個性と才能が活きる社会にー Natee代表・小島領剣の「長い助走」

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第20回目のゲストはTikTokに特化したクリエイター事務所・Natee代表取締役・小島領剣さんです。

小島さんは、早稲田大学国際教養学部に在学中、高校生向け教育メディアで起業しますが失敗。新卒で株式会社ビズリーチに入社後、エンジニアとして新規事業の開発に従事し2年目で全社アワードを受賞しました。退社し、「上級ニート期間」を経験したことから再び起業。会社は2期目にはいり、順調な伸びをみせていますが、「まだ助走期間」と話す小島さん。

常に「個性と才能」というワードに突き動かされ、長い助走期間で経営以外のことも学びとりながら進んできた小島さんには、「ありのままで生きていい」ワクワクするような未来の社会が見えていました。

「人類をタレントに」個性が活きる世界を目指し、二度の起業

ーTikTokに特化したクリエイター事務所・株式会社Nateeを創業した理由を教えてください。

理由はふたつあります。ひとつは、動画領域の勢いに惹かれたこと。もうひとつは、僕自身が個性と才能が生きる世界にしたいと思っていたことです。そこで、TikTokに特化したクリエイター事務所の創業に至りました。

会社のミッションは「人類をタレントに」です。僕が定義する”タレント”は、テレビで見るタレントさんではなく、才能です。なので、生まれ持った色や形を、そのまま表現してお金になる世界が素晴らしいと思い、そうなることを目指しています。

個人が自己表現をする世界を作る、という想いが一番強い動機になっています。最初はエンジニアやデザイナーなど、手に職をつけている人たちのサービスも考えていたのですが、より個が活きて、個の名前で仕事をする世界にしたいな、と。

既に事務所としても先駆者がいるYouTubeではなく、次のプラットフォームとしてTikTokに魅力を感じました。

父親が創業社長だったこともあり、子どもの時から「経営者になる」という意識があったことも、起因していると思いますね。

 

ー株式会社Nateeの起業は、小島さんにとって二度目の起業かと思います。一度目の起業はどうでしたか?

大学5年生のときに、高校生向けのキュレーションメディア事業で起業しました。個性を発揮するために、学生がもっと自由なキャリアを築いて欲しいと思っていたことから、キャリア教育に関する事業がしたかったのです。それを意識するのは早い方がいいので、ターゲットは大学生ではなく高校生にしました。

このときから、「人類をタレントに」というコンセプトが自分の中にありましたね。

 

 

マーケットではなく、僕がやりたいと思って始めたキャリア教育のメディアでした。

予備校や大学からの広告収入を想定していたのですが…キャリアって高校生からするとあまりなじみがなく、それだけにこだわるとユーザーの幅が狭まってしまう。なので、スケールさせるために部活や恋愛などの、高校生が好きなコンテンツを作る必要を感じました。

ただ、そちらに寄せれば寄せるほど、「僕は何をやっているんだろう?」という気持ちが膨らむ一方でした。ビジネスとしてやらなくちゃいけないことと、自分がやりたいことが乖離していき、最終的にはクローズさせることになります。

 

ロールモデルになる人間の存在が進路の指標に

ー休学しての起業だったということですが、大学4年時に就職活動はされていたのでしょうか?

就職活動はしていて、外資系のコンサルティング会社から内定をいただいていました。ただ、正直「この人みたいになりたい」と思う方を社内で見つけることができなかったのが、就職にいたらなかった理由です。

実力がつく上に、給与もいいので魅力的ではあったのですが、「本当に自分はこれをやりたいのか?」と自問すると、休学しての起業の道になりました。

 

ー大学を卒業して、株式会社ビズリーチに入社したのはどうしてですか?

ニクリーチという就活サービスを利用したことがきっかけで、ビズリーチにエントリーすることになりました。採用プロセスの最後に、代表の南壮一郎さんにお会いしました。その時、生意気にも、「会社やっているので、入社するか分からないですね」って言っていましたね(笑)。

そんな僕に対して、南さんは「経営者としてやるということは、同じフィールドに立つということだよね」と、対等な目線でアドバイス…というかダメ出しを徹底的にしてくださいました。

 

ー南さんの言葉が、その後の小島さんの進路を決定づけたんですね。

自分の会社をしながら、限界を感じていました。そして、本当に尊敬する経営者の下で働きたいな、という気持ちが大きくなったのです。南さんは、僕が「こうなりたい」という経営者像でした。

また、エンジニアリングをもっとちゃんとやりたいと思っていたのも要因の一つです。ビジネスとエンジニアリングを両方ちゃんと学べる会社として、ビズリーチは最高の環境だと思って入社しました。

 

自分が自分でなくなる恐怖。「逃げ」からはじまった起業への道

 

ーエンジニアとして現場に入ってみて、どうでしたか?

配属されて1週間で、あるサービスのAndroidアプリ開発を1人で担うことになって…周りの人に助けられながら、なんとか形に。Androidアプリ開発なんて、未経験だったんですけど…。

 

ー初めてのことに挑む時は誰でも怖いかと思いますが、どうやって仕事に向きあったのでしょうか。

月並みですが、目先の成功ではなく長期的な視野に立つことを、基本の考え方として大事にしています。

本田圭佑さんがよくおっしゃっていることが根付いています。このプロジェクトを成功させる、となるとスキルがないからやれない、とかって考えてしまうんです。そこで、「善かれ悪しかれ、これはやった方が活きるな」というロジックで意思決定ができると前に進めます。

5年後振り返ったときに「あのとき失敗してよかったな」と思える経験になっているんだったら、失敗はリスクではありません。失敗しても死にませんしね。

 

ー失敗されも成長の糧にするマインドをもっていたんですね。実際にどのような作業に取り組んでいたのでしょうか。

当時、上司と約束していたのは、プライベートでアプリを3個リリースするということでしたね。

会社は業務が決まっているので、やりやすい面がある半面、学べない面も。なので、ちゃんとゼロからリリースまでを経験しておくと、一連のプロセスや開発の仕組みが分かります。アプリの出来の良し悪しではなく、リリースまでする、ということにコミットしました。

当時は、土日はもちろん、会社が終わると趣味のボクシングに行き、その後は深夜2時までコーディング…なんて生活を送っていました。自分でも、よくやったよなあ、と思います(笑)。

ビズリーチには、優秀で面倒見が良いエンジニアがたくさんいたので、分からないことは先輩にどんどん聞いていました。そのおかげで、かなり学習スピードは速かったと思います。

 

 

ーエンジニアとして素晴らしい環境に恵まれていたんですね。全社アワードに輝くなど、ご活躍なさっていたのに、退職を選択したのはどうしてですか?

アプリ開発から部署移動をして、toB向けのサービス開発を担当することになりました。どうしてもB向けのサービスはニーズが先行するものになります。カルチャーも堅いものになって、違和感が芽生えるようになりました。

「大企業にいるんだなあ」と、そのときに実感をして、退職が頭をチラつくようになったんです。

その後、南さんが二回ほど面談の機会を設けてくださいました。そこで、「まだ何もしてなくない?」と言われて、「このまま辞めて、何が残るんだろう」と疑問が浮かんだんです。そこで、南さんと上長の役員に「全社アワードを獲ります!」と宣言しました。

多数からの賞賛で承認欲求が満たされるタイプではないので、もともと興味がなかったのですが、宣言してそこにコミットし、達成する、という成功体験を積めたのはよかったです。

 

 

2年目には綺麗にコードが書けるようになり、秋くらいには全体像と自分の担当箇所の把握ができて、意見を伝えられるようになりました。そこでやっと一人前になったように思います。そして、2年目の終わりにアワードをいただいて…。

ただ、そういった区切りがあってポジティブに起業に舵をきったわけではなく、「自分が自分でいられなくなる」という恐怖のようなものを感じていました。

ここにこのままいたら駄目だ、と思い、逃げるように退職しました。なので、当時は次に何をするかとかも全くの白紙状態で。上司にも「お前は大丈夫なのか?」と心配されましたね。

 

ー白紙の状態で名乗ったのが、「上級ニート」ですね。実際には、起業までの空白の4か月で何をしていたのでしょうか?

ビットコインのトレードや、金融の勉強をしました。でも、才能なかったですね(笑)

あとは、呼ばれるがままに日本全国いろんなところへ行って、そこでお手伝いやアルバイトをしていました。脈絡なく動き回って…暇だなと思って学校を貸し切ったイベントを行ったこともあるんですよ。

集客など苦労も多かったのですが、楽しかったですね。そこで、会社のバリューを「ワクワクドリブンカンパニー」と掲げることを決めました。ワクワクが、原点になっています。

ニート生活の2か月目くらいで、「がむしゃらに働きたい」という欲がむくむくと湧いてきて。そこで、二度目の起業を決意しました。

 

まだ助走期間。「個性と才能」が活きる社会にするために

 

ー株式会社Nateeを起業して1年が経過したかと思うのですが、順調に事業は伸びているのでしょうか?

「順調だね」と言っていただけることは多いのですが、自分としてはまだ始まっていない意識でいます。何かを成すのはまだ遠いような感覚で。いまは助走期間で、来年の春から一気にアクセルを踏んで行ければと思っています。

ふたりで始めた会社なのですが、現在は業務委託も含めると20人もの方がメンバーになっています。長い目でみて、もっと大きな会社にしていきます。

 

ーまだ始まってすらいない、と。スタートを切って、会社をどこまでもっていこうとお考えですか?

YouTubeといえば、UUUMさんが有名ですよね。それと同じく、「TikTokといえばNateeだよね」と、広く認知されるように成長させます。

また、グローバルカンパニーとして育てたいです。4年後に上場することを計画に進めているのですが、そのときには7割を海外売り上げにしたいな、と。国内でのポジションも大事ですが、日本と中国、日本とインドネシアなど、アジアを中心とした他国との架け橋にしていきます。

3,4年後には、きっと今と全く違う会社になっているんじゃないでしょうか。

 

 

ーすでに上場を見据えて動いている小島さんは、どんな人と働きたいと思っていますか。

人を育てること、SNS、動画が好きで、動画マーケットに可能性を感じている人であれば、大歓迎です。マネージャーとプロデューサーを兼務できる人にはぜひ、経験問わずうちに来てほしいなと思っています。

僕は経営者である前に思想家です。「個性と才能」という言葉をなにより大事にしています。

ありのまま生きていい社会、自己表現をしていい社会。それを作りたい。そのために本気でコミットしたい、そう思ってくれる人と一緒に働きたいです!

 

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執筆・編集:野里のどか(Twitter / ブログ
取材:西村創一朗
写真:橋本岬