様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第399回のゲストは、庭師としてご活躍中のげべさんです。看護師を志望されていたげべさんがなぜ中退して庭師になったのか。庭師の仕事とは。幼少期から庭師に至るまでの経緯をお話いただきました。
コロナ禍に庭師げべを創立
ーまずは簡単な自己紹介をお願いします。
現在庭師として働いています、田中憲です。看護系の学校に行っていましたが中退し、鎌倉で庭師になりました。5年間修行した後、昨年独立。「げべ」という屋号で個人事業主として働いています。
ー庭師とはどのようなお仕事になるのでしょうか。
業務内容はかなり幅広いです。木を切って整えたり、庭をゼロから作ったり、東屋やウッドデッキを作ったり、木を植え替えたり、水路を作ったりなどなんでも屋のような形になります。現在は既存の庭があるところの手入れが基本となり、「ここに池を作りたい」などといったちょっとした庭のリノベーションを行ったりもします。
コロナ禍での独立となりましたが、あまり影響は受けていません。造園業はどこも同様のようです。まだ独立して間もないこともあり、あまり忙しくはありませんが、先日名刺代わりとなるホームページがようやく完成したためこれから、というところです!
ーホームページ拝見しました!とても素敵でしたが、なぜ”げべ”にされたんでしょうか。
げべは私のあだ名なんです。なぜげべというあだ名がついたのか理由は定かではないのですが10歳頃からそう呼ばれています。
植木屋さんだと◯◯造園や△△ガーデニングなどが多いですがあまりピンとこず…。会社名で呼ばれる機会が増える中、何と呼ばれたら嬉しいか考えたところげべが思い浮かび、あだ名を仕事の名前にしようと決めました。
もやもやの幼少期から看護学部への進学
ーげべさんにとってご自分の幼少期はどのような少年時代だったと思いますか。
幼少期は一言で表すと”インドア”ですかね。今は外の仕事をしていますがインドア派で外で遊びまわるよりも絵を描いたりするなど1人遊びが好きでした。積極的にコミュニケーションをとるのもあまり得意ではなく、どちらかというとネガティブでした。
小学校や中学校のときの夢は覚えていませんが、あの時は庭師になると思っていませんでした。高校生になるまで将来のことなど何も考えておらず、惰性で生きていました。面白くないというもやもやはありましたが特にやりたいこともなく、部活動や勉強で頑張るなどもしていなかったためどうしたらいいか分かりませんでした。
ー高校卒業のタイミングでどんな進路を選ばれたのですか。
看護師になろうと思い、大学の看護学部に進学しました。将来どんな仕事をしたいかと考えたとき、パソコンの画面の中で数字を動かすような仕事はイメージが湧かず…どちらかというと実際に体を動かす、手を使うような仕事がしたい、現実に目の前にいる人の役に立ちたい、と思いました。
その中でも看護師という仕事を選んだきっかけの一つに震災がありました。高2の終わりに起きた東日本大震災は個人的にはショックな出来事でした。首都圏にいたため、初めて大きな揺れを感じたことだけではなく、地震後の報道や世間を見て気持ちが揺さぶられました。自分がもし被災地にいたらと考えると、頭で考えるのではなくいざという時に体を動かせるかが大切ではと感じました。それが医療で人の役に立ちたいと思ったきっかけです。それまでは将来のことを全く考えられていませんでしたが、東日本大震災を機に真面目に未来について考え始めました。
迷いなく大学を中退することを決意
ー大学進学後は中退を選ばれたとのことですがきっかけは何だったのでしょうか。
漠然と違うな、と感じていました。特に入学から1年経つと実習が始まり、より一層医療の現場を見て何かが違うと感じるようになりました。看護師さんは過酷な状況で長時間働かれるんですよね。そのため精神的に病んでしまう方も多く、実際看護師になった同期の友人も結局何人も辞めてしまいました。そんな環境ですから人を助ける前に自分が病気になるかも、と思ってしまったんです。
私は東京の都心で生まれ育ったのですが、そんな暮らしの中で「頭ばかり大きくなってしまい、生きものとして非常に弱い存在なんじゃないか、そんな自分を変えたい」と10代の頃から思っていました。ですから、人を救うために看護師になりたい、というのはあくまでも建前だったと後になって気づきました。本当は、ひ弱な自分自身を変えたかったのです。
ー中退を選ばれるのに迷いはありませんでしたか。
あまり深く考えることなくさっぱりとやめました。不安がないと言えば嘘になるかもしれませんがそれ以上に、レールの外側の世界に対する好奇心が勝っていましたね。
フリーター、そして造園業との出会い
ーその後フリーターをされていたのことですが色々な仕事に挑戦されていたのでしょうか。
いくつかの仕事に就いてはみましたがどれもしっくりこないというよりもうまくいかず、芽が出ないという感じでした。今思えば客観的に自分の状況を見れておらず闇雲に挑戦していたからだと思います。
ーどのタイミングで庭師になろうと思われたのでしょうか。
2年ほどフリーターとして過ごした後、庭師になろう!と決めて鎌倉に引っ越しました。鎌倉にしたのは。お寺なども多く、庭師の需要があるイメージがあったからです。今まで過ごしていた場所よりも土に触れられ、都市ですが緑が多い鎌倉は丁度良いのではないかと思いました。
ー庭師さんとの出会いはたまたまでしょうか。
就職した造園屋との出会いは偶然です。フリーター期間中、たくさんの人にあったり、イベントや講演会に参加していました。その時にたまたま宮大工さんの講演を聴く機会がありました。どんな話をしていたのかはよく覚えていないのですが、職人さんの語り口であるとか、佇まいそのものに圧倒されましたね。それから職人の道に興味がわき、大工ではないですが庭師になろうと決めました。そして鎌倉に引越しをし、職安・ハローワークに行き庭師として働ける場を探しました。
職人さんの世界は厳しそうに見え、こんな自分で大丈夫だろうかという不安はありましたが、2年間何もせず過ごしてきたためここは気合いをを入れて頑張ろうと思いました。前情報は特に入れたりせず、未経験で身一つで飛び込みましたね。
鎌倉と長崎での庭師としての生活
ー実際に修行されてみてどうでしたでしょうか。想像通りでしたか。
気付きは多く充実した日々でした。同じようなことを毎日コツコツするので生活のリズムに自動的に組み込まれていく感じが個人的には良く、自分の生き方にあっていたと思います。
最初の1年はひたすら先輩方が手入れしたところや・木を切った場所を追いかけて綺麗にするという掃除をしていました。夏は暑く大変で汚れる、虫が多いなど多くの人が嫌がるような内容も、私は特にストレスに感じませんでした。ここが継続できたポイントかもしれませんね。
ー鎌倉ではシェアハウスに住まれていたとお伺いしましたが…
庭師になろうと鎌倉に来たのとほぼ同じタイミングで鎌倉のシェアハウスに住み始めました。母屋の一部屋に住んでいたのですが入居希望者が増えたので庭の一角に小屋を建てさせてもらい住みました。小屋を作ってみたかったのでちょうど良かったです。作る際は屋根を水はけはできるのと同時に屋根の上で寝たい、という願望を叶えるために柔らかい勾配にするなどの工夫をしました。シェアハウスに住んだことで毎朝起きて仕事に行って戻ってくるという家と庭の往復が新しいライフスタイルとなりました。
「家庭」は家と庭と書きますが、こういうことなのではと思ったりもしましたね。
ー長崎にも行かれたとお聞きしましたがこれはなぜですか。
鎌倉の造園屋はいいところでしたが仕事が制限されていてもう少し色々したいと常々思っていました。ちょうど3年半ほど修行した頃に都内で長崎の造園屋さんの講演を聞きに行く機会がありました。話を聞いてみてと面白そうと思い、求人を募集されているとのことだったのでその長崎の造園屋さんで働くことになりました。
長崎での仕事内容は鎌倉と違うことが多く、良い刺激となりました。業務とは直接関係ありませんが、純粋に「人の違い」が面白かったです。長崎のさらに超田舎だったので、土っぽいというか泥臭いというか、なんというか“イノシシ”みたいな人たちがたくさんいて。都会にいては絶対に出会えないような人種だと思うので…思い出がいっぱいですね。
庭師になってほんとによかった
ー5年間過ごされた後このタイミングで独立されようと思ったのは。
庭師は独立する方もいれば一生雇われの方もいますが、私はいつか独立したいと思っていました。修業を始めて5年のタイミングでなんとなく今だと思い立ち、独立を決めた形になります。場所も特にこだわってはいなかったのですが、鎌倉で3年半色々な人にお世話になり、友達もいたこと、長崎から戻る際ちょうどシェアハウスの部屋も空いたためまた鎌倉に戻ることにしました。
ー独立してよかったと思われますか。
独立してよかったです。会社員だとどうしても拘束さていれる時間が長くなりますが、それに比べると予定を自分で決められるのが良いですね。庭師になって、生まれてはじめて人生を面白いと心の底から思えるようになりました。ですからホームページの宣伝文句にはずばり「庭師になってほんとによかった」と書いています。独立して、自分のストロングポイントは何かと改めて問うた時に、このメッセージこそ嘘偽りのない真実だと思ったのです。
ー最後になりますが、やりたいことが見つかりにくかったげべさんだからこそできるU-29世代へのアドバイス・メッセージがあればぜひお願いします。
私の場合はこうなりたいとと頭で考え、逆算して行動しても何もうまくいきませんでした。でも、とりあえず始めてみて、最初は辛いけど毎日現場に足を運ぶ内に自然と体が慣れていって、気づいたら一日一日が楽しくなっていました。やってみて続いたから向いていると分かることもあると思います。理屈だけではないんですよね。なんとなく、もくもくと、けどくりかえしやってみる。そういう人生もありなのでは、と思います。
インタビュー:あおきくみこ(Twitter/note)
執筆者:松本佳恋(ブログ/Twitter)
デザイナー:高橋りえ(Twitter)