様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第294回目となる今回のゲストは、NPO法人ひとまき事務局長の林 利生太(はやし・りゅうた) さんです。
皆さんも一度は、生き方に悩んだ経験ありませんか。
今回の主人公である林さん、大学時代にこのままで良いのだろうかと違和感を感じ、2年間の休学を選択、休学中に生き方に悩む若者向けのNPO法人ひとまきを設立されました。
自身の生き方が変わった出来事に触れながら、ひとまきでの活動を通じた林さんの思いをお聞きしました。
ヤンチャでスポーツに打ち込んでいた少年時代
ーまずは自己紹介をお願いします。
NPO法人ひとまきの林です。
普段は高知県の山奥にある嶺北地域にて、古民家を活用した拠点で若者のキャリア支援を行っています。「何度でも生き方を選ぼう」をスローガンに掲げ、世の中に発信する中で「自分も生き方を変えていいんだ」と思う若者を増やすことを目的に活動しています。
ー幼少期から振り返られればと思いますが、小学校時代はどう過ごされていましたか。
小学校5年生まではヤンチャで、ある日の下校途中に選挙ポスターに落書きをしてしまったんです。
自分としては出来心で、鉛筆とポスターが近くにあったからやったことなのですが、その翌日見たことのない学年の先生たちに職員室で囲まれ、「君がやったのは選挙妨害という立派な犯罪だよ」と言われました。そこから、反省をして真面目に生きるようになりましたね。
ーその後の中学校での生活で、印象に残っている出来事はありますか。
中学校の時は、柔道とバスケットボールの二足の草鞋をはいて、スポーツに熱中していました。その時大きかった経験が、バスケを一切やったことがないものの、分からないなりにも必死にバスケを勉強していたバスケットボール部の先生との出会いでした。
先生は自分が教えるだけではなく、僕たちと一緒にぶっ倒れるまで汗を流していました。その姿を見て、全力を出すことのかっこよさを学んだんです。私が先生を目指す上で、その先生の存在は大きかったです。
瀕死の状態になって、生き方が変わる
ー高校生活で印象に残っていることはありますか。
高校生活は、私の人生にとって大きな転機となっています。
それは部活でも勉強でもなく、高校一年生の時の事故ですね。
タイヤの大きさが1mあるようなクレーン車の下敷きになってしまったんです。部活に行くため、雨の中レインコートを着ながら自転車に乗っていたのですが、お店の駐車場から出てきたクレーン車に自転車と体ごと巻き込まれてしまいました。
幸いにもタイヤの下敷きにならなかったのですが、その時に「死んだな」と心の底から思ったのを今でも覚えています。この事故で足の皮がめくれ、手足の骨も見えそうな状態になったため、高校時代はずっと入院していました。
ー衝撃的な出来事でしたね。その事故がきっかけに変わったことはありますか。
私の座右の銘が「死ぬこと以外蕁麻疹」なんです。
なぜかといいますと、その事故の経験が大きく、生きていてよかったなという原体験になっているからです。つまり、生きているだけでいい、命が存在しているだけで自分は幸せだということです。
今まで勉強しようという気概はなく、高校の授業や小テストや模試も適当で、学年順位も下から10番目だったのですが、事故後は限られた時間の中でリハビリに行きながら、勉強もスポーツも全て全力で取り組むようになりました。
このままで良いのだろうかと違和感を感じ、休学を決意
ーその後、高校から大学へとステージが変わると思いますが、大学はどんな軸で選ばれましたか。
学校の先生になるために大学に行かなければいけなかったので、進学を選びました。
高校時代の私には、なりたい職業が4つあり、学校の先生・消防士・警察官・理学療法士でした。
柔道で体を鍛えた経験をいかしたいという思いや、事故でリハビリをしていた時に支えになった経験がなりたい職業に影響を与えたのですが、大学に行けば学校の先生や消防士・警察官になれると思い、大学進学を決めました。
ー大学ではどんなことを経験されましたか。
大学が高知大学だったこともあり、高知県に住むようになりました。
理科の先生になりたいと思い、理学部に進学をし、柔道に励みながら飲み会をしていた学生生活を3年生まで送っていました。
在学中の一番の転機は、休学という選択をしたことです。
休学をしたきっかけは、教員採用試験、大学最後のインカレ、卒業論文を控えた状況でこのまま世の中のことを知らずに学校の先生になってよいのだろうかという疑問が湧いてきて、一切採用試験の勉強をしなかった自分がいたことです。
今まで小中高では、やらなきゃいけない時に一気にブーストすることを繰り返してきたので、今そのタイミングのはずなのにブーストしない自分に違和感を感じました。
なぜその職業につきたいのかにフォーカスをした時に、全部自分の身近な大人の職業であることに気づきました。そして、その4つからしか選ばないのは、恐ろしいと感じたんです。このまま視野が狭いまま先生になって伝えられることは、理科以外はないなと感じ、より視野を広げた先に自分が本当になりたい人の姿が見つかれば、その方向に進みたいと思ったので休学を選びました。
ー休学の期間や休学中に経験された出来事について、教えてください。
休学は2年間しました。
休学中は海外も行ったのですが、島で環境教育をしたり、農家さんで朝から働いたりする中で、どんな仕事をするのかよりもどんな暮らしをするのかということが大事だとわかりました。そして、自然の中で暮らす田舎生活が楽しいと感じました。
そのため、田舎で何かをやっていこうと休学中に思いました。現在、ひとまきを通じて若者支援を行っていますが、私自身休学を決断した時は親に反対されたんです。早く社会で働くように促されたり、友人から就職を心配する声が聞こえ、高圧的に接する人がいたりしました。その時感じたのが、休学という何もしないことに対する周囲や世間の反応って何なのだろうかという違和感でした。フリーターやニートという何もしていない状況への偏見や差別が蔓延しているなと気づきました。
そして、今の若者がゆっくりと見つめ直せて、他人による定義ではなく自分で人生を定めていく場所が今の日本にはないため、その場所を作る。その上で、地方にある空き家の増加、産業の衰退などの現状課題を組み合わせて解決していくことに可能性を感じたので、やっていきたいと思うようになりました。
学校の先生になりたいと最初は思っていましたが、人の価値観が広がったり深まったりする瞬間に立ち会うことが一番のモチベーションにつながるのだと気づき、休学中に法人を立ち上げて活動をスタートさせました。
ーローカルで暮らすことの良さを感じたということですが、なぜ若者の課題と地域の課題を掛け合わせようと思ったのでしょうか。
休学中に島で暮らすときも、環境教育をやっているNPOにボランティアでもいいので活動させてほしいと飛び込みました。人手不足だったので、何もスキルがない自分が役立ったり、農家さんのところへ行ったときも力仕事で役立った経験があり、自分が田舎で役に立てるのだと実感しました。
田舎の人たちや仕事に触れる内に、地方には自分が入り込めるスペースがあり、そこに自分が入れたことが自分の価値を認める瞬間になりました。今の若い人は自己肯定感が低かったり、都市に集まるとパズルのピースが溢れ出している状況に近いと思いますが、地方はピースが当てはまっていないので、そこに自分を当てはめることで価値を感じ、そのフィールドで成長をしていく流れがありますね。
自分がやりたいことの本質を見極め、退学を決意
ー休学があける直前はどんなことを考え、休学が開けた直後はどんなステップを踏んでいきましたか。
今の仕事はNPO法人ひとまきの事務局長として働く中で、個人事業としてコーチングやメディア収入、地域の柔道の先生として地域に雇用されていたり、さらには不動産の大家をやっていたりと仕事は5つある状況です。
休学中に法人を立ち上げて、その後復学をする選択もあったのですが、そのタイミングで法人の財政状況が厳しくなりました。当時、委託事業として地域の人材不足や情報発信をメインで受けつつ、生き方に悩む若者から連絡が来たらいつでも受け入れを行っていました。その結果、休学中に立ち上げて2年が経ったときには延べ2000人くらいの若者を受け入れていく中で、目の前で人生が変わっていく人たちを何人も見てきました。
私たちはその姿を見て、日本にはこの場所が必要だと感じていたものの、お金をいただいている委託業務をしっかり行わなければならないことや設立期に莫大なリソースを割いていたことを踏まえた経営判断として、委託業務を全てやめ、若者支援にだけ集中することにしました。若者支援に集中するためには、私たちも生きていかないといけないので、寄付型のNPOに転換することになりました。
実は、そのタイミングが私が退学するのか復学をするかどうかの分岐点で、復学をするとしたら1年間という時間と50~60万の年間の学費を大学に使うわけですが、本当に自分がやりたいことは目の前にあってすでに始めていましたし、寄付を募ろうとしている状況を考えたときに、この学費も寄付したらいいのではと思いました。そのため、個人としてもひとまきとしても大学に戻るべきではないと考え、退学することを決めました。
生き方で悩む人の力に
ー寄付型のNPOを運営する上でどんなことに取り組み、どんな課題を感じているのかを教えてください。
当時は連絡があれば泊まっていいよと話していたものの、受け入れ側も相当なリソースを使っていたこともあり、大変だと感じていました。そうした時に、生き方を選び直していく場を再現性を持ってどう実現できるのかを考えたのですが、今までは2泊3日の人もいれば半年の人もいて様々でした。
そこで、誰がどれぐらい変化したのかを、スタッフが今までの滞在者リストと向き合ったところ、スタッフと参加者の関わり合いだけではなく、同じように生き方に悩んでいる若者同士が高知の山奥に来て、お互いの状況を分かち合う瞬間があったとわかりました。
その結果、1週間のプログラムに変更することになり、最初は無料でやっていたのですが、財政的に厳しい状況になりました。ひとまきには、毎月67名の寄付者の方がいらっしゃるにもかかわらず、リソース不足な状況が続いていたため、どうすれば持続的に続けられるかを考えたときにお金の問題にぶち当たりました。
お金の問題を考えた時に、生き方に悩んでいる状況とお金がない問題は全く同一でないことに気づきました。今までは無料でやって、いつかその参加者が寄付者に回ればいいなと思っていましたが、それを待っているだけでは難しいので、プログラムの有料化をはじめました。参加するお金のハードルが高いという方には、寄付を財源として半額以下に下げてプログラムに参加してもらうという形にしました。
また、プログラムに参加する以前にキャリアについて悩んでいる方が参加できる「生き方相談所」を寄付を財源にしながら、事業展開しています。
ー最後に、今後のビジョンを教えてください。
普段、ひとまきでは1週間の滞在型コーチングプログラムをやっています。
今、自分の理想の生き方を選べない、あるいは選択肢すら知らないという方もいると思います。選択肢を知りたい方は、次世代生き方図鑑という色々な生き方を詰め合わせた本があるので、連絡いただければお送りします。
実際にオンラインで話したいという方は、無料でキャリア相談に乗ります。
さらには、実際に生き方を変えたいという方は、1週間滞在型のコーチングプログラム「若者エンパワーメントプログラム」に参加いただき、自分の中の価値観に向き合ったり、実際に生き方を変えていきます。このプログラムは、1週間の滞在型に加え、3ヶ月間オンラインでメンタリングサポートをさせていただき、一緒に生き方を変えていきましょう。
また、高知県で実際にチャレンジしたいという方は、私たちがシェアハウスの運営もしているので、1年間住んでいただきながらメンタリングサポートを毎月受けつつ、同じ思いで集った仲間と生き方を変えていく取り組みを年度毎に行っています。
現在、絶賛募集中なので、NPO法人ひとまきのホームページから応募していただければ嬉しいです。
何度でも生き方を選びましょう!
取材者:山崎 貴大(Twitter)
執筆者:大庭 周(Facebook / note / Twitter)
デザイナー:五十嵐 有沙 (Twitter)