コミュ障のシステムエンジニアからイベントアクセラレーターに転身した西舘聖哉の原点とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第109回目となる今回は、システムエンジニアの経験を持ちながら、現在はイベントアクセラレーターとして活躍する西舘聖哉さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

東京のIT企業に就職すると決めて勉強に励んだ学生時代。システムエンジニアを目指して上京した西舘さんを待っていたのは、予想外の部署への配属でした。当初の希望とは異なる道に戸惑いながらも、業務に邁進する日々。そんなとき、社外イベントに参加したことをきっかけに、イベントの持つ魅力に気づきます。

今や月間10本以上のイベント運営を支援するほど、引っ張りだこな西舘さん。さまざまな経験を積んできた人生だからこそ伝えたい、熱い想いと今後の夢がありました。

 

イベントアクセラレーター 西舘聖哉の誕生

ー本日はよろしくお願いします!まずは、自己紹介をお願いします。

イベントアクセラレーターの西舘です。イベントを「加速」させることを目標として、支援する仕事をしています。僕を表す言葉を持った方がいいなと思い、自分で「イベントアクセラレーター」という肩書を付けました。

大学卒業後、システムエンジニアとして株式会社富士通ビー・エス・シーに新卒入社しました。ひょんなことから仕事でファシリテーターを務めたり、社外活動も増えたりしたことで、少しずつイベントに興味関心が向くようになったんです。転職を経て独立し、システムエンジニアとイベントの仕事を並行して行い、現在はイベントの仕事を主軸に、製品プロモーションのお手伝いなども取り組んでいます。最近は、ありがたいことに大手企業の方からも声をかけていただける機会が増え、特にイベントのオンライン化のサポートに力を入れています。

 

ーイベントアクセラレーターとして、具体的にはどのような業務をされているのでしょうか?

自分でイベントを主催する場合は、企画立案からクロージングまで、全工程を行います。具体的には、オフラインであれば会場の確保、スケジューリング、集客など、イベントの運営に関わること全てを含みます。イベント運営を手伝う場合は、困っている点を伺ってピンポイントにサポートをします。加えて、相談されなかったところも、相手が迷っていると判断したら首を突っ込んで、イベントの終了まで併走しています。

 

ー全工程を任せられるとなると、相談する側も安心して依頼できそうです。オンラインイベントが浸透する前後で、問い合わせ状況にも変化があったのでしょうか?

実は、オフラインでイベントを開催していた頃は、そこまで依頼数が多くなかったんです。主催イベントを月に1本やることは決めていましたが、軌道に乗ってきたときも、主催1本・外部サポート2本で、月に3本あれば多い方でした。それが、現在は10本以上。1日に3本のイベントをこなす日もあり、まさかこんな大きな変化が起きるとは驚きでした。

もともと僕は、比較的早い段階でオフラインからオンラインへ切り替えていました。その際に得たナレッジとしくじり談が溜まり、「イベント運営で気をつけた方がよいこと」をSNSで発信していたんです。5月中旬頃に世の中でもオンライン化が活発になったことが重なって、サポート依頼が多く寄せられるようにました。

 

ー3倍以上の本数に…!需要が急増した様子が伺えます。中には、これまで見られなかったような依頼もあったのではないでしょうか?

大手企業に対し、細部にわたってアドバイスをするようになったのは、オンライン化が進んで以降の出来事ですね。僕は以前から、前職の親会社にあたる富士通の会場を借りて、イベントを開催させていただいたりしていたのですが、今回のオンライン化で仕事として話をいただいた時は驚きました。

このように「社内でオンラインセミナーをしたい」というニーズが出てきたときに、イベント担当の方やゲストスピーカーが「イベントのプロに依頼しよう」と僕を呼んでくださる機会が増えていったんです。深い部分に入り込んだアドバイスをするようになるとは、これまでの自分であれば思ってもいませんでした。やはり誰しも、やるからにはできるだけ失敗したくないですよね。その安心材料として、僕という存在が、たまたまイベントのプロとしてのポジションにうまく入り込んだ感覚がありました。

 

