大切なのは戦略性とEQの高さ ー フォーブス ジャパン副編集長・谷本有香が20代に伝えたいこと【U-29 Career FESレポ】

ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代のためのコミュニティ「U-29.com」が運営する『U-29 Career FES』の第2回目を、2019年12月16日に開催しました。

今回のゲストは、新卒で山一證券に就職して倒産を経験したのち、フリーランスの金融経済キャスターとして独立することを選んだ、フォーブス ジャパン副編集長の谷本有香(たにもと・ゆか)さんです。

世界のVIP3,000人以上に取材した実績をお持ちの谷本さんは、「20代のキャリアは戦略的に考える必要がある」と言います。彼女自身の20代のエピソードや、これまで取材したトップリーダーたちの話を交えて、今の20代がどんなことを心掛けてキャリアを描くべきか話していただきました。

 

求められるリーダー像は時代とともに変わっている

私のファーストキャリアは山一證券でした。これは20代の中でもビッグイベントで、今でも影響していることです。そこから20年近く、金融経済専門チャンネルでニュースキャスターやアンカー、コメンテーターをフリーランスとしてやらせていただいていました。そして4年前にフォーブス ジャパンにジョインさせてもらい、現在に至ります。

私の一番特徴的なところは、世界の著名人3,000人以上にインタビューさせていただいたこと。私の中では、リーダー研究がひとつのライフワークなんです。リーダーって時代の写し鏡だと思うんですよ。勢いのあるリーダーは、その時代が求めている形を代弁しているんです。

リーダーを間近で拝見させていただいて思うのは、求められるリーダーの姿は確実に変わってきているということ。いわゆるトップダウン型のリーダースタイルではなくなり、世界全体で協調型へと変わってきています。

世界一の起業家を決めるイベントの取材で印象的だったのは、4年くらい前から、世界ナンバーワンの起業家が「私は起業家じゃない、社会起業家だ」と言い出したことです。社会に還元するビジネスモデルであってしかもちゃんと稼ぐという形でなければ、今の時代は生きていけない、と。

1〜2年前からは「社会起業家だ」とさえ言わなくなりました。なぜなら、社会起業家であるのが当たり前だから。特に、今年優勝したグルーポン創設者で、Uptake TechnologiesのCEO ブラッド・キーウェルは「起業家だと思ったことすらない。ただ目の前に課題があったら解決せざるを得ないんだ」「私たちはアーティストのようなものなんだ」と言っていたんです。

アーティストが何かを見たときに表現したくてたまらないように、課題を見たときに何かアクションをとらずにはいられない……という人じゃないとリーダーとしては成功しないかもね、と。時代は変わってきているなと感じました。

 

トップオブザトップリーダーに共通するのは「EQの高さ」

さまざまなリーダーにお会いした中でも、トップオブザトップリーダーという層がいるんですよ。彼らって本当にEQが高い。普通のリーダーだと、どれだけ頭が良くて論理的でも「心の知能指数ゼロだよね」という人が少なからずいるような気がしていて。EQは、リーダーにとって重要な資質だと思いますね。

私自身もEQが高いとまでは言わないけれど、「行間を読む」といったことが得意だと思っていて。インタビュー時も「あなた、私の心がインストールされていませんか?」と言われることが多いんです。なぜなら、本当にインストールしているから。

その人のライフヒストリーを見て「なぜ他の人でなくあなたがこのプロダクトを思いついたのか」というところが面白いと思うから、そこにこだわっていたんです。フリーランスとして成果を出していくために、他の人と違うことをやって、他の人だったら絶対引き出せないアンサーを引き出すよう苦慮していた。

なぜこれができるようになったのかというと、私が幼少時代から10代にかけて、EQが高くならざるを得ないような境遇にいたからだと思います。今でこそ社交的だと言われることもあるんですけど、幼少期から小学校時代は、人の輪に入れなくて常に周りを見ている子でした。それも、ただ見ているだけじゃなくて分析しているんです。

また親戚が多く、常に様々な人たちの人間模様を間近で見ていると、当然そこにはいろんな軋轢が生まれているわけです。それをじっと見ているような子供だったんです。小さい頃から親戚や家族の中にいて、「こういう風に言ったら角が立つんだ」「あの人は表情は穏やかだけど、心の中ではこう思っているんだな」ということを考えていた。そんな環境下、人の心の機微であったりとか表情の動きとかを読むのが普通にできる子供になったような気がしています。

実は後天的にも、感性って豊かにすることができると思うんです。たとえば、自分で経験しなくても、想像力で補って感性を豊かにすることができる人もたくさんいる。でも私自身は自分の心を傷つけたり、苦しい立場や、その場に身をおいてみなければ理解したり、感じたりできない人間であるように思うんです。実際に見て、感じて、そういうことの積み重ねで、自身の思考や人間自体を育ててきたように思います。

