「ダルい上司の回避法」動画の火付け役!劇団ノーミーツ 作家/演出家・岩崎裕介

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。今回は、劇団ノーミーツ×U29コラボ!今話題の劇団ノーミーツメンバーがユニキャリにやってきました。今回のゲストは、劇団ノーミーツ作家・演出家の岩崎裕介(いわさきゆうすけ)さんです。

CMディレクターとして働きつつ、劇団ノーミーツでは主に短編作品や企業案件の演出、時おり出演もしている岩崎さん。ZOOM演劇 「ダルい上司の打ち合わせを回避する方法」をきっかけに、演出家として活躍の幅を広げています。そんな岩崎さんが映像の世界に魅了された経緯を、幼少期からさかのぼってお伺いしました!

1度のカラオケで覚醒した中学時代

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

劇団ノーミーツで作家と演出家をしている岩崎と申します。

ー本日は、岩崎さんが劇団や映像に興味を持った背景について、過去にさかのぼってお伺いできればと思います!幼少期、印象に残っている出来事があれば教えてください。

13歳の頃、学校帰りに初めてカラオケに行った日を鮮明に覚えてますね。中学の頃の記憶って、そうそう覚えてることないじゃないですか。それでも頭に残っているので、おそらく1つのターニングポイントだったんだと思います。

ーその日のお話を、詳しくお聞かせください。

私はもともと生真面目な人間ではなかったのですが、自営業を営んでいる父、教育者の母のもとで、知らず知らずのうちに感情を抑圧していました。そんなある日、初めて校則を破って学校帰りにカラオケに行ったんです。

最初は「バレたらやばいな……怒られる……」とびくびくしていましたが、カラオケで曲を入れて歌った瞬間、自分の中に本来あった感情が溢れだしました。それ以降は取り繕うのをやめて、欲望に忠実に生きてます。

ーそこで、たがが外れたんですね。

「プツン」と何かが切れるような感覚があって。10年間以上抑圧されていたエネルギーが解き放たれてしまったんでしょうね。

ーご両親に制約されていたことはありましたか?

いえ、両親は基本的にやりたいことを尊重してくれていたんですよ。そこはすごくリスペクトしていて。ただ、やりたいことの選択肢を増やすためには、ある程度いい学校へ行った方がいいと言われていました。両親が慶応大学出身で、母親が教育者だったこともあり、勉強漬けの日々でした。

ーそれが1回のカラオケで一変したんですね。

そう、壊れてしまって。悪友に連れられ学校帰りにカラオケに行ってからは、一切勉強せず毎日狂ったように遊び、刹那的に生きていました。

オーストラリア留学を経て、慶應義塾大学を目指す

ー中学時代に覚醒した岩崎さん。高校時代はどのように過ごされていましたか?

小中高一貫の男子校に通っていたのですが、そこはサッカーの名門校で、スポーツのできる人が最強だという構図ができあがっていました。スポーツに興味がない人は、どうしても音楽や服などのカルチャーにのめり込むしかないんですよ。私も同様に体育会系のノリに馴染めず、趣味に時間を費やすようになりました。

当時は服が好きで、原宿のファッションサークルを見つけたので参加して。ちょっとだけお邪魔するつもりが、ドハマりしたんです。私と同じように、奇抜でアウトサイダーな人たちが集まっているのが居心地良くて。そこで出会った友達は今も仲が良いですね。

ーそうなんですね。服が好きな子が同じ学校にあまりいない環境で、ファッションに興味持ったきっかけは?

中高生の頃は、目立ちたい、ちやほやされたいという気持ちが強くて。「俺はみんなとは違うんだ」という自意識から、派手な服を好んで着ていました。主張性のあるものを直感的に選んでいたので、逆に流行のものには興味がなかったです。

ーピンときたものを買って着ていたんですね。ファッションに没頭していた高校時代、大学受験の時期が迫ってくると、どのように活動されていましたか?

両親からは慶応大学を勧められていましたが、努力はしたくなくて。慶応の中でも、1番簡単に行けるのは文学部だと思いました。慶応文学部の受験は、小論文と英語と世界史の3教科だけなんですよ。

母親が英語の教師で、日々教えられていたので、英語は高1の段階で慶応に受かるレベルになっていて。「英語はノー勉でよくて、小論文はセンスだけでいけるし、あと世界史頑張れば行けるじゃん!」と思い、慶応文学部を受けることしか考えてなかったです。

ーそんなに英語が得意だったんですね。

中学1年から、母親に死ぬほど教わりましたからね。突然「オーストラリアの現地校に行ってこい」と言われて、実際に留学したこともありました。ライオンが子を崖から落とすような感じですよね(笑)

ー英語はまだ習得されてない段階で行かれたんですか?

もちろんです。最初はビビってましたが、なんとか英語を学んで無事に帰ってこれました。今振り返ると、オーストラリアへの留学経験で培ったのは英語力ではなく、切り開いていく力だったかもしれません。

人と話すのはもともと好きだったので、英語が話せなくても「行ったれーーー!!!」っていう度胸はつきました(笑)

演劇と出会い、 “人” に魅了された大学時代

ー海外で力をつけた後、無事に慶応大学へ入学されたんですよね。大学ではどのように過ごされていましたか?

高校3年まで目立ちたがり屋だったので、大学入学前にはファッションショーの演出やモデル、バンド、お笑い、ダンス、DJなど、いろいろ経験して。オンステージが好きだったんですよ。

大学入学後、クラブイベントをやっている演劇のチラシを見て。「舞台でまだ演劇やったことないし、DJできるんだったら入ってみるか」と行ってみたら、DJなんて誰もやってないサークルだったんですよね(笑)

「しょうがないから演劇やるか」ってなって、そこで出会ったのが劇団ノーミーツ主宰の小御門優一郎(こみかどゆういちろう)と、The Breakthrough Company GOプランナーの飯塚政博(いいづかまさひろ)です。

ー小御門さんと飯塚さんと初めて会ったときはどんな感じでしたか?

会ってすぐ打ち解けました。みんなひねくれてるんですけど、笑いのツボが近くて。3人だけずっと笑ってて、あとはみんな真顔みたいなことがけっこうありましたね(笑)

ー運命的な出会いだったんですね。サークルでの活動はハードでしたか?

半端ないペースで演劇公演を打っていたので、バイトもせずに毎日稽古してました。なんとかお金を稼ぐために、合間を縫って日雇いの仕事やライター活動をしてましたね。

ー大学までは演劇をされてこなかったと思うのですが、なぜそこまで演劇に没頭できたのでしょうか?

答えはシンプルで、 “人” に起因しています。私は昔から人が1番好きだったので、何をやるかではなく誰とやるかが大事で。「こいつらと一緒にずっとなんかやってたいな」みたいな気持ちが強かったですね。

だからもし小御門と飯塚がスキューバダイビングのサークルにいたらスキューバダイビングしてるし、カバディのサークルだったらカバディしてるし、ゴミ拾いサークルだったらトングでゴミを拾ってたかもしれないです(笑)

ー岩崎さんの中で、 “人” が根っこにあるんですね。

まさにそうです。「この人のためなら。この人の力になりたい」という気持ちが1番の原動力ですね。

ー大学に入るまでは自意識がキーワードでしたが、入学後は矢印が外側に向き始めたようなイメージを持ちました。何かきっかけはありましたか?

高校までは謎の自信があって、世界で1番自分が面白いと思ってたんですよ。けど、慶応大学には化け物級の人たちがたくさんいて。「俺って取るに足らない存在だったんだ」と自覚しました。

あと、演劇を通して作ったものをアウトプットした後のリアクションを見るのがすごく楽しくて。以前までは自分ありきでしたが、「自分がいかに存在感を出しても死んだら終わりだし、影響を与える方が重要じゃない?」と思うようになりました。

あるCMをきっかけにCMディレクターを志す

ー今までのお話で、大学時代は演劇で彩られていたことがわかりました。次のフェーズとして、就職活動ではどんな業界を見ていましたか?

もの作りは続けたいと思っていたのですが、演劇の道に進もうとは思っていませんでした。

ーそれはなぜでしょうか?

リアリティとか普遍性に1番興奮するからですね。舞台があって、その上に人がいて、何かをやっている時点でリアルじゃない。演劇よりも映像の方が、目の前にあるものを切り取っているだけなので、やりたいことをやれそうだなと思いました。

あと演劇は、多くの人に見てもらえないのが悲しかったんですよね。箱の中で終わってしまう刹那的で儚いものなので、映像業界に行きたいと思いました。

「CM制作とかいいじゃん。けどCMってどうやって作るんだっけ?」とネットで調べているときに、あるCMと出会い衝撃を受けたんです。そのCMを見て、「俺はきっとCMの監督になるんだ!」とビビッときました。

ーどんなCMだったのか、教えてください。

関西電気保安協会のCMです。おじいちゃんがカメラに向かって、「はい、山田さんのお宅では、ビリビリするとこがありっ……ないのでよかった」って言うだけなんですけど、企画としてしっかり成り立っていて。

電気保安協会の人って、家に入ってくるじゃないですか。だから生活者に安心してもらう必要があるんですよね。安心させるためには電気保安協会の方の人間性を見せる必要があるから、人柄だけを見せようっていう理屈が理知的でゾクゾクしました。

ー私も関西電気保安協会のCMみたことあるのですが、そういう意図があるんですね……!

