大学入学後にキッチンカー運営に挑戦! 自身が抱いた興味や違和感を原動力に行動し続ける 山田 璃々子の生き方とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第231回目となる今回のゲストは、慶應義塾大学に通いながら学内キッチンカーを運営されている山田 璃々子さんです。大学入学後にキッチンカーあったまるを立ち上げ、現在はお茶の販売や産地への訪問など多岐にわたり活躍されている山田さんにキッチンカーあったまるの誕生からコロナ禍での活動、さらには自身が大切にしている考えをお話しいただきました。

自分自身がほっとする場を欲していた

ーまずは自己紹介をお願いします。

慶應義塾大学2年の山田 璃々子です。私は、大学でキッチンカーあったまるというキッチンカーを中心としたほっとする空間をつくっています。その他に自分でお茶について調べ、生産者さんに直接お話を聞きに行くなどお茶にまつわる活動をしています。

ー大学ではどういったことを学ばれていますか。

ランドスケープと呼ばれる分野の勉強をしています。主に、フィールドを調査し、建物や周辺のまちの在り方を提案しています。最近は、人々がまちについて語るアーバンデザインセンターを京都の宇治に作るということで、そのためのフィールドワークをしていて、そこでお茶農家さんにお話を伺いました。

ーアーバンデザインセンターでお茶農家さんに出会ったのですね。

あったまるで販売しているお茶とは別ですが、まちの方にお話を伺う一貫で出会ったお茶農家の方がもっとお茶を深めたいと思うきっかけを与えてくれました。ちなみに、元々このゼミを専攻しようと思ったのは、キッチンカーを中心とした空間をつくっていたこともあり、空間づくりについてしっかり学びたいからでした。

ーキッチンカーについてもお聞きしたいのですが、「あったまる」はどこから着想を得たのでしょうか。

大学に入学したときに、私は直感でほっとする場所が欲しいなと思いました。大学の特性上、ひとりひとりの時間割が異なっているため、授業から授業への移動は盛んにあるものの、何か立ち止まって休む時間を自分も含めて取れていないと新入生ながら感じていました。そこでどうすればよいのか考えたときに、夕方頃、大学構内に並ぶキッチンカーの周りで学生が4~5人立ち話している姿を見て、ここに椅子があったら人が来てほっとする空間になるのではないかと思ったのがきっかけで始めました。

始めるときに名前をつけようと一緒にキッチンカーを運営している子と話をしていて、心身が温まるほっとする空間を作りたいという意味、たまたまそこにいた人同士が話をして気付いたら輪(=丸)ができているという意味を込めて「あったまる」と名付けました。

直感を大切にして大学を選ぶ

ーここから過去のお話を伺えればと思いますが、ご出身はどちらでしたか。

出身は兵庫です。
両親の仕事の都合上、福岡に一時住んだこともありますが、小学校の途中から家族全員で東京に暮らしています。

ー転勤が多いとその土地に慣れることは難しいと思いますが、その点はいかがでしたか。

大変ではあったものの、次第に適応能力がつき、どんな新しい場所でも自然体でいられるようになりました。結果的に3つの小学校に通うこととなったのですが、学校が変わった時は友人関係よりも新しい環境に慣れるまでに体を壊してしまうことがありました。

ー人間関係よりも住んでいた環境に影響されたのでしょうか。

それもありますし、幼かったのでなぜ私だけ転校するのか?という思いがありました。
毎日行っていた場所や会っていた人から離れるのは嫌で、せっかく生やした芽がすぐに飛んでいくことが繰り返されていました。

ーどんな学校生活を送っていましたか。

小中高一貫の学校に通っていて、中高時代はミュージカル部に入り、朝昼放課後は部活という生活をしていました。

ーその後、大学はどのような基準で選びましたか。

もともとは理系の科目が好きだったことから理系の大学に進もうかと漠然と思っていました。しかし、進路相談会の時に当時私が目指そうとしていた学部の先輩が急遽来れなくなり、高校時代の担任の先生が私を慶應の環境情報学部(以下、SFC)の枠に入れてくれたんです。その時に見たSFCのホームページの様子に一目惚れして、ここに行こうと決めました。

いつも直感を大事にしているのですが、幼少期から海外の映画を見ながらみどりに囲まれた大学に行きたいと両親に話していたので、SFCの環境にビビッと来たのだと思います。兵庫に住んでいた時の家の周りに川やみどりがあり、毎週末に父や兄弟と虫取りや川遊びをしたりとしていたことでいつのまにかみどりのある空間好きになっていました。

違和感がきっかけでキッチンカー「あったまる」がスタート

ー大学入学前と実際に入ってからはどういった違いを感じましたか。

大学に入るまでの私のイメージはまさに大学のホームページで、原っぱで学生が会話をしたり、一人一人の強みを生かしあってどんどん新しいプロジェクトが生まれるイメージでした。しかし、実際に大学に入ると、入学前にイメージしていた学生像に自分自身がなれていなかったと実感しました。学校の授業が終わるとすぐに帰るだけの生活になっていて、大学は勉強するだけの場所でないという思いから、この環境を変えるには自分でやるしかないと思いました。
そこで、キッチンカーを活用した空間をつくりたいと様々な人に話をしていたところ、同じようにキッチンカーをやってみたいという子に繋いでもらい、一緒に活動をすることになりました。

私はサークルにも所属していましたが、何か共通項を持った人が出会う場所はサークルで補えるものの、偶発的な出会いは共通の場所でない方がいいのではないか、食べることは誰もが関心があるのではないかと思い、キッチンカーを用いました。

ー「共通項のない人たちが集まれる場所があったらいいのでは」という考えに至った経緯を教えてください。

SFC生がいろいろな活躍をしているのは大学前から知っていたので、いろいろな人を知りたいと思ってたのと、たまたまの出会いがきっかけでキッチンカーを始めたので、決められた出会いではなくたまたま今日ここにしかない空間を作りたかったんです。

ーキッチンカーを学内で立ち上げる上で、大変だったことを教えてください。

最初にどうすればいいのか分からなかったため、学校側に相談したところ、学内に出しているキッチンカーの人に話してみてくださいと伺い、キッチンカーを運営されている方に相談しました。すると、ありがたいことに協力するとお話しいただいたので、翌月からキッチンカー運営を始めようと思っていました。

しかし、学校内で食品を出すことにハードルがあったり、食中毒といった学生では責任を負いきれない問題もあり、学校側は難色を示していました。そこで、私は食品衛生責任者の資格を取得し、キッチンカーを運営されている方にご協力いただき、料理を作るところはキッチンカーの方にお願いし、料理提供や空間づくり・企画を私たちが行う形で役割を調整をし、学内でキッチンカーを運営できることになりました。

最初は、自分たちでキッチンカーを買って、料理を一から作るものだと想像していましたが、全て友人と二人で出来るわけではないと実感したことで、私たちに協力してくださった方々の存在が大きいなと思うし、何度も学校側に私たちの思いを伝えたことは貴重な経験だったと今振り返ると思います。

ー学校の学内発表をしたとお聞きしました。大学内でも活動が認められるようになったのではないでしょうか。

あったまるは、直感的に始めた活動で、徐々に育てていった活動でした。
大学入学直後は、休み時間という時間はあるものの移動するための休み時間でしかないと感じていまた。ホッとする空間でたまたま出会った人と話したり、学校に来て良かったと体感してほしかったんです。
どうやって進めていけばいいか手探りでしたが、やってきたことを言語化し、今年の11月の学会でアウトプットしたのは貴重な経験で、結果的に奨励賞をいただけたことはすごく嬉しかったです。

コロナ禍で「あったまる」を通してやりたいことを再考する

ーコロナ禍で環境が変わったかと思いますが、どのように対応していきましたか。

キッチンカーあったまるという名称ながらキッチンカーを出せない状況となり、キッチンカーを通してやりたいことは何なのかを考え直す期間になりました。その時に、根本にあるのはほっとすることで、ほっとするための1つの方法がゆるい関わりをつくることだと思いました。

授業やプロジェクトでの人との関わりは、何かを成し遂げるという目的に向かう上での関わりですが、目的のないゆるく関わり合う空間を作ることがほっとする1つの要素で、ほっとする空間はどうしたら作れるのかということをずっと考えていたのだとわかりました。そこで、ほっとする場を作るためにオンラインでお茶を販売したり、SFC生限定で週末ストレッチ会を毎週末オンラインで行っていました。

ーキッチンカーでの関わり合いは副次的なもので、ほっとするというところにフォーカスをしてコロナ禍でも活動されていたのですね。

あったまるの活動は、コロナ禍になってからより必要性を感じる側面がありました。コロナによる自粛期間は、大学の授業もオンラインになり、意識的に休憩をとらないと休むことができないと感じていました。今までは学校へ通学している時間にぼーっとできたものの、コロナ禍では家の中で1日中過ごすことが多くなり、ぼーっとする時間を作りにくくなってしまったので、お茶を淹れている時間だけでもほっとできたらいいなと考えました。

さらに、一人一人がフランクに今日あったことを話せる空間が欲しいなと思い、週に一回ストレッチ会やお茶会も設けました。1週間頑張ろうとみんなで励まし合う風土が作れたらと思いながら活動していました。

ー先ほどのお話から出てきている、お茶との出会いについて教えてください。

茶道は、父の親戚がやっている姿を見て、憧れを持っていました。
私の性格上、何かに没頭するとほっとする時間や自分を整える時間を後回しにしてしまうので、大人になっても続けられる趣味をつくりたいなと思い、茶道部に入りました。

ーその後、茶葉の開発もされるかと思いますが、そのきっかけを教えてください。

茶道を始めてみると、茶道の精神だけでない1杯のお茶がつくりだす空間に感動し、その感想を知人に話した時にお茶で起業されている方と出会いました。

コロナ禍のタイミングでその方にお茶で何かしたいとお話ししたところ、一緒にやってみようということで農家さんを繋いでいただき、農家さんと一緒にお茶をプロデュースして販売することになりました。

ー茶葉を作ることは、具体的にどんなことを考えながら進んでいくのでしょうか。

静岡の農家さんと一緒に行なったのですが、地形的に育てやすいお茶の種類は決まっていて、それをどのようにして消費者に届けるかを私たちは考えました。

キッチンカーの活動が足止めになっていたこともあり、コロナ禍で出来る事がないかを探していたときに、家の中でほっとする空間や時間を作ることはできると考え、お茶の商品名や販売方法、購入用途などを友人と考え、実行しました。

お茶の名前を“環”と名付けましたが、そこには「輪」という意味が込められています。あったまるとお客さんの輪、生産者さんとお客さんの輪、さらにはお客さんが大切な人や今会えない人のための贈答用にこのお茶を通してその人との輪を作って欲しいという思いがあります。

自分のために気になることはまずやってみる

ーあったまるの活動以外に司会業や執筆業など多方面でも活動されていますが、一貫して大切にしていることがあれば教えてください。

気になった事があったらやってみたいというのが根底にあり、これまでの人生を振り返るとやってみないと分からないことがたくさんあると感じました。中高時代に入部したミュージカル部も直感で入るなど、いつもワクワクする気持ちに従って過ごしていました。あとは、誰かのために何かがしたいという原動力よりも自分のためにやっている活動が多いです。

ほっとする空間は、今では誰か(学生)のためとなっている活動のようにも見えますが、最初は自分がそういった場が欲しくて始めましたし、司会のお仕事や声を使うお仕事も自分のワクワクが起点になっていて、好きを重ねていく方が私は過ごしやすいなと感じています。また、自分のことを大切にできれば自ずと他人のことも大切にできるのではないかと信じています。あったまるの活動も1人1人にほっとする時間を通して、自分を大切にすることを知って欲しく、つい頑張って自分をすり減らして頑張っている人に届けたいです。

ー最後に、山田さんの今後のビジョンを教えてください。

お茶の生産者さんと実際に会った時に、お茶にはそれぞれ個性があると感じたので、これからは研究として生産者さんにお話を聞いたり、どのようにしてこのお茶が生まれたかを調査していきたいと思っています。
あったまるの活動もコロナ禍に合わせて、学校でのほっとする空間よりも家でほっとする空間に変わっていくと友人とも話していますが、暮らしを探究する上で私はお茶という方面からあったまるに貢献できたらと考えています。

ー大学入学前と入学後のギャップや環境を自分で変えていく姿勢が素晴らしいと感じました。
今後の山田さんのご活躍を応援しています!

取材者:中原 瑞彩(Twitter)
執筆者:大庭 周(Facebook/note/Twitter
デザイナー:五十嵐 有沙 (Twitter