潔癖な世界を適当に生きる。アーティスト駄々に学ぶ、問題意識を表現する選択

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第690回目となる今回は、アナーキズムアーティストの駄々さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

壮絶な幼少期や1000人以上のカウンセリングの経験から、数多くの問題提起型プロジェクトを実施し続けている駄々さん。社会の価値規範がシステム化された世界で、生きづらさを抱える人に伝えたい思いを語っていただきました。

家庭崩壊の影響で、学校一の問題児に

ー自己紹介をお願いします!

はじめまして、駄々です。現在は24歳で、ブランディング会社に勤め、プロデューサーやコピーライターをしております。「駄々」というアーティストでも活動し「人の醜さを愛する」を理念に抱える「Katharsis.」という団体を運営しています。

例えば、結婚式と葬式を組み合わせた「婚葬式」や、愚痴とカラオケを混ぜた「グチカラ」などのプロジェクトを実施しています。世の中の問題を提起し、いろいろなことをしている人間です。

また、100人が居住するシェアハウスで暮らしていて、11歳年上の嫁と10歳の娘と共に「sawake」というアナーキーな家族の日常を発信するフリーペーパーを発行しています。

ーブランディング会社ではどのようなことをされているのですか?

半年ほど前から内定者インターンとして働き始めました。インターンの段階で、なぜか私が会社のブランディングをすることになりました。

会社としてミッションビジョンが定まり、第二創業期へと向かうフェーズでした。そこで、変革への土台ができていない状態だったため、採用や広報を刷新したり、ビジョン達成に向けた顧客を獲得する戦略を立てたりしています。

その一環もあり、コンセプチュアルなプロダクトを応援する「I am CONCEPT. 」を立ち上げ、編集長も務めています。

※駄々さんが編集長を務めるオウンドメディア「I am CONCEPT.」はこちら。

ー駄々さんはどのような幼少期を過ごされたのですか?

いわゆる毒親とされる親のもとで育ちました。特に母親が今の時代でいうメンヘラと呼ばれる属性でした。母親の実家は実業家で、裕福な家庭で育っていたそうですが、5人兄弟の末っ子だったことから、母親はいじめられて育ちました。

今もそのギスギスした関係性は変わらず、私が幼少期の頃、よく実家では遺産争いで揉めていましたね。私は、母親に「私の子供の頃は寂しかった、あなたはもっと自由に生きていいのよ」と言われて育ちました。これだけ聞くと、いい親に聞こえるかもしれませんが実態は違いました。

「自由にしていいよ」というのは、親のかつての自分のコンプレックスの解消を私で行える範疇においてだったのです。家庭でも言い争いが絶えず、傷ついた母親は、私に不平不満を語り続けることでストレスの解消をしていました。情緒不安定な親の元で育ち、だんだん私も歪んでいったのです。

学校では、3日に1回ほど大喧嘩をして、校長室に呼び出されていました。母親が発狂してビール瓶が飛んでくることもありました。

一番酷かったのは、私が小学3年生のときです。母親ががんになり「私は死ぬんだ」と毎日酒を浴びるように飲み、暴れている姿を目の前で見て過ごしており、地獄のようだったことを今でも覚えています。

いじめに遭い、不登校になった中学時代

ー壮絶な状況だったのですね。幼い頃の心境はどうでしたか?

他の家庭も変わらないと思っていました。異常だと気づいたのが3年ほど前です。母は「尽くす人」で、親の許容の範囲であれば基本的に何でも買ってくれたし、望みを叶えてくれたので良い親だと思っていました。

不登校になった時期がありましたが、大学受験中も毎日ご飯を作ってくれたり、車で送り迎えしてくれたりと非常に支えてくれました。この環境がなければ、大学に合格できなかったと思います。いろいろな恩がある中、親のせいだと認識することは非常に難しいことでした。

ー不登校になったのは中学生の頃ですか?

はい。小学生の頃は、授業を妨害したり、学校を脱走したりと感情を出して暴れることができていたので、ある意味で健全でした。

しかし中学生の頃から、人とどうコミュニケーションをとったらいいのかまったくわからない自分に気がついたのです。

本来なら、小学生の段階で人とのコミュニケーションの取り方を身につけ、自我や自意識が芽生えますよね。私は、コミュニケーションの取り方を知る前に自意識だけが芽生えてしまったのです。

自意識から生じる羞恥心に悩まされる中、転校先でいじめられ、もう無理だと思い、途中で学校に行けなくなりました。さらに、幼少期の頃から親に「問題を起こすけど、あなたは素晴らしい子で他の人と違う」と言われ続け、その言葉が呪いとなっていきました。

引きこもる中で「特別である私が、なぜこんなに社会に阻害されなければならないのだろうか」と歪んだ自己肯定感と自意識が私を動かしていきました。