「あなたの幸せは何ですか?」世界一幸せな国・フィジーで、幸福な人たちと語り合った長瀬智寛が見た”幸せの秘訣”

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第70回目のゲストはレタス農家で農業に従事している長瀬智寛さんです。

長瀬さん、農家のご出身で…というわけではないのです。名古屋に生まれ育ち、隣人の顔も知らないような都市部での生活しか体験してこなかった今、田舎暮らしを、自然との対話を享受しています。そこに至るまでには、フィジーに新卒入社と海外移住、内閣府プログラムへの参加、愛媛で教育事業に参画と、ユニークなキャリアの足跡がありました。

 

人間関係のもつれから、「深く考える」という行動に

ー本日はよろしくお願いします。まずは自己紹介をお願いします。

長瀬智寛です。1993年に愛知県名古屋市に生まれ、大学は南山大学総合政策学部へ進学しました。新卒でフィジー島に移住すると共に語学学校に就職をし、3年間過ごします。その後、内閣府青年国際交流事業「世界青年の船」参加のために帰国しました。プログラムで34日間の船上生活を送り、今度は愛媛県に移住して教育事業に従事します。そして、現在、長野県でレタス農家で就農しています。ちなみに、今日は26連勤明けの休日です。

 

ー都市部、海外と生活環境を変えてきて、現在は田舎暮らしをされているんですね。農家生活はどうですか?

いままで全く農業経験はなかったのですが、見事にのめり込んでいますね。人やパソコンと向き合っての仕事が多かったことから一転、現在は、日々、土、木々、天気と向き合っています。自然と共存している感覚があるのです。

 

ーこれまで農業に触れ合うきっかけはなかったそうですね。学生時代はどのように過ごされていたんですか?

父親も兄弟も野球をしていた、野球一家に生まれました。当然私も中学時代まで野球に打ち込んでいたのですが、高校入学とともに辞めてしまいました。進学した高校が家から遠くて、朝練に参加することが困難だったからです。

そのときは、その選択をしたことを得意に思っていました。子どもですから、それまでの人生は大体、他人に決めてもらっていたんですよね。それが「自分で選んだ」という気持ちになって…しかし、その後、野球部を辞めたことを後悔します。自分で好きなものを手放したのですから。

もしまたあのときに戻れるのなら、きっと練習に熱心になれる高校へ進学して、野球を続けて甲子園を目指していただろうと思います。あまり後悔はしない人生ですが、それはいまでも思っていますね。

部活を辞めた代わりに、なにか別のことに熱心になったわけでもなく、ただただ高校3年間がゆるゆると過ぎていったことも、後悔につながっていると思います。また、人間関係のもつれから「友達ってなんだろう?」と深く考えることもでてきました。

 

ー大学へ進学して、哲学に惹かれたのはそういった体験があってのことなのかもしれませんね。

大学では、幸福学を特に好んで学んでいました。さらに、死生観や人間関係や自分という存在を体系的に学ぶことができ、物事を理解する、よく考える手助けになっています。

 

きっかけは「あいのり」自分とかけ離れた生活を目にして

 

ーそして、初めての海外経験が18歳のときに訪れるんですね。

入学式で、サークルの勧誘チラシを歩いているだけで次々と手渡されました。その中に、「フィリピンで学校を建てませんか?」という見出しが目に留まったんです。それで、ある記憶が呼び起こされました。

小学校の頃、当時テレビで放映されていた『あいのり』が好きだったんです。男女6人がワゴン車に乗って、旅をしながら真実の愛を探すリアリティーショーです。その中で、「あおのり募金」という取り組みがあって、カンボジアとネパールに小学校を建てるためのプロジェクトが企画されていました。それを見て、初めて「世界には小学校に行けない子どもたちがいるんだ」ということに気付きました。日本に生まれ、毎日学校へ行って、好きな野球をやっている自分からは遠く離れた世界。子ども心に、現状に違和感を抱いていました。

その想いが再び胸に舞い戻ってきて、「よし、これでフィリピンに行くぞ!」と決めました。

 

ー小学生越しの想いを叶えるんですね。海外へ行ってみてどうでしたか?

フィリピンの田舎に滞在し、小学校を建てるサポートをしました。ただ、水と油が身体に会わなくて、2週間はずっと腹痛に悩まされていましたね。トイレや下水も整備されておらず、あまりに日本とかけ離れた生活は、やはり慣れませんでした。

身体的にしんどかった一方で、幸せそうに暮らすフィリピンの人々が印象的でした。日本よりはるかに生活水準が低い中で暮らしているのに、皆、なぜかとても楽しそうなんです。日本のように嫌な顔をして会社へ向かう人はいませんでした。

国の発展と、人々の幸福は比例しないことにそのとき気付きました。

 

すでに手に入れたものに幸せを感じる

ー海外経験が印象に残り、その後、海外へ就職までするんですね。フィジーを選ばれた理由はなんですか?

