病や友の死を経て、マルチに活躍するフリーランスデザイナー・五十嵐有沙が見つけた「生きがい」とは

色々なキャリアの人たちが集まって、これまでのキャリアや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。

今回のゲストは、U-29.comのメディアにて、もはや欠かせない存在になっているフリーランスデザイナー・“ありりん”こと五十嵐有沙(いがらし・ありさ)さんです!

デザイナーとしての仕事に限らず、古典芸能の分野でイベント企画などを行ったり、関東最大級を目指す女性限定サークルCareer Cheer Leaders2020の代表を務めたり…ますます活動の幅を広げているありりんの、ユニークなキャリア観に迫ります!

10代で病・イジメ・震災・友の死を経験。生きるか死ぬか考えた答えは…?

 

ーさっそく人生のターニングポイントについて聞いていきたいのですが、10代である病気に悩んだそうですね…

そうですね。私は小学校4年生で「てんかん」という、100人に1人がかかる病を発症しました。その日から、健常者として生きていけないという運命に向き合いました。

てんかんを患い、私の場合は気づいたら数秒ほど意識を失うことがありました。立っていても気を失っているような小発作が起きるようになり意識が失くなるので、周りの友人から怪訝がられていました。

大きな発作だと、痙攣して泡をふいて卒倒してしまいます。常に「自分は他人と違う・普通には生きられないのかも」となんとなく思ってましたね。

ーそんな病気とはどのように向き合っていったのでしょうか?

中学生になった頃くらいから、発作になりそうな日や兆候がわかってくるんです。

兆候が分かるようになると、「今日ちょっと発作が起きるかも」と母に連絡ができたりするので、自分でコントロールして上手く周りにも助けてもらいながら生活を送れるようになっていきました。

今はてんかんの発作は5年ほど起きていません。制約もほぼなく、日常生活を過ごしています。

ーそれは良かった。小学生の頃は大変だったんですね。

てんかんの病気とは別に、小学生の時はイジメにもあいました。仲が良かったグループ内で無視をされたり、突然机の上に陰湿な手紙があったり…女子特有の陰湿なイジメでした。

周囲にもあまり相談できる人がいなかったので、1人で悩んでいました。でも、そのイジメの経験があるので、1人でいることも怖くなくなりました。

中学や高校に入ってからも、人間関係や恋愛の話題が原因でクラスで浮いたり、浮いた話に巻き込まれたり…大学時代も少し学内で浮いてたという自覚があるので、友人も少なくだいぶ陰キャな思春期でしたね(笑)

ー高校生の時、また大きなターニングポイントがあったとか。

私の実家は仙台の名取というところなのですが、高校生だった3月11日に東日本大震災で被災しました。実家は沿岸からだいぶ離れた所で津波の被害はありませんでしたが、地震で家のものが壊れるし、落ちてくる。死の恐怖を感じました…。

ー震災を受け、価値観の変化はありましたか?

いつどこで何が起きるかわからない、ということを体験したので、いつどこで何があってもいいようにリスクヘッジを考えて動くようになったかも。

また、住んでいる場所がダメになったときに、もう1箇所あると安心なので、その震災の経験後から現在の多拠点生活(リスク分散の考え)をするようになりました。

最近また頻繁に地震があったり、台風や大雨などの自然災害も多々ありますよね。あのときの地震の経験があったから、自然災害への対策や防災意識に活きていると思います。今では防災グッズなどを家に備えて生活をしています!

ーそして震災以上に、ショッキングな出来事が…。

そうなんです。18歳の時、仲が良く幼馴染のような存在だった男の子が自殺をしました。私にとっての彼は、友達以上恋人未満という相手。もしかしたら付き合うかもしれない…と思えるような相手だったので、本当にショックでした。

仲が良く、近くにいたのに何もわからない…自分も気づかないところで何かしてしまったんじゃないか…と考えてしまい辛かったです。

そこから対人恐怖症のようになってしまい、精神的に不安定で生活リズムも不規則に。しばらく大学にも通えなかったです。人に会うのが怖い、生きているものを見るのが怖かったんです。

若くして自殺してしまった彼と残された彼の家族を見て「人は、何のために生きているんだろう」と、生きる意味のようなものを悶々と考えるようになってしまいました。

ーその傷は、どのように癒えていったのでしょうか。

その出来事を経て「このまま生きるか死ぬか、どうしよう?」と悩み抜いた結果、ネガティブな選択肢を自分の中から消そう!と決意しました。親孝行ってなんだろう。子どもを生むってなんだろう。生きるってなんだろう…と悩み、今の私にできることってあるのかな?とか。

そこから前向きに気持ちを切り替えられるようになってきて、未来年表を書いてみて、自分の将来に向かって歩きだす準備をできるようになりました! 最近たまたま見返す機会があったのですが、2016年に考えていた2拠点生活を実現できていたので、ちゃんと思い通りになっていたことに気付きました。

当時作成した未来年表

 

学生時代はデザイン・企画の分野でマルチに活躍するも就職。そして再びフリーランスに!

日本最北端の稚内でリモートワーク中の写真

ーそんな10代を経て、ありりんがデザインの仕事に興味をもったキッカケは?

