大切なのは常にターゲットの等身大でいること。高校生フリーランスから大学生で起業した朝比奈ひかりのビジネスメソッドとは

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第168回のゲストとして、株式会社ネオレア 代表取締役・朝比奈ひかりさんをお呼びしました。

なんと高校生にしてフリーランスとして活動し、「女子高生カメラマン」の異名で活動を始めます。その後もアイドルのマネージャーや「10代マーケター」などの長きにわたるフリーランスの経歴を経て、現在は株式会社ネオレアの代表取締役に就任。若くして様々なキャリア変遷がある中で、彼女の仕事に一貫しているのは「同年代をターゲットにする」ということ。また、高校生から「フリーランス」として働いて来た彼女だからこそ語れる個人で働くことのリアルな側面、そしてなぜそんな彼女が個人ではなくチームで働くことを決めたのかなど、気になることを伺いました!

キャリアの第一歩、等身大の女の子が求めているものを写す「女子高生カメラマン」の誕生

ー22歳とは思えないほどの経歴の持ち主だと思うのですが、まずは現在のお仕事について教えてください!

現在は、「若者コンサル」をコンセプトにした株式会社ネオレアの代表取締役として、若者向けのサービスや商品を扱う企業向けにコンサルを行っています!

例えば、「カラコン(カラーコンタクト)」の商品開発をするにあたってどういう色やデザインが若者にウケるのかというのを考えたりするような商品開発の部分に携わったり、SNSアカウントの運用、イベントの運営なども行っています。

ーなるほど!ちなみにそれまでは、カメラマンやアイドルマネージャーもやられていたということで一見全然違うキャリアを築いてきた印象に思えるのですが、その辺の話もぜひ教えてください!

そうですね、高校生からフリーランスとして働くようになったのですが、まずは「女子高生カメラマン」という肩書きで仕事をするようになりました。そのきっかけとしては、高校一年生の時に原宿界隈の方々とつながって学生ファッション団体を作ったところにあって、その時に洋服をリメイクしたりとかしていてそれを写真で残せたらな、と思ってカメラを手にとるようになったんです。また、高校生青春発信マガジン「HR」という雑誌の高校生編集部にジョインしたことも契機となって、自分で「女子高生カメラマン」と名乗るようになりました。

ただそう名乗るのであれば何か実績が欲しいと次に考えるようになり、その時にKADOKAWAのフォトコンテストを見つけて応募したら、グランプリをいただくことができたんです!

ー順調にカメラマンとしての実績を上げていき、活躍して行ったんですね!「女子高生でカメラマン」という名前とてもキャッチーな肩書きだと思うのですが、どうやって決めたんですか?

「女子高生カメラマン」という名前の裏には「等身大の女の子が求めている写真を撮影する」という意味が込められているんです。自分もその時は女子高生だったわけで、同じ年代の子が求めている写真を取りたいと思ったんですよね。

例えば当時、女子目線から見てかっこいと思う男の子の瞬間を撮るのが私は得意だったんですが、それも等身大の女の子が求めている写真ということで撮影をしていたんです。ちょっと前で言うSNSで流行ったような「#彼女とデートなうに使っていいよ」「#彼氏とデートなうに使っていいよ」みたいな写真ですね。ちなみにその名前を考えた時は、同じ名称で名乗っている人がいないかも事前にチェックしましたよ(笑)

バイトで感じた働くことへの「闇」。高3にして「好きなことを仕事にする」ことを目指す

ー「女子高生カメラマン」の次は「アイドルのマネージャー」というまた面白そうな職業に転換されたんですよね?

そうなんです。女子高生カメラマンは、続けていくうちに「朝比奈って人がいいの写真撮ってくれるらしいよ」と言う口コミが広まり、徐々にアイドル、インフルエンサーや読者モデルの方を撮影する機会も増えていきました。その繋がりで、そう言った方々からマネージャーやってくれない?とオファーをもらったりしていて、それで始めることになりました!イベントの握手会の受付とか、スケジュール調整、ライブに一緒に行って踊っている姿を撮影するな様々な仕事をこなしていましたよ。

カメラマンもアイドルのマネージャーもとても楽しかったので、こういった経験から「好きなことを仕事にしてお金をもらえるんだ」という気付きになって、これはとても衝撃的でしたね。今後の自分のキャリアにも大きな影響を与える原体験でした。

ー高校三年生の時点でその気付きを得られたのは大きな財産ですよね。何かすでにその後のキャリアのビジョンなどは具体的に描かれていたんですか?

大学生になったら好きなことを仕事にしてフリーランスで稼いでいけるようになろうとすでに思っていました。こう思ったきっかけは、もちろん女子高生カメラマンやアイドルマネージャーの経験もあるのですが、もう一つ「バイト」での体験もあったんです。

当時、飲食店などでバイトをしていたのですが、そこの店舗の店長やパートの方がめちゃめちゃ仕事の悪口を言ってるのをよく聞いていて…(笑)すごくその当時、働くことへのネガティブイメージも同時に持ってしまったんですよね。

でも正反対に、好きなことを仕事にしてお金を稼ぐことができるという経験ができたので、自分はその道を進んで行こうと決めました。結果、大学1年生の時には完全にフリーランスで一人暮らしできるくらいは稼げるようになっていました。

イベントを勝手に売られていた…そんな逆境を乗り越え、拓けた新たな道とは?

ー「好きなことを仕事にする」を志して大学に入学されたと言うことですが、大学時にはどんな活躍をされていたんですか?

大学一年生時からは、イベントの開催を主に行っていました。先に挙げたように、女子高生カメラマンやアイドルマネージャーの経験から、影響力のあるインフルエンサーなどとの繋がりがあり、そういった方々との写真をSNSでアップすると「もっと写真アップしてください!」みたいなコメントが結構来ていたんですよね。

それを見て思ったのが「みんなもっとこの人たちの顔を見たい、この人たちに会いたいのでは!?」と。そのアイデアから、インフルエンサーと会えるイベントを開催するようになりました。当時は、そういったイベントといえばチェキ会かトークショーが主な選択肢で、それよりも一歩踏み出したイベントにするためにはどの距離感がみんな嬉しいのか、と言うことをまず考えました。

もし私だったら嬉しいのは…と考えついたのが「会いたい人のバイト先に行きたい!」と言う答えでした。(笑)そこでできたのが、カフェとイケメンと掛け合わせた「カフェメン」です。

「推し(憧れの人)がカフェで働いてて、その人に接客してもらえる」というカフェで、なんと1日に300人くらいの女子高生が来店してくれるほどの反響がありました!このイベントを月に一回くらい行っていて、良い日で1日に売上が300万円程度ありました。

ー「もし私だったら嬉しいのは…」まさにここでもターゲットの等身大に立つというのがポイントになったと思います。大学生のスタートともに、自分のやりたいことをどんどん形にして行ったと思うのですが、中ではやっぱり大変なこともありました?

ありましたね。実は、このカフェメンを開催するにあたってアドバイスをくださっていた方に、勝手にイベントを売られたと言うことがあって…。これは本当にショッキングな出来事でした。

また、一回で300万円ほどの稼ぎが出るイベントも開催できたという実績が、当時の私には十分過ぎて自分のモチベーションを止めてしまい、向上心も無くなってしまったんです。ということもあり、このカフェメンのイベント開催は思わぬところで終了を迎えてしまいました。

ーそんなことがあったんですね…。20〜30代で経験するのとはまた違う受け止め方だと思うので、これはご自身の価値観が大きく変わる経験になりそうですね。その出来事の後、活動はどのように進められたのですか?

その後しばらくは、Twitterで発信したり、元々繋がっていた社会人の方に連絡をとったりしてしばらくやりたいことを模索する時期が続きました。これまでずっと若者向けのイベントなどで実績を残していたので、若年層向けを相手に何かマネタイズできる方法はないかという考えはありましたね。

そこで、若年層向けのマーケティング支援を始めることにしました。若年層向けのマーケターっていうのは、今でこそ存在しますが当時はまだそういった分野で活躍している方もいなかったので、ある種ブルーオーシャン的なところもありましたね。

具体的には、有名企業や秋元康さんプロデュースのガールズバンドのインフルエンサーマーケティングや、プリクラの大手企業にスカウトされ10代向けのカメラアプリの企画マーケ担当をしたりしていました。

個人で仕事をしてきた彼女がチームのトップとして会社を経営することにした大きな決断。

ー ここまでのお話を聞く限りだと、フリーランスでこのまま成功をおさめていくのでは…?とも思ってしまうのですが、起業するタイミングはどんなところにあったのですか?

若年層向けのマーケティング支援を続けていく中で、ありがたいことに仕事がたくさんきて自分でいよいよ捌き切れなくなっていったんです。それで、チームを作ることになり、それを法人化するとなり今日の株式会社ネオレアにつながっていきます。

ー なるほど、嬉しい悲鳴から起業へとつながったのですね!でもフリーランスから起業するって結構な勇気が必要な決断だと思うのですがそこはどうでしたか?

起業をする2ヵ月前までは、自分が起業するとは思っていませんでした。なので、私の中で「社長像」が大きくありました。もしメンバーが交通事故遭った時に責任を取れるのか…なんていう一人で仕事をしている時になかったような悩みに直面していました。起業をしてからは、人数が増えたことでたくさん仕事も受けられるようになり、どんどん認知度も高まっていきました。

また、「若者授業」という若年層向けのサービス行っている企業様に若者のトレンド情報を発信するイベントを開催したところ、すぐに40社程集まったという実績も重なり、自分がやっていること、これからやろうとしていることにすごく自信が持てたという経験もあって、起業するという決断に至りました。

その他にも、節税になることや大きい企業と関わる上で法人化して置いた方が仕事を進めやすい、という起業するメリットも考えて、それも後押しにもなりましたね。

ー「自分がやっていること、これからやろうとしていることにすごく自信が持てた」このことは今後の原動力にもなりますよね。実際に会社を始めてみてどうでした?

「もっと会社を大きくならなきゃいけない」という気持ちや責任が先行するようになっていったんです。そうすると、これまで気にしなかったような経営やお金の心配などが出てきたりしましたね。月次でも赤字にしない方がいいよねとか、あまり気の進まない仕事も経営のためにやった方がいいかもとか。そうしてサービスに目を向けていた結果、徐々に組織に目を向けられなくなり…そこが最初の挫折ポイントにもなりました。

というのも、そういった日々自分が抱えている悩みをメンバーに共有できていなかったんですよね。自分の中で「社長は弱みを見せないのが美学」みたいなのがあって、不安を言葉にすることでメンバーに不安を与えてしまうのではという心配があったんです。その結果、ちょっと心が疲れてしまったことがあって…そこからちゃんと話すよう努力するようになりました!同時に、腹を割って話すことの難しさ、本音や不安だけではなく注意をすることの難しさを学び良い機会になりました。

ー これぞフリーランスで働いていた時には起きえなかった悩みだと思います。チームで働くことの難しさを早速痛感したのですね。会社も設立して1年。これからやりたいこともどんどんあるかと思うのですが、これからの朝比奈さんのビジョンをぜひ聞かせてください!

常に自分は、同世代向けのサービスに携わってきたので、それは30代、40代になっても続けていきたいと思っています!女子高生カメラマンや、若年層マーケターもそうですが、これまで私は同じ年齢をビジネスのターゲットとしてきました。なので、これからも常にターゲットの中心で何かを作り続けられるようにしたいと思います。

そのためには今、同世代をターゲットにしている会社で実績をどんどん作り、次なる挑戦に備えたいと思っています。

ー これまで次々と新たな挑戦をしてきた朝比奈さんのこれからにもますます目が離せませんね!「これからも常にターゲットの中心でいたい」その気持ちは、これまでの全ての経験が作り出した朝比奈さんのキャリアの軸だと思いました。これからの挑戦もとても楽しみにしています。本日は貴重なお話本当にありがとうございました!

取材者:山崎貴大(Twitter
執筆者:後藤田眞季
編集者:後藤田眞季
デザイナー:五十嵐有沙(Twitter