毛虫は桜餅の味がした!?好きを仕事にする時代に「昆虫食」を極めた地球少年の物語

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第166回のゲストとして、地球少年・篠原祐太さんをお呼びしました。

4才のある日、昆虫を口にしたことから広がった「昆虫食の世界」。
まさに今の時代にあった「好きを仕事にする」を体現された篠原さんですが、そこまでの苦悩や葛藤はかなりのものだったそう。

篠原さんが好きを仕事にするまでの道のり、また昆虫食世界の魅力についてたっぷりとお話を伺いました。

 

コオロギラーメンや旬の虫を使ったコース料理が味わえる「昆虫食レストラン」を開業!

ー最近広まりつつ「昆虫食」ですが、篠原祐太さんは具体的にどんな活動を行っているのですか?

2019年11月に株式会社Join Earthを設立し、今は日本橋馬喰町に開業したレストラン「ANTCICADA」を営業しつつ、商品開発や販売を行っています。

このレストランは、「地球を愛し、地球を探究し続ける」をコンセプトにコオロギラーメンと、旬の虫を使ったコース料理を提供しています。

 

ー名前のインパクトが大きすぎる!昆虫食って聞くとなんか虫のフォルムがどうしても先行してしまうのですが…

そうですよね。
世の中の昆虫を扱っているレストランも主に、
・東南アジア系のお店で昆虫も一つの食材として扱っているところ
・普段口にしないような珍しい食材を使った、ユニークさに重きを置いているところ
の二種類があり、そういうところがそのイメージを作っているかもしれませんね(笑)

でもレストラン「ANTCICADA」は、食材として虫が持っている個性を掘り下げて、その魅力を届けたいという想いで昆虫食を作っています。
なので、いわゆる虫がそのままのっている!みたいなキャッチーな見た目ではなく、魚や肉と同じような感じで食材の一つとしてあくまで使っているだけなんですよね。
なので、たとえば提供しているコオロギラーメンも、別にコオロギがのっているだけではなく、出汁にそれが使われています。

 

ーなるほど、確かに一つの食材として使っているだけ、という言葉でしっくりきました!そうなると次に気になってくるのが味の部分なんですが、実際どんな感じなんですか?

そうですね、見た目も味も、どちらも虫の良さが生かされているかを追求して、妥協することなくつくりあげています。
どうしても虫はゲテモノというイメージが強いですが、昆虫の個性や魅力を最大限に料理を通して伝えていければと思っています。
味についてなんですがイメージがつきにくい人も多く、実際僕も「どんな味がしますか?」と聞かれることが多いです(笑)

一般的には、「こおろぎはえびのような香ばしさがあって…」とか「蚕の幼虫は豆っぽい感じで…」みたいな「ぽい感じ」というのは伝えられていますが、ぶっちゃけ実際に本当にコオロギがエビと同じ味だったら、エビでラーメンを作ればいい話なんですよね。
あくまで味を想像してもらうために例えで言っているのであって、食べてみるとそれは他に例えようのない新たなテイストで私たちに驚きを与えてくれます。

虫一つひとつ味が全く違うので、そこが本当に面白いんですよね。

 

公園の木で見つけた毛虫は上品な桜餅の味がした!?彼の昆虫世界はここから始まった。

ーここまでのお話でだいぶ私も昆虫食のイメージが変わり、ものすごく興味が持ててきました!ここからはそんな昆虫の世界と篠原さんの出会いなどをお伺いしていきたいです!

実はもう物心ついた頃には、自然と虫が好きだったんですね。
虫だけじゃなくて草木や好みなどにも興味があって、それは幼少期の住まいが高尾山に隣接していて、非常に自然に恵まれた環境であったことが大きく関係しています。
基本は、山や川で遊んでましたからね(笑)
そんな虫と触れ合う時間が多い生活の中で、自然と虫を口にしたことが全ての始まりでした。

ー…なるほど!誰かの真似をしてとかではなく自発的に行われたことだったんですね。ちなみに最初に食べた虫だったり、印象深いエピソードはあったりしますか?

最初に食べたものは、バッタやセミでしたね。
調理などはせずにそのまま食べてましたよ。
ただ、別にめちゃめちゃ美味しいから食べたわけではないし、その行為自体に深い意味があったわけではないですが、「虫によって味が違う」というとに気がついてそれが子供心ながらにめちゃめちゃ好奇心を感じたんです。
同じ虫でも個体差とか自分の体調で感じ取り方が変わってきたりして、飽きることなくのめり込んでいきました。

あと印象に残っていることといえば、公園の木についていた毛虫を食べた時に、苦味えぐみ一切なしの上品な桜餅みたいな味がして子供ながらに感動しました。
しかも、見た目はピンクとか黄色のけばけばしい色の毛虫だったので、まさかそんな味がすると思わず物凄い衝撃が走りました。

それでなんでその毛虫がそんな味になったのかというところにものすごく興味を持たところで、彼らは桜の木で生まれて桜の木の葉っぱを食べて育ったからというところに行き着いた時は、言葉に表現し難い感動がありましたね。
自分が食べている物の生き様を感じながらそれを食す、という食物連鎖を肌で感じることができたこの体験は間違いなくその後の自分の人生に大きな影響を及ぼしたと言えると思います。

 

昆虫好きを周りに言えない…好きを仕事にするまでの苦悩と葛藤の青春時代

ー幼少期の間に自分の人生を作る貴重な体験ができたというのは、ものすごく価値のあることだったと思います。じゃあもうそこからは昆虫世界にまっしぐら!って感じだったんですか?

実はそれが、ここからは結構長きに渡りいろいろな葛藤がありました。
それこそ幼稚園時代は、友達と虫取りに行くのがあたりまえでしたが小学校に上がると遊びもゲームやサッカーなど遊びが多様化していく中で、自分の昆虫好きを公言できなくなっていったんです。
言いたい気持ちがなかったわけではないですが、人と違う自分をまだまだ幼い自分は認められなかったんですよね。
なので周りの友人には一切言えてなかったです(笑)

でもその中でもその虫への熱意は消えず、小学校の卒業文集にも生物学者になりたいと書いたほどでした。
なので、そのために私立の進学校を受験したりもしました。

 

ーなんと!自分の好きなことを好きと言えないストレスは、幼いながらにものすごく感じていたのでしょうね…でも中学校でガラッと環境も変わりそこでの変化も大きかったのではないでしょうか?

いえ、中高ではむしろより葛藤が大きくなりました。
実は受験した中学は、生物部があったりして自分の好みを理解してくれる人がいたり、自分がやりたいことに打ち込める、と結構期待していた部分があったのですが、実際入部してみると全然活動していなかったりしてその期待を裏切られることになって…それは結構ショックな出来事だったんです。
そのショックな気持ちの裏には、やはり「昆虫好きな自分をさらけだせる」と思ったのに、それが叶わないなかったという想いがありましたね。

昆虫好きを公表してみんなに引かれるのが怖く、結局周りに対して言えないまま中高が終わっていきました。

ーまたまたショックな出来事に胸を痛めていたのですね。では、中高はどんなふうに過ごしていたのですか?

以前からスポーツは好きだったので、部活は野球部に所属していました。
しかしそれも、高校一年生の時に膝の剥離骨折によって退部を余儀なくされていまい…その出来事もショックすぎてその時は本当にもうどこに次はモチベーションをさけばいいか分からなくって混沌としていました。
でも結局、勉強は元々嫌いではなかったので、全てを勉強に注ぐことに決めました。
幸いにも進学校であったので勉強をがんばる環境も整っていましたし、やればやるほど目に見えて成績も上がっていくのはゲーム感覚で楽しかったですね。

でも少しギアを入れるのが早すぎちゃって、全国模試で一位をとったら燃え尽きちゃって、大事な高校二年生や三年生では全然勉強に身が入りませんでした(笑)
いよいよ大学進学を考える時期になっても、特段やりたいと思えることもないし今進学しなくてもいいのかな…なんて考えることもありました。
でもそんな僕を見た親が、自分の出身校でもある慶應義塾大学の商学部に勝手に願書を出してしまったんです…!

もうびっくりですよね。僕も何勝手にやってるんだよって思っちゃいましたもん。
挙げ句の果てに「まあどうせ行っても受からないだろうけどね」とか言われたもんだからそれに腹が立って、試験を受けに行って、入学することになりました。

でもこれが後々考えたら、親に本当に感謝すべき出来事になりました。

ー私も理系の学部出身だとばかり思っていたので、経歴を見た時に「商学部!?」となったので不思議に思っていた部分もあったのですがそういうエピソードがあったのですね(笑)結構衝撃的な出来事だと思うのですが、ぶっちゃけどう思いました?

勝手に願書出された時はどうなるかと思ったんですけどね(笑)
これは後々わかったことなんですが、親が慶應義塾大学の商学部を選んだのは、豊かな環境や様々な人との関わりで自分の可能性を伸ばしていって欲しいという願い、また名のある大学の商学部で学ぶことは今後僕が何かを成し遂げる際に必ず活かされるだろうという想いがあったからだったんです。
自分のことを本当に理解している親しか出せないこのベストアンサーを聞いて、僕は心からその時感謝しました。
実際、大学入学以降昆虫食の活動をするにあたり、大学の名前が僕の背中を押してくれる場面やビシネスの場で商学部の学びが活きた場面は本当にありました。

 

自分の好きをシェアできる喜びをかみしめ、大学で再び開いた昆虫世界の道へ突き進む

ーここまでは小学校〜高校まで自分の好きをシェアできない、好きなことに打ち込めないことへの葛藤が大きかったと思うのですが、大学入学して変化はありましたか?

大学では、いろんな形の「好き」を追い求めていく人を見て「好きってこんなに形があっていいんだ」と思えるようになり、ついに周りにも昆虫好きの自分をさらけ出すことができたんです。
またちょうどその頃、国連が昆虫食を推奨する報告書を発表したで世間の注目が一気に高まったこともかなり後押しになりました。
これまでひた隠しにしてきたのですが、国連というおおきな機関が自分の味方になってくれたみたいですごく勇気づけられたんですよね(笑)

ーまさに時はきた!という感じですね。長きに渡る葛藤本当に辛いものがあったかと思います。ちなみにそれを公表した時、周りの反応はどうでした?

公表とは言ってもまずは、Facebookの投稿から…と想い投稿欄に思いの丈を綴ってみたものの、投稿ボタンを押すのにはものすごく時間がかかりました。
正直その投稿もあまり周りの反応は良くなかったんです(笑)
それはそれでショックではあったのですが、それでもその投稿を見てDMで「興味深い!今度一緒に昆虫食食べてみたい!」と言ってくれる友人もいたんですよ。
そして実際に一緒に食べにいって、自分の好きな昆虫の話を一緒にしたり、何より昆虫食を食べて感想などをシェアしたその時間が本当に本当に楽しくて。
その後その友人から「昆虫がこんなに美味しいなんて、世界観が変わったよ!」なんてメッセージをもらったりして、それが今の活動の原点になりました。

なんとなくのイメージで昆虫に触れられない人もたくさんいて、それをみている子供たちもまたよくないイメージを持つということがよくあると思います。
でも、大人たちのそう言ったイメージで子どもたちの世界が閉ざされてしまうのは非常に悲しいことだと思っています。
なので、この昆虫食を通して、昆虫の世界の素晴らしさを多くの人に知ってもらいですね。
僕は、そんな昆虫や昆虫食に興味を持ってもらえる人に120%で応えられるようにこれからも活動を続けていきたいと思います。

ー好きを仕事にする、とはまさにこのことだと思いました。途中様々な境遇におかれたとしてもその熱意は絶やさなかったこと。そしてその世界に導かれて今立つべき場所に立っている、そのように感じました。貴重なお話本当にありがとうございました。

 

取材:青木空美子(Twitter/note
執筆:後藤田眞季
デザイン:五十嵐有沙(Twitter