしたか?

当時は「東京の学生はすごいんだ!」という先入観があったのですが、地方と都市でそれほど差はないかもしれないなと感じました。同じように悩むし、同じようにミスするし、同じ人間なんだなって(笑)。 

1番の収穫は、合宿中に自分の想いを伝えて、背中を押してもらえたことですね。当時、「福岡から鹿児島に帰ってやりたいことがある」ということを大学の同期には恥ずかしくて言えなかったのですが、合宿で同じチームになった子たちにさらっと言ってみると、「めっちゃいいじゃん!」と共感してくれたのです。そのおかげで、「じゃあやってみるか」と思えました。

共感を軸にしたコミュニケーション手法 “NVC” に感銘を受ける

ー合宿を終えてからはどのように過ごされたのでしょうか。

大学3年生の頃には就活をしていたのですが、「このまま社会に出ても誰の役にも立たたないし、むしろ足手まといになるんじゃないか」と思ったんですね。それと同時に、鹿児島で学生団体を立ち上げたいと思っていたので、1年間休学して、福岡から鹿児島に戻ることを決意しました。

ーなぜ学生団体を立ち上げたいと思ったのか教えてください。

福岡の学生は起業していたり、世界一周していたり、いろんな経験をしてる方が多いのですが、鹿児島にはあまりいなくて。「それってすごくもったいないな。大学生活ってもっといろんなことができるはずだよな」と思ったのがきっかけです。

無事、合宿の3週間後に鹿児島で学生団体を立ち上げ、鹿児島と福岡を行ったり来たりしながら月1でイベントを開催していましたね。

ー福岡と鹿児島のように、地方と都会の機会格差はどのようにすれば埋められるのでしょうか。

埋まる埋まらないはその人自身の意志の問題なので、埋まらなくても良い場合もあると思っています。やる人はやるし、やらない人はやらないと思っていて、やらない人に対して無理にやれと言うのは暴力だと思うのです。

機会格差って、噛み砕くと「(やりたいことがあってもなくても)挑戦できる環境があるかどうか」ということですよね。挑戦できる環境があったとしても、最終的にやる/やらないを判断するのはその人自身じゃないですか。やる人が増えることはもちろん良いことだと思いますが、悩んだ結果やらない人もきっといる。その人が攻撃されるようなまちには私は暮らしたくないので、やらない選択肢も肯定してもらえるまちになったら良いなと思います。

機会格差を埋めるためには「挑戦できる環境」を整えることが大事ですが、「挑戦できる環境」は、やる人のことを全力で応援してくれるだけではなく、やらない人のことも包んでくれることが条件かなって。ただ、まずは話を聞くことが一番大事だと思います!悩みの種を1つずつ紐解いていくことで視界が開けることもたくさんあるので

ー環境を言い訳にせず、今いる環境で実行に移していくことが大事だということですね。休学中はどのように過ごされていたのかお聞かせください。

休学を決意した頃、高校生が市政に提言をする事業に学生スタッフとして参加させてもらいました。そのときのファシリテーターが “NVC” をベースにした場づくりをしていたことに衝撃を受けたのです。

NVCというのは「Non Violence Communication」の略称で、共感を軸にしたコミュニケーションのことです。

ーどのようなところが衝撃だったのでしょうか。

福岡はスタートアップのまちと言われるほどスピード感がある地域で、私はその雰囲気に慣れていたので、今までは「とりあえずやってみる」精神で動いてきました。

一方で、私が参加した事業のワークショップでは、目的に対してとても遠回りに思える場づくりをしていたのです。市政に提言することがゴールなのに、自分の人生を振り返るところから始めていて、最初は「そのプロセスは本当に必要かな?」と疑問に思っていました。

ただ、実際にやってみると高校生の顔つきがどんどん変わっていくのが目に見えてわかり、「こんな場づくりの方法があるんだ!」と心を打たれたのです。今でもNVCを軸にしたチーム作りや場づくりを行っているので、そのときの経験は今にもつながっていますね。

国内だけでなく世界から注目されるまち・鹿児島を目指す

ー最後に、現在代表をされてる合同会社hataoriでの活動についてもお伺いできればと思います。どのようなことをされているのでしょうか。

ざっくり言うと、学生と企業や人と地域社会など、ありとあらゆるものの間にある「関係性のデザイン」しています。

具体的には、オンラインの合同企業説明会を企画したり、鹿児島の大学生と県内の学生への就活に対するヒアリング結果や、鹿児島で働く社会人のインタビュー記事を載せたフリーペーパー「material」を発行したりしています。

それ以外に行政案件も受けていて、最近は「鹿児島県のお茶産業と日本中の学生をつなげる」オンラインプログラムの企画や、鹿児島市の次期総合計画について若者が意見を出すワークショップの運営をしました。

ー活動内容は幅広いですね。くうがさんの今後のビジョンをお聞かせください。

ここ最近は、新卒一括採用主義を鹿児島からどう壊していくかを考えています。就活の仕組みは何十年も変わっていなくて、その仕組みが今の大学生や企業に合ってるかというと、フィットしてない部分も多々あると思うのです。

例えば、地域に飛び出して生活しているうちに地域の方と知り合って、気づいたらその方の会社に入っていたという流れこそ、就活になり得るのではないかと思っています。

ー長期的なビジョンはありますか?

鹿児島に大学を作りたいと思っています。大学と言っても学校法人を作るわけではなく、例えば、履歴書にも書けるような社会に認知されたプログラムを作ることで、社会に飛び出していくための踏み台にして欲しいです。

人口減少の社会で、鹿児島県内の方々だけに残ってもらえばいいかというと、そういうわけでもないと思っていて。「大学行くなら東京。働くなら東京」と思っている方々が多い中で、その矛先を鹿児島に向けられたらいいなと思っています。さらに言うと、世界からも注目される地域にしていきたいですね。

ー既存の就活システムを緩やかに壊していきながら、新しくビジョンを描いていくのがとても楽しみですね!くうがさんの今後のご活躍を応援しています。本日はありがとうございました。

取材者:大庭 周(Facebook/note/Twitter
執筆者:もりはる(Twitter
デザイン:五十嵐有沙(Twitter