色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第34回目のゲストは、ユニークキャリアラウンジにてカメラマンとして多くの取材にも立ち会っている山ちゃんこと、山崎貴大(やまざき たかひろ)さんです。
新卒で就職するも一年で退社し、自作の「ミニ火鉢」をリヤカーに積んで歩く旅を始めたというユニークなキャリアを歩んでいる山崎さん。現在は株式会社オンリーストーリーにて経営企画室・PRとして勤務する傍ら、週1日のみフリーランスで他社の広報やコンテンツ制作に携わっています。
自分軸だと思っていたものが圧倒的他人軸だったと気づき、そのときの失望感に一度が心が完全に折れてしまった山崎さん。いかにそれを乗り越え、現在の働き方を掴んでいったのか…26年の人生を振り返りながら語っていただきました。
東日本大震災をきっかけに、自分の気持に素直に生きることへ目覚める
ー人生における最初のターニングポイントが「震災」と伺ったのですが、何があったのでしょうか。
3.11の震災当時、私は茨城県にいて17歳でした。震源地から近く、4日間ライフラインが止まりました。前日までは何てことない日常が一瞬にして変わっていく様子を目の当たりにして、「今やりたいと思ったことや、興味あることは実現していかないと、後悔する!」と感じたんです。
ーいつ死ぬかも分からない、という状況が山崎さんを変えたんですね。
それまでは引っ込み思案で、人前で話したり初対面で誰かと打ち解けたりすることも本当に苦手でした。ですが、なんとなく変わりたい。このままでいいのか?というモヤモヤは心の中にずっとあった気がします。素直に生きている人への憧れみたいなのもあったのですが自力じゃ変われなくて。今思えば震災を機に変わるチャンスを頂けたのだと思います。
大学入学後は、和太鼓部へ入門したり、海外への短期留学、学生団体の取り組みにも挑戦しました。高校までの僕じゃ飛び込まなかったような世界にたくさん迎え入れていただいて、色々な経験をさせていただきました。小学生や高校生の頃の同級生に話したら「お前どうした!」と言われるほど変わったと思います(笑)
ーいろいろ活動された結果、新卒で旅行会社に就職を決めたのはなぜですか?
大学が国際観光学科だったのもあり、就活はシンプルに旅行会社に絞っていました。旅行会社を何社か受け、内定を頂いた中で一番幅広く挑戦ができる印象だった企業に決めました。
ー新卒時代はどのようなお仕事をされていたんですか?
JR東日本グループの旅行会社に就職し、訪日旅行部に配属となりました。職場は成田空港第一ターミナルの訪日旅行センターでした。こちらでは外国人専用カウンターというものがあり、旅行商品やチケットの販売、通訳をするんですけど、当時は英語が出来なくって…。よく使うフレーズなどを先輩に教わりながら覚えていきましたね。
新卒で旅行会社に入社し1年で退職。持て余したパワーの行く末は…?
ー入社1年で退社に至ったのはどのようなキッカケがあったのですか?
大学時代は土日問わず様々なことに挑戦し、常に「パワーの箱」が広がっていく感覚がありました。就職してもそれは変わらず、予定を入れまくり、毎日クタクタになるまでやり切ることが当たり前だと思っていたんです。そのイメージと比べると、職場はホワイト企業で過度なストレスもなく、休みもきっちり取れますし、環境も人間関係もすごく良かったんです。残業も少ないですし、本当に恵まれて多くのことを勉強させてもらっていたのですが…仕事がうまくいってたがゆえに、「パワーの箱」をどこに使おうか模索していました。
仕事以外の時間を使って、Webデザインスクールや起業・開業支援が受けられる場に通っていたので、もっとそっちに集中したいと上司に打ち明けました。すると、「やってみた方が後悔しないし、これから先色々あるから、そこまで言うならやってみたらいい」と背中を押してくれたんです。上司の理解と応援もあり、退社を決めました。不満はなかったです。
ーそんなポジティブな退社の後は、起業を目指したのですか?
登記まではしなかったものの、やりたかった事業のプロトタイプ的なものは作り、お金ももらって少し活動していました。しかし、なかなかマネタイズができなかったんです。
起業・開業を志す周りの人々を見ると年上も多かったですし、家族のために覚悟や情熱を懸けて取り組んでいたんです。その時、自分にはそこまでの覚悟も情熱も無いと気づいたんです。それからもう一度自分を奮い立たせることができず、お金はなくなっていくばかり…。なんて大変な決断をしてしまったんだ…と、ようやく気づきました。
26年の人生の中で一番底を感じた瞬間でした。
ー人生における底を味わったんですね。収入がゼロの時は、どんな心境だったんですか?
