様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第122回目となる今回は、Global Teacher Program 運営代表として「海外×教育」の切り口で活躍する、平岡慎也さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
小学生の頃より算数が大好きだったという平岡さん。勉強にサッカーに全力で打ち込み、明るい少年時代を過ごします。しかし、同級生の死をきっかけに状況は一変。人生と向き合う日々が始まり、「自分はなんのために生きているのか」を考えながら過ごします。
中学生で脳科学に興味を持ち、2012年、立命館大学情報理工学部情報知能学科に入学。「日本と北欧のIT教育の違いについて」をテーマに研究を重ね、2014年に休学を決意。「世界中の学校で先生になる旅」を敢行し、20カ国40校を訪れます。2017年、株式会社Miyacoに新卒で入社し、「Global Teacher Program」をスタート。現在までに延べ200名以上が参加。海外での教育実習を通して、先生を目指す人の人生が広がる機会を提供し続けています。
あなたは今、自分の人生にわくわくしていますか?辛い出来事を乗り越え挑戦し続けてきた平岡さんだからこそ思う、教育に対する熱い愛と、雲の上の同級生に誓った夢がありました。
「海外で教育実習」日本初の留学プログラム
ー本日はよろしくお願いします!現在のお仕事やこれまでの活動について教えてください。
京都で生まれ育ち、今年で27歳になります。海外旅行が趣味で、これまでに5大陸42ヵ国を訪れました。昨年は3ヶ月間を海外で過ごし、別の3ヶ月は国内各地を周り、合計半年間は出張で飛び回る生活を送っていました。
仕事としては、Global Teacher Program(以下、GTP)の運営代表を務めています。「海外で教育実習ができる留学プログラム」を発案し、教員志望の大学生や子ども好きな方を対象に、提携先の海外の公立小学校で教壇に立つ機会を提供しています。フィリピンのセブ島を皮切りに、現在はフィンランドとアメリカのハワイ州を含む3カ国で展開しており、累計200名に参加いただきました。
「今までにない、世界と仲間と自分に出会う場を作る」をVisionとして活動しています。
ー参加者は、教育に携わっている方に限定されているのでしょうか?
いえ、特に条件は設けていません。教育学部ではない方の参加も可能なので、教員免許状もいらないんです。高校生の参加も可能で、子ども達に何かを伝える、交流することに強い情熱を持っていれば、英語力を理由に申し込みをお断りすることもありません。中には初海外で不安を感じる方もいますが、約20人の仲間と交流を深めるにつれて、少しずつ緊張がほぐれていくようですね。
ー未経験の方も安心して参加できそうですね!プログラムでは、授業のやり方や英語を学ぶ機会もあるのでしょうか?
フィリピンのセブ島プログラムでは、2週間のうち前半の1週間を事前研修としています。
基本的には参加者自身の力で授業を作りますが、指導案の添削や英語指導などを気軽に相談できるような体勢を組んでいます。現地の語学学校と提携しており、参加者2〜3名につき1名の先生が付き添ってくれるんですよ。英語に慣れておらず授業経験のない方も、1週間で学びを深め自信を持って教壇に立っていますね。
ー「教育実習を海外でやる」とは新しい発想。GTPらしさを出すために工夫していることはありますか?
僕自身、競合は少ないと感じています。海外にある学校を「視察する」プログラムはよく見かけますが、「授業の実施」にフォーカスしているものは、僕の知る限り他にありません。
その上で、独自性を出すために心がけていることは2つ。
1つ目は、「アウトプットの機会を多く設定すること」です。
セブ島プログラムでは、1週間の実践期間を設け、参加者一人当たり50分×4〜5回の授業に挑戦します。基本的に授業は自分一人で行うのですが、ここまで教壇に立てる機会はそう多くはないのでは、と思っています。
2つ目は、「できる限り”変な人”と出会えるプログラムにすること」です。
大学時代、教育学部や教育大学出身の友人の話を通して、先生を目指している学生は、在学中に「教師以外の職」と出会ったり考えたりする機会が少ない、と知りました。僕は総合大学に通っていたので、教員志望以外の学生と知り合う機会も多く、彼らから受けた刺激や学びは数知れず。しかし、教育系の友人の多くは、教員採用試験合格という同じ志を持つ人とのつながりがほとんど…。世の中には多種多様な職があり、人の夢も三者三様です。先生という仕事は、子ども達の進路教育にも関わる重要な役割。同志との助け合いも大切ですが、GTPを通して「”出会ったことのない人”とのつながりも増やしてほしい」と思っているんです。先生を目指す参加者の世界が広がり、新しいシナジーが生まれていく瞬間が面白いですね。
ーたしかに、教職は専門性が高いからこそ、多様な価値観に触れることで広い視野を持つ先生になれそうですね。
今はまだ知らないことや人との出会いを生み出すために、参加者に加えてゲストを現地に招くこともあるんです!縁のある大学の先生や、教育に興味のある僕の友人など…。相性がよさそうだな、と思う人同士を積極的につないでいます。プログラム終了後もそれぞれの人生が広がるような新しい交流が生まれるように願い、「参加者同士のつながり」をとても大切にしていますね。
同級生の死。突然の別れが「生きる意味」を教えてくれた
ー平岡さんの幼少期についても聞かせてください。小学生の頃から、勉強が大好きだったそうですね。
夏休みの自由登校日が待ち遠しく、持参したドリルや自由研究をするのが大の楽しみでした!「1つの課題を1秒でも早く解決するにはどうしたらいいのか」を考えることが好きで、特に百ます計算は誰よりも早く解くんだと意気込んでいました(笑)クラスの中でも圧倒的な速さで九九を習得したのを覚えています。ゲームやパズルのように勉強を楽しむのが得意でした。
ー勉強熱心なご家族だったのでしょうか?