当時、幸福論に関する書籍をいろいろと読んでいました。「幸せ」というのは価値観なので、定義づけすることができない、というのが、様々な本を読んだ上での私の結論でした。そこで「幸せな人がたくさんいるところへ行って、それぞれの話を聞いてみたいな」と思います。そうして見つけたのがフィジー共和国です。ネット記事で「世界一幸せな国」として紹介されていました。

大学を1年休学し、9か月間、フィジー留学へ行きます。そして、現地で「あなたの幸せを教えてください」と書いた紙を持って歩き回ったんです。フィジーの方々はとっても気さくで、たくさんの人が話し掛けて、幸せについて語ってくれました。

ほとんどの人が、幸せを「家族」や「人とのつながり」と表現していました。ここで、日本との違いに気付きます。日本だと、結婚することや出世することを幸せだと考える人もいますよね。でも、フィジーでは、これを手に入れられらた幸せ、なのではなく、既に手に入れているものに幸せを感じるんです。

ーだからこそ、フィジーの方々は幸せだと思いやすいんでしょうか。

幸福の度合いを計る基準には、客観的幸福度と主観的幸福度があります。客観的幸福度は、社会インフラなどの生活の基盤が整っているかどうかです。先進国は軒並みこの数値は高くなります。主観的幸福度は、そこで暮らす人が実際にどのくらい幸せを感じているのか、を数値化したものです。フィジーはこの主観的幸福度が高い傾向にあります。

そんなふうに自分の興味関心を突き詰める活動をしている途中で、フィジーで働いている日本人と出会いました。その方は今も私の師匠のような存在で、慕っています。師匠は自分のやりたいことをするライフスタイルを実現していて、自分もそうありたいと思うようになりました。

 

なにをやりたいか、よりも、誰と働きたいか

ー休学期間を終えて、一度は帰国されたかと思います。日本での就職活動はされなかったのですか?

就職活動はしたものの、行きたい企業と残念ながら出会うことができませんでした。そんなときに、師匠から「フィジーの語学学校に新卒入社をして、カウンセラーにならないか」と誘ってもらいました。

師匠のことを、お金を払ってでも一緒に働きたいと思えるくらい尊敬していたので、すぐにその誘いに乗ることにしました。働くということは、当然、自分の思い通りにならないことや、理不尽なことにぶつかると思います。だからこそ、一緒に働く人が重要です。嫌いな人と働いていても、素直に意見を聞くことができません。けれど、好きな人からなら助言として受け取ることができますよね。

なにをやりたいか、よりも、誰と働きたいか、で、フィジーでの就職を選択しました。

 

ー3年間勤めて、今度は内閣府のプログラムに参加されたそうですが、これはどういうきっかけで?

内閣府青年国際交流事業「世界青年の船」も、過去に師匠が参加していたことから興味を持ったんです。参加をするために、語学学校は退職することにしました。

 

世界11か国から240人もの若者が日本に集まって、同じ船に乗って34日間の船旅をするのが「世界青年の船」です。8もの文科会に分かれて、インドとスリランカの企業や研究機関を回りながらディスカッションを重ねました。

船の上ではネットが使えませんし、制約も多く、落ち込む方も多くいらっしゃいました。前職でカウンセリングを行っていたこともあって、そんな方たちの話を聞く活動にやりがいを感じていましたね。

 

人とのつながりを感じたい。田舎へ移住を選択

 

ーここまで海外経験を重ねてきて、帰国後は一転して愛媛での仕事を選ばれたんですね。その選択の理由はなんですか。

フィジーで人とのつながりの中に幸福の秘訣があることが見えてきました。しかし、私が生まれ育った地域は都市部で、人とのつながりが希薄でした。田舎での地域のつながりを体感すると共に、海外の人にも日本の田舎暮らしを紹介できるようになりたいと思ったんです。

また、仕事として参加したプロジェクトに関心を惹かれたのも大きな理由です。高校魅力化プロジェクトと言って、簡単に言えば、過疎が進む地域の教育事業の魅力を再開発して、人を呼び込むプロジェクトでした。

そこでは町営塾の運営をメインに活動していました。ほかにも、国内留学と言って、日本の別の地域から高校入学者を招致する活動を行っていました。そうしないと、あまりに人口が少なく、高校の合併化が進んでしまうのです。結果として目標だった41人を超える61人もの入学生を募ることができました。

 

ー素晴らしい功績ですね。常に面白く、わくわくするような選択を重ねているようにお見受けしますが、なにか方針はありますか?

マイノリティ戦略をとっているので、選択肢があったときには「人が選ばなさそうなもの」に進むようにしています。誰でもできることをいくら極めても、自分の代わりの存在がでてきてしまいます。なので、敢えて人がとらない選択を重ねて、自分の市場価値を高めています。

また、単純に、私がそういった人の話を聞きたいと思うからです。50年間同じことを務めあげることは立派ですが、私は、10年間ずついろんな経験を積んだ人の話を聞きたいと思います。なので、私もそうありたいのです。

 

ー長瀬さんの今後の人生も、やりたいことで溢れていそうですね。本日はありがとうございました!

 

 

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取材:西村創一朗(Twitter
執筆・編集:野里のどか(ブログ/Twitter