震災を機に自分のやりたいことに素直に生きはじめたと思いきや、他人の評価軸に飲み込まれていたと気づいて、めちゃめちゃ苦しくなったんですよね。人に褒められて嬉しいこと、人からすごいと言ってもらえることが嬉しくて、それを目指してこれまで生きてきたことに気づいてしまって。
結局、お金もなくなって不安ですし、この先なにがあるんだろうという不安とで誰にも頼れず、いっぱいいっぱいになってしまいました。ある日、キッチンで水を飲もうと蛇口をひねったものの、手に持ったコップには注がずぼーっとただ水だけ流していたんです。しばらくしてハッとして「なんか違う」と思い、母親に泣きながら電話しました。母は「東京に居続ける必要なんてない。田舎にも仕事はいっぱいあるから帰ってきなさい」と言ってくれました。
そこから偶然の出会いがあって、とある古い家を持つ方に拾って頂き、テレビも何もないところでゆっくり、ただ内省を繰り返した毎日を送っていました。
金なし、仕事なしの隠居生活中に見つけた「自分のやりたいこと」とは
ーリアル「ご隠居生活」は、どんな生活だったんですか?
スマホ・パソコンは使える生活でした。朝起きたら渓流のそばに行って「自分は何がしたかったのか」と考えるのが日課で。 内省につながるブログはと細々と書いていました。
自然の中で生活をしているうちに、人間は自然には逆らえないことを肌で感じ、自分でコントロールできないものや変えられないものを相手に、どうやって付き合っていくべきか?ということを真剣に考えました。何でもコントロール出来るって傲慢にちょっと思い込んでたんだな…と気づけました。
ー結果3・4ヶ月でその生活にピリオドを打ったのは、何がキッカケだったのでしょうか。
最初は本当に誰にも会いたくない・無理して何かをやりたくない気分でした。次第に、その生活で関わる周りの方にいろんな機会を頂き、変わっていきました。特に大きく変わるキッカケとなったのが「囲炉裏」との出会いでした。
囲炉裏に火を入れて魚を焼き、初めて食べた瞬間、安らぎを感じて面白いな…と思ったんです。この面白さを同世代は知ってほしいと思い、友人に話すと興味を持ってくれました。友人たちと一緒に火を囲むと、心が落ち着くと喜んでくれたことが嬉しかったですし、自分自身も楽しかった。そこでまた安らぎを感じていました。
ー心を閉ざしてた頃から、囲炉裏をキッカケにオープンになっていったんですね。
友人が僕を通して火のある場所を知り、興味を持ってくれて。色々な方が面白そうだね、と関心を寄せてくれました。そこから火を囲んで話をしてる自分自身のこともだんだん好きになってきたんです。そこから、火のある場の魅力をもっと同世代の色々な人が知ってくれたら、僕みたいに落ち込んでいた人も暮らしやすくなるのかな…と思いつき、「これだ!」と思ったんです。
ーそこから、山崎さんのユニークな旅がスタートしたんですね!
はい。「これだ!」と思ってバーッとメモを書いて。まず、火のある場をポータブルな形で楽しむために火鉢みたいなものを作ろうと思いつきました。でも火鉢はリュックには入らないので、リヤカーを作って灰・炭と一緒に積んで歩こうと考えました。
リヤカーで歩き、出会った人たちと火を囲んで、その土地のものを持ち寄って一緒に焼いたり食べたりして暮らせないかな?そしたら囲炉裏を知らない人にも、生活に安らぎや彩りが加わるかな?という仮説を実験したくなったんです。そのアイディアを思い立った瞬間、すぐ行動に移したのが隠居生活の最後でした。
一歩一歩、自分の足で前に踏み出す大切さと多くの人に触れたリヤカーの旅
ーリヤカーで旅する日々はどんなものでしたか?
まず、スタートの時期を間違えました。真夏にスタートしてしまったので歩くのが辛い&火鉢なんて要らない季節。明らかにタイミングを間違えました。思い立ったままに行動してしまうことが多いんですが、このときばかりは自分を恨みました…(笑)
実際に歩き始めてみると想像以上に辛くて、最初の頃はなんどか諦めたくなって「なんでこんなことをしているんだろうか」と辛くなることもありましたね(苦笑)いろんな人との出会いや慣れがあって次第に日々を楽しめるようになってきてからは、歩きながらひたすらに内省をしていました。
歩いてると自分自身しか話す相手がいないっていう不思議な状況なので、内省がとても深まるんです。そうすると、辛いときでも「これは試練だな。試されてるな。」と捉えられるようになったり「なんでいま嫌な気持ちになったんだろう。何がそうさせてるんだろう。」と冷静に考えることで気づき、学びも多かったです。
特に中断するまでに約1000kmほど歩いたんですが、物理的に一歩一歩、1mずつしか先に進めない毎日を通して体感した「積み重ねることの大切さ」は、人生においても同じだと学べたことは大きかったですね。
ー印象的だったエピソードや出会いはありますか?
広島県を旅していたある日、いきなり知らない方から「さっき見かけました!」とメッセージをいただいたんです。なぜメッセージが来たのか不思議だったのですが、後で聞いたら「リヤカーなんとか旅」みたいなボードを見かけて、ネットで検索してくださって僕のブログからFacebookに 登録してメッセージを送ってくださったんです。
その方はお子さん向けの体育教室をやっていて、「子供たちに、火のある場所の良さっていうのを教えてあげたいんだよね」と言ってくださって。僕自身へのチャンスを下さったんだと感じました。
そこに一晩泊めていただいた時、ある女の子がシシャモを焼き始めたり野菜を焼いてくれていたんです。するとその子のお母さんから、「普段はこんなに積極的にお手伝いとかしないんですよ。なんでだろう。」って僕に言ってくださって。女の子は、魚を焼いたり食べたりしながらイキイキとしていました。そこに、また一つの可能性を感じたんです。火のある場所は、人をより素直にする可能性があるんじゃないかと!
この出会いに限らず、出発地点の鹿児島でたくさんお世話になった方や、道中足が痛くて歩けなくなったときに治療をしてくださった方…お世話になった方々は数え切れないほどいて、その全部が印象的でした。リヤカー旅をしていなかったらその方々には出会えなかったですし、大きな発見でした。
結果、半年間の旅で鹿児島県から岡山県まで歩いて旅しました!当時資金がなくなり始めたところで、ちょうど近くに友人が務めていたゲストハウスがあり、そこで一時中断することにしました。
リヤカーの旅を終え、再就職はインターンからのスタート
ーリヤカー旅を終え、どう人生を見つめ直して、再就職することに至ったのでしょうか。
旅をしてみて、旅をしながら暮らす在り方・生き方が心地良いと感じる人たちは確かにいる一方で、僕が心地いいのはどこかっていったら、もう少し社会と近いほうが良いと気づいたんです。
「社会に居場所が欲しい」と失って初めて気づいたんです。
そこで、どうやって自分の居場所をもう1回見つけようかと考えた時に、編集者とかライターの仕事の面白さって良いなと感じはじめて。言葉にならないようなことも言葉にしてくれて、本当に素晴らしい職能と職業だなぁって憧れがだんだん大きくなっていきました。
「編集者とかライターになれる会社に、どうにかして入れないかな」と考えていた時、現在働いているオンリーストーリーの取締役のFacebookで編集長を募集している投稿を見たんです!その投稿に飛びついて、久々に再会してお話を伺いました。
ーオンリーストーリーの取締役と、学生時代からの繋がっていたんですか?
僕が大学3年生の時に、卒業論文のテーマに「ヒッチハイク」を選んでいたのですが、論文を作成する過程でヒッチハイカーに直接ヒアリングがしたいと思って、先輩に紹介いただいた方だったんです。論文の内容は、ヒッチハイクの前後で人の性格がどう変化するのか?というものでした。
その方にもヒッチハイクのことや、性格の変化などをヒアリングさせていただいて、そこからちょっとずつゆるく関わりはあったような状態だったんです。久々に再開し、その方も世界一周の経験があったので、リヤカー旅のことや雑談をしている中で「価値観がもしかしたら根っこで合うかもしれないから、一緒にやらないか」っていう話になって。
未経験で、編集のことなど何も教わったこともないのに編集長という肩書きだけ最初に頂いたんです。僕としてはリヤカーの旅を中断してでも、今はこっちにかけてみたいっていうワクワクした気持ちがあったので、旅を支援していただいた方に個別で連絡をして東京に戻ってきました。
そして、今のオンリーストーリーにインターンとして入社し、編集の仕事をスタートさせました。
ー社会人インターンからの再出発だったんですね。久々の社会人生活はどうでしたか?
僕の社会人生活は、1年間の接客業しかなかったので、メールの送り方も、名刺の渡し方も分からなくて、YouTubeで見て覚えました(笑)学び直しつつ、編集長という肩書に成長させて頂いた1年間でした。
編集長という肩書があると、編集力があるないに関わらず皆が編集長として僕を見るんです。ありがたいことに、社内のメンバーは僕のことを「編集長の山崎です」と紹介してくださるので、これは生半可な知識と振る舞いでは成り立たないなということを気づかされました。
社外で編集長って名乗らせていただく度、矢面に立つ度に「自分のあるべき姿」に気づかされて。理想の自分と今の自分との差に気づかされて。その差を必死に埋めるためには、何をすればいいか?と考え、セミナーに色々通ってみたり講座にいってみたり、自分で色んなPDCA 回してみたり挑戦の日々でした。
その経験の中で一番大きかったのは、矢面に立って、自分が作ったものを世に出せるチャンスをいただけたことでした。上手くいけば大きなやりがいにも直結していたし、失敗すれば自分でなんとかするしかない。原因を探れば結局そこに自分のミスがあり、それを改善し続けるしかなかったので、非常に濃い時間を頂きましたし、成長させてもらいましたね。
ー素晴らしい経験ですね!そこから正式にジョインされた経緯を聞きたいです。
会社に面白い賞与制度があって、受賞回数を重ねていくとMVPとしてインターン生の中でも殿堂入りされるような制度を作っているんです。MVPになると、社内外からその働きを認められたっていう客観的な証拠になるので、入社選考への切符を獲得できます。インターンでも社員登用されるかもしれないチャンスです。
そのMVPを受賞したかつ、社長から「社員にならないか」と誘ってもらえて入社を考えたんですけど、1回お断りというか、少し考えさせてくださいと伝えました。
ーせっかくのチャンスを?それは何か理由があったんですよね?
一言でいうと、その当時は新卒で入社した頃のように一社で週5日働くっていうものが考えられないというのが自分の中にあったんです。
というのも、まず好奇心が強くいろんなことに興味を持ってしまうんですが、僕にとってはそれを押し殺して生きないといけないということがかなり辛いんです。とはいえ、じゃあその好奇心を一つの場所で満たすなんてことはほぼ不可能だと思っていたし、それを一つの場所に求めるなんてことも出来ないなと。
であれば、週5日一社にコミットする働き方の他に、自分の好奇心を分散的に満たすことができる身軽な働き方はないかと考えていました。そんな時に社長と話していてお互いの間で見つかった落としどころが、「週4正社員×週1フリーランス」という働き方。
弊社には「成果からの要求」という合言葉があるんですが、まさにこのときは会社としては僕のこれまでの成果を認めてくれて、僕としても正々堂々会社に要求ができる状況だったので、話し合いはスムーズでした。その翌月、正社員×フリーランスの形で正式に入社が決まりました。
週1日はフリーランス!自分の好奇心を軸に居場所を作っていく働き方
ーそこから1年経って、週4日会社員、週1日フリーランスの生活はいかがですか?
自分の好奇心ごとに満たせる場所が持てて、自分のやりたいこと・好きなことを諦めずに自然体でいられてると思います。ある会社では海外とのつながりを感じられ、またある会社ではずっと学びたかったことに触れることができています。とても楽しいです!
戦略的に自分の好奇心を満たせる複業との出会いを探していった方が、自分はご機嫌でいられる気がします。やってみて本当に良かったですし、さらに進化させてより良いものにしていきたいです。
ーフリーランスとして、週1日は何をして過ごしているのでしょうか?
主に、採用広報や企業広報などをしています。取材系の顧客事例など、コンテンツ制作に関わる企画と取材と執筆です。例えば、採用広報の一環で、オウンドメディアに掲載する社員取材コンテンツを実際に2〜3社分、作らせていただいています。
この「U-29」の活動も心から良いなと感じ、撮影で関わらせていただいています。今後は僕から、積極的にこの場づくりに参加したいなと思っています!
ー社会の中で自分の居場所を作るために意識してきたこと、やってきたことはありますか。
居場所を作るまでには、居場所にする場所を見極め、作るという流れで戦略的に取り組んでいます。
まず、人によって苦手なストレスの種類は異なります。それになるべく触れない環境に自分を置くことで自然体で生きれるようになり、自分の感情(好き・嫌い)がよく感じられるようになっていくと思います。忙しかったり過度なストレスがかかっている状態だと、人はそういう感情に鈍感になっていきます。その環境で、自分の感情を整理します。僕の場合は内省メモみたいなものに更新し、並べるとバラバラに見える感情のキーワードをいくつかのまとまりに抽象化していきます。
続いて抽象化したキーワードを元に、出向く場所・集める情報・習慣を変えます。そうすると飛び込めそうな場所が必ずあるので、イベントやアルバイトのように試しに飛び込んでみます。その場所で、周りの人にとって自分が発揮できる価値を考えて、ひたすら行動に移します。まとまった期間はコミットすると腹をくくるんです。行動を重ねていくと、信頼を得て任されることが増えていきます。社内外の人の役に立てている実感を得られます。ここで、自分で考えて決断し、行動してきたことを正解だという実感を持てます。
自分の選択を正解にしていくために、さらにハマっていくんです。自分が興味をもったことを、人に対して提供できる価値まで昇華して、それを受け取った人からお礼を言われることは、すごく嬉しいです。その方が僕は自分自身も好きでいられると思います。
こうして自分が自分の好き嫌いで生きていると、自分のことに夢中になるため、いい意味で周りのことが気にならなくなりますよね。人の好き嫌いも肯定できるようになる。
今振り返ると、僕は自分軸を見失ったとき、本業の会社に出会ってから今の働き方を形にするまで、そのどちらもこの方法で考え、決断し、行動していました。
この経験から、就職活動中の学生さんにも「わざわざ追い込まなくてもいいから、まず自分の感情とか共感心とかを捉えられるようにしたらどうかな。いきなり大手じゃなくても、自然体で働ける場所に身をおいてみたら?」などアドバイスしています。
ー最後に。今後、自身のキャリアをどう進化させたいと考えていますか?
まだ抽象的なのですが、楽しく働くために提供できる価値を高め、よりやりがい・達成感・影響度を感じられる仕事を獲得していきたいです。
そのために質をより高く・密度を濃く働き、今関わっている仕事のすべてを同時に高めていきたい。そうすると、高めた先で関わっている別の仕事・コミュニティ同士が必要とされる場面が出てくる可能性がある。その時にシナジーを生み出したいと考えています。
さらに、移動すること、知らないものに触れることが大好きなので、より広く、おもしろいシナジーを生み出すために国内外様々なところを行き来するような働き方もしてみたいです。
そうしたなかで、もちろんさまざまな世代の方々とご一緒していきたいですが、同世代である20代に関わっていく機会をどんどん作りたいという想いはもうずっと持っているんです。僕自身もそうだったように、20代って本当にモヤモヤすること・わからないことが多い世代だなって思うんですよね。
なので、僕たち20代がより楽しく働けるような「サードプレイス」、自分たちがうまく生きていける居場所をもっと築き上げていきたいなと考えています。それが、このU-29の活動だと思っています。
もし今の自分を好きになれないな…と感じ悩んでいる方がいれば、僕が積極的に会っていきたいです。理解し合い、心地よい感覚を得られる場や人と接していると、今までしまいこんでいた「自分が好きな自分」が引き出されて、今の環境における働き方や次のキャリア、人生を通した自分のテーマについて気づきが増えます。そんな機会を同世代に提供していきたいです。
やりたいことが多すぎてまとまらないのですが、火のある場に触れる・作ることはどこかのタイミングで再開したく、今でもたまに焚き火やキャンプをしています。
そういう場を、また改めて作ったりその魅力をまだ知らない周りの同世代に伝えていくようなことはまたしたいなと思っています。ぜひ、焚き火、囲炉裏好きの方、興味のある方がいいれば一緒に火を囲みましょう!
取材:西村創一朗
写真:吉田 達史
デザイン:矢野拓実
文:Moe