様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第175回目のゲストは、全員参加型のサッカークラブEdo All Unitedで運営責任者を担当している奥山大さんです。
大学時代に慶應義塾大学の体育会サッカー部でマネージャーを務めるほか、一般社団法人ユニサカを立ち上げて代表理事として活動するなど、サッカーに人生を注げてきた奥山さん。その行動力の裏側にはどのような思いがあるのか、お話を伺いました。
「サッカークラブを作りたいです」の一声が人生を変えた
ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。
奥山大です。先日、慶應義塾大学を卒業しました。現在は、本田圭佑さんが発起人を務めるEdo All Unitedという全員参加型サッカークラブで運営責任者をしており、東京都4部リーグ(J10)から活動をスタートさせています。
ー運営責任者をしているんですね、すごい…。どのようなきかっけでEdo All Unitedに出会ったのですか?
本田圭佑さんにTwitterでDMをしたことがきっかけです。昨年12月に、本田さんが「お金を払ってでも、サッカーを学びたい人はいないか」とTwitterで発信しており、しばらくの間、DMを開放していたんです。そのタイミングで「僕、サッカークラブを作りたいです」とDMを送りました。
(↑実際のDM)
1,500件ぐらいDMが届いたらしいのですが、無事返信をいただいて「直接会いましょう」と言われました。じつは本田さんもクラブを作る構想があったらしく、結果的に「一緒にやりましょう」という流れになったんです。そして、その2週間後にはEdo All Unitedを立ち上げることになりました。
ーすごい行動力ですね! 「クラブチームを作りたい」という思いはいつごろから描いていたのですか?
本当に最近で、大学3,4年生になってからです。小さいころから漠然と「自分が夢中になれるサッカーで勝負したい」という思いがありました。また、今までリーダーになる機会が多かったので、コミュニティ作りにも興味があったんです。なので、サッカークラブを作るべきなのではないかと思いました。
ーそう考えると激動の1年ですね。この短期間でどのような動きをしたのですか?
本当に0からのスタートだったので、チーム登録から始めました。2020年1月に登録をして、そこから選手をトライアウトで集めて、という流れです。あとは、全員参加型を掲げているので、活動の基盤となるオンラインサロンを2月に立ち上げてから練習をスタートさせました。
ークラブチームを立ち上げるにあたって、オンラインサロンをやるのは珍しい取り組みですよね。どのような経緯でアイディアが出たんですか?
サッカークラブでは「現場」「経営」「ファン」の大きく分けて3者が存在していて、一致団結することが理想です。しかし既存のクラブのなかで、この3者が本当の意味で1つになっている例をあまり見たことがありません。
実際、Jリーグが地域密着を掲げていながらも、東京にいるサッカー少年もヴィッセル神戸のイニエスタ選手のユニフォームを着てサッカーをしていますよね?
そこに課題意識を持ったので、全員がクラブのオーナーになれば一致団結するのではないかと思い、世界中にリーチできるオンラインサロンを主軸とした全員参加型のクラブを作りました。
ーなるほど、そうだったんですね。実際に運営をしてみて、全員参加型ならではの難しさはありますか?
すごく難しいですよ。僕たちのサロンでは「みんなで一緒に作る」ということだけを決めているので、あとは各々でやってくださいというスタンスです。月に1万円、もしくは5万円を払いながらも、SNSを運用したりとか、写真を撮りに来るなど、お金を払って仕事をしてもらうことになります。
なので、こちらから「これをやってください」とか、そういうトップダウンな関係性だと上手く回りません。ただ、その一方で、ある程度のスピード感を持って事業を進めていく必要があるので、その点は本当に難しいと感じています。
サッカーを始めたきっかけは、ナンバー1になるため
ーもともとは、どのような経緯でサッカーを始めたんですか?
小学生のときに、みんながサッカーをしていたので自分もやりたいと感じたのがきっかけです。日韓ワールドカップがあって、サッカーがかっこいいとされていた世代なので、誰よりも上手くなってナンバー1になりたいと思っていました。
ただ、ずっとトレセン(地域の選抜チーム)に選ばれてステップアップできたわけでもないし、チームとして全国レベルで活躍できたわけでもありません。だんだんと上には上がいると感じるようになって、サッカー選手としてナンバー1になれるビジョンが見えなくなりました。
ープロになれないと感じるとスポーツから距離を置く人も多いですよね。そんな中で、サッカーに対する思いを持ち続けられたのはなぜですか?
勉強もそこまで苦手ではなかったのですが、特別に好きというわけでもありませんでした。なので、自分からサッカーをとったら何も残らないのではないかと思い、当時は「何者でもない自分」という現実から目を背けるようにサッカーに励んでいました。
「自分の育てたい種を探せ」その一言がきっかけで、大学進学を決意
ーもともと大学に行くつもりはなかったとお伺いしたのですが、本当ですか?
そうですね。大学に進学していない両親や祖父母が幸せに生きているのを見て、必ずしも大学に行く必要はないと考えていました。僕の入学した高校は大学進学率の高い高校でしたが、その当時も大学に行くつもりはあまりなかったですね。
ーどのようなきっかけで大学に進学することになったんですか?
時々行われる進路志望調査で「大学には行きません」みたいなことをみんなに隠れてこっそり書いたりしていました。それを見た担任や進路指導室の先生方が「考え直せ」とよく言っていたのですが、それも基本聞き流していたんです。
しかし、ある日、英語の先生に職員室に呼ばれて「君は大学にゼミがあるのを知っているか?」と聞かれました。「知らないです」と答えると、その先生は「ゼミの語源は苗床で、自分の種をまいて育てるという意味なんだよ。今までは言われた内容を勉強してきたと思うけど、大学では自分が育てたいと感じる種を育てることができるんだ。その種を育てる過程にいろんな困難もあると思うけれど、君が人生をかけて育てたいと思える種があるのであれば、その種を植える苗床を探さないともったいないでしょう。」と言われたんです。その一言が胸に刺さり、大学進学を考えるようになりました。
ーなぜ慶應義塾大学に進学したのですか?
「自分の育てたい種を探せ」と先生に言われたけど、実際はその種が何かはよくわかりませんでした。なので、まだ種を見つける段階にいないことを認めて、多様な価値観に触れる必要があると感じたんです。
慶應であればスポーツを頑張ってる人もいれば、起業をしている人もいるし、帰国子女もいれば、田舎育ちもいる。色んな価値観に触れられるし、私立大学でナンバー1だったということもあり、進学を決めました。また、高校からの推薦という後押しもありましたね。
マネージャーとして裏方だった反動から、積極的な行動に移る
ー大学入学後は色んな選択肢があるなかで、なぜ体育会ソッカー部のマネージャーや、一般社団法人ユニサカの立ち上げをすることになったんですか?
入学直後、慶應にはすごい人がたくさんいたので「やばいやばい」と思って安心できるサッカーに逃げたんです。怪我の影響などもあって、マネージャーとして裏方の仕事をしていたのですが、どこか選手として活動できないことに悔しさを感じていました。
そんな中で、長い伝統の中に位置する自分たちが思考停止の状態に陥っているのではないか、と考えるようになりました。自分たちの頭で考えることなく、前例踏襲をしていることが多かったのです。そこで「この構造を改革したい」と思うようになりました。
大学サッカーはあまり人気がないので、前例踏襲な風潮を変えることで何か変わるのではないかと思い、一般社団法人ユニサカをつくって大学サッカー界を良くするための活動を始めました。
ーユニサカではどのような活動をしていたんですか?
大学サッカー界を向上させるために、まずはたくさんの人に試合を観てもらう必要があると考えていました。そのためにも超目玉コンテンツを作りたいと思い、以前まで野球やラグビーのイメージが強かった早慶戦を「早慶クラシコ」とリブランデングすることにしたんです。その他にも、ハーフタイムショーやチケットのオンライン化、クラウドファンディングなど、さまざまなことに挑戦しました。
ーすごいチャレンジですね!
当時は、改革に対していろんな声がありました。でも、それは僕にも大きな原因があったんです。当時はひたすら大人に中指を立てて、本当古いよ、時代が変わったんだよ、と威勢を表現していましたね。言われた方も、面白くないですよね….。
でも、それでうまくいかなかった時に初めて、パフォーマンスではなく本質的な価値に向き合うことや、誰よりも自分が努力を積み重ねることで付いていきたいと思われる人材を目指すようになりました。今も、まだまだ未熟者ですが….笑
今では徐々に「クラシコ」も浸透してきて、野球やラグビーの早慶戦がそのモデルを真似するような流れとなっています。時代をつくる感覚が大事だと考えているので、そういった意味では、時代をつくる第一歩を踏み出せたのではないかと思います。
当たり前を疑い、さらなる高みを目指す
ー就活をしない決断をしたのは、どのような経緯があったんですか?
慶應に入ってから、さまざまなチャレンジを続けてきました。しかし、じつは自分の立場や仲間が導いてくれたのではないかと、中途半端な成功体験が意外とコンプレックスになっています。
なので、1回既存のレールを疑うところから始めて、自分が慶應のはしごを外れたときにどれだけ高いところまで登れるか挑戦しようと思ったんです。
ー当たり前をしっかりと疑うところがすごいですよね。
おそらく家庭環境が影響していると思います。他の慶應生だと、親も兄弟も大学進学や就活をしっかりと経験している場合が多いのですが、自分はそういった環境ではなかったので、変なバイアスに囚われずに意思決定ができています。
ー最後に今後のビジョンを教えてください。
今やっているEdo All Unitedのプロジェクトを成功させることです。優勝と昇格を繰り返して、より高い競技レベルで、より多くの人の心を動かせるステージに立ちたいと考えています。また、単純なサッカークラブとしての結果だけではなく、サロンメンバーの思いや自己実現に繋がるような仕組みも作りたいと考えています。
個人としてどうなるかよりも、今は自分=Edo All Unitedです。「Edo All Unitedの成功は自分の成功である」と言えるぐらいに取り組んでいます。そこに対しては、しっかりとプライドを持ちつつ引き続き頑張りたいと思います。
ー奥山さん、本日はありがとうございました!