様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第191回はシンガーソングライターとしてアーティストーネーム「だいてぃー」で活動されている菅井大地さんです。大学1年までは陸上にずっと取り組んできたというだいてぃーさん。新卒で入社した会社を1年で退職後、音楽活動をはじめたきっかけは音楽には「心震える瞬間があったから」だそう。そんなだいてぃーさんの幼少期から今までのお話を詳しくお話いただきました!
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もともとは陸上少年だった
ー現在のお仕事について簡単に教えてください。
だいてぃーという名前でシンガーソングライターとして活動しています。2018年に脱サラし、路上ライブから音楽活動をスタートさせました。コロナ前はライブハウスでの活動を中心にしていましたが、現在はYouTubeにカバー動画をアップしたり、オリジナルの楽曲制作を中心とした活動を行っています。
―まずは現在のだいてぃーさんが形成されるきっかけとなった出来事について過去に遡ってお聞かせください。どのような幼少期を過ごされていましたか。
大学進学を機に神奈川に引っ越すまでは山形県米沢市で育ちました。小さい頃は野球・サッカーなどのスポーツに打ち込んだり、夏はラジオ体操をさぼりって代わりにカブトムシを取りに行ったりするような少年でした。地方の、狭いコミュニティで育ったので、ラジオ体操をさぼるとすぐバレテしまい怒られていましたね(笑)
―幼少期はかなりアクティブに過ごされていたのですね。
そうですね。中学1年からは陸上をはじめたました。大会で記録を収めたことがきっかけで市の陸上クラブに声をかけていただき、中長距離選手として陸上に取り組んでいました。本当は姉がバスケをやっていたので「自分もバスケをしたい!」とはじめは思っていたのですが、気づいたら陸上で良い成績を収めていたので陸上をやることになっていました。両親からは「何か頑張れるものを見つけなさい」と言われていたので、陸上を続けていただけで特に陸上が大好きだった訳では正直なかったです。今思えば、陸上はただ走るというとてもシンプルな競技なので、それが自分には合っていたんだなと思います。
憧れは今も昔もUVERworld
―音楽はいつ頃から興味を持たれたのですか。
姉がジャニーズ好きでKinKi Kidsのファンだったので6歳頃はよくKinki Kidsの曲を聴いていた記憶があります(笑)音楽を聴くのは好きだったので、小学5年生頃にはMDプレーヤーを買い、J-POPを中心に聞いていました。
その後中学1年頃にWALKMANをゲット。週刊少年ジャンプなどの漫画のアニメの主題歌などから派生して、YUIやAqua TImezなどを好んで聞いていました。そして中学2年の頃、今も大好きなUVERworldに出会いました。
―UVERworldがお好きなんですね。
はい。中学2年からはバンドミュージックを中心に聞いていたのですが、中でもUVERworldが一番好きでした。初めて聞いたときはただかっこいいと思っていただけでしたが、「Roots」という曲を聴いた時に歌詞カードを見て、言語化できない感動を味わいました。またUVERworldはライブのMCが良いと評判だったのでライブにも行ったのですが、感動して初めてライブで泣いてしまいました。それ以来、ポップすぎず、メジャーな番組でも使用されていて身近だけど、深みのあるUVERworldが大好きなんです。
―音楽を聴くのは幼少期から好きだったようですが、ご自身が音楽を作ったり弾いたりというのはいつ頃からされたのですか。
中高時代は部活に打ち込んでいたので文化祭でバンドを結成してボーカルとして歌を歌う程度でした。歌うのは好きでしたが、音楽を作ろうとかギターを弾こうとまで思ったことはなかったです。ギターを弾き始めたのは大学2年生になってからでしたね。
―そうだったんですね。何がきっかけでギターをはじめられたのですか。
先生になりたいと思っていたので教員免許を取るために大学進学を決めたのですが、せっかくずっと陸上をやっていたので箱根駅伝で走ってみたいと思い、箱根駅伝の常連大学に進学を決めました。
しかし、大学1年で陸上に対する思いがプツンと切れてしまったんです。そこで残りの大学生活で何をしようかと考えた時に、音楽が好きだったのでギターに挑戦してみることにしました。事前によく考えて準備するよりも、走りながら考える派だったので、とりあえずギターを買いに行きました。その時にお手頃な価格のものから高級ギターまで、ギターの音色の聞き分けをさせてもらったのですがやっぱり高いギターの音色がとても良くて…結局その場で35万円のギターを分割払いで買ってしまいました(笑)
―35万は大きな買い物ですね!