また、今からでもEQを身に着けることってできると思うんです。たとえば、自分より大切な人や守るべき存在ができるということ。「もし大切な子供がいじめられたら」と考えるようになって初めて、いじめる側といじめられる側の気持ちがわかったりします。

あと、沢山の方にお会いして思うのは、「この人のことが大好き!」って他人に思わせる人って、相対的にEQが高い人だと思うんです。人の心を掴む方法って、様々な理由があるけれど、そこに共感を生み出すものって、波長であったり、相性であったりするところの、人間同士の親和性だと思うんですよね。

そのためには、まず自分から相手に対してニュートラルに心の状態を持っていきながら、きちんと向き合う。そういう姿勢ってできていそうで、なかなかできないものです。それは、自身の感情のゆらぎなども含め、特性を知るという前提があってこそできるもの。自己鍛錬が必要だからです。

 

谷本有香の人生を変えた波乱万丈な20代のキャリア

私が20代の頃、就職氷河期というのがあって就活にすごく苦労しました。そんな中で、山一證券を選んだんです。四大証券の一角と言われていた会社でした。ここに決めた理由は、一番感じのいい会社だったから。ここの方たちとだったら一緒に働きたいと思いました。入社したら営業企画部に配属されて、全社員向けに配信される経済ニュースのキャスターに任命されたわけですが、その後、会社は倒産。

山一證券不正がメディアに出て、取り付け騒ぎも起こりました。私は事務職だったので、このとき初めて店舗に手伝いに行くことになったんですけど、お店の前でおばあちゃんが私の膝にしがみついて「私の虎の子どうしてくれるの」って泣き崩れたり。それを見て初めて「私たちはなんてことをしてしまったんだ」と気づいたわけですよ。自分の預金残高がゼロになったことなんてどうでもよくなりました。

「この山一證券という大きな会社が、多くの人たちの人生をめちゃくちゃにしてしまった」と思ったんですよ。実際に何人もの社員が婚約破棄になりましたし、社員のお子さんは大学に行くのを諦めざるを得なくなった。「企業が持つの責任ってこういうことなんだ」と思いました。

そして当時、公平ではない情報を流しているメディアがたくさんあったんです。売れるから、と。そして更に騒ぎが大きくなるわけです。私はメディアというものも変えなきゃいけない、と強く思いました。これが、私のその後の使命を与えてくれたような気がします。

潰れたあとで決めたのは、「もう二度と企業だけに頼る人生はやめよう」ということ。そこからフリーランスの人生に切り替えたんです。そして、山一證券が何をやったのか、なぜ誰も救おうとしなかったのかということを詳しく知るまでは絶対死ねないと思った。そのためにはどうしても金融に携わっていく必要があるなと思いました。

ただ、私のような何も金融業界でやってきていない、顧客も持っていない、株を売ったこともないような人間を金融不況に陥った業界が取るわけないんですよね。であるなら、金融とキャスターを組み合わせて「経済キャスター」になれば、この世界で生きていけるかもしれないと思ったんです。

ただ、それを周りに話したら、みんなバカにして笑ったんですよ。だけど私は、なんと言われても絶対になってやると誓いました。たくさんの人が泣いたり、苦しんだのを見たから。私自身はそれをオロオロして見ているだけで、救うことができなかったけど、今後、そのような方たちが出てくるのを防いだり、何があったのか伝えていけたら彼らは救われるのではないかと僭越ながら思ったんです。そこから、その目標のために戦略的に動くようになったんです。

「金融経済の専門キャスターになるためにはどうしたらいいかな」と考えたたとき、金融系の資格はあったし勤務経験もあったので、あとはキャスター経験を積めばいいと思ったんですね。そこで、ありとあらゆるケーブルテレビ局に電話をしたんです、キャスター職が空いていないか、と。実際、1つの局からオファーを頂きました。

そしてさらに、当時の松下電工さんから「うちが持っている局でキャスターをやってもらえないか」と連絡を頂いたんです。そこから、週の半分大阪に行って週の半分東京で経済の勉強する、という生活をして、いわゆる「キャスター」として活動するようにになりました。

数年の経験を積んだ頃、ブルームバーグTVというアメリカの金融経済専門のチャンネルがアンカーを募集していたんです。そこで多くの応募があったと聞いています。そこで、幸運にも内定を頂きました。でも、幸運だと思う反面で、戦略的に動いてきたから当然だとも思っていました。なぜなら、日本で金融というフィールドにいたことがあって、キャスターやったことがある人間は私だけだったから。「経済」と「キャスター」というタグを繋ぐことによって唯一無二になれた。そこから私の「金融経済の専門キャスター」の人生が始まりました。

 

キーパーソンに出会うために200%のパフォーマンスで臨む

フリーランスで長年働き続けられて、なおかつある程度お金を稼ぐってすごく難しいことだと思うんです。なぜなら常に時代に合わせて自己変革が必要だから。だから私は、今でも自分自身の成長と時代や環境などの動きを両軸で見るように心掛けています。20代の大きすぎるトラウマがあるから、今目の前にある「職」や「仕事」を失うのことに、いまだに恐怖感を持っているのです。だから、意識してインプットしています。

でもインプットしただけじゃダメで、アウトプットの質を高めること。それも、自分にしかできないアウトプットの仕方をしないと生き残れないと思います。特にフリーランスとして生きていくのなら。だから、20代で得た「常に自己分析と、実践をして反省する」というサイクルを回すことは、今でも役に立っているなと思います。

そして、アウトプットは手を抜かない。200%のパフォーマンスをするように心がけていると、あなたの人生を後に変えるキーパーソンに出会うことができるように思うんです。幸運の女神はいつ来るかわからない。けれど、ある人間が、何かのポジションの人間を探しているときに、真っ先に思い浮かぶ人に上がるためには、そういう努力が必要なんじゃないかと思います。私の周りにいるいかにも「幸運」を掴んだ人たちは、そういう水面下でのバタ足をものすごいやっている方たちばかりです。

キャスター時代にすごく頑張ったのは、ニュースに対して自分で仮説を立てて分析をするということ。そしたら「谷本の意見は面白い」と思ってくれる人たちが現れて、「コメンテーターにしてみたらどうだ」と、女性キャスターで初めてコメンテーターになれたんですよ。

出る杭だと思った人もたしかに沢山いました。実際に数えられない程の嫌がらせもされたし、きつくなかったと言えば嘘になるけれど、結果的にその出る杭だったおかげで、たくさんのお仕事をいただけるようになりました。なぜそれができたかというと、先に申し上げたような目標があったからです。それに対する、自身の役割があったから。その目標を達成するためなら、どんなことでも乗り越えられるという確信さえありました。

また、もうひとつ私自身をドライブしたのは、私は20代の前半で、全てを失ったということから生まれる、怖いもの知らずの感情です。会社、仕事場、お金……もう、失うものはない。だから、何をするのも怖くなくなったんです。今、すべてを持っている人はそういう熱い想いが生まれにくいかもしれない。じゃあ何を持ったらいいかというと「偏愛」なんです。そういう感情が大事になってくる。

教養も必要だけど、自分自身を際立てていくために必要なのは思考力であったり偏愛力というものが重要になる気がします。自分の偏愛は何なのか、考えてみるといいと思います。私の偏愛は「会社が潰れなければならなかった理由を知りたい」とか「メディアを変えたい」といったことでした。

覚悟のスイッチって、みんなにあると思うんですよ。そのスイッチが入るのは、早ければ早いほどいい。だから、何かあったときは「覚悟のスイッチ入ってるかな?」と自分で確認してみてほしいなと思います。

 

20代こそ戦略的に時間を使おう

アメリカの心理学者メグ・ジェイさんがTEDで「Why 30 is not new 20」という話をされていたのをご存知ですか?「どうして20代が重要なのか」という話です。さまざまなデータを用いて「人生は20代でほぼできあがるから蔑ろにしちゃダメだよ」と伝えています。

キャリアを考えたとき、20代で遊んでばかりいたら相当難しいと私も思います。たくさんのリーダーにお会いしてきて共通しているのは、みなさん20代でものすごく働いてるということ。20代とか若いうちじゃないとチャレンジできないことや失敗できないこと、また20代の感性でしか脳に沁み入らないことってあると思うんですよね。

以前、若宮正子さんという方に取材させてもらったんですけど、彼女は70代でプログラミングを勉強し始めて、80代でアプリを完成させたんですね。彼女が言っていて印象的だったのは、「始めるのは何歳でもいいけど、『あなた、70歳からパソコン教室通うの?』という声が聞こえなくはない」ということ。

大事じゃない時期なんてひとつもない。でも、若い時期の脳のピークに自分のキャリアのピークを持っていく必要はある。だから20代のキャリアを戦略的に考えていく必要があるんじゃないかなと思います。特に私自身、20代を振り返ってみると「誰と会うか」「自分がどこに所属しているか」「どういった風に時間を使うか」が重要だったなと感じていますね。

私はありがたいことに、20代のときにキーパーソンに出会うことができました。その時はキーパーソンだなんて気づかなかったわけですが。だから所属も、今の私自身を形成するのにすごく重要だったなと思うんです。自分でコントロールできることだから、自分自身にプラスになるように変えていくことで、まったく違う明日が見えてくるかもしれませんね。

あとは、20代で社会構造を知ることができたのも大切なことだったなと思います。自分の小さな目線だけでなく、お金と企業のバランスなどの構造を計らずも見ることができたのは大きかった。そしてお金も会社もすべて失って、人生の最低ラインを知ることができた。そうすると、何も怖くないんです。なんでもできる。

 

(取材:西村創一朗、写真/デザイン:矢野拓実、文:ユキガオ)