明日が来るかはわからない。「和」のチカラを信じる新井結衣が “今” を大事にする理由

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第545回目となる今回のゲストは、「ainote株式会社」のCEO 新井 結衣(あらい ゆい)さんです。

2021年10月1日にainote株式会社を創業した新井さんが、伝統文化やものづくり産業に興味をもち、起業するに至った経緯についてお伺いしました。

全国2位という結果に悔しさで満たされる

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

新井結衣と申します。社会人1年目で人材会社に務め、その後ベンチャー企業へ転職し、2021年10月1日にainote株式会社を立ち上げました。

ainote株式会社では、「和」のチカラで誰もが特別な存在にというミッションを掲げています。現在、ものづくり産業や中小企業のDXコンサルティング事業(IT化支援や採用ブランディングなど)を軸に動いており、将来、着物を軸に着物デザイナーとのコラボ商品を国内外に伝えていく予定です。

ー新井さんが思う、着物の魅力についてお聞かせください。

着物は完成するまでにいろんな職人さんの技術を介しているので、その工程の奥深さに感動しますし、着物の生地に細かく描かれている絵柄を見るだけで心が和みます。

また、着物を着た瞬間に背筋が伸び、凛とした女性でありたいという気持ちになれるので、着物のパワーは底しれないなと日々感じますね。

ー今回のインタビューでは、新井さんの幼少期からさかのぼって、現在に至るまでの軌跡について伺えればと思います。学生時代はどのように過ごしていましたか?

高校時代は、ダンス部での活動に明け暮れていました。

ーダンスを始めたきっかけは?

中学生の頃、高校の文化祭で行われていたダンスの公演を見て、かっこいいと思ったのがきっかけです。「絶対にこの高校を受けて合格して、ダンス部に入るんだ!」と強く思いました。

また、当時は成績も悪くなく、学級委員をやったりもしていたので、「どうせだったら」精神で、地区で一番優秀なその学校に行きたいという想いもありました。

ありがたいことに、両親は私の意思決定に対して何も言わずすべて任せてくれていたので、行きたい学校を受験し、無事ダンス部に入ることができたのです。

ー高校時代に入部したダンス部での活動は、いかがでしたか?

指導者がかなり厳しく、ダンス部での活動を通して精神力が鍛えられました。当時は本気で全国1位を目指していたのですが、結果は2位。悔しさや、もっと上を目指したいという気持ちでいっぱいになりましたね。

ー部活に打ち込む中で、得られたものがあればお聞かせください。

自分のことは自分でやる」という精神が身につき、それは今にもつながっています。

ダンスはみんなと合わせなければいけない部分がある一方で、個性を出して魅せていかなければいけない部分もあって。

自分の良さを引き出す際に、誰かから何かを受けないと変われないとなると、チームに迷惑をかけてしまうので、まずは自分のことは自分でやるという考えが生まれました。

絶望の淵から救ってくれたのは塾長のある一言

ー高校ではダンス部での活動に注力していた新井さん。高校卒業後は、どのような進路を思い描いていましたか?

数学が好きで国語が苦手だったので、理系の職業に就きたいと思っていました。品種改良をして体に良い野菜を作りたいという想いと、研究者側でやっていきたいという想いから、農学・バイオサイエンス系に進もうと考えていましたね。

ただ、イベントごとにも手を抜かない学校だったので、受験勉強よりも文化祭や体育祭の練習に力を入れてしまって……。

私は浪人はできないと思っていたので、イベントが終わってから死ぬ気で受験勉強しました。結果、受験は失敗。第一志望に落ちてしまい、人生で一番心が乱れた期間でした。

ー受験勉強に振り切っていたときは、どれくらい勉強していましたか?

平日は13時間、休みのときは16〜17時間勉強していました。

ーなぜそこまで打ち込めたのでしょうか。

一緒に受験を頑張ろうと言っていた仲間や両親、学校の先生など、お世話になっていた方々の存在が大きかったですね。

未来の自分も周りの方々も悲しませたくなかったですし、どうせだったら「合格したよ!」と報告したかったので、受験日から逆算してスケジュールを立てて勉強していました。

逆算からものごと考えるという習慣は、受験期の経験から生まれました。

ーそれほど熱心に勉強していたのに第一志望に落ちてしまったという事実は、高校生1人の体では受け止め難いですよね。

まさにその通りで、現実に絶望しました。事実を受け止めたときのショックで、布団を何枚かけてもずっと寒気が止まらなかったですね。

ー絶望から立ち直ることができたのは、なぜでしょうか。

受験期にお世話になってた塾長の、「新井さんのが体験したことを、次に続く受験生に伝えてくれないか。ぜひ、一緒に働こう」という言葉に救われました。

自分が通っていた塾で、塾講師としてアルバイトをさせていただくことになり、塾生に失敗経験を伝えているときに、「人生において失敗で終わりたくないな。失敗しても、やりたいことや夢は叶えることができると伝えたい」と思うようになりました。

ー最終的には、どのような大学に進学したのでしょうか。

第一志望ではないものの、無事、バイオサイエンス系の学部がある大学に入ることができました。大学のサークルではダンス部に入っていたので、「ダンス」と「塾のアルバイト」と「研究」の3つに打ち込む日々。

アルバイトとダンスは人と関わることが多い反面、研究は誰とも喋らずコツコツやっていくという2極のことに取り組んでいる中で、自分らしくあれるのは、人とコミュニケーションを取っているときだと痛感しました。

大学卒業後も、人と関わる仕事に就きたいと思い、就職活動を進めていましたね。

MVPに選ばれるも会社員として働くことに違和感を覚える

ー就職活動では、どのような業界や会社を見ていましたか?

人に笑顔や影響や幸福を与えられる仕事に就きたい」という軸に沿って、会社を探していました。

また、頑張り次第で役職に就ける環境にいたいと思ってたので、大手ではありつつ裁量をもって働ける会社を探し、最終的には人材会社に勤めることになりました。

ー入社後のお話をお聞かせください。

人材会社では、「今日やることは今日やらないと、明日はないんだ!」という想いで日々過ごしていました。その結果、社会人3年目にMVPに選ばれ、社長賞をいただくことができました。

ーうまくいくことばかりではない中で、成果が出るまで支えにしていたものがあれば教えてください。

たくさん失敗をしましたが、周りの方々に支えられました。失敗したときにちゃんと叱っていただき、刺さる言葉をいただいたおかげで、失敗のたびにきちんと内省できたのです。

また、「明日があるかどうかわからないから、今できることを最大限やるしかない」という気持ちで日々過ごし、今日やるべきことは今日やるということを積み重ねていった結果、今につながっています。

ー社長賞を取ったあとは、順調でしたか?

決して順調とは言えませんでした。会社で一番上の賞をいただき、次は管理職を目指すフェーズでしたが、起業という視野も視野に入れていて。

ただ、ビジネスとしてやっていくものを明文化できていなかったので、社長の近くで働けるスタートアップ・ベンチャーに転職することにしました。

そこで、会社員という立場では、会社のベクトルに合わせて動くことが必要なんだと感じたときに、「果たして社会の変動と会社の変動は同じベクトルなのか?」と疑問を感じ起業を決意したのです。

「人生やりきった」と心から言えるように今を大事にする

ー起業を視野に入れるようになったきっかけについてお聞かせください。

社会人3年目に読んだ本から、きっかけをいただきました。それまで私は起業家や経営者に対して、未知の世界というイメージを抱いていたのですが、その本から、起業というのは社会を作る側なんだという背景を読み取ったのです。

学生の頃から、自分のアイデアや発見をいろんな方に伝えて、フィードバックをいただいて何かを作る経験が多かったので、私はそういうのが向いているんだろうなと思うようになり、起業することで社会の課題を解決できたらいいなと思うようになりました。

ー起業したいと思ってから、実際に会社を設立までどのようなことを行いましたか?

当時働いていたスタートアップ・ベンチャーの社長には起業したいことを公言していたので、応援してもらえるフェーズになったときに会社を立ち上げる日を決めて、そこから逆算してすべてを整えていくという工程を踏みました。

ーそこで「着物」に着目し、事業領域に設定した理由は?

着物を扱っている老舗の会社さんの決算書を見ると、コロナ禍で着物を外で着る機会が少なくなってしまったがゆえに苦戦していると感じたからです。

今後、着物の生地を使って現代の洋服やアイテムに変換させたいという想いが芽生えてきたタイミングで、着物デザイナーの方と出会いました。

その方も、着物業界に新風を起こしたいという思考をもっていたので、その方と一緒に、着物を起用した新規事業を作っていきたいと思い、会社を立ち上げました。

ー新井さんのお話を聞いていて、1日1日や、目の前のことにこだわっているのが印象的でした。「明日がないかもしれない」と真剣に思えるのはなぜでしょうか。

明確な理由として思い浮かぶものが、1つあります。いつも私の考えを尊重し、私からの結果報告をニコニコして聞いていてくれていた両親から、中学3年生の頃、衝撃的な話を聞いたからです。

私は長女として家系で最初に生まれたのですが、身ごもったあとになかなか上手く育つことができなかった、私のお兄ちゃんお姉ちゃんに当たる方がいたようなのです。

当時の両親の姿を想像すると、悲しかっただろうな、つらかっただろうなと思うと同時に、私が生まれたときにとても喜んでくれただろうなと思いました。

両親や、お兄ちゃんお姉ちゃんの分まで精一杯生きて、「人生ちゃんとやりきったよ!」と言えるように、今日やることは絶対に今日やろうと決めたのです。

ー最後に、今後新井さんがどのような会社を作っていきたいか、お聞かせください。

一人ひとりがイキイキして、一人ひとりのやりたいが叶う会社でありたいです。

会社の中にチームがいくつもあって、チーム同士が切磋琢磨し合うような関係になれたらいいですよね。そういった、活気あふれる会社を目指していきます!

ーainote株式会社が、今後どのように展開・発展していくのかとても楽しみですね。新井さんの今後のご活躍も楽しみにしています!本日はありがとうございました。

取材:山崎貴大 (Twitter
執筆:Moriharu(Twitter
デザイン:高橋りえ(Twitter