市原万葉が子育ても仕事も楽しめる理由は「巻き込み力」と「グレーゾーン」

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。今回のゲストは、創業初期に参画したNEW STANDARD株式会社(旧名:TABI LABO)で広報として活躍し、1児のママとして子育ても楽しんでいる市原万葉(いちはら・まよ)さんです。

小学3年生の頃から「外交官になる」という夢を持ちながら、受験を通して挫折を経験。しかし前に進むたびに新しい価値観を得て、夢の抽象度を上げ、自分を変え続ける力も身についたそう。

また、子育てを楽しみ仕事と両立させるコツは「お母さんが一番楽しむこと」と「周囲を巻き込みコミュニティで育てる」ことだと語る市原さん。働く女性にとって大きな悩みである、出産・子育てとキャリアの両立について、彼女独自の育児論や両立方法を伺いました。

 

受験失敗という挫折を経て、夢の抽象度が上がった

ー 小学校3年生にして「外交官になる」という夢に出会うというのは珍しいと思うんですが、その出会いは何だったんでしょうか?

幼いときから、正義感がすごく強かったんです。東ちづるさんの絵本の読み聞かせで難民キャンプのことを知って、自分の知らない世界に衝撃を受けました。同時に「私がこの子たちの力になりたい」と強い使命感に駆られました。親や学校の先生と相談していく中で、国連の職員になること、その手段として外交官になろうと考えたんです。そこから逆算して人生設計した結果、中学受験を決めました。

東ちずるさんの難民キャンプを題材にした絵本

― でも、第一志望の中学には行けなかった。

受験は大失敗。さらに同じ時期に姉妹のように育った従姉妹が突然亡くなり、小学校6年生にとっては精神的に辛い時期でした。「彼女の分まで人生を2倍生きる!」と自分を突き動かすエネルギーに変えることでしか当時の自分は乗り越えられなかった。進学した公立中学校では、勉強も部活も行事も全力で全部頑張りました。何事にもエネルギッシュに取り組むようになった原点はここにあると思います。

― その結果、高校受験は成功したんですよね。どんな高校時代でしたか?

毎日が刺激的でとても面白かったです。高校には優秀でユニークな子や先生ばかりで、多様性に触れて過ごしました。校則はなく、生徒たちが自分たちで欲しいものやルールを作っていく。答えがある受験的な勉強ではなく、常に学び深め創る楽しさを教えてくれる学校でした。私は部活や行事に邁進し、個人的には外交の最前線で活躍するOB・OGの方々のもとに足を運んで現場の貴重なお話を伺う機会も多く得られました。

― 大学は、国立大学の法学部を目指していたんですよね。だけど、受験は失敗。もともと厳しい状態だったんでしょうか?

過程は悪くなかったと思いますが、結果はダメでした。ただ、小学校3年生から一生懸命走り続けてきて、受験的勉強はやり切った気持ちがあったので、前に進んでできることをしようと思って。たとえ想定と違うルートや方法になったとしても、歩み続ければ違う景色が見えてくることを経験していたので、早稲田大学に入学しました。

― それはなかなかの挫折経験ですね。早稲田大学ではどんな生活を送ったんですか?

受験という長い戦いから離れてみると、「自分って面白くない人間だな」と感じるようになりました。勉強・部活・行事の3本柱で邁進してきたので、これといった趣味もありませんでした。そこで外交官になる勉強と並行してはじめた2つのことがきっかけで、大きな価値観の変化を迎えることになります。

ひとつはスキューバダイビングを始めたこと。長期休暇のたびに島で暮らし、自然に囲まれ島の人達と触れあう中で、彼らの「自分をいかに幸せにするか」が軸にあるとても自然体でシンプルな生き方に触れました。私は「世界の子供たちの助けになりたい」と大きなことを言いつつ、身の回りの人も幸せにできていなければ、自分自身の満たし方すら知らないということに気づき情けなくなりました。今までの人生で交わることのなかった人たちの暮らしに触れたことで、もっと視野を広げて世界を知りたいと思うようになりました。

もうひとつのきっかけは、アメリカへの留学や、海外のNPOなどに学生を派遣する学生NPO団体の活動など海外で実際に活動してみるなかで、「他人は変えられない、自分しか変えることはできない」と痛感したことです。改めて夢を見つめ直すなかで、小学3年生のときに私が感じた違和感は、「不平等や理不尽な外的環境が理由で人の可能性が狭まっていること」に対してだったんだな、と抽象度を上げることができました。

― 「世界の子供たちの助けになりたい」という夢から、どのように変わったんでしょうか?

「人の可能性を広げること、選択肢を増やす」ためにやりたいことや、向き合いたい課題はたくさんありました。ただ、自分にはそれらを変える力や術がない。まずは自分にできることを増やすために、メディアや広告業など社会的発信を行っている企業で仕事をしたいと思い、就活では広告代理店をはじめ複数企業から内定をもらっていました。

 

「安定」の定義を変えたTABILABOとの出会い

NEW STANDARD株式会社のランチ作成の風景

ー 広告代理店に就職することが内定していた中、TABILABO(現・NEW STANDARD株式会社)でインターンとして働くことにした。その出会いは何だったんでしょう?

大学の友人に創業メンバーがいたので、TABILABOはもともと近い存在だったんです。彼から話を聞いているうちに、旅先で出会うような世界中の新しい価値観に触れることができるメディア「TABILABO」がやっていることは「人の可能性を広げる、選択肢を増やす」というアプローチとしてとても面白いと思い、卒業までの期間働くことにしました。

ー TABILABOでのインターンはどうでしたか?

会社になってまだ1年弱だったので、毎日忙しかったけれど刺激的でしたね。大企業に入ることが安定だとよく言われていましたが、TABILABOでのインターンを通じて「自分の能力やスキルを磨き続け、常に柔軟にアップデートし続けられることこそが安定だな」と、安定に対する定義が変わりました。

社員同様にフルタイムで働かせてもらうなかで着実にやりがいが伴っていったこと、そして最終的には「優秀なメンバーが人生の舵を切って高い熱量を持ち事業を立ち上げるという瞬間に、人生であと何回居合わせるんだろう」と考えたときに直感的にワクワクしたので、内定先ではなくTABILABOに入社することを決めました。

創業間もないスタートアップをファーストキャリアにするという決断をしたことで、社会のマジョリティの中で正解とされているルートから、スコーンと抜けた感覚がありました。

ー 「スコーンと抜けた感覚」というのは、具体的にどういうことでしょう?

他人との評価の中で自分の存在や位置を確認していたことに気付き、まずはそれを辞めました。当時はスタートアップに行くこと自体が稀でしたし、会社名など肩書きで語れない分、自分の実力を積み重ねていくことでしか実現できることは増やせない、と痛感する日々でした。自分がどれだけ大学名や肩書きによって機会を得ていたのかを知るきっかけになりました。

ー お話聞いていると、自分を変える力がすごく高いなと感じます。そのように自らを変えることができるのはなぜですか?

正解はないということに早々に気づけたことが大きいです。未熟な私から見えている世界なんてほんの小さな側面でしかなくて。社会から常識だとされていたり、自分の中で正解だと思っていたものを振り切ってみると、そこにはまた違う世界が広がっている。そう考えられるようになって、フットワークは軽くなったし、どんな状況や困難も柔軟に楽しめるようになったと思います。

 

親になってもっと自由になった

― 現在、1児のママでもある市原さん。スタートアップでのキャリアを歩み始めて3年目に、妊娠がわかったときはどう感じましたか?

高校生のときに妊娠しづらい身体だと診断されていたことや、20代はゴリゴリ働くぞ!と思っていたので、夫は喜んでいましたが私は正直驚きの気持ちの方が強くて戸惑いました。母になることへの不安ももちろんありましたが、「愛情深い家族や友人に囲まれて育つこの子は、絶対に幸せになるから大丈夫」という自信だけは強くありました。

― 実際ママになってみてどうですか?

とんでもなく楽しいです。子育てを通して、初めて知る世界や出会う感情がたくさんあり、こんなにも自分の視野や価値観を広げてくれるものだとは思わなかったです。

― 子供がいる、家事育児があるということが制約になって、やりたいことを思うようにできない……ということに思い悩んでいる20代のママも多いと思うのですが、市原さんが子育てを楽しめている理由は何だと思いますか?

子育てを通じて知った世界や感情は、今しか味わえない貴重なものだと思うので、得たものに目を向けるようにして、これまでと同じ物差しで測ることはやめました。

確かに自分一人だったときの暮らしに比べれば制約は生まれていますが、制約があるからこそ自由がより自覚的なものになります。選択肢が無限大にあって大海原に放たれていたときよりも、視界がクリアで走りやすく、むしろ今の方が解放感を感じている瞬間が多いです。

あと、産んでみてわかったのが、はじめから授乳やおむつ替えなど完璧にできるママはいないということ。そして、子供の数だけ個性もあるので育て方も違っていていいし、他人と比較する必要もない。ママも子供と一緒に成長していくものなんだなと実感してからは、気負いすぎず心が穏やかになりました。

子育てにおいては、母親が一番楽しむということとと、コミュニティで育てるということの二つをすごく大事にしていて。今はその循環を回せていることが楽しめている一番の要因かなと思います。

 

子育て×仕事は「巻き込み力」と「グレーゾーン」で両立

― 母親として楽しむことってすごく大事だと思うんですが、そうあろうと思ったきっかけは何かあったんでしょうか?

育休中、自分を含めて休むことに躊躇いがあるお母さんにたくさん出会ったことですかね。育児のために我慢を重ねていたら、いつか自分の不満を子供のせいにしてしまうかもしれないし、子供もそんなお母さんをみて「自分なんていなきゃよかった」と思ってしまうかもしれない。家族はチームであって、親子は主従関係ではない。ゆくゆくは一人の大人として育っていくので、私と娘の人生は切り分けて考えるように気をつけています。私は私の人生の主演女優で、娘の人生の助演女優という感覚です。

試行錯誤の日々ですが、特に子育てへの夫の巻き込み方は意識しています。よく大縄飛びの話に例えるんですけど、2人で200回まで飛ぶことが目標だったとしますよね。妊娠のつわりや出産を経て、母親はすでにひとりで100回飛んで息切れしている状態。でも目標を達成するためには夫に入ってきて飛んでもらわないいけない。

夫からしたら体感もなければ教えてもらう機会もない状況で、どう縄に入っていけばいいかわからないから、ずっと縄の前で待っている。そこで、「早く入ってよ!」と頭ごなしに怒るのではなく、自分も苦しいんだけど、一踏ん張りして入り方を教えて、さらに一緒に飛ぶことを楽しいと思ってもらいたい。短期的にはしんどいけれど、長期的にみると目標達成にむけて一番の近道になります。子育ても同じだと思うんです。

― 旦那さんを子育てに巻き込むために、具体的にどんなことをやったんでしょう?

娘にとって初めてのことはできるだけ夫と共有し、授乳以外のことはお願いしていました。丁寧に教えて、とにかく褒める。どうしてもお母さんのほうが場数を踏むのでスムーズにできるんですけど、それを言ってしまうと、よく仕事でもあるように「自分でやったほうが早い」とお母さんが全て巻き取って疲弊してしまう。

とにかく楽しく巻き込んで褒めて、少しずつ任せることを増やしていく。あと、言語化して伝えることをすごく大事にしています。「このくらい言わなくてもわかってよ」というコミュニケーションは絶対にしない。余裕がないときこそ、してほしいことや自分の感情を言葉にします。そうすると夫も行動に移せるし、習得してPDCAも回し始めてくれるんです。

自分がいないとダメだというのは思い込みで、信じて任せてみれば意外とできちゃう。最初はうまくいかなくてもチームで補おうと努力して、全員が成長する。母親のやり方だけが正解じゃないし、手を抜ける箇所や新しい方法を見つけたりします。自分一人で100点をとるよりも、家族で力を合わせて80点の方がが幸福度は高いな、と感じるようになりました。

ー 素晴らしい巻き込み力。他にも子育てで意識していることはありますか?

友人や同僚などを巻き込んで、コミュニティで育てるということも大事にしています。人格が形成される頃に関わる大人の人数を増やすことで、子供の多様性や世界を広げられると思うんです。親や教師が言っていることを全てだと思って欲しくない。

これは、親だから言い出せないことも言えるような距離感の大人の友人を持つ意味でも重要だと思います。私もいつ死ぬかわかりませんが、子供には現金よりも、親の代わりに信頼・相談できる大人をできるだけ多く残してあげたいなと思っています。

― コミュニティで育てるって大事なことですよね。親になってアップデートされて、仕事への向き合い方はどういう風に変わりました?

ルーティーンを重視するようになりました。子供を産むまでは、時間も体力も全て投入して働くライフスタイルだったんですが、今は生産性意識して、優先順位をつけて捨てることを意識しています。全部やるのは無理なので、限られた時間の中でどう物事を進めていくか、ということはすごく考えています。

また「仕事の自分」と「ママとしての自分」「一人の人間としての自分」というように、役割がいくつかあるので、気持ちの切り替えも上手くできるようになりました。その結果、常に高いマインドセットで仕事に取り組めているので、良い相乗効果だなと思っています。

― スイッチの切り替えってなかなか難しいと思うのですが、気をつけていることはあるんでしょうか?

グレーゾーンは残すようにしています。家族にも仕事の話をするし、職場の人にも子供のことを話す、といったように、架け橋となるものやグレーゾーンは意識的に築いていますね。もし家でスイッチを切り替えられなくても、それを一人で抱えなくていい状態にするんです。

「仕事が忙しいよ〜」と言いながらママをやって、「夜泣きで全然寝れないんです」と弱音を吐きながら仕事は頑張る、といった具合に。複数の顔を持つと、自分しか全てを把握していない状況が苦しくなるときもある。一人のときの2倍以上のエネルギーを使っているのに、各方面で切り取ってみたときには全て60点くらいで不甲斐なさが募っていくと負のスパイラルに入ります。

かっこつけず堂々と弱音を吐きながら、全力でできることをやる。グレーゾーンは残してグラデーションにすると、精神的には楽かなと思います。

ー 適応力や意思決定力のある市原さんですが、生き方において大事にされていることはありますか?

自分で自分を満たすことを一番大切にしています。それを他人に求めてしまうとコントロールできなくなるので、常にモチベーションは自分の中に持っておこうと意識しています。そのために年に一回、家族の協力を経て、仕事や母親や妻という社会的役割から離れてひとりの人としての時間をつくる「母のお暇旅」をしていたりします。

 

将来の理想は「薬草を操る魔女」

TSUMUGIで始めた小田原の畑

― 今後どういう人になっていきたいか、将来の理想を教えてください。

少し遠い将来像だと「薬草を操る魔女」になりたいんです(笑)。授乳中、自分の摂った栄養がそのまま子供に渡って大きくなっていくのを目の当たりにして、家族の体調に合わせたご飯を作れるようになりたいと思い、食養生の料理教室に通って学び始めました。庭にある薬草を煎じて『コレ飲んだら治るよ』って言えるような、生活の知己に富んだ魔女みたいなおばあちゃんになりたいんです。

あとはコミュニティで子供を育てるということを、自分の子育てを通して実験を繰り返して行きたいと思っています。私たちの時代に最適な子育てインフラって何だろう、というのが20代の一つの実践テーマです。

2020年から、友人たちと「TSUMUGI(つむぎ)」というコミュニティを始めました。自分にも地球にも「善い暮らし」を探求し、100年先の未来へつむぐ、食卓を中心とした「生活共同体」。農家さんとパートナーシップを組んで小田原で畑を始めたり、親子でリトリートしたり働くことができる自然に囲まれた暮らしの実験所を葉山で建設中です。

― 仕事では、今後どんなことにチャレンジしていきたいですか?

繰り返しになりますが、20代は自分にできることを引き続き増やし続けていきたいと思います。創業期に参画したNEW STANDARD(旧名:TABI LABO)で、今は広報を担当しているのですが、スタートアップ企業という経営と近い距離で働いているからこそ、経営視点を持ち事業を推進し会社の成長を後押しできる広報になりたいと思っています。

 

取材:西村創一朗(Twitter
写真:山崎貴大(Twitter)、ご本人提供
文:品田知美
編集:ユキガオ
デザイン:五十嵐有沙(Twitter