様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第162回のゲストは株式会社LITALICOでアライアンス営業を担当されている青木優さんです。
学生に向けたライフキャリア教育プログラム事業を展開する株式会社の取締役副社長も務められた青木さんが、現在株式会社LITALICOに務める理由や、学生起業を経て社会人3年目にして2度の転職を決めた理由など、これまでの経歴を含めてお話をお伺いしました。
学生起業・リクルートを経て社会人3年目にして3社目に突入
ーまずは簡単に自己紹介をお願いいたします。
現在社会人3年目で、今月より障害のない社会をつくるをビジョンに掲げる株式会社LITALICOで企業アライアンスの企画営業をしています。また、副業として大企業の若手社員が集まる共同組織、一般社団法人ONE Xでも活動しています。先月までは株式会社リクルートキャリアで約2年、法人営業をしており、その前は友人と学生時代に子育てや仕事といったライフキャリアプランについて考える教育事業の立ち上げ会社経営をしていました。
ー具体的に現在のお仕事ではどのようなことをされているのでしょうか。
発達障害など苦手なことを抱えるお子さんのための学習商材を見つけて自社メディアで紹介したり、世の中にすでにある商品が使いやすいかのリサーチをしたり、企業と共同で商品やコンテンツの開発をしたりしています。
優等生だった幼少期〜大学受験の失敗
ーどのような幼少期を過ごされていたのですか。
千葉で生まれ、幼稚園からは静岡で育ちました。勉強が好きだったのを見た教育熱心だった母が中学受験という選択肢があることを教えてくれ、中学受験しました。周りに中学受験する友達がいない中だったことと受験勉強をはじめたのが小学6年の夏とスタートが遅かったこともあり、受験勉強は大変でした。地元には中学受験対策に特化した塾もなかったため、半年間は横浜の塾まで週末は通って勉強。結果的に学習院という中高一貫の女子校に合格し、中学から家族で東京に引っ越しました。
ーわざわざ横浜まで通って受験勉強されたんですね…!中高生活はいかがでしたか。
静岡にいた頃は何をしても1番でしたが、東京にきて上には上がいることを実感しました。世の中は広いんだなと思いましたね。当時は先生のいうことに従うのは当然だと思っていたので真剣に学校行事にも取り組み、勉強をする優等生でした。結果的に首席で高校を卒業することができました。
ー卒業後の進路はどのように決められたのでしょうか。
小さい頃から母の影響を受けて飛行機を見るのが好きだったので、東京大学の工学部航空宇宙工学科を目指して受験勉強をしていました。学習院女子高等科は7割が学習院大学に進学する環境で、一般受験をするのは学年の1割程。そのため、受験勉強のために塾に通っていました。残念ながら、受験には失敗し第二志望だったお茶の水女子大学に進学しました。
ーやはり受験を失敗して落ち込まれましたか。
入学してしばらくは挫折感が消えなかったです。そもそも航空宇宙を勉強するために理系を選択していたのですが、お茶の水女子大学には航空宇宙がなく、建築を専攻していました。何のために理系を選択したのだろうと考え、文転も検討しましたね。
留学は私の人生の革命期
ーその後どのように切り替えられ、大学生活をどのように過ごされたのでしょうか。
とにかく何か打ち込めるものがほしかったのでテニスサークルに入り、テニス漬けの日々を大学1年、2年と過ごしました。そして授業を受けている中で女性のキャリアについて興味を持つようになりました。私の母は教育熱心だったことと、父の転勤が多かったこともあり、子育てを中心に生きていました。その母の姿を見て育ったこともあり、私は自然と働きたいから結婚や出産はしなくてもいいと考えていました。また、周りを見ていると夢があるにも関わらず、子供が欲しいから子供がいても働きやすい会社を優先的に探している友人がたくさんいました。でも本来であれば、仕事と家庭やキャリアと子育てが両立できないのが前提にあるべきではないと思うようになったんです。
ーそこから女性のキャリアにフォーカスがいくようになったんですね。
はい。もともと大学で留学に行きたいと考えていたのですが、ちょうど大学2年の時にトビタテ!留学JAPANに出会い、留学先では女性のキャリアや子育てに関する勉強をしようと決めました。そしてたまたまフィンランドが男女平等国家であるということを知ったことと、台湾では子育て世代が1番働いているということを知ったことが重なり、フィンランドと台湾に留学。事前に日本で女子学生に仕事と子育ての両立への不安や仕事選びに重視していることなどを調査し、同様のインタビュー調査を現地でも行いました。
ー調査の結果はいかがでしたか。
フィンランドは税率が高いからこそ制度が充実しており、それが女性の活躍につながっているなと実感しました。逆に台湾にM字カーブ(労働分野において女性の年齢階級別の労働力を示す指標)がない理由としては多くの家庭が祖父母世代と住んでおり、コミュニティで育ているという風習が残っていることが理由だとわかりました。
インタビュー調査を含め、留学で1番考えることとなったことは「人々の価値観がどう醸成されるのか?」ということでした。フィンランドで女性に「どんな人生を送りたいか?」と質問したところ「ノーマルライフを送りたい」という回答があったので、彼女が思うノーマルライフについて聞いてみたんです。そうすると、自分のやりたい仕事をしつつ家庭を持ち、子供を育てることと言われました。フィンランドではそれがノーマルライフとして受け入れられているということ、それぞれの選択が尊重される価値観が存在していることに驚きました。これを日本でも当たり前にするにはどうしたらいいのか、どうすれば人々の価値観にアプローチできるのかということを帰国後も考えるようになりました。
就職ではなく起業を選択
ーそれが結果的にライフキャリア教育事業での活動につながったのですね。
実は留学前から少しずつライフキャリア教育関連で友人と活動をはじめていました。帰国後就職活動をしはじめていたのですが、ちょうどその活動で法人化する話が上がり、迷った結果会社設立にフルコミットすることを決めました。
ーやはり就活をどうするかは迷われましたか。
これまで周りからの見え方の良い選択を選んできたのですごく迷いました。でも留学を通して無名の大学出身でも面白いことに取り組んでいる人、ユニークな人に出会ったことで、他人からどう見えるかが全てじゃないということに気づかされました。人の評価軸で生きてきた自分を変えるなら今かもしれない、今しかできないことに挑戦するべきではないかと思い、就活を中断する決断をしました。そういう意味でも、留学は私の人生の中での革命期です(笑)
ー0からの事業立ち上げ、やってみていかがでしたか。
メンバー全員、起業経験はなかったので大変でしたが多くの人に助けてもらいなんとか法人化できました。無知だったからこそできたんだと今振り返ると思います。目指す共通の社会をビジョンに掲げてそれに向かってみんなで取り組むプロセスは難しいながらもとても楽しく充実していました。
幸せな時間の使い方を。
ーそんな中、経営していた会社を離れ一般企業に就職をされた理由は何だったのでしょうか。
自分が目指す社会の実現を目標に大学を卒業してからも約半年間その会社で働いていたのですが、だんだんと今私がしていることは、本当に目の前の人の課題解決に繋がっているのだろうかという疑問が湧くようになりました。社会を変えたいと思ったら、まずは目の前の人が何に困っているのかを知らなければならないと思うようになったんです。
これがきっかけで、人材領域で求められていることに適切な価値を提供しているからこそ大きなお金が動いているリクルートキャリアに転職し、ビジネスの基準値を学ぼうと決めました。求人広告の法人営業を2年間担当し、これまで自分が関わってきた社会と、大企業から見える社会との違いを知ることとなりました。大企業に所属したことで、たくさんのリソースがありフィードバックを経験者からもらえる環境で働ける良さを感じました。逆に、あくまで大企業の中の1個人であることから社会に影響を与えている実感は薄れましたね。
ーその後、再び転職を選ばれたのですね。
自分がこれから何をしたいかと考えた時に、私は社会にないサービスを新しく生み出すことに興味があると思いました。今の仕事では新しい何かを作れるポジションではなかったので、転職を決意。LITALICOであれば困りごとに対する解決策を作るところから取り組むことができると思いました。また留学後から考えるようになった「世の中の価値観をどうやって変えていくか?」ということにもLITALICOであれば同時にアプローチできるなと考えたんです。
ーこれからLITALICOで活躍されていかれることかと思いますが、ぜひ最後に今後の目標や展望を教えてください!
すでにある世の中の企業と一緒に、困りごとを解決するために新しいものを生み出すということに全力で取り組みたいなと思っています。と同時に今後もずっと大事にしていきたいと思っていることは「その時々で幸せな時間の使い方をする」ということです。自分が幸せだと感じられることをどの都度選択し、向き不向きではなく、やりたいか好きかを基準に選んでいきたいです。
正直、やりたいことはこれからもどんどん変わっていくと思うので将来何をしているかはわかりませんが、20代はやりたいことに貪欲に挑戦して自分の幅を広げていきたいです。
取材者:あおきくみこ(Twitter/note)
執筆者:松本佳恋(ブログ/Twitter)
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter)