偏差値18からの猛勉強で早稲田大学へ入学
ー不登校から立ち上がるきっかけはあったのですか?
大学受験です。
高校は、フリースクールに通っていました。学校は「不登校生の居場所をつくる」ことが第一方針で、勉強がほとんどなく、朝から晩までゲームをしていてもとがめられないような環境でした。
勉強という苦痛を避けて生きてこれた結果、学校の外では一人で生きていけないような人間になっていったのです。大学受験をするために模試を受けてみると、偏差値が18で絶望しました。「自由にしていても大丈夫」と言われ続けてきたのに、何もできない、おかしいと。
学校で「私は勉強がしたい」と言うと「勉強なんてできなくて大丈夫、そのままのあなたで大丈夫ですよ」と言われました。受験の土台にすら立たせてくれない学校と、受験勉強したい私で争っていました。
「特別である私が、なぜまたしても進むべき道を阻害されねばならないのだ。このクソッタレな社会を変えてやる」という学校を超えたこの社会に対する復讐心が突き動かしていました。退学になりかけたこともありますが、歪み切った反骨精神でなんとか大学に入学できたのです。
ー大変な受験生活でしたね。大学ではどのようなことをしていたのですか?
高校の出来事から「置かれた環境により、望んでいることができないのはどうしてだろう」と問題意識がありました。
「ありのままでいい」と言われながらも、それは限定付きで、社会に出るとニートやフリーターをしている人がたくさんいます。「なぜその割合が明らかに高いのか」や「状況を変えるためには何が必要なのか」を考えました。
私は「みんなが夢と希望を抱けたら、人は何かに挑戦できるのではないか」と思い、キャリア教育やカウンセリング、コーチングをやり始めました。
しかし、キャリア教育を享受する人はキャリア意識が高い人であって、現状に不満をもっているマイノリティの人ではないため、意味がないと途中で思うようになりました。
ーそれからどのような活動を始められたのでしょうか?
ソーシャルワーカーという、マイノリティの人たちをいろいろな支援に繋ぐ活動を始めました。
活動していく中で「ありのままでいい」と言っておきながら「夢を持ち、明るくポジティブに人生を捉えて行動できる人間になりなさい」と、裏のメッセージを発している世の中のいびつさに気づきました。
結局、1つの型に当てはめて人を育てているだけだと思い始めて、世の中のシステム自体を変えないといけないと思いました。カウンセリングをしていると、よく「やりたいことがなくて苦しい」や「ありのままになれなくて辛い」という言葉を聞きます。
「やりたいことを見つけよう」や「ありのままになろう」という価値規範がなければ、苦しみが生まれていないはずです。新しい苦しみを生み、新たな価値規範を作っているだけだと気づきました。
自分の置かれた境遇において「不平不満に囚われずポジティブに捉えて前向きに生きなさい」と言われてできるのならば、人はこんなに苦しみません。
何が必要なのかと考えたとき、探究学習に出会いました。探究学習であれば、人の不平不満やネガティブな感情を問いとして社会に堂々と投げかける機会をつくれる。その想いから、教材の執筆を手がけていました。
アートやエンタメで歪んだ社会の価値規範をぶち壊していく
ーその後、何か行動されていることはありますか?
教育には限界があります。何かを教えて何かにさせる、現在の状態Aから理想の状態Bへ持っていく動きは、Bにたどり着こうとする際に苦しみが生まれるからです。
苦しみが生じない環境をどう作るのか考えた結果、辿り着いたのがエンタメです。エンタメは、AからBにする作業ではなく、Aの状態のままAを面白がります。
正しさや理想に縛られないエンタメであれば、世の中の価値規範や人を”良い”子にしていく動きをぶち壊せると思い、アート活動やエンタメの道に進みました。
「愚痴を言ってはいけない」というのもその一つです。エンタメを通して「愚痴を出すのはエンタメだから面白くて楽しい」という環境と文化を作れば、自分の中にある邪悪性や傲慢さを、本当の意味で社会に出すことができると思いました。
その発想から、愚痴とカラオケを混ぜた「グチカラ」をプロジェクト化しようとしています。
ーこれからはエンタメに注目ですね。実際にどのような活動をされているのですか?
最近は「婚葬式」のプロジェクトを行いました。
例えば、うがった見方をすると結婚式は、興味のない夫婦の馴れ初めを聞き、素晴らしい表情で結婚式に参加しないといけないません。葬式は、悲しそうな顔をして涙を流す演出をしないとサイコパスだと思われます。
こうした、社会の中で生じる自分の感情や振る舞いに対する暗黙の規制を「感情規制」といいます。
ここまで述べてきた「ありのままにならなければならない」という強迫観念も、ある種の感情規制によるものだと考えています。
婚葬式では、結婚と葬式にある「感情規制」に対する問題提起をすることを通して、現代の至る所に存在する「感情規制」に対して気づくきっかけを提供できればと思い、妻と共に始めました。
「お祝い」と「お悔やみ」の2つが同時に存在する空間で、人はどのような感情表現をするのかという社会的な実験ですね。
ー生きづらさを感じている人にアドバイスするとしたらどのような言葉をかけますか?
そもそもポジションを取り、人にアドバイスをする行為が新しい規範を産むわけですが(笑)。
「あんまり何も考えないほうがいい」と言いたいです。生きづらさを抱えていると世の中の価値観が救いだと思い、手を伸ばしてしまいます。
「夢や希望を叶えたら救われるかもしれない」だったり「ありのままを目指せば幸せになれるかもしれない」だったり。世の中の良いことを達成するのに執着してしまう結果、暗闇の感情をなかなか言えなくなります。
そのため、あえて「あなたはありのままになんてなれないし、夢を達成することもできない、ただのクズだから諦めてクズであれ」と言います。クズだと諦めてしまえば、案外楽になるし、生きづらさを変に自分のせいにせず他人になすりつけられますから(笑)。
ー今後、何か仕掛けていきたいことはありますか?
これまではある種、Aの状態からBの状態になることで幸せになれると煽る、マーケティング的な時代でした。
次の時代は、存在を言語化するコンセプチュアルな時代だと思います。つまり「正しいか正しくないかは知ったことではないが、私はこういう存在だ」と自己を表明するだけの時代です。
その時代に完全に到達するときまで、世の中の潮流やトレンドにより、人が社会によって歪められている状態を、社会の仕組みを解体していくことで緩やかにしていきたいです。
ただ、ぶっ壊していく行動の先に理想を掲げたりはしません。それが新たな「正しさ」になってしまうからです。私が世の中の正しさを壊す姿を見るだけで、エンタメとして救われる人もいるのではないかと思っています。
ーありがとうございました!駄々さんの今後のご活躍を応援しております!
今回のゲスト・駄々さんが運営する、「人の醜さを愛する」を理念に掲げ、活動するソシオロジーアートユニット「Katharsis.(カタルシス)」のHPはこちら。
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取材:和田晶雄(Twitter)
執筆:後藤優奈(Twitter)
編集:本庄遥(Twitter)
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