ありのままを見せていますよね。人間も弱さを見せたほうがチャーミングに見えるんじゃないかな。

ー等身大のほうが心に刺さることもありますよね。それから就活を経て、実際にCMディレクターに就かれたと思いますが、CMを作ることは面白いですか?

めちゃめちゃ面白いです!東北新社でCMディレクターとして働かせていただいてて、仕事がつらいと思ったことはほぼないですね。単純に忙しいとかはありますけど、精神的に追い詰められたことは一瞬もないです。適職なんだと思います。

劇団ノーミーツに加入し、「ダルい上司の回避法」動画が誕生

ー現在、東北新社で働きながら劇団ノーミーツに関わられてますよね。どういう経緯で劇団ノーミーツに加入したのですか?

小御門とは大学を卒業してからも仲が良くて、コロナ禍も連絡を取ってて。「最近ノーミーツっていう劇団始めたから、役者として出てよ」と言われ、最初は役者として関わっていました。

ーZOOM演劇「ダルい上司の打ち合わせを回避する方法」はどうやって生まれたのでしょうか?

ある日小御門から「何かアイデアちょうだい」と言われて。「会社でだるい打ち合わせがあってさ。参加人数いっぱいいるから、うんうんってうなずいてるバーチャル背景にしようかと思ったんだよね」と話すと、小御門が「いいじゃん、それで動画1本作れそうじゃん。岩崎が仕切って作ってみてよ」と言ってくれたんです。

その後すぐに動画を撮影し、YoutubeにアップしたのがZOOM演劇「ダルい上司の打ち合わせを回避する方法」。次の日、朝起きて再生数を見たらとんでもないことになってて。その動画をきっかけに、劇団ノーミーツに矢継ぎ早に制作依頼が来るようになり、企業案件は私が企画演出することになりました。

ー岩崎さんも、みなさんも、本業がありながらそんなに劇団ノーミーツに没頭しちゃうのはなぜ?

みんな根底に、「誰もやってないことをやってやるぜ!」といういうマインドがあるからだと思います。劇団ノーミーツにはアイデアマンが多くて、各方面に人脈があるので、案件が増え続けているんですよ。

溢れて止まらないのでリソースが足りなくなって、新しい人に手伝ってもらって、そのままメンバーに加わってもらうというのを繰り返し、今は総勢20名以上います。『ONE PIECE』で仲間がどんどん増えていく感じと似ていますね。

ー20名以上のメンバーがいるとのことですが、動画がアップされる頻度が高いことには驚かされます!

休む暇がないですね。みんな心のどこかに「続けることの大切さ」みたいなものがあるんじゃないかな。ノーミーツは時代性を反映していますが、コロナ禍における劇団というイメージが強いと思っていて。「コロナが収まっても活躍していけるか」という焦りはあるんじゃないですかね。

最近はZOOM撮影から離れて、本格的に撮影をすることもあります。ただバズ動画を作っている人たちで終わりたくないんです。

ー今後ノーミーツ2.0、3.0とアップデートしていくんですね。劇団ノーミーツさんの動画を見ると、世間一般的にNGなことを、コミカルに表現されているように感じます。

私も欲求のままに生きている人間なので、「客観的に見たら少し変なところを許してほしい。逆に僕は全部許すから」という気持ちがあるんです。

人の本質を見てあげることが、人生のテーマとしてありますね。「それでいいじゃん。恥ずかしくないよ、みんなそうだから」と、弱さを肯定することが生きがいなので。

ー素敵ですね。最終的にどんな人生を送りたいですか?

好きな人と好きなことだけをして生きていける状態を作りたいですね。バイブスが合う人と同じ方向を向いて、一緒に肩を組んでやりたいことを伸び伸びとやって、そのまま死んでいくのが夢です。

ー岩崎さんの今後のご活躍、劇団ノーミーツの益々の繁栄をお祈りしています!本日はありがとうございました。

取材者:山崎貴大Twitter
執筆者:もりはる(Twitter
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter