誰もが居場所を感じられる社会を目指して! 嶋田 匠が考える「よりどころ」と「やくどころ」とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第288回目となる今回のゲストは、ソーシャルバーPORTO(ポルト)のオーナーであり、コアキナイ主宰の嶋田 匠さんです。「ソーシャルバー」や「コアキナイ」という言葉にあまり馴染みのない方もいるかと思いますが、この両者には嶋田さんの原体験や想いが込められています。そこで今回は、両者に共通する「居場所」というテーマ、さらには嶋田さんが考える居場所における「よりどころ」と「やくどころ」についてお話いただきました。

人間関係で悩んだ少年時代

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

嶋田 匠と申します。92年生まれの現在28歳です。
現在は居場所づくりの仕事をしていて、皆が居場所を感じられる状態を当たり前にしたいと思い、仲間と一緒に事業を育てています。

ぼくは、居場所を「よりどころ」と「やくどころ」の2つに分けて言語化をしていて、
「よりどころ」づくりの事業としてソーシャルバーPORTO、「やくどころ」づくりの事業として「コアキナイ」を営んでいます。「コアキナイ」では、その人らしさを活かした小さな商いをつくるゼミや、それぞれが立ち上げた商いをみんなでサポートし合うコミュニティ、そしてコミュニティの拠点となるシェアハウスやコワーキングスペースなどのリアルな場を運営しています。

ー「よりどころ」と「やくどころ」はどんな意味なのでしょうか。

「よりどころ」は裸の個と個で繋がれているような利害関係が全くない信頼関係のことを指していて、「やくどころ」は提供価値があるから認めてもらえる、ある種ギブアンドテイクの要素を含んだ関係性を指します。
言い換えると、Beの居場所が「よりどころ」で、Doの居場所が「やくどころ」というイメージですね。

ーここから嶋田さんのこれまでを振り返りながら進めますが、幼少期に苦労したことがあるそうですね。

家庭の事情もあり、人よりも少し遅めの4歳の時に保育園に入園しました。
全く友達をつくれず、先生からも心配されるような存在で、親が迎えにきた際に先生が何か気まずくその日に起きたことを伝える様子や雰囲気が伝わってきて、友達と馴染めない惨めさを感じていました。

ー小学校に入ると、友達と馴染めるようになりましたか。

誰よりも友達つくるぞというテンションで小学校入学していたので、
今でも覚えていますが、入学式の帰り道に母から「仲良い子できた?」と聞かれて、保育園で一人も友達ができなかったやつが入学式当日に友達ができるわけないと思いながら、仲良い子が2人できたと嘘をつくという(笑)

ただ、その後ひとり仲の良い友達ができて、次第にその周りの子たちとも仲良くなっていきました。
その後、クラスで班長をやったり、ボール遊びでコートを取ったり、集団の中でリーダーシップを発揮することで人の輪の中に入れるということを学んだのか、「長」と名前のつくものには積極的に手を挙げるようになりました。

ー小学校の高学年はいかがでしたか。

些細なことをきっかけに、高学年でハブられてしまったことがあって、その時の経験をきっかけに「ぼくは空気を読まないとみんなの中に居られないんだ」と思うようになって、あまり良い意味ではなく人間関係に対して慎重になっていきました。調子に乗りすぎてもダメなのだと気付きました。

保育園時代に隅っこで過ごしていたのに、いつの間にか輪の中心にいることが当たり前になっていたこともあり、自分に取ってはインパクトの大きい出来事でした。

ーそのタイミングで家庭にも変化があったそうですね。

両親と妹の4人家族だったものの、両親があまり仲が良くはなく、家に居づらかったです。
いよいよ夫婦喧嘩が熾烈になって、家にいたくないと感じていた時期が小学校5.6年生で学校でも居場所を感じられなくて、塾や図書館で過ごすことが多かったです。

また、妹が陽キャで、私のように戦略を立てなくても自然と友達ができるタイプだったんです。人気者の妹に対する劣等感から、学校でうまくやれていると嘘をつくようになり、学校の現状と家庭内で語っている自己像にギャップが生まれ始めました。

そのため、物理的にも心理的にも安心できる居場所を感じにくかった時期でした。

ー中学校になると、環境や自身の心境も変化したのでしょうか。

中高一貫の男子校に入学したのですが、クラスの出席番号の前後の子と仲良くなって、最初に仲良くなったメンバーのほとんどが野球部に入るということで、野球をやったことがないのに、野球部に入ることにしました。人の輪の中にいることがその時の自分にとって一番大切なことだったので。

ただ、野球やったことないのに野球部入ったので、部員の中でも圧倒的に下手くそで、部活の時間は正直しんどかったですが、部活の友達とはとても仲がよかったです。練習終わりに行きつけの商店でおでんをみんなで食べたり、自販機のカルピスソーダを飲んだり、みんなで過ごす時間は幸せでした。

ー高校時代は、中学の時と変化したことが何かありましたか。

環境は変わりませんでしたが、勉強に力を入れないとそろそろヤバイなと感じ始めました。
高校1年生の夏休みに、数学の青チャートを総ざらいする宿題が出まして、やったフリをするかしっかりやるかで悩んだものの、それまであまりにも勉強をサボっていて、成績も底辺だったことへの危機感もあり、一から勉強し直すことにしました。

やったらできるじゃんと調子づいて、そこから勉強することになったことで、それまであまり話をしていなかった同級生からも勉強のことを聞かれるようになり、周りから頼ってもらえることもモチベーションになって、自然と勉強にハマっていきました。

無料相談屋をはじめたのは、共感できない悩みがきっかけ

ーその後、大学受験になるかと思いますが、その時のエピソードを教えてください。

第一志望の大学にはいけなかったものの、浪人してまで頑張るモチベーションはなかったので、選んだ大学について後悔はありませんでした。ただ、周りから褒められるために勉強してきたこともあり、入学してから何をすれば良いのか分からなくなりました。

大学から足が遠のいていたこともあり、高校の時に通っていた東進ハイスクールのアルバイトが生活の中心になっていました。1年生の頃は、週の5日間くらいは東進に通っていたと思います。
生徒一人一人のことを考えることにかなりの時間を使っていたので、生徒に向き合って信頼を得て、生徒の行動が変わり、成績が上がり、結果として信頼関係が強まっていくというポジティブなサイクルが回っていました。ここで初めて、「やくどころ」的な居場所を実感したこともあり、ますますアルバイトにのめり込んでいきました。

ー大学2年生以降はいかがでしたか。

東進のアルバイトは勉強を教えるわけではなく、ロードマップを生徒と一緒に考え、ロードマップを実行できるように伴走していくことが仕事でした。その時に、もう少しコミュニケーションを本人の内発的な動機付けを引き出すような形にできないとまずいなと反省するきっかけがありました。

それだけが理由ではないのですが、もっと多様な生い立ちの人に共感できたり、耳を傾けられるようになりたいと思い、原宿のキャットストリートで無料相談屋を始めました。

ー無料相談屋は何人くらいの方の相談を受けましたか。

1000人以上は聞いていると思います。
ほぼ毎週日曜日の昼前から夕方まで、ポールスミスの前にある花壇のヘリに腰掛けて相談に乗っていて、1日大体15人くらいの人が声をかけてくれました。

ー話を聞いて、共感するだけではなく、アドバイスもされるのでしょうか。

アドバイスはしますが、たいていの相談は本人の中で無意識的にでも結論が出ていることが多いんですよね。その人が本当はどうしたいのか、ということを自分で言葉にできるように、誘導的にならない問いかけを続けていくようなコミュニケーションを取っていました。

ーこの無料相談所での経験が、就職の判断軸に影響したそうですね。

就活のタイミングでキャリア教育に漠然とした興味があったのと、ずっと会社員として働くイメージが湧かなかったこともあり、キャリアの領域で起業するならリクルートキャリアかなと思い入社を決めました。

「よりどころ」と「やくどころ」の大切さに気づく

ー実際にリクルートに入社されて、どうでしたか。

リクナビやリクナビネクストといった求人広告の営業に希望通り配属されましたが、想像の20倍くらい売れませんでした。アルバイトでもゼミでも周囲から期待されたり頼られたりすることが多かった大学時代と現実とのギャップにかなり凹みました。

会社の中で「やくどころ」を感じられない時期が続き、その状態からなんとか抜け出したくて、平日の退社後も、休みの日も、ほぼ全ての時間を仕事に注いでいました。
気がつくと仕事しかしていないので、「よりどころ」的な関係性の人たちと会う機会もなくなり、職場でもプライベートでも、どこにも自分の居場所がないように感じていました。

その頃、朝起きると動悸がするようになり、さすがに少し休まないとまずいなと思い、無料相談屋を再開することにしたんです。すると、学生時代の友人や、「無料相談屋」で知り合った人たちが会いに来てくれて。自分の居場所になってくれていた人たちの存在を確かめることができました。
居場所を確認できたことをきっかけに、リクルートで活躍できなくたって自分は大丈夫だなと思えて、それから堂々と仕事に向き合えるようになりました。

ー徐々に活躍し始め、最年少で代理店部に異動されたそうですね。

ベテランの人が多くいる、リクルート代理店の経営をサポートする部署に異動することになり、最初は苦労することも多かったのですが、マネージャーの指導に恵まれ、自分のスタイルを確立したことで次第に結果を残し始めました。そして、自分で事業をする自信がつき、独立しようと思いました。

ーリクルート在籍しながら、事業を立ち上げたのでしょうか。

そうですね。代理店部で仕事をしていた時に、担当している代理店さんに新入社員として働いていた人が一緒にバーを立ち上げた喜屋武(きゃん)くんで、会ったその日に中華屋に飲みに行ったり、妙に意気投合したんですよね。その後も週末はよく遊びに行くようになるなど、仲良くなりました。

そして、お互いのやりたいことが合致した日替わり店長のバー「PORTO(ポルト)」をやることになって、PORTOを立ち上げたのは、喜屋武くんと出会ってから1年くらいのことです。

ー実際に、事業を立ち上げたときにどんなビジョンやミッションを掲げましたか。

「よりどころ」に救われたり、「やくどころ」を得ることで自分が安心できたように、人が居場所を感じることをもっと当たり前にしたいと思っていました。

幼少期から居場所に悩み続けていたぼくにとって、「よりどころ」づくりと、「やくどころ」づくりの事業をやりたいと思うことは自然なことでした。そして、「やくどころ」を得られずに無料相談屋を開いたことで「よりどころ」を感じられた経験がPORTOというアイデアに至るきっかけになりました。

自分はたまたま無料相談屋という場を持っていたけれど、もっと人が場を持つことが気軽になれば、よりどころを感じやすいのではないかと思います。SNSで保存されただけの点線の関係性になっていたものが、リアルな場にフラッと立ち寄ることによって実戦に戻っていくことをもっと多くの人に味わってもらいたい。そして、月に1度だけお店に立つ日替わり店長であればどんなに忙しい人でもできると考え、PORTOをスタートさせました。

それぞれの「やくどころ」を形に

ー「やくどころ」づくりの事業も現在取り組まれているんですよね。

「やくどころ」を感じるという上での課題は、多くの人にとって「やくどころ」が、外部に依存した不安定なものになっていることにあると考えています。

例えば、会社というコミュニティからの期待に応えることで得られる「やくどころ」はどうしても、組織ありき、マーケットありきのものです。組織やマーケットの状況が変われば、当然求められる期待の形も変わります。そして、変化していく期待に、たまたま応えられないだけで、簡単に“やくどころ”が揺らいでしまう。
1社に属して働くということは、外部に依存した不安定な“やくどころ”を1つしか持てていないということだと思うんです。そしてその状態は、みんなが「やくどころ」を感じられる世界観とは距離があるなと思います。

では、みんなが「やくどころ」が感じられる状態をどうしたらつくれるのか考えると、
個人の志向性や好き嫌い、強み弱みって大きく変わらないものだと思うので、そこをベースにその人にとって無理のないサイズ感の商いを作っていくことが自然な形の「やくどころ」につながるのではないかと思うようになりました。

そして、そんな個人のらしさを活かした、比較的小さなサイズの商いをコアキナイと名付け、そんなコアキナイが育まれる社会づくりのプロジェクトを始めました。コアキナイをカタカナで表記しているのですが、小さな商いという意味での“小商”と、個性を活かした商いという意味での“個商”という2つの意味を込めています。

ー最後に、今後のビジョンを教えて下さい。

人が「よりどころ」と「やくどころ」を感じられる社会をつくっていきたいと思っています。
「よりどころ」作りの部分は、ソーシャルバーの機能を一般化させていくことによって誰もが場を持てる状態をつくることで果たせそうだと感じていますが、「やくどころ」づくりの事業は、まだまだこれから形を模索しながら磨き上げていきたいと考えています。

今は、コアキナイづくりのゼミを開講したり、ゼミの卒業生を中心としたコアキナイを営んでいる人とコアキナイを応援したい人たちがそれぞれのコアキナイをみんなで支え・育てるコミュニティを運営したり、そのコミュニティの拠点となるシェアハウスやコワーキングスペースを立ち上げたりと、コアキナイ的な世界観で営まれる社会づくりにチャレンジしています。その先に、誰もが自然な「やくどころ」を感じられる社会があると信じて、世界観に共感してくれる仲間と一緒にコアキナイな社会を育てていきたいです。

みんなが「よりどころ」と「やくどころ」を感じられる社会というのは、簡単に実現できることではないし、人によっては無理だと思われてしまうかもしれないけど、小さくても具体的なアクションを積み重ねて、言葉ではなく光景で思い描いているビジョンを、共に生きるみんなに共有していきたいと思います。

ー多くの人が「よりどころ」と「やくどころ」を感じられる社会を目指してチャレンジする嶋田さんの今後のご活躍を応援しています!

取材者:増田 稜(Twitter
執筆者:大庭 周(Facebook/note/Twitter
デザイナー:五十嵐 有沙 (Twitter