「好きなことを仕事にするために」編集者、レースクイーン、広報と変化したフリーライター・橋本岬の戦略的転身

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第86回目のゲストは、ライター・広報として活躍するフリーランスの橋本岬さんです。

 憧れだった出版業界に入るも、あまりの激務で半年で退職。突然のフリーランス生活が始まり、橋本さんが選んだのは「自分の希少性を高めること」でした。そうしてレースクイーン×ライターという異色のポジショニングをとった橋本さんのユニーク過ぎるキャリアに迫ります。

 

「ピチレモン」が夢の扉を開いた

ー本日はよろしくお願いします!まずは、現在の橋本さんのお仕事についてお聞かせください。

橋本岬です。フリーランスでライターと広報を仕事にしています。私には、3つの肩書きがあります。まず、ライターです。女性の働き方などに関しての記事執筆を複数のメディアで行っています。

2つ目が、シューマツワーカーの広報です。シューマツワーカーは複業人材のマッチングサイトになっており、もともとはこちらで会社員として広報を勤めていました。退職後も、継続して業務を行っている形です。

そして3つ目が、東大発サイバーセキュリティ企業・株式会社Flatt Security の広報です。

 

この3つの軸をバランスよく組み合わせて働いています。複業をしている人で、同じ悩みを抱えている方もいらっしゃるかと思うのですが、どれかを頑張ると、他の部分で粗が出てしまうんです。わたしにもそういった経験があります。なので、どのお仕事も、同じバランスで、同じ姿勢で向き合うようにしています。

 

ー橋本さんが選んで今のスタイルに行き着いたと思われますが、もともとやりたいお仕事だったのでしょうか?

フリーランスになりたい、と思っていたわけではありませんでした。むしろ昔から、やりたいことが言語化できなかったんです。私はバブル崩壊後に生まれて、大学受験の時にリーマンショックが起きていました。刻々と変化していく経済を目の当たりにし、「なにになりたい?」なんて聞かれても、変わるのだから決められないと思っていたんです。

そんな中でも、夢がありました。それは、「ピチレモンの中に入りたい!」というものです。ピチレモンというのはローティーン向けのファッション雑誌です。小学生の頃、私は友達が少なくて、暗い子で、遊びといえば公園で虫を眺めていました。そんなとき、ピチレモンと出会って、世界が広がったんです。

雑誌のたった1ページだけで、きらきら輝く情報がいっぱい手に入る。可愛さ、お洒落さ、カラフルさ。可愛い空間に触れられることに感動し、この中に入りたいと思いました。スタッフクレジットまでチェックして、そのとき「こういう雑誌を作る仕事があるんだな」ということを知りました。

 

仕事の面白さを肌で感じる

ー橋本さんのご経歴は、一社目が出版業界とうかがっていますが、小学生のときの原体験がつながっているんですね。

ただ、出版業界やマスコミ業界は、狭き門で、親や先生にはずっと反対されていました。大学時代はネットで出版社などのインターンやアルバイトを探し回り、結局、編集プロダクションも含めて3社を経験します。

とにかく人に会って、「出版業界で働きたいんです!」ということを伝えていたら、知人から「大手出版社で新しくマンガ雑誌の編集部が立ち上がり、人を探しているらしい」と聞きつけ、とりあえず履歴書を送付しました。

その会社では、規則として学生のバイトを受け付けていません。しかし、「現在、3年生で、単位も取り終わっていて時間がある。大学院へ進学するから就活もしない。いつでも呼ばれれば駆けつけます!」と訴えて、採用してもらいました。

 

ー素晴らしい熱意ですね…!

とは言いつつ、実は単位がめちゃくちゃ残っていたんです。それ以前は、ライターの勉強のためにセミナーなど通っていたので、大学にはあまり行っていませんでした。そこから必死で大学に通います。平日と土曜日の1限から5限まで、単位がとりやすいと言われている講義を詰めて、学校に居座り、なんとか単位を取得しました。もちろん、その間、編集部に呼ばれれば飛んでいきます。

所属していた編集部は、集英社の名物編集者と呼ばれる方々が集まっていて、そのような環境で働けたことは、大きな分岐点になったと思います。「メディアの仕事って、やっぱりすごく楽しいんだ」「絶対、この業界で働きたい!」そういった想いが募りました。また、自分が携わった作品が、世に出て、反響が起きることも嬉しかったですね。社会へのインパクトを埋めている、と高揚しました。

 

ー充実した経験を積めたのですね。ところで、面接を受けた時点で、大学院進学を決められていたようですが、どうしてですか?

皆さんが知っているような出版社に採用される人は、高学歴な上に、エピソードトークまでうまい、強烈な個性を持った人ばかりです。そうじゃなきゃ入れない、狭き門。大学院へ行ったのは、出版社に就職したい気持ちと、採用への高いハードルのギャップから「どうやったら入社できるのか、好きなことを仕事にできるか」を考えるモラトリアム期間が欲しかったからです。

また、出版業界では、出身校を話題の切り口にして仲間意識を高めていることに気付かされました。私は埼玉県の獨協大学で学んでいましたが、業界の方々との共通言語欲しさに法政大学の大学院へと進学しました。

 

憧れの会社はブラック企業だった

ー進学の選択も、出版業界への憧れが源だったんですね。せっかく進学した大学院を中退されたそうですが、それはなぜですか?

大学1年の後半に、編集プロダクションから内定をいただいたので、中退をして働くことにしました。その編プロ、ずっと憧れていたローティーン向けのファッション誌の編集も行っていたんです!一社目で夢が叶うなんて、思ってもみませんでしたね。

 

ーすごい、小学生の頃の夢が叶って…さぞかし素晴らしい社会人のスタートがきれたのでは?

それが…小さな編プロで、絵に描いたようなブラック企業だったんです。月30日勤務が当たり前、帰ったらメールが鳴りやまず、結局、会社に逆戻りする日々。そのうち、会社で寝ることが当たり前になりました。ソファは先輩が寝るかもしれなかったので、私の定位置は会議室の床です。2~3時間だけ寝て、働く。その繰り返しでした。

それだけ働いても、お給料は15万円。家に帰れないので出費がかさみ、貯金はほぼできないままでした。そんな毎日を送っていると、すこしずつおかしくなってくるんです。無意識にここから逃げたいと身体が思っていたのでしょう、オフィスがあるビルの7階の窓から、外へと引っ張られるような感覚がついてまわるようになりました。

退職する前、最後に家に帰ったときに、外がとても寒いことに驚きました。季節が夏から秋になっていたことにも気づく暇がなかったんです。家に帰らないから洋服もずっと夏服のままでした。今後もこの生活が続くと思いととても怖くなり、退職を選びます。半年の会社員生活でした。

 

ー憧れの会社に入社できたのに、そのような大変な環境だったとは…。

先輩に、「この業界も辞めちゃうの?」と退職時に聞かれたことが深く印象に残っています。「出版業界にはいたいです」と伝えると、先輩は「この仕事の面白さだけでも伝わってくれていたら良かった」と言ってくれました。

そうしてフリーランスになったんです。転職も考えましたが、たった半年しかいなかったので、大した経験があるわけではなく、どうせ転職できても同じような規模の会社だろうと考えていました。そうしてまた、激務な上に怒鳴られるような生活に戻ることが怖かったんです。

 

営業活動のためレースクイーンを選ぶ

ーフリーランスとして働き始めて、仕事は順調でしたか?

あるメディアに送った企画書が通り、お仕事をいただけることになりました。出版社でバイトをしていたときに、企画書を作っては先輩にアドバイスをいただいて、ストックを作っていたんです。そこでの経験が活きました。ただ、それでも月10万程の収入で、これからどうしていくのか悩んでいたんです。

ちょうどその頃、「女子アナブーム」がきていました。中でもミスコンで優勝した人には肩書きがあって、実力は変わらなくても注目を得ていることに気付きます。「肩書きがあれば知ってもらえる、営業につながる」そう考え、タレント業をすることにしました。タレントと一言で言っても様々ですよね。私ができることで、なおかつ、イメージの良いものを考えて…私はレースクイーンになることにしました。

 

ーライターで、レースクイーン!希少性としては抜群ですね。

比較的自由に活動させてくれそうな芸能事務所を選んで、履歴書を送り、面接に行きました。そして、鈴鹿サーキットでレースクイーンデビューをします。それをFacebookでも報告して…反響はありましたね。そのうち1割ほどの方が、ライターとしての仕事も相談してくださいました。

ただ、レースクイーンのお仕事はそこまで給料は高くないので、相変わらずお金はありませんでした。そんな中でも、飲み会に呼ばれれば必ず参加しました。多い時で、1晩で5つの飲み会をハシゴしたこともあります(笑)そうやって人と会って、すこしずつお仕事が増えていきました。

レースクイーンとしてトップを狙うことは難しいです。ライターとしては、他にももっと才能がある人がいます。でも、レースクイーンライターであれば私は1番になれる、そう思って必死に行動していました。

 

自分の可能性を広げるため、すすめられたら挑戦

ーフリーランスとして、営業活動を続けた先で、再びご就職されたんですね?

はい。シューマツワーカーCEO・松村とは、彼が前職で働いていたころに出会いました。「起業をするから、うちで広報として働かないか?」と誘ってくれたんです。

それまで、広報という職業になることを考えたことはありませんでした。ただ、松村が「記事作成ができるし、メディアとのつながりもあるし、表に出ることも向いているから、広報はきっと合っているよ」と背中を押してくれました。

 

客観的な意見を取り入れることで、自分の世界は広がります。なので、人から「向いているよ」とすすめられたことは、とりあえずチャレンジするようにしているんです。そうやって広報職に就くことになりました。

広報も未経験ですし、IT業界だって未経験です。打ち合わせの度に分からないことが生まれて、とにかくググっていました(笑)そして、分からないことは分からないと公言して、「ご飯を奢るから、教えてよ!」と、周りの人を頼りながら勉強しましたね。

 

ー橋本さんの恐れずどんどん進む姿には驚かされます。

たとえどんなに失敗したとしても、怒られたとしても、1か月後には忘れてしまうじゃないですか。私だってもちろん落ち込みはします。でも、1か月後には元気にしているって思えたら、いまがどんなに馬鹿したって、大丈夫だなと思えるんです。

 

ー現在は、ライターと広報の二軸でお仕事をされていらっしゃいますが、それぞれの利点はなんですか?

ライターの仕事は記事を書くだけではありません。アイデア出し、企画、メディアとのコミュニケーションなど、様々なスキルが育ちます。そしてそれらは他の仕事に活きるんです。実際に、広報になって、ライターとしての経験が活きる場面が大いにありました。

ライターも広報も、どちらも世に何かを発信できることがメリットですね。その発信で誰かの背中を押せたら嬉しいなと思います。

 

ーこれからも橋本さんのご活躍が楽しみです!本日はありがとうございました。

 

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取材:西村創一朗(Twitter
執筆・編集:野里のどか(ブログ/Twitter