友人からは「初心者が初めから35万円のギターを買うなんてありえない!」と言われましたね(笑)でもそれだけ大金をはたいて買ったので、きちんと練習しよう、ギターを続けようという思いは芽生えたのでよかったです。
―ギターは独学で習得されたのですか。
ギターを持っている人たちにいろいろ聞いてみたところ、一番早いのは軽音部に入ることだと教えてもらったので、大学にあった軽音サークルに入ることにしました。初めはコードも全然押さえられませんでしたが、サークルの練習会に出席したり、上手な先輩に教えてもらったりして少しずつ弾けるようになっていきました。
就職するも1年で脱サラを決意
ー卒業後の進路についてはどのように考えられていたのでしょうか。
先生になることを大学入学時は目標にしていましたが、音楽含め、その他の選択肢を模索していました。両親から「ちゃんと会社に入社して働いてほしい」と言われていたことや、企業で働いた経験がないのにサラリーマンは自分に向いていないと決めつけるのは違うと思い、就職することにしました。
―どのような会社に入社されたのですか。
文系だったのですが、IT系企業にシステムエンジニアとして入社しました。研修を受けて勉強しながら働けるという恵まれた環境でしたが、上司や数年上の先輩を見た時に、ありたい数年後の自分と全く違うことにがっかりしてしまったんですよね。入社半年程度で、ここで働き続けたいという思いがなくなってしまい、退職しようと思ったのですが資金もなかったので、結局1年間働かせていただきました。
―退職時には具体的に何をすると決められていたのでしょうか。
バイトしながら音楽活動をしようと漠然と決めていた程度でした。会社を辞めようと決めてからは情報や手段を見つけるために積極的にいろんな人に会うようにしていましたね。ブロガーなどの仕事で独立している方に会う中で、食べていくための手段は会社に所属することに限らないなというのを改めて認識することができたのがよかったです。
そんな中、たまたまバーを経営されている方にお会いさせていただいたのですが、その方が海外での路上ライブ経験者で、「ドイツに一度路上ライブしに行ってきたら?」と勧められました。
―ドイツ、ですか。
はい。アメリカに行く日本人は多いので、どうせ海外に行くなら言語の通じない国に行った方がいいという事と、ドイツは日本と生活水準が近い国なのでギャップが少ないだろうというのが理由でした。
―実際、ドイツに行かれたのですか。
退職後1ヶ月、1人でドイツ・フランス・チェコに行ってきました。チェコに着いてからカードが使えないことに気づき、泊まるホステルの代金を稼ぐために路上ライブを行いました。何も得ずに帰る訳にはいかないという気持ちがあったのであの時は必死でしたね。
たまたま周辺国から来ていた修学旅行生が路上ライブを聴いてくれ、一人がチップとして日本円で2000円程をくれたのを皮切りに他の人たちもチップを入れてくれました。その結果その日は2~3時間の路上ライブだけで1週間分のホステル代を確保することができました。この時の経験が今でも自信につながっています。
コロナ禍の音楽活動。路上ライブできる日を楽しみに。
―その後日本に帰国されたかと思いますが、帰国後のプランは決められていましたか。
帰国後どうするかは決めていなかったのですが、とりあえず埼玉の家から中野のシェアハウスに引っ越しし、中野で路上ライブをはじめました。また、オリジナル楽曲の制作をこの頃からはじめたのですが、それをきっかけに知り合いの方からバーで歌わないかと誘っていただきました。
―少しずつ活動の幅を広げられたのですね。
そうですね。2019年6月にはワンマンライブを行いました。オリジナル楽曲を増やし、集客から企画まですべてを自分で行ったワンマンライブには約40人の方に来ていただくことができました。しかしライブハウスでの活動が中心となりつつあった頃、コロナの影響で4月以降は全て中止に。シェアハウスの友人から「これを機会にYouTubeはじめてみたら?」と提案され、YouTubeでの発信をはじめてみることに決めました。
―YouTubeでの発信をはじめてみていかがでしたか。
ライブハウスで演奏する場合は準備などはライブハウス側がやってくださるので指定された時間に行って歌うだけでしたが、YouTubeは動画編集を含め、全て自分でやらなければいけないので正直大変でした。かなりの時間をかけてYouTuberの方たちが動画を上げていることを知り、改めてすごいなと思いましたね。
―コロナでできることが限られており大変かと思いますが、どうやって日々モチベーションを保たれていますか。
自分がやりたいことを大学卒業前にすごい考えたのですが、シンプルに「心が震えることをやり続けたい」と思ったんです。音楽には心震える瞬間が多くあり、生きていると実感できるところが好きです。音楽は僕にとってやめたくてもやめられないもの。だからコロナの影響を受けてもやめることはありません。むしろその経験を活かした曲をもっと作っていきたいと思っています。
―最後に今後の目標や夢があれば教えてください。
UVERworldと対バンするのが長年の夢です。でもUVERworldを超えることが目標ではなく、自分にしか書けない自分の過去や思いを活かした曲を書き続けることが目標です。直近ではオフラインの活動が制限されていますが、もう少し落ち着いたらまずは路上ライブを再開したいです。やっぱり路上ライブではお客さんとの距離感が近くて楽しいので早くやりたいですね。また海外に行けるようになったらもう一度海外に路上ライブをしに行き、自分の中に沸いたものを回収し、楽曲作成に活かしたいと思っています。
それまでは、オリジナル曲を中心にYouTubeの更新を続けること、SNSを活用して僕のことをより多くの人に知ってもらえるように頑張ります。ぜひ一度YouTubeをのぞいてみてください!
取材者:山崎貴大( Twitter)
執筆者:松本佳恋(ブログ/Twitter)
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter)