人の可能性を最大限に発揮する。袖川航平がコーチとして人の変化に携わりたい想いとは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第289回目となる今回は、コーチとして活動する袖川航平(そでかわこうへい)さんです。
幼少期から、人の話を聞くことを大事にしてきた袖川さん。学生団体や愚痴屋の活動からコーチングに出会い、コンサルとコーチの二軸で幅を広げながら、コーチング一本で活躍する現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

 


 

愚痴屋から人を変えるコーチにつながるきっかけ

ーまずは自己紹介をお願いいたします。

コーチングをしている袖川航平です。個人で学生から経営者、主婦などさまざまな方にコーチングを提供しながら、企業に対して社外コーチをしています。最近はコーチングを活かした事業づくりに、新規事業の開発メンバーとして携わっています。

ーコーチングのお仕事を始めたのはいつ頃から、どのようなきっかけでしたか?

コーチングを仕事として始めたのは2018年からです。きっかけは、学生時代に「愚痴屋」をやっていたことですね。駅前の路上に椅子2つと看板を構えて、通りすがりの人々の愚痴を無料で聞く活動をしていました。

愚痴屋を始めたきっかけは、新聞で愚痴屋の活動が書かれた記事を読んだからです。こんなに面白いことをしている人たちがいたのかと衝撃を受けました。僕も極限まで聞くことに集中すると、どこまで相手にいい影響を与えられるのか好奇心があったので、大学生のときに愚痴屋を始めました。

ー愚痴屋の活動が、コーチングのお仕事に直接的につながっているんですね。

いろんな方の愚痴を聞いていると、話した方はスッキリしても行動変容には繋がらないのがもったいないと感じる時が多かったです。「この人もっとこう変われば、人生よくなりそうなのに」と思っても、ただの愚痴聞きなので、なにもできないことにモヤモヤしていました。

コーチングをしようと思ったのは、大学生の時に知り合いから「人の話を聞くことが好きなら、コーチングに向いていると思うよ」と言われたことがきっかけです。実はこの時初めてコーチングの存在を知りました。調べてみると、コーチングは自分が求めていたコミュニケーション方法かもしれないと気付きました。実践することで、今まで自分が抱えてきたモヤモヤを解消できるかもしれない。コーチングを活かして、人の変化に携われそうだと思いました。

 

ドラムをきっかけに、自分が満足できる世界にのめり込む

ーここからは幼少期についてお伺いします。印象に残っていることや、どういう子どもだったのか教えてください。

外で元気よく遊びまわって、人をどんどん巻き込んでじっとできないタイプでした。「楽しい」か「おもしろい」かで選ぶ価値観が幼少期からあったのかもしれません。それが今の僕にも受け継がれているように思います。

いろんなことに興味をもっていたので、さまざまな習い事やスポーツをしていました。水泳、剣道、陸上、野球、それに中学時代はバンドでドラムもやりましたね。忙しいと思っていなくて、楽しい日々がただ過ぎていく気持ちだったと思います。

それに、めちゃくちゃモテたんですよ。いつもみんなの中心で、いろんな人を巻き込んで遊んでいたので、楽しい小学校時代でしたね。

ー中学校に進学してからは、どのような中学生活でしたか?

進学予定の学区内の中学校は、在学中に統廃合になる予定が決まっていたんです。でも3年間同じメンバーで同じ校舎に通いたかったので、別の学区の公立中学校に進みました。

中学生活は大変でした。今までは頑張らなくても結果が出ていましたが、中学校に進むと自分よりできる人たちばかりで、当時は人と比べて落ち込んでいました。負けずに頑張ればよかったのですが、僕にとっては楽しいかどうかが大事だったので、耐え忍ぶ努力や頑張ることはやりたくなかった。だからそれなりに頑張った成果で満足していたので、学校生活に対する気持ちがどんどん下がっていきました。

ー打破できたきっかけはありましたか?

中学2年生のときに、ドラムに出会ったことがきっかけです。元々音楽が好きで、友人たちと楽器が演奏できるゲームをして、とても盛り上がったことがありました。そこで彼らとバンドを結成して、ドラムにのめり込んだことで打破できましたね。自分で叩いた音で、なにかひとつのモノが出来上がる。それが人に届くことで反応をもらえる。この経験がおもしろくて、たくさんドラムの練習をしました。ドラムは自分のすべてが演奏に出てしまうんです。

ーそれはコンディションや気持ちの面ということですか?

そのとおりです。叩く人のコンディションや気持ちの変化で音が変わります。常に自分のコンディションや感覚を研ぎ澄ませて、自分のすべてを乗せるように演奏する。周りがどう思うかではなく、僕が満足するかの視点で頑張れるようになりました。

ー高校はどのように決めましたか?実際の高校生活はどうでしたか?

軽音楽部がある都立の高校に進学したかったですね。でも試験で落ちてしまい、滑り止めの私立高校に進学しました。その高校には軽音楽部がなかったけど、中学時代に組んでいたバンドの活動をベースですると決まっていたので、引き続きバンド活動をしていました。

高校生の時にYouTubeチャンネルを作ったんですよね。今で言うYouTuberデビューです。家にある電子ドラムを録音・録画をし、原曲と僕が叩いた音を一つの動画に編集して公開していました。

ーそこから大学選択はどうやって決めたのですか?

そもそも大学に進学するか、音楽専門学校に進むかで迷いました。でも専門学校へ進むことは、友人や家族から猛反対を受けました。周りの反対に強く言い返せるほど自分の中に想いがなかったんだと思います。結果的に、大学に進学することを選びました。

大学や学部選びでも、さまざまなものに興味を持つ特性が発揮されて、一つに絞れずにいましたね。そんな選べない自分にとって一番惹かれたのが社会学部でした。

ーなぜ社会学部だったのですか?

社会学部は簡単にいうと、社会にまつわる出来事を学問します。僕の大学の場合は、自分の卒論や研究のテーマはなんでもよかったんです。ある人はアニメやサブカルチャーの研究をしているけど、ある人は今の日本社会について研究していて、とても幅が広い。だから自分の興味関心が見つけられるのではないかと思い、苦しい浪人期を経て社会学部に進学しました。

 

学生団体と愚痴屋の活動、そしてコーチングとの出会い

ー大学に進学してから、どういうことをされていましたか?

アイセックという学生団体に入っていました。アイセックは世界最大級の学生団体といわれており、海外インターンシップの運営をしています。大学時代は運営メンバーとして活動をしました。

メンバーはみんな社会貢献に本気で、どうすれば社会に対して自分たちがよりよく貢献できるようになれるかを、ひたすら考えて活動する場でした。その環境でインターンシップを作ったり、いろんな大学のメンバーと関わったり、海外のアイセックのメンバーと交流したりするなかで、自分の視座がどんどん高まっていく感覚がありましたね。

愚痴屋」の活動も同時にされていたのですか?

愚痴屋はたまにやっていましたが、メインは学生団体の活動でした。浪人時代から新聞記事で愚痴屋の存在を知っていたのですが、実際に活動を始めたのは1年生の終わりからですね。

愚痴屋を始めた動機は、物心ついた頃からの疑問が原点です。周りの人の話を聞いていると、例えば映画や音楽といった「物事」に対して焦点があたり、その人自身がどう感じたかといった「人」に焦点があたらない話が多かったんです。それなら僕が聞く側にまわってみようと思い、幼い頃から「人」に焦点をあてた聞き方を実践していました。

例えば、「あなたは本当はどうしたかったの?」「その映画を観て、あなたはどう思ったの?」といった聞き方です。簡単なことだけど、それだけでも相手の反応が変わるんですよね。話を聞くだけで、とてもよい影響を与えられることを実感しました。

ーすばらしいです。大学時代はバンド活動を続けなかったのですか?

中学時代から組んでいたバンドは、僕が浪人したこともあり、大学進学と同時に解散しました。一度、軽音サークルに入ろうとしたのですが、サークルの人たちと一緒にいても楽しくなかったんですよね。最初は学生団体と掛け持ちしようと思っていたけど、学生団体の活動が楽しかったのでバンド活動はやめました。

ー大学時代にコーチングに出会ったと伺いましたが、コーチングスクールには学生の時に通っていたのですか?

学生の時はコーチングスクールに通わず、独学のみでした。当時、学生団体で後輩やメンバーをマネジメントする立場だったので、活動の中でメンバーに対してコーチングをするようになりました。

ー実際やってみてどうでしたか?

とても影響力があると思いましたね。コーチングはただ話を聞くだけではなく、その人の可能性を引き出すものです。メンバーが自分の意志や力で人生を切り拓いていこうと行動する姿をみて、コーチングの可能性を感じました。

 

コンサルとコーチングで自分の幅を広げていく

ー就職活動はどのように決めて行動されたのですか?

就職活動の軸は3つありました。

1つ目は、入社1年目から稼げる会社。これはコーチングスクールに通うためです。僕が通っていたコーチングスクール(CTIジャパン)は、学費が高いんですよ。でもどうしても行きたかったので、1年目から稼げる会社に就職しようと決めました。

2つ目は、自分の幅を広げられる会社ですね。就職とは別でコーチになるので、コーチングと全然関係ないところで働きたかった結果、コンサル会社に就職しました。コンサルを選んだ理由は、コンサルティングとコーチングでは頭の使い方が違うからです。

簡単に表現すると、コンサルティングは「計算する世界」、コーチングは「描(えが)く世界」です。コンサルティングは、クライアントに対して問題を提起し、方法と解決策を示したうえで合意をとり、結果にコミットする。クライアントに正解を提供する仕事です。

でもコーチングの場合は、「そもそもあなたにとって正解はなんですか?」というところから始まるので、コンサルとアプローチが異なる。この2つを自分が両方やることで、人としての幅が広がるのではないかと思いました。

3つ目は、一年目から成長できる環境に身をおける会社。人生の中の長い時間を労働時間に充てるので、大きく成長できる環境で仕事をしたいと思ったからです。

この3つの軸を総合的に考えた結果、アクセンチュアに入社を決めました。

ー実際入社して働いてみてどうでしたか?

想定以上の忙しさでしたね(笑)。特にギャップはなく、むしろこの軸で選んで正解だと思いました。

アクセンチュアの場合、ITコンサルがメインであり強みです。僕もテクノロジーコンサルタントとして活動していたので、関わった案件はすべてテクノロジー系でした。大学で学んだことが直接、アクセンチュアで活かされたわけではなかったですね。

ー仕事で新たに覚えることがたくさんあるなかでも、コーチングには関わり続けていたのですね。

そうですね。仕事と被ることもありましたが、周りに「自分はコーチングを学びたい」と話して、理解してもらうことが大切だったと思います。土日は基本コーチングをして、忙しい時は朝5時からコーチング、そのあと仕事が22時半に終わったら23時からまたコーチング、翌朝5時からコーチングをする生活でした。

ーハードな生活ですね……!コンサルを辞め、コーチングに絞って仕事を始めたのはなぜですか?

コンサルの仕事とコーチングを両立するなかで、僕は「対人支援」が好きだということに気づきました。アクセンチュアの仕事は「対組織」なんですよね。普段接しているクライアントの多くが法人なので、自分のやりがいを見出しづらかった。一方でコーチングは、とてもやりがいを感じる状態が続きました。このままではコンサルに本気でのめり込めないし、どっちつかずになってしまうと思い、コーチング一本にしようと決めました。コンサルで自分が幸せになるイメージが見えなかったですね。

ー現在、コーチの仕事だけに集中して取り組むなかで、どのように感じていますか?

今の方がはるかに幸せですね。自分が選んだことで、やりたいことを中心に据えた仕事ができている。コーチングをきっかけに出会った人たちがいて、彼らといろんなことをやれるので、一番いい状態だと思います。

 

自分自身の可能性を最大限発揮することが社会貢献

ー仕事としてコーチングをするために、どのようにスキルを鍛え、研鑽し続けていますか?

鍛え方でいうと、生涯学習に近いと思います。スクールを卒業したところが本当のスタート地点だからです。多くの人が取り組むことでは、コーチングの本を読む、自分のコーチング内容や他の人のコーチングをフィードバックすることですね。あと僕なりの方法だと、自分の人生を精一杯楽しむことがコーチングの上達に活かされています。

あくまでも、コーチングは手段として捉えています。自分が人生で何を成し遂げたいか、どういう社会を作りたいのかを考えたうえで、今の自分のコーチングを見つめ直していく。人の気持ちを理解するために映画をたくさん観ることも勉強になるし、ある人にとっては自然の中で自分と向き合うことが上達する道になるかもしれない。人それぞれですが、僕の場合はそういう取り組みを大事にしています。

ー今後は、どのようなことにチャレンジしていきたいですか?

僕の最終的なゴールは、僕を含めみなさんが、自分自身の可能性を最大限発揮すること。それが一番の社会貢献です。現在は目の前の仕事に全力投球しているので、「コーチング」や「コーチング×〇〇」という形で事業開発に取り組んでいます。今後はもしかしたら、コーチング以外のことにも取り組むかもしれません。人の可能性を最大限発揮させるためにはどうすればいいのかを考え、コーチングを活かした事業開発や、さまざまな方にコーチングを提供していきたいです。

 

取材:高尾 有沙(Facebook/Twitter/note
執筆:スナミ アキナ(Twitter/note
デザイン:五十嵐有沙(Twitter