ハイブリッドワーカーで影響を与える人に。一ノ瀬菜子が会社員とアーティストで実現する幸せな働き方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第376回目となる今回は、シンガーソングライターの一ノ瀬菜子(いちのせなこ)さんです。

音楽に何度も救われてきた一ノ瀬さん。現在は会社員として働きながら、アーティストとして音楽活動や会社で事業をされています。ハイブリッドな働き方を実現されている一ノ瀬さんに、音楽とともに生きたこれまでの人生と、音楽の仕事にどのように携わったのかを紐解いていきます。

クリエイター集団 Creatorhouse N. で世界を目指す

ーはじめに自己紹介をお願いします。

一ノ瀬菜子です。現在はアーティスト、作詞作曲家として音楽活動をしながら、AI翻訳をしているAI翻訳の企業で、AI開発のPMやプロダクトマーケティングをしています。さらに今年日本でも流行したClubhouseから生まれたCreatorhouse N.を発足しました。

ーCreatorhouse N. にはどういったメンバーが集まっていて、どのような活動をされていますか?

音楽関係者や映像制作の方、イラストレーター、カメラマンなどさまざまな方がクリエイターとして所属しています。活動は大きく2つあります。ひとつめはN. Produceという、クリエイターたちが発信したいメッセージをそれぞれの得意分野で作品を創出していくこと。もうひとつは会社や個人のお仕事の受注です。所属しているクリエイターが新たなクリエイターを呼んでいるおかげで、所属メンバーも増えています。

今は組織でやっていくためにファウンダーやディレクター、営業などのクリエイターを引っ張ってくれるポジションの方を募集しています。メンバーにはメジャーデビュー経験の方もいらっしゃれば、心から音楽をやりたいと思って参加してくれている方もいます。プロアマ関係なく集まっている組織が、プロジェクトごとにチームになって動いていくイメージです。
今後もCreatorhouse N.自体は誰でも入れるクリエイターチームであり、かつ世界を目指すようなプロ集団もつくっていきたいですね。

幼少期からピアノや音楽とともに生きていた

ーここからは、一ノ瀬さんの幼少期から伺っていきたいと思います。最初に音楽に触れたタイミングはなにがきっかけでしたか?

兄がピアノを習っていたことがきっかけで、2, 3歳のときには目の前にピアノがある家庭でした。だから自分もその流れに乗るようにピアノを習い始めました。

ーピアノに触れていて、楽しかった記憶はなにかありますか?

ピアノの先生がいつも「すごいね」って褒めて伸ばしてくれていました。一度幼稚園のときに引っ越しがあって、大好きだったピアノの先生と離れてしまったんです。でも新しい先生とあまり合わなくて、音楽と一瞬離れていた時期がありました。母が私にあうピアノの先生を探してくれて、3人目の先生のことは大好きだったのとピアノも大好きなので、小学生もずっと音楽に触れていましたね。

ー一ノ瀬さんから見たときに、3人目の先生はどのようなところが一緒にいて心地よかったのでしょうか?

教え方が上手いというのもあったかと思いますが、「褒めてくれるし楽しい!」というのがあったのだと思います。小学生のときは新しい世界を見せてもらって、もっとピアノが上手くなりたくて負けず嫌いな精神が勝っていた気がします。

バンドやシンセサイザーと出会い、新たな音楽の世界が広がる

ー高校2年生のときにバンドと出会ったことが大きな転機だと伺いました。バンドに誘われた当時のことを教えてください。

クラスメイトにバンドに誘われたことがきっかけでした。それまでピアノはクラシックしか弾いていなかったので、興味本位でまず最初に軽音部のライブを見てみたら引き込まれました。

それでドラム、ベース、ギター、ボーカルとキーボードの5人でバンドを組むことになり、アニソンの完コピをしていましたね。当時も軽音部の中で一番キーボードやピアノが上手い人でありたいという思いが強くて、必死で練習して完コピに執着していたことを覚えています。

自分が所属していたバンドはアニソンだったんですけど、周りのバンドはJ-ROCKが多かったので世界を広げてもらいましたね。その頃にシンセサイザーも始めました。

ーバンドを組んだメンバーとは普段から仲良しでしたか?

私はバンドメンバーとしか過ごしていなかったですね。自分のクラスが好きじゃなかったときはバンドメンバーといるか、ずっと音楽を聴いていました。友達に知らないバンドなど新しい音楽を教えてもらっていましたね。

ーそこから大学へ進学されますが、大学の進路選択はどのようにおこないましたか?

大学は東京理科大学の経営学部に進みました。私の家庭では大学に必ず行くような価値観だったので、大学進学しか選択肢がなかったんです。正直なところ、音大に進学したい気持ちはありましたが、父親に大反対されて私もすぐに折れちゃったんですよね。

中学のときは東大を目指すような中高一貫校にいましたが、高校進学時に別の学校に進み、バンド活動や生徒会の副会長、ダンス部での活動に熱中したのでどんどん勉強から離れていきました。勉強がまったく楽しくなかったんですよ。だから大学も別にどこでもいいやって思っていました。

ただ建築やデザインが大好きだったので早稲田大学の建築学科に興味はありましたが、物理が苦手で無理だと感じました。そこから経営学部を受験したのかは正直私もわからなくて。受験勉強って無駄な時間で嫌だと思っていました。なので正直あまり志高く、この大学に行きたいというのはなかったですね。

ーそうだったのですね。理科大に通ってみて、どのようなことに時間を費やしていましたか?

音楽とゼミです。オープンキャンパスの運営委員会や大学外に出る活動をしていましたが、そのなかで一番力を入れたいと思ったのがゼミでした。
ゼミは興味がある分野ごとに集まる、大学生活の中で唯一の組織だと思っています。だから自分が所属しているゼミを最強の組織にしたいと思いました。

私のゼミはやりたいことを通すこともできるし、幹部も選挙で決まるんです。そこで幹部になりたいと思って発信し、幹部になってビジネスコンテストに出ましたね。あと文化祭に出す出し物も、損益分岐点を引いてスープ屋さんをやりました。
同じゼミのメンバーはみんな個性的で優秀な人たちが集まっていたんですね。今でも仲良しです。

ー大学に入学してからどのような方と音楽を続けていましたか?

大学では固定のバンドではなく、ライブごとに違う方と組んでいました。
そのときに、特に影響を受けた先輩がいます。今までは楽譜どおりに弾くことや原曲に忠実にコピーをすることに重きを置いていたのですが、耳コピをしたりコードの中でアレンジをしたりする世界に導いてくれました。

また、パソコンから音源を流してそこにあわせて弾いていく音楽を「同期」といいますが、あるバンドメンバーからやってほしいと言われたのがきっかけで始めました。
パソコンやソフトを揃えて、アレンジを仕事にされている方を紹介してもらい、お願いして教えてもらってライブを成功させました。そこから、パソコンで作曲し始めましたね。

今考えたらすごいことですよね。普通にその道で仕事をしている人に教えてもらった経験は本当にありがたいと思います。あれから全然連絡をとってなかったけど、Clubhouseの集まりで偶然会えたので、「あの時を転機に私アーティストになりました」と伝えられました。

コンサルに憧れ就職するも、音楽に関わる自分が好きだった

ー就職は当時どういうキャリアを考えていて、どういった道に進んだのか経緯を教えてください。

就職する前に考えていたことは、最強のビジネスパーソンになりたいと思っていたんですよ(笑)。クライアントの望みをなんでも叶えられるような人になりたかった。そのときに最強のビジネスマンはコンサルだと思いました。

大学2年生から就職活動をしていて、コンサル会社に行こうと気持ちが固まるまでにベンチャー企業も含めていろんな会社を見ていました。特にベンチャー企業は学生の意見も取り入れてくれて、自分が即戦力になれるし、学ぶことも多かったのでベンチャーに就職しようと思っていました。

でも親は大手企業に就職してほしかったので反対されたんですよね。だから、大手を2, 3社受けて内定がもらえたらベンチャーに就職していいか親に交渉しました。いくつか内定をいただいたなかで、ベイカレント・コンサルティングに憧れを持ち、ここに就職しようと決めました。

ー実際、働いてみてどうでしたか?また働いている間、音楽活動はどうされていましたか?

働いてみて、楽しさが3%、辛さが97%でした。本当に寝る以外は働いている状態でしたね。上司はプロジェクトによって3ヶ月や半年で変わるのですが、自分の無力さを感じることや学ぶことばかりでした。その間の音楽活動に関しては、もう趣味でいいやと思っていたのでピアノも全然弾かなかったです。ずっと仕事ばかりでしたね。

でも仕事をするなかで、私は仕組みづくりがしたいんだと強く思いました。ゼミでも新しいことを提案して何かができていく過程も楽しかったし、プロジェクトでも自分の提案が評価されて形になっていく仕組みづくりが好きでした。

ー在職中にTwitterで動画をアップし始めたことがまたひとつ大きな転機になったと伺いました。音楽を趣味としていたなかで、改めて人に見てもらうために表現や発信し始めるきっかけを教えてください。

大学の後輩にOBライブに出ないかと誘われて、久しぶりにピアノに触れたらとても楽しかったんですよね。ライブでステージに立って、観客の楽しそうな表情を見れて気持ちよかった。そこからTwitterでピアノの動画をあげようと思いました。Twitterで動画をアップし続けてたらフォロワーが増えていき、1,000人超えたときにお仕事いただきました。そこからアーティストの道が開けてきましたね。

ー当時十数名のフォロワーの頃からピアノの演奏動画をアップされていたそうですが、フォロワーが少ないなかでも、ご自身がピアノの動画をアップし続けられた理由はなんですか?

17人のリスナーのコメントがモチベーションでした。そのときは趣味でやっていたから、お金にならなくても焦ることはないし、自分がただ音楽が好きだという気持ちでやっていました。

ー当時はどのような動画のお仕事をされていましたか?

「歌ってみた」動画をつくったらバズったのがきっかけで、「仮歌」という仕事の依頼をいただきました。「仮歌」とはその歌を歌うはずの本人以外の人が歌うことで、メロディや歌詞、歌の雰囲気を伝えるものです。今思うと「歌ってみた」動画をアップしたことがよかったですね。

ーそのようなお仕事があるのですね!そうなると次のステップが思い浮かぶかもしれませんが、当時どのような選択肢を考えていましたか?

やはり私の側にはいつも音楽がいて、音楽に救われてきた人生だったので、今後について向き合いましたね。会社でコンサルのプロとして生きていくのもいいなと思いましたが、自分の幸せだけを考えたら音楽に関わる自分が好きだったから、もう誰にも相談することなく決心した次の日に退職の旨を申し出ました。

ー退職されたあと、音楽に100%向き合えるようになってどうでしたか?

自分の人生を生きている感覚があって、幸せ度はすごく増しましたね。
最初の方は生活費を稼ぐためにコンサルをフリーランスでやっていましたが、音楽活動でリスナーが増えてくると音楽だけで食べられるんだと思いました。
年収は会社員時代の半分ほどでしたが、稼ごうと思ったら稼げるし、腹を括ればなんでもできるんだと実感しましたね。

会社員を辞める経験をして、価値観が大きく変わりました。それまで何気なく飲み屋で愚痴を言ってたけど、会社を辞めたら自分の時間もお金も全部投資対象になったんです。何に投資するか、誰に会うか、この時間をどうするかを考えるようになって、物欲もなくなったんですよね。

ハイブリッドワーカーとして影響を与えられる人になりたい

ーそこから一ノ瀬さんは再就職をされていますよね。とてもユニークだと思うのですが、再就職の背景や生き方はどのようなフェーズに入ったのでしょうか?

フリーランスになったときに、絶対音楽で食べられるようになるまで逃げないと決めていたんですよ。2年間フリーランスの時期がありましたが、2年目には音楽だけで食べられるようになりました。

そのあと前職のコンサル会社の同期と飲みに行ったときに、AIやデジタルマーケティングなどプロジェクトの話を聞いて「社会はそうなっているのか」と思っちゃったんです。そのときすでに音楽だけで自分の世界ができあがっていたんですね。新しい話を聞いたときに取り残されている感覚だったのと、やはりコンサルの仕事はおもしろいと感じたので、就職して働くことを決めました。現職の会社に就職し、最初は週3日で働いていましたが、週5日の正社員で働けないかとお話をいただけたのでマネージャーとして再就職しました。

ーそのあとに、ご自身で音楽に関わる会社も設立されていますね。

音楽を仕事にして今3年目になるんですけど、今後やろうとしている事業を考えたときに、私も会社であった方がやれることの幅が増えるし、信用してもらえるので起業しました。平日のデータイムは会社員で、それ以外の時間は音楽の仕事というか仕事も趣味もごっちゃになってますけど、自分の仕事につながる時間を過ごしています。

ーハイブリッドという表現が、一ノ瀬さんの働き方にとてもしっくりきます。実際に今の働き方をしてみて、どのように感じていますか?

人の二倍働くことになるので大変ですが、私はバランスがとれていると思います。仕事のなかで学んだことが結局シナジーを生むんです。会社員で学んだことを音楽の事業で展開できたり、音楽の事業での出会いが会社員の仕事で営業先にしてもらったりと、どのような仕事にもつながっていますね。

金銭的にも会社員として入ってくるお金とプラスアルファで自分の会社から入ってくるお金でバランスがとれています。精神的にもどちらかがうまくいっていないときも、ひとつに絞らないことでリスクヘッジできるので、私はいい働き方だなと思っています。
ただ、そういう働き方を認める会社がまだまだ少ないと思うので、もっと日本の会社が変わるといいですね。

ーさらに一ノ瀬さんはClubhouseが流行したときに、Creatorhouse N. につなげていらっしゃいます。Creatorhouse N. の設立や、クリエイターのみなさんが集まり始めた背景は偶然だったのですか?

そうですね。そもそもコロナの影響で、気軽に人に会えないことに疲れていましたね。居場所がほしいと思ったときにClubhouseが日本に上陸したので、新しいプラットフォームとしてなにか使えないかなと思い、偶然そこで出会った方が某有名なアーティストのマネージャーさんだったんです。

このような環境であれば、プロアマ・業界・界隈関係なく誰でも出会える場だから、おもしろいことができそうだと思いました。そこで自分の番組を持つようになり、メジャーデビュー18周年の光永亮太さんも入ってきてくださって、これは形にしなければと楽曲をつくり始めたことがきっかけで、クリエイターチームが自然と大きくなりました。

ーこれから一ノ瀬さんご自身や会社をどのように広げていきたいですか?最後に今後の展望を教えてください。

「会社=アーティスト・音楽活動」だと思っているので、数年以内に2,200人規模のZeppという会場を埋めたいです。一生懸命働いたり活動したりしている方の生きる希望のひとつになればいいなと思います。音楽活動を通して誰かの居場所になれたらと強く思っているのは、自分の実体験からベースとなっています。高校のときもずっとイヤホンで音楽を聴きながら、自分の空間をつくり続けていたんです。

音楽はライブに行くだけが空間ではなくて、ベッドの上でイヤホンをして泣くことも音楽がつくってくれている空間だと思います。それが自分の居場所であり、そういった誰かの居場所をつくれたら幸せですね。過去に仕事をしながら音楽を聴いて頑張っていた自分もそうだし、自分が音楽に救われ続けていて、感謝してもしきれない思いがあります。

Creatorhouse N. では世界を狙えるクリエイターチームをつくりたいし、会社員ではマーケティングの領域で尖ったポジションに就きたいですね。
ハイブリッドワーカーとして、日本でも世界でも影響を与えられる人になりたいです。

 

取材:山崎貴大(Twitter
執筆:スナミ アキナ(Twitter/note
デザイン:高橋りえ(Twitter