ーイベントのオンライン化が進んだことで、依頼内容にも大きな変化があったんですね。

僕はもともとIT企業で働いていたので、以前から「オンライン化はやった方がいいんだろうな」と思っていました。最近は、無料または安価でライブ配信可能なツールがたくさんあります。そういったツールを、僕は常に自分で事前にトライしてから、「これは使える!」と確信を持った上でおすすめしてきました。

実は、オンライン化によって楽になることがたくさんあります。会場を抑える必要がなかったり、飲食物の準備がいらなかったり、終電時間を気にして時間設計をせずに済んだり…。なので、新型コロナウイルスが落ち着いて、オフラインイベントが無制限に開催できるようになったとしても、僕はオンラインイベントも継続していきたいと思っています。圧倒的に手間が少ないところは、やはり魅力的。オフラインのイベントをオンライン配信するなど、ハイブリッドなやり方にも挑戦してみたいですね!

 

「システムエンジニアになりたい!」追いかけ続けた夢

ー今やイベントのプロとして大活躍の西舘さんですが、以前は現在の仕事内容とは全く違うことに興味を持っていたと伺いました。

そうなんです。もともとはIT、テクノロジーの分野に惹かれていて、高校生の頃から「将来はIT企業に就職する」と決めていました。僕は北海道札幌市の出身なのですが、地元に情報系の専門学校があり、大学とのダブルスクール制度を利用してITについて学ぶことができたんです。当時、「ITの最先端は東京だ!」と思っていたので、最初から東京就職を目指していました。

 

ーITに興味を持っていたんですね!

今思えば安易だったなと思いますが、中学生の頃に学校へ来てくださっていた先輩が、「工業高校に入学すると就職先に困らない」と言っていたのをそのまま信じ、受験直前の進路相談で受験先を変更したんです(笑)親もこれにはびっくりしていました。最後は直感で工業高校の情報コースを選び、無事に合格することができました。

高校では、C言語などのプログラミング言語の触りのようなことに挑戦できる機会に恵まれました。「こういう仕事なら楽しくできるのでは」と思って調べていくうちに、システムエンジニアという職があることを知ったんです。進路担当の先生に相談したところ、高卒だと専門知識に乏しく、システムエンジニアになることは難しいだろうと…。

ちょうどその頃、のちに進学することになる専門学校の方が学校説明で高校に来る機会がありました。そこで話を伺って進学を決め、当初は専門学校だけに行こうと考えていました。ダブルスクールであれば大卒資格も取得可能だと知った親に、「大卒も取っておいたら?」と言われたことで方向転換し、ダブルスクールの道に進むことを決意。いずれ社会に出るのであれば、それなりに準備をしておいて損はないと思っていたので、就職ではなく進学を選ぶ抵抗感はありませんでした。

 

ー学校を卒業後、1社目の会社とはどのようにして出会ったのでしょうか?

就活時も東京で就職したい気持ちに変わりはなく、東京にある会社を主軸として受けていました。そうなると、僕の場合は北海道と東京の往来が必須。限りある滞在時間内に、可能な限りの選考を詰めていました。たとえば、1日目の朝に出発して4日目の夜に戻るとすると、4日間で7社受けて北海道へ帰る。このような生活を繰り返していましたね…。

システムエンジニアになりたかったので、SIerのポジションがある企業の選考を中心に受けていました。当時の僕は、どの業種の開発をしているか程度しかきちんと見おらず、会社そのものに対してのこだわりはあまりありませんでした。のちに入社することとなる富士通の子会社にあたる株式会社富士通ビー・エス・シーは、SI系の領域を担当していた会社だったため、企業を検索していたときに偶然出会ったんです。正直、まさか受かるとは思っていませんでした。ボーダーフリーの学校に通っていた僕が、富士通という名のある冠がついたメーカー企業に入社できるなど、想定外の出来事。入社後、同期から「その学校からよく受かったね(笑)」と少し馬鹿にされましたが、僕自身もそう感じるほど驚きました。

今でこそ言える話ですが、他社の選考日程上、たまたま富士通ビー・エスー・シーの近くに行く予定があり、記念受験のつもりで受けたんです。そんな気持ちだったのに、いざ参加してみるとすごくいい説明会で(笑)感銘を受けた僕は、その場で採用担当者に「僕、ここ受けます!」と言って話し込んだのを覚えています。その結果、まさかの内定。連絡をいただいたときは、本当に涙が出たほど嬉しかったです。

 

ー歓喜の想定外だったんですね。当時は、大手企業を中心に受けていていたのでしょうか?

東証1部に上場しているSIerばかり受けていましたね。でも、きちんと人や学力を見るような会社だと、お見送りになることも多く、それなりに多くの選考に挑んでは落ちてを繰り返していました。富士通ビー・エス・シーに内定をいただいて涙が出てきたのも、実はかなり就活に疲れていたからだったんです。北海道と東京を行き来しながら相当数の企業を受け続ける毎日。こんな生活が2〜3ヶ月続いていました。僕にとってトップクラスで働きたいと思える企業からの内定は、本当に救われる思いでしたね。

 

想定外の配属。でも、この経験なくして今の自分はいない

ーいよいよ、憧れのシステムエンジニアに。そこで待っていたのは、西舘さんが想定していたものとは異なる業務だったそうですね。

当時の僕は、システムエンジニアの全ての仕事内容を把握していませんでした。プログラミングしか意識しておらず、それができる仕事だと思っていたんです。ちょうどその頃は、スマートフォンが流行っていたので「関連部署に行きたい」と伝えたところ、幸運にもスマートフォンの仕事を取り扱っている本部への配属が叶いました。その中でさらに3つの部署に分かれており、1つはプロモーション部署、もう2つが開発部署です。人員配置の結果、僕はプロモーション部署への配属が決定しました。この時点で、エンジニアルートからは外れたと言えます。加えて、配属から1ヶ月後には、そのプロモーション部署が、営業系の仕事を扱う本部に異動することになったんです。

「僕はこれからコードを書くんだ」とばかり思っていたので、衝撃的でした。資料作成をしたり、製品ブラッシュアップの会議ファシリテーションを任されたり…。本部長に話に伺うこともあり、「なぜ、新人の僕が偉い人のもとへ話をしにいかなければいけないのか」と思うこともありました。本当に怖かったです。一方で、難しいことも率先して新人に任せてくれるような環境に対する感謝もありましたね。

 

ー今の西舘さんにつながるファシリテーションとの出会いは、1社目にあったんですね…!

初仕事で、「まずは展示会に行ってこい!」と送り出してくれた上司の存在もあって、会社外の方、目上の方と話すという場においてのコミュニケーションの基本などを、1社目で経験させてもらいました。「ここにいなかったら今の自分はない」と、本当にそう思いますね。コードを書くだけの仕事だったら、きっと社内の出世競争に巻き込まれながら、ひたすら机に向かっていたでしょう。正直大変なこともありましたが、この経験をしていてよかったと感じています。

 

ーその後、社外イベントに足を運ぶようになったそうですが、何がきっかけだったのでしょうか?

上司のすすめで展示会に行けば行くほど、フットワークが軽くなっていったんです。その結果、「会社の外の世界にも楽しいことはたくさんあるんだ」と気づきはじめました。

もともと、プロモーション部署として他部署との連携も多いことか、社内イベントや飲み会の場では、「どこにでも現れる人」として認知されていました。活動範囲が広まることでだんだんと、自社内だけでなく富士通本体の社内イベントやセミナーにも顔を出すようになり、「どこにでもいるキャラ」はますます濃くなる一方(笑)親会社でコミュニティ運営をしている方と仲良くなっていくうちに、催し物に対する抵抗感が薄れていく感覚があったんです。大手企業ということもあり、社外の方や著名な方と関わる機会も増え、イベントに行くことそのものの楽しさを覚えていきました。

 

ー仕事柄、社内外の人と会う機会が増えていったんですね。

社会人2年目の終わり頃に、「同年代のすごいエンジニア」にまつわるIT系のニュースが目に留まりました。そこに掲載されていたエンジニアさんを見たとき「この人に会ってみたい!」と直観的に思ったんです。振り返ると、本格的に社外に出る大きなきっかけでした。僕の場合、人がトリガーだったんです。何かを学びたいというよりは、その人に会いに行こうとする気持ちが、一歩を踏み出す勇気に変わっていきました。

その方に実際に会うことが叶い、発想はすごく天才的なのに、人間臭いところに好印象を持ちました。「ネットで紹介されている有名人」が「人間」に変わった瞬間でした。そのイベントを通して、「有名人も意外と身近な世界にいるのかもしれない」「自分でもこういうところに来ていいのかな」と思うようになりました。もう一つ、大きな衝撃として、その人はすごく楽しそうにテクノロジーの話をする方で、周りに集まっている人も同じように楽しそうに話す人が多かったんです。やはり、人は似たような人の周りに集まるんだと思いました。

こういう経験を重ねるうちに、社内より社外に目が向くように…。社会人3年目のときには、終業後の時間を使って、年間100回程度のイベントに足を運ぶまでになりました。セミナー、ワークショップ、読書会などなど…休日も利用して積極的に顔を出していましたね(笑)

 

ー人に惹かれたことがはじまりだったとは。素敵な出会いですね。

そこからは、完全に人が起点となって、つながりが増えていきました。

イベントに何度も行って話をしていると、だんだんと顔を覚えてもらえるようになるんです。そうすると、「こういうのも面白いから行ってみたら?」と、次のイベントを紹介してもらうことも増えていきました。新しいコミュニティに足を運ぶ抵抗はなかったので、行ってみると「この子、最近よく来る子なんだよね」と、周りに紹介していただけるように。そのうち、話を聞きたい人も知りたい内容も、消化できないくらいに増えていきました。

 

ー順風満帆に見える当時の西舘さんですが、ちょうどこの頃1社目を退職。何がきっかけだったのでしょうか?

退職した理由は2つあります。1つは、最初に志したプログラミングを一度きちんと仕事にしたかったこと。それでずっとやっていくというよりは、一度経験しておきたかったんです。もう1つは、若いうちに外の世界を経験しておきたかったという理由です。 

今思えば、当時はすごく斜に構えていたと思います。ネットで「今は積極的に動いた方がよい時代だ」という言葉が目に留まる一方で「3年間は同じ会社にいた方がよい」と言われ続けて育ちました。そういう社会の風潮も感じていた中で、「果たして本当に3年いるべきなのか?」と疑問を持つようになったんです。そして、約2年半で退職することに決めました。今思えば、調子に乗っていたなと思う部分もあります(笑)「世の中に逆らうんだ!」という意識があったので、3年経たないうちに辞める決断をしました。

当時から、将来的な独立を視野に入れつつ、転職活動をしていました。結果的に、プログラミングのできる会社への入社が決定。働きながら、その会社で自分を伸ばしていくか、独立するかを考えていこうと思っていました。

 

ー1社目と2社目で違いを感じる出来事はありましたか?

まず、社員数が大きく変わりました。2000人を超える会社から100人以下の会社になったんです。そうすると、もちろん企業の充実度が違えば、お客さんとの関係性も異なります。大きい企業にも小さい企業にも、いいところもあればそれぞれの歪さもあるんだと気付きました。約1年間、エンジニアとして勤務しましたが、だんだんとこの会社で長く働くことは難しいと感じるようになりました。「この仕組みの中で、ずっと自分の活動を並行して継続し続けるのは厳しい」そう思い至り、独立に向けて本格的に動き始めます。

 

天職との出会い。イベント運営の醍醐味は「人間臭さ」にある

ー少しずつ違和感を感じることが増えていったんですね。それまで数多くのイベントに参加されてきた西舘さんですが、運営側にまわったきっかけはなんだったのでしょうか?

知り合いが、Facebookでイベント運営メンバーを募集していたところに、僕が手を挙げたことです。その方は、もともと僕がトークを聞きに行ったことのある方で、Facebookを通して以前からつながりがありました。その頃、ちょうど僕自身も運営サイドにまわりたいと思っていたタイミングでした。名乗りをあげたところ、快く運営メンバーに招き入れてくださったんです。 

正直、このお手伝いは単発で終わると思っていました。そのとき、出演者のひとりが、「第2回は自分がやります!」と宣言。すると、運営に非常に熱量高いメンバーが集まっていたこともあり、次回開催に乗り気になる人が何人も…!「西舘くんも手伝ってくれる?」と声をかけてくいただき、もちろんその場で即快諾。実は、次のイベント会場は長野県だったのですが、喜んで行く気持ちでした。その結果「こいつは長野まで来るやつなんだ」と思われたんだと思います(笑) 

運営メンバーとして、東北や九州の開催にも立ち会わせていただきました。このとき僕が担当していたのは、会場の電子機器周りの全て。ITの勉強をしていたり、エンジニアだったりした経験が活きた瞬間でしたね。今思えば、この経験が今のオンラインイベント開催の仕事にもつながっていると感じています。

 

ー素敵な巡り合わせですね!参加者側から運営側に移ったことで、感じる楽しさに変化はありましたか?

これは天職だと思いました。

昨年、3日間の合宿イベントに参加しました。そのとき、運営のみなさんが困っている様子を見て、助けたくてうずうずしている自分に気づいたんです。このときには、「運営をしたい」という気持ちの方が、参加を楽しむ気持ちより強くなっていたのでしょう。イベントの熱量が一番高いところにいれる感覚は、自分が主体的に入るからこそ味わえる感情です。一緒に準備して、一緒に回して、トラブルも解決し、やりきって、さらにそこから楽屋トークに移る…。あの、人間臭さが1番出る楽屋トークがたまらなく好きなんです。現在は参加者よりも運営者であることに強い魅力を感じます。参加者としてその場にいる時も、「このイベントはどのように運営しているんだろう」という目線で見ていることも多いです。

 

ー天職だと言い切るところに、西舘さんの熱い想いを感じます。今と昔の自分を比べて、変わったなと感じることはありますか?

昔は、会話の間合いや相手の感情をはかることが苦手だったんです。今でこそ言えますが、小学校と中学校は、友達がいない生活を送っていました。1社目でも同期から「コミュ障」と言われ、いつしか、自分はコミュニケーションが苦手なんだと思うように…。でも、1社目の経験から、少しずつ喋れるようになって。そこから、「コミュ障と言われ続けたけれど、きちんと喋れる自分もいるんだ」と、自己認識できるようになっていきました。学生時代に友達がいなかったことが嘘みたいに、今はとても多くの方に支えていただいています。ご縁を周りにどんどんつなぐようになったのも、大きな変化だなと感じますね。

ITを生活の一部に、もっと身近に

ー最後に、西舘さんの今後について聞かせてください。

実は、僕はまだ特に大きな目標を持っていません。今はこの変化の激しい時代の中で、その場その場で起こることを楽しみながら、大切にしていきたいなと思っています。一つひとつを意識して、自分の日常に取り入れながら生きていきたい。また、いろいろなことを積み重ねてきた自分だからこそできるような何かを発信していきたいと思います。

最近、働き方改革やキャリアなどをテーマにしたイベントで、モデレーターを務める機会も増えてきました。そうした機会の中で自分が伝えたいことを考えてみたんです。それで思い至ったのは「デジタルをもう一歩身近に感じてほしい」という想いでした。僕は、自分の持ち合わせる知識をクローズにするつもりはありません。僕に相談してくれた結果、「このPC使ってみようかな」「デジタル化をやってみようかな」と思う人が一人でも増えてくれたら、それが何より嬉しいです。そして、そのような人がすこしずつ増え、世の中のITリテラシーが向上したら素敵だなと思います。そういう活動がもっと伸びていくようであれば、よりビジョンを明確にして会社も経営してみるのもありかなと考えていますね。

すっかりイベント屋になった今でも、テクノロジーが大好きなことに変わりはありません。最近だと、配信に使えそうなハードウェアを買いあさって、映像を合成したり、カメラで撮影してみたり、動画を編集したり…。今、自分の周りにあること、手の届きそうなことを吸収して、これからのオンラインイベントを作っていく一人になれたらいいなと思います。今足りないピースは、これからの挑戦でどんどん補っていきたいです。

ー今日はありがとうございました!西舘さんのさらなるご活躍が楽しみです!

ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。

===
取材・執筆:青木空美子(Twitter/note
編集:野里のどか(ブログ/Twitter
デザイン:五十嵐有沙(Twitter