決断と挑戦を積み重ねてきた「リレーションデザイナー」川口 ゆりの生き方に迫る!

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第211回は、フリーランス広報・ライター・モデルの川口 ゆりさんです。高校1年生の時に空手部で経験した挫折を機に、高校3年生の時にはミス・ユニバース・ジャパン 北海道大会へ応募することになった川口さん。これまで幾度の決断と挑戦をしてきた川口さんに、これまでの人生やそれぞれのターニングポイントで大切にしてきた思いなどを伺いました。

 

広報ライター、企画・モデルのマルチな生き方だからこそ時間を大切にしたい

ーまずは自己紹介をお願いします。

北海道札幌市出身で、2019年6月に札幌から上京しました。現在はフリーランス広報・ライター、企業広告のモデルなど幅広く仕事をしています。元々、学生時代から女性の社会進出や働き方に関心があり、「世界三大ミスコンテスト」と呼ばれるMiss Universe Japanの地方大会の最終やMiss Internationalの日本代表選出大会に出場した経験もあります。

その後、Missの経験を生かしながら、北海道中を駆け巡って様々な自治体に呼んでいただき、講演会を開いていただきながら、新卒で入社した旅行会社では、法人支店で法人・教育・MICE旅行の企画手配や営業サポートのを経験しました。その後、転職先のファッションEC×TECH企業では人事・採用広報・広報PRとして経験を積み、昨年独立をしました。

ー現在はフリーランスの広報・ライター・モデルとして活動されていると思いますが、1日の仕事の流れについて教えてください。

フリーランスとして常に同時並行で様々な企業の広報部門や編集部でお仕事をしていますが、自分で自由に時間を組み立てて業務内容を決めています。人事や広報、イベント企画などのキャリアを活かした仕事もも多いですが、執筆・編集だけではなくモデルとしても担当するPR記事や広告出演など、目的達成の為には自身が表に立つこともあれば黒子として企画サイドに入ることもあります。

また、最近では都内の社会実験のための複合施設で「女将」という肩書で、イベントの企画と渉外調整、広報、接客を担当していました。まだ見ぬ価値を持っている様々な人々や物事を繋げる場所で様々な物事に関わりたいため、時間の使い方を考えながら常に新しい物事に挑戦したい気持ちがあり、マルチでフレキシブルな働き方を模索しています。

好奇心と強いチャレンジ精神は学生時代が原点だった

ー過去の話を伺えたらと思うのですが、どんな幼少期を過ごされていましたか。

幼少期は、マイペースで様々なことに興味を持っていました。幼稚園の遠足の時は、みんなでワイワイするよりも、一歩引いた目線で周囲にある建物や人などに関心を持ち、1人だけ先生のところに駆け寄り、色々と質問をすることも多かったです。好奇心旺盛な点は小学生の時も今も変わらないですね。小学4年生の時に両親に買ってもらったコンポではよくFMラジオを聴いていて、小学5年生の時にはラジオ番組にメッセージを送ったりするなど大人びていました。

「自分の知らない世界が世の中には広がっているんだろうな」と見えない未来に想像を働かせることがとにかく楽しみで、小学校で見る目の前の風景よりも、大人になってからの自分の人生の方が楽しみで仕方なかったです。

また、小学生の頃から後輩の面倒を見て気にかけることが得意で、生徒会長をしながら下級生のクラスに手作りの紙芝居の読み聞かせをしにいくなど、誰かの喜びや幸せを真剣に考えていました。自分の好きなことに熱中しありたい姿を追いかけ続けるところはは今の自分に繋がりますね。

ー高校はどういったところを選んだのでしょうか。

実は、高校受験に失敗してしまって、第一希望の高校への進学ではなく全校生徒1300人を超える、日本で最多の甲子園出場を誇る私立高校に進学しました。人が多く集まる学校は、必然的に挑戦できる物事が多いだろうと思ったからです。実際に面白い先生がいる場所で、英語の先生と国語の先生と一緒にバンドを組んで学園祭で演奏することもありましたね。

また、高校1年生の時に空手部に入り、空手の選手を経験しました。しかし、空手部での試合中に足を怪我してしまい、挫折をしてしまいました。最初は空手を続けたいという気持ちがあったものの、休んでいる間にどんどん周りと自分との差がついていく姿からを見て感じ、退部することになってしまって…。

新たに挑戦できるものを探していた時にMiss Universe Japanの存在を知る

ーそんな時に今の川口さんを作るきっかけとなった出来事があったそうですが、何に挑戦されたのでしょうか。

高校3年生の時に、Miss Universe Japanの北海道大会に応募しました。空手部を退部した後の1年後の高校2年生の時、スポーツではなく何かに挑戦して成長したいと考えていた際、札幌駅前を歩いているとMiss Universe Japan のポスターをたまたま発見しました。詳しく見ると募集要項の年齢制限が18歳〜27歳とあり、高校3年生になったら応募できると思い、高校2年生の時から本格的にダイエットを始め、18歳になったタイミングで応募しました。

Miss Universe Japanについてはテレビで厳しいトレーニングの様子を拝見したことがあり認識はしていましたが、地方からでも応募できることに驚き、勇気を出しました。コンテストは自分と他者の違いを徹底的に知り戦略的に行動する必要があるため、マイペースになりきれず周りの目を気にして生きてきた自分にとっては良い経験だろうと思い、興味を持ちました。

ー結果はどうだったのでしょうか。

初めてのMiss Universeは北海道大会に出場し、エントリー総数200人から書類審査・一次審査、最終審査を経てファイナリスト8名に選ばれました。日本大会には出場できなかったものの、史上最年少でのTOP8入りでした。ただ、1度コンテストを受けただけでは、やはり自分の思う結果を残せないなと悔しさを抱き、結果発表が行われたステージ上では仲間と抱き合いわんわん泣きました(笑)

ー応募してからファイナリストになるまでの間にご自身が変わったなと思うポイントはありますか。

自分の強さも弱さも含めて自分なのだと思えるようになりました。コンテストに応募する前は、他者評価=自信でしたが、ビューティーキャンプというファイナリスト限定の2週間ほどのトレーニングを通して自分とはどういう人で、どんな生き方をしていきたいのかを真剣に見つめる時間を経験しました。その経験を通して、本当の意味で自分を深く知り、自己を肯定できるようになっていきましたね。

ーその後はどうされたのでしょうか。

それでも、Miss Universeでは納得の行く結果ではなかったので、一度だめでも何度でも諦めずに応募する過程で成長を望めるのではと思い、同時に最初から全国大会に進める大会に挑戦したいと思い、Miss Universeと同じ世界三大ミスコンのMiss International 2014 日本代表選出大会に19歳の時に応募しました。

19歳の時に出場したMiss International 2014 日本代表選出大会は結果としては約3000人の応募者の中から最終の22人まで進みました。将来を考えた時に、ミスコン経験者のセカンドキャリアとして予想されるタレントやモデルなど、人前に出る仕事をメインにすることも検討したのですが、画面越しではなく社会の近くにいながら人と関わることが自分らしさだと思い、まずはビジネス領域で幅広く様々な領域に携わりたくて就職活動をすることにしました。それでも本当に表舞台に立ちたかったら、いくらでも社会に出てから挑戦するだろうと自負もありました。

学生時代はモーターショーへの出演やMCを経験していたのですが、仕事自体は面白くてもまずは就職してみたいという思いが強かったですね。

自分らしさを大切にし、納得できる選択をする

ー就職活動を通じてどういった企業を選んだのでしょうか。

様々な会社を見ていく中で、一般の方にもそうでない方にも身近な存在でありながらも、仕事を通して関われる業種が多く、グローバルな視点が持てる分野で働きたいと考えていたため、大手の旅行会社に就職しました。

旅行会社では、企業や学校、学会・大会などMICE(Meeting、Incentive tour、Convention・Conference、Exhibition)を担当しました。既存のパッケージ商品を販売する個人旅行向けの業務だけではなく、お客様の要望に沿ってオーダーメイドの旅程を企画し、情報を集めるといった、要望に応えるだけでなくお客様がより満足するための提案をする面白さがありました。

しかし、入社した会社は日本で一番古い旅行会社で、社風が堅く、あらゆる場面で会社の看板を強く意識する必要があり、自分らしく振る舞えないことで、不自由さと葛藤を感じていました。

ー会社にギャップを感じていた中で、どのようにして気持ちを立て直したのでしょうか。

その会社を選び入社をした事実に変わりはないので、自分の捉え方を変えようと思いました。捉え方を1つ変えてみると、大手企業の仕組みを社会人として早い時期に学べたことで、今後の社会ではどんな会社が求められていくのかを考える期間にできると思いました。
当時は「これからのキャリアをどうしようか」と多少の不安もありましたが、3年間会社としてのを考えつつ、自分がより伸ばせる能力に気づいていく社会人3年目までの期間として捉えていたので、後悔はありませんでした。

新卒で入った会社を3年続けるかという点で悩まれる方もいるかと思いますが、私は3年いるのが必ずしも良いとは思っていませんし、自分が違うなと思ったらすぐに会社を辞めてもいいと思います。しかし、まずは自分の決めた道を納得がいくまでやってみてから考えるのでも遅くないですし、そこで仮に「失敗した」と感じたとしても、なぜ失敗したのかきちんと振り返ってから次の判断をするのも一つだと思います。

ーそこからの転職先は以前の会社と全く異なる会社に進んだのでしょうか。

様々なファッションブランドのECサイトをワンストップで行っているIT企業にWantedlyでのスカウトがきっかけで転職しました。

異業種・異職種での仕事でしたが、転職前にセルフコーチングの本を買って、数ヶ月かけて自分にとっての幸せと徹底的に向き合っていたので、会社に出会った時に「この会社なら自分らしく働ける」と確信を持てていたのが大きかったです。自分の中でその道に進むか進まないかを考えた時に不安よりもその先の世界が見たい、壁を乗り越えた先に自分はどうなっているのかに関心があったため踏み出せました。

ー転職先の企業ではどのような仕事をしていましたか。

転職した会社では、最初は人事と採用広報の担当者として札幌の人事部門の立ち上げを担当し、エンジニア、デザイナー、マーケターの採用を担当しました。また、支社が本社化するタイミングと重なり広報にも力を入れる必要があり、人事部門だけではなく広報の仕事も行いました。

未経験から人事や広報として活動するのは最初は心細いこともありましたが、当時の上司の力強い後押しや、人事部門でパラレルキャリアを実践している知人がビジネスパートナーのように壁打ち相手になってくださったり、挑戦したことのない仕事の機会をくださることもあり、仕事とは一人で完結するものではなく、良い意味で周囲に影響を受けながら協力しあうものなのだと感じ、このあたりから周囲との関係性を凄く大事にするようになりました。

次第に、もっと視座を高めて様々な世界をを見ることで今の仕事により活かせるのではないかと思い始め、複業を検討するようになったのですが、当時働いていた会社が複業禁止だったため、当時の上司と相談し、業務委託に切り替えてみないかということで自然と独立をすることになりました。

そこから、上京するまでの半年間は札幌で採用担当と採用広報を行いながら、東京に通いながらフリーの仕事を受注していくようになりました。「なぜ独立したのか」と周りによく聞かれますが、当時の会社の仕事に従事しながら自分が大切にしたい部分を叶えていくための一つの手段でしかなかったため、最初から独立することが目的ではありませんでした。

人との関わりと関係性を大切にしながら、社会に温かな循環を生み出す象徴的な存在でありたい

ー広報とライターを中心とした独立を選んだのは、なぜだったのでしょうか。

旅行会社の法人支店での企画手配や人事職など、目の前にいる人と本気で向き合う仕事を一貫して続けてきたのですが、組織や事業の可能性以上に人が大好きなことに気がつき、目の前の人の良さをより多くの人に知ってもらいたいという気持ちを大事にしながら働きたいと感じたためです。

そのような純粋な内発的動機や組織内の関係性を丁寧に表現したいと考えた時に、企業の人事・広報PR視点を持てる仕事も一つだと思ったのです。

ー実際に独立をして、いかがでしたか?

実は、独立をして仕事を一から作らなくてはならないタイミングと同時期に婚約を機に上京を経験したので、最初はそのような状況下で仕事が来るのか少し不安でした。しかし、会社員時代からTwitterやnoteで顔と名前を出して発信を続けていたため、独立の機会に一緒に仕事がしたいと言ってくださる企業に恵まれたり、ひょんな出会いから自分が経験したことのなかったウエディング業界などの職種に関われるなど、一気に世界が広がりました。会社や何にも縛られず、学生時代からの経験を全て生かして仕事ができることを知り、人生には無駄なことなどないのだと感じましたね。

今は、人事経験を生かしてHR領域のライターをしながらも「関係性」という軸でウエディング業界を中心としたライターやと企業広告の商品着用モデルなど、幅広く経験しています。2020年にはBOOKOFFの新サービス「すてるより、すてき。」のイメージモデルにもなりました。

表舞台も裏方も含めて、その時々に合わせて自分が生かせるスキルを生かしながらも知見を深め成長していきたいと考えているため、何をやるかは特にこだわりはありません。自分自身がどうありたいか、という視点でいたいですね。

ー独立をして、大変なことはありますか?

案件ごとのチーム関係も多く、仕事が終わる寂しさを感じることはありますね。また最近では、コミュニティマネージャーに近い「女将」という存在として、場所を持って人と関わる経験をしましたが、場所や時間に縛られても、誰かが毎日会いにきてくださる幸せを感じたので「自分はこういう働き方ではなければならない」という思いこみの枠を外し、様々な働き方を経験しながら幸せを追求したいですね。

ー川口さんが目指す今後の生き方について教えてください。

関係性を大事にする人がその場所にいることで生まれる価値を追求していきたいですし、まず自分自身がそのような存在でありたいと考えています。誰かを愛することで誰かからも愛され、愛されることで誰かを愛せるといった好循環を作っていきたいと常に考えていて、「愛するために、愛される。愛されるために、愛する」という個人理念を元に生きていきたいですね。10代の頃から挑戦と決断を大事にして生きてきたので、事業や自分の成長をスピード感を持って追いかけていくことも喜びではありますが、それだけが人生ではないとも考えています。

その場に関わる人々が安心して働ける環境を作ることや、自分も他者も肯定できる空間や関係性を強く守りきることも自分にとっては等しく大事なことで、周囲を大事にすることなくして会社の成長を追いかける必要はあるのかとも常に問い続けながら生きています。

ー最後に、同世代へのメッセージをお願いします。

世の中には様々な人がいて、生きる上での価値観は多様にあり、日々多くの情報が溢れていますが、その中で自分らしさを作る鍵とは、世の中の動きがどのような視点で常に動くかではなく、どんな時も自分の頭で考えて、胸の中にある本当の気持ちにいかに誠実に向き合いながら社会を見つめることではないかと思います。そこに誠実であれば、たとえ過去には考えもしなかった新たなキャリアを拓くとしても、振り返ったときに「あの決断で良かった」と肯定できると思うので、日々過ごしている中で自分がどういった時にで幸せを感じるのかを丁寧に受け止め、大事にし続けたいですね。

ー川口さんのお話を通じて、自分が何に幸せを感じるのかを切り口にどんな生き方をしていきたいのか、どうありたいのかを考えるきっかけになりそうですね。今後のご活躍を応援しています!

取材者:あおきくみこ(note/Twitter
執筆者:大庭 周(Facebook/note/Twitter
デザイナー:五十嵐 有沙 (Twitter