勉強を強要された記憶はありませんが、相手が幼子であっても、科学的根拠に基づき論理的に話を進める父のもとで育ったことが、自然と理系科目に興味を持つようになった要因かもしれません。
ある日、「虹ってなんで出るの?」と父に尋ねたところ、非常に科学的かつ論理的に説明してくれたんです。幼稚園児だった僕は、「何やら仕組みがあるらしい」程度の理解しかできませんでしたが、「父の言っていることがわかるようになりたい」と常に思っていました。算数や科学に興味を持つようになったのは、幼い頃から科学的な学びを徹底的に教えてもらったことが大きいと感じています。
ー勉強に勤しむ小学校生活を送ってきた平岡さんですが、12歳のときに人生で最も落ち込む出来事があったそうですね。
同級生の男の子が、「野球をしている最中に心臓発作で亡くなった」と連絡を受けたんです。
現状を飲み込むことができず、パニックに陥りました。その子とは、2日前に一緒に遊んだばかりだったんです。親族でさえも失ったことがなかった僕にとって、自分と近しい人が亡くなる経験は初めてのこと。泣きじゃくりながら家に帰りました。その頃から、「僕は何のために生きていくんだろう?」「自分の人生をどんな風に使いたいんだろう?」と考えるように…。思いがけず、12歳にして人生観の転機を迎えました。
当時も今も、僕が好きな本は「伝記」です。「誰かの人生を俯瞰して物語のようにみる」伝記の特性は、当時の僕の人生観と一致しました。「自分の人生が伝記になるような、そんな面白い人生を歩みたい」そして、僕が伝記を世に送り出すときには「彼がいてくれたおかげで、人生をちゃんと生きようと思った証となるページを作りたい」と思ったんです。このときの夢は、27歳になった今も変わりません。
彼は、11歳という若さでこの世を去りました。当時の僕は「彼がこの世に生まれた意味」や「人は何のために生きているのだろう?」という問いを自分に投げかけ続けましたが、答えは出ませんでした。一つだけ確かなことは、「彼は僕に人生の根源的なエネルギーを与えてくれた」「僕は、彼のおかげで変われた」ということ。現在も、命日になるとお参りに出向きます。辛いことがある時でも「僕は僕にできることを頑張ろう」と思えるほど、彼には今でも元気と勇気をもらっています。
ー当時の深い悲しみが、今では前進する力へと変化したんですね。
「今を大切に生きる」これは、僕が好きな言葉です。
この言葉をより一層強く心に刻むようになったのは、間違いなく彼がいてくれたから。人生、いつ何があるかわかりません。「やりたい!」と思ったことは、できるだけ早くやる。そう思えているのは、このときの経験があったからに他なりません。
比較コンプレックスが引き寄せた「脳科学」との出会い
ー中学校や高校では、どのような少年でしたか?
小学生の頃にはなかった、比較によるコンプレックスが生まれました。
僕は4人兄弟の2番目で、勉強も運動も優秀な兄がいます。はじめは兄と同じ私立中学を目指して受験勉強に励んでいましたが、小学校6年生のときに別の学校を受けることに決めました。兄と比べられたらたまったもんじゃない、と思ったんです(笑)しかし、逃げた先の学校でもどこから聞きつけたのか、優秀な兄が話題に上がることもしばしば…。少しずつ、コンプレックスが生まれていきました。「兄に負けたくない。勝ちたい」思いが強くなる一方で、もともと要領がいい上に努力家な兄の姿は、まさに鬼に金棒。僕がどんなに頑張っても、そう簡単に追いつける背中ではありませんでした。
「何かを変えるしかない」と思い、立ち寄った本屋さんで脳科学の本を見つけました。
実は、小学生の頃から中学受験の勉強のために「脳科学」に興味を持ち、「効率のいい勉強方法」を学んでいた時期があったのです。 中学生のとき改めて「人の成長に関する学問」に大きな可能性を感じました。「人間がどのように物事を見て、認知し、記憶して、どのように学習を重ね、習得していくか」という、脳のプロセスを学べる本だったんです。「これは面白い!勉強したら兄に勝てるのでは」と思いました。
ー中学生で脳科学に興味を持つとは、勉強熱心な平岡さんらしいですね。
1年生頃から、本格的に脳科学について調べるようになりました。関連本を読みながら、学んだことを自分の勉強スタイルに活かしたところ、はじめは不器用だった僕も少しずつ要領がよくなっていったんです。クラスで1番の成績を修め自信がつき始めたちょうどその頃、一方の兄は高校でもトップクラスの成績で卒業。僕がどんなに頑張っても彼の存在は遠いままでした(笑)
そんな僕も、高校3年生頃から自分でできることが増えていきました。すると、「他人と比較すること」に執着しなくなっていったんです。兄は兄、僕は僕。それぞれの人生を歩んだらいいのだと、ようやく気づくことができました。脳科学と出会ったことで、人の成長について考え続けた中高時代でしたね。
ー大学は、どのような基準で選ばれましたか?
人の成長に関することとテクノロジーに興味があったので、ITと教育を学べる大学を選びました。
その結果、立命館大学情報理工学部情報知能学科に入学。主に脳科学やAIが研究領域で、人の脳に関することを工学の観点から見るため、学ぶことを科学的に研究できる学部でした。脳科学に興味を持っていた頃から人の成長に強い興味があり、教育学部への進学も考えましたが、当時の僕はどうしても理系に進みたくて…。今になって思えば、視野が狭かったなと思います(笑)
運命のジャンケン。全身全霊で向き合った「北欧教育のリアル」
ー1年生のとき、人生で最も重要な「ジャンケン」に挑戦したと伺いました。
あの時のジャンケンに勝っていなかったら、僕は今頃、プログラマーかエンジニアになっていたかもしれない。それほどその後の人生を左右する出来事でした。
入学後初めての授業でグループ分けがあったんです。提示された8つのテーマの中から好きなテーマを選び、学んで、プレゼンテーションをする授業でした。僕が唯一気になったテーマは「日本と北欧のIT教育の違いについて」。残り7つのテーマが記憶にないくらい強烈に惹かれました。もともと興味のあった教育と、ムーミン好きが転じて「北欧」に反応した僕は、「絶対にこれをやりたい!」と立候補。すると、もう一人手を挙げた人物が…!お互い譲らず、ジャンケンで決めることになった結果、なんと僕が勝利したんです!
ー白熱した決戦だったんですね!
たかが大学の授業だったかもしれませんが、「彼の分まで頑張らなくては」と必死になって研究しました。図書館にこもって北欧教育について調べていたところ、面白い見出しのネット記事を見つけたんです。
“宿題もテストもないのに、学力世界一の国フィンランド”
「世界にはそんな都合のいい国があるのか…!」と頭を殴られた気分でした。効率的な勉強方法に興味を持ち脳科学を学んでいた僕にとって、もしこれが事実だとすればフィンランドは学びの宝庫だと思ったんです。今でこそフィンランド教育に関する文献は手に入りやすくなっていますが、同時は情報がなかなか見つからず…。見出しにある宿題の有無についても、正反対の意見が乱立している始末だったんです。
ー何が正確な情報なのか、当時の情報量では判断することが難しかったんですね…。
事実を把握するために、膨大な量の本やネット記事を読み漁りました。すると次第に、フィンランド教育だけでなくオランダ教育やモンテッソーリ教育など、興味の幅が次から次へと広がり…。途上国の教育にも関心が沸いてきた頃には、気づけば「海外の教育」全体について独学を開始していました。
ーすごい探究心!大学3年次には、休学して世界一周の旅に出たそうですね。
ある2つの出来事がきっかけとなり、出国を決意しました。
1つは、大の本好きであるが故に「読書から学べる限界」に気づいたことです。
年間400冊を読破していた僕にとって、本は多くのことを素早く読み取るために欠かせない大切な手段です。一方で、記載内容の正誤判断や、学びを自分の人生に活かしていく点でいうと、読書だけでは補いきることができません。読書に触れれば触れるほど「実体験を通して、自分自身の経験値をもっと増やしていきたい」と思うように…。これだけ海外の教育に興味があるのなら、自分の目でも現場を見てみたい、と思いました。
もう1つは、株式会社TABIPPO主催の「世界一周コンテスト」に出場したことです。
優勝景品が世界一周航空チケットだと知り、先輩からの紹介でエントリーしました。「世界の教育を見たい」という夢を叶えるべく作った旅のテーマは、「世界中の学校で先生になる旅」。プレゼン予選大会を勝ち抜くために必死の練習を重ねた結果、なんと決勝戦に出場することに…!2400名の視聴者を目前に、渾身のプレゼンをやり遂げた僕でしたが、結果は準優勝。後日、票の内訳を伺ったところ優勝とは僅差だったそうですが、舞台袖で1時間泣き崩れるほどの絶望を味わいました…。
「ここまで思い続けた夢なら、バイトで資金を貯めて旅に行こう」そう心に決めた僕は、コンテストから半年後の夏、日本を飛び立ちました。
ー決断の影には人知れず数々の努力があったんですね。旅では、累計何カ国の学校を訪れたのでしょうか?
20カ国、40校に行きました!
もちろん、全ての学校で教壇に立たせてもらえたわけではありません。当たり前ですが、急にバックパックを背負って訪ねてきた日本人が、はじめから信用してもらえるのはほぼ奇跡。怪しまれ、ガードマンに突き返されることもしばしば…。アポなし訪問をするときは、不審者に見られないように生徒がいない夕方を意識していたくらい(笑)
ありがたいことに、最終的にはたくさんの先生方が「君の夢を応援するよ!」と言ってくださってさまざまな経験をすることができました。フィンランドの小学校で3ヶ月間、オーストラリアの小中高一貫校で2ヶ月半、日本語を教えたり授業を見学させていただくなど、教育実習に近しい体験を積みました。
ーすごいですね!もともと、現地の学校とはつながりがあったのでしょうか?
それぞれちょっとした縁はありましたが、僕と学校の間に直接的なつながりはありませんでした。
たまたまフィンランドに留学していた大学の先輩に、現地で教育系の仕事をしている知り合いを紹介していただき、職場の見学やお手伝いをしました。この出会いを皮切りに少しずつつながりが増えた結果、小学校の先生にたどり着き教育実習の実施を快諾してくれたんです!そこからは毎日、6年A組に通いました。地理の授業では、日本について授業をさせていただくこともありましたね。
ー海外経験を通して、気づいたことはありましたか?
「百聞は一見に如かず」とは、よくいったものだと思いました。
「宿題もテストもないのに学力世界一の国フィンランド」を実際にこの目で確かめた結果、宿題もテストも存在したんです(笑)日本と比べると宿題量はあまり多くなく、夏休みの宿題がないのは事実です。ですが、「一切ない」のは誤り。簡略化された断片的な情報が誇張され、メディアによって広まったのだろうと、自分なりに分析することができました。
本を読んでいなければ、海外の教育に興味を持つこともなかったでしょう。ですが、「二次情報だけでなく一次情報も大事なんだ」と心から実感できたことは、この経験で得た最もよい気づきだったと思います。
「いきいきした教育者を増やしたい」夢に向かって進み続ける
ー帰国後に、現在も仕事を共にしている株式会社Miyacoに内定。就職活動中はどのように過ごしていましたか?
就活を含め、4つの活動を並行して進めていました。就職活動をしながら日本で教育実習を行い、個人事業主としてクラウドファンディングをしながら、ベンチャー企業でインターンシップもしていたんです。今思えば、かなり迷走していたな、と思います(笑)就活では、大企業から内定をいただいていたものの、いきたい企業に限って不採用通達を受け玉砕していました…。ちょうどその頃、以前から知り合いだった株式会社Miyacoの社長から連絡があったんです。
ーどのような内容の連絡だったのでしょうか?
彼は、「社会をよくする」「世の中をよくする」が口癖の熱いタイプの人です。当時、会社ではソースの開発や販売をメイン事業としていたのですが、「ソースだけでは、社会をよくすることはできない!未来のためには、教育が大切だ、教育に関連した新規事業を作りたい!」と。僕が世界の学校で教育実習をしていたと知ってくださっていたので、「一度ゆっくり話そう」と連絡をいただきました。
ー社長の思いと平岡さんの経験が合致していたんですね!入社の決め手はなんだったのでしょうか?
社長から、「海外の語学学校と縁があるんだ。一緒にプロジェクトをつくろうよ!」と誘っていただいたことです。話していくうちに彼の人柄に惹かれ、一緒に仕事をしたら面白そうだな、と思うようになりました。僕自身、海外で教育実習をしていなければ知り得なかったことがたくさんあります。この活動がもっと世の中に広まればいいのにな、と思ってはいたものの、当時の僕に事業開発の経験はありません。一体何から始めたらいいのか…。考えあぐねていたちょうどその頃、社長から連絡がありました。
海外滞在中にブログを開設し情報を発信していた僕は、自分と同じように「海外で教育実習をしてみたい」と思っている人が一定数いることを実感していました。ブログにコメントをいただく機会も増えてきたタイミングで、これはもしかしたら需要があるのでは、と思い社長へ直談判。ここではじめて「海外の小学校で教育実習ができるプログラムを作りたい」と伝えたんです。
▶︎ブログの中でも閲覧数が多く、GTP発足のきっかけとなった記事
ーGTPは、社長と平岡さんの熱意が生み出したプログラムだったんですね…!はじめは苦労されたこともあったのでは?
当時、プロジェクトメンバーは僕と社長を含めて4人。最初は「市場規模が小さいのでは?」と心配する声の方が大きかったですね。「慎也みたいに、海外の教育実習に興味がある人なんてそんなにいないぞ」と。最終的には「とりあえず1回やってみてごらん」と背中を押していただけたのですが、初回開催は僕が思っていた以上に苦難の道でした…。
社長が言っていた「縁のある語学学校」とは、セブ島にある「語学学校NILS」。僕が世界一周で旅した20カ国の中に、フィリピンはありません。つまり、セブ島開催のプログラムを考えているのに、僕は現地のリアルを何も知らなかったんです。そんな状態で作った企画書が説得性に欠けるのは、いうまでもありません。GTPに興味がありそうな学生や大人に向けたプレゼンテーションでは、「セブ島の魅力は何?」「なぜセブ島なの?」という質問に、何も答えられない始末。その結果、プロジェクトは一時頓挫することに…。
「これは僕も現地に行くしかない!」と思い、プロジェクトの企画者でありながら、一参加者として現地入りを決めました。もちろん参加費は全て自費。今思えば、自らの金銭を投げ打ってでもこの挑戦を成功させたかったのかもしれません。実際にセブ島で語学学校に通い、教育実習を経験させていただいたことで、ようやく現場の理解が深まりました。現在は累計参加者数200名を超えるプログラムに成長しましたが、初回の申し込みは僕を含めてわずか3名。苦労の絶えないスタートだったからこそ、初開催から現在までの参加メンバーも含めて、GTPを信じて参加してくださった方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
ーそんな苦難の時期があったとは…。今後もGTPの活動を広めるにあたって、新しく提携を考えている国はありますか?
オーストラリアとカンボジアに拠点を拡大したいなと思っています!オーストラリアは、僕が学生時代に教育実習をさせていただいた国でもあり、大好きな場所。実は、オーストラリアには外国語教育として日本語を学んでいる子ども達が一定数いるんです。GTPとの相性もいいのでは、と考えています。カンボジアは、株式会社Miyacoとしても事業展開をする可能性があり、これから一緒に何かできたらいいなと思っていますね。
ー最後に、平岡さんの今後について教えてください。
僕には、GTPを通して作りたい世界観があります。「日本中にいきいきとした教育者の人が増えてほしい」本気でそう思っています。
「教育」というと、代表的な存在として先生が挙げられがちですが、先生が全ての教育者ではないと思うんです。親も一人の教育者であり、小学校ではなく大学教授になる人もいるかもしれません。たくさんのチャレンジを通して、世界や日本社会に興味関心を広げ、それぞれの道に向かって突き進んでいくような、そんないきいきした大人を世の中に増やしたい。そして、「大人になるのも楽しそうだな!」と思える子どもたちが増えていけば、それが僕の本望です。そう願ってこの活動を続けています。
GTPは、今はまだ小さな団体です。何万人といる先生を目指す人の中で、200人にしか「海外で教育実習ができる」という機会を届けられていません。大学の単位認定プログラム化や、高校生の海外研修旅行として海外での教育実習も候補に含んだり、教育委員会と連携して採用試験合格者の着任前研修として活用いただいたり…。認知拡大のためにも、さまざまな機関と提携していきたいと思っています。
ー本日はありがとうございました!平岡さんのさらなる挑戦を応援しています!