原点は、ものをつくって人に見てもらい、これまでと違った何かを感じてもらうことをやりたい!と思ったことです。

小学校〜高校まで、生徒会の役割をすることがあったのですが、学級新聞のデザインや見せ方をちょっと工夫するだけで、学校内で注目されるような経験があったんです。そこから、デザインとは、人に何かを使える重要な要素になるんだ!という実感がありました。

その後、大学入学を機に自分のパソコンで独学でデザインを作ることにどハマリしました。Adobeの「Photoshop」や「Illustrator」を使うためにバイトをして購入し、時間があれば何かしら黙々とやっていました。

私の通っていた宮城大学デザイン情報学科は、プログラミングを少し触ることもあれば、WEBデザインや動画編集やマーケティングなど色々なことに挑戦できるユニークな学校でしたので、そこでもデザインに興味を持ちましたね。

ー大学時代に、経験したデザインのお仕事を具体的に聞きたいです!

大学のインカレサークルの新歓ポスター作成などは何種類も担当しました。その評判が口コミで広がり、自分が関わっている学生団体やサークルなどの制作のお仕事は大概もらっていた気がします。

また、学生時代に震災の復興支援活動をやっていたつながりから、仙台の魅力を市内外へ発信するための企画番組に出演していたんです。その企画のマスコットキャラクターとして「自称アイドル・ありりん」をやってました!

セーラー服を着て参加し、市内のイベントは大概取材したと思います。番組の企画書作成、目的決め、YouTube配信の交渉、出演、撮影、MC…動画編集まで全部1年ほど自らやっていました。

もう“学生だけどフリーランス”という感じですね。学生時代にクライアントワークができるようになったり多種多様な実績ができたことが、今の仕事に活かせています!

IF I AMの活動にて、セーラー服姿で大活躍

ーそんな経験があったにも関わらず、なぜ人事系コンサル会社に就職を?

大学4年生の5月くらいに、会社経営をしている厳格な父に「就職はどうするつもりだ?」と言われてしまい、そこでやっと就活を考え始めました。

たまたまご縁があった知人の紹介で、東京の企業に就職しました。当時は“ありりん”として活動していたので、トレードマークのセーラー服で説明会に行ったのもいい思い出です(笑)

就職後は泥臭い飛び込み営業もやりました。好きなデザインの仕事はのめり込んでやっていたけれど、対人力や自分のデザインを売り込む営業力・交渉力は欲しい!と思っていました。

ー初めての就職はどうでしたか?

社会人1年目は実家から出られた喜びが大きく、自由と自立の喜びを感じました!

仕事上、様々な業種の企業の社長さんとお会いする機会が多く、その業界の方から色々なことを学べて面白かったです。仕事で新しいことに出会えるのが大変刺激的で、知的好奇心をくすぐられる毎日でした。

とはいえ、営業の仕事は自社製品を心から好きでないと、売るのは難しいな…と思っていたので、自分が本当に良い!と思えるものを売りたいと思うようになっていきました。

ー退職、そして独立のキッカケは?

様々な案件が舞い込んできたタイミングと自分の想いがマッチしたからですね!

私は社会人になってからも、副業でブライダルのムービー編集のお仕事やデザインの仕事は継続していました。

そんな時、たまたまお声がけいただき、歌舞伎/伝統芸能の長唄三味線奏者のマネジメントやイベント企画をすることになったんです。また新しいジャンルへの挑戦でした。

さらに、仙台にいた頃にお世話になっていた制作会社さんが法人化するとのことで、お手伝いすることにもなりました。

この色々な案件でお声がけいただいたタイミングで辞めよう!と直感で動きました。急だったので、親にも言わずに決めてしまいましたし、急いで家を探したり大変でした(笑)

そこから、私の現在のフリーランスデザイナーとしてのキャリアがスタートしています!

 

会社員よりオトクな部分もある!? フリーランスありりんの、今後のキャリアビジョン

2020年度の代表を務めるCareer Cheer Leadersの皆さんと

ー現在、メインのお仕事はどのような内容ですか?

私のお仕事は、ポストカードや名刺のグラフィックデザイン・WEBデザイン・ウェディングのムービー編集などを主にしています。

最近では古典芸能のお手伝いをしたり、様々なコミュニティに所属して代表をさせていただく機会をいただいたりもしています。このU-29も大切なコミュニティの1つです。

ー多岐にわたって活躍していますよね!会社員生活と比較してどうですか?

会社員として働いた期間は約1年ほどでした。もともと人混みがあまり得意ではないのと、ちょっとしたストレスの積み重ねが病気に影響してしまうので、会社員時代は東京の通勤ラッシュがとにかく辛かったです…。フリーランスになった今では通勤もラッシュもなくなって体調は良くなったと感じます!

また、平日の日中にジムに行けたり自由に動ける時間も多いんです。100%自分に裁量があるので、自分らしくマイペースでいられる現在の生活は自分に合っていると思います!

ー逆に、フリーランスとしてのデメリットは何かありますか?

生活に欠かせない収入を気にしないといけない部分でしょうね。私もフリーランスになりたての頃はシビアでした。今は収入が不安定な部分も含めて、自分を高めていける時期なんだと思っています。そんなにマイナスには捉えていないですね。

ーぶっちゃけ、会社員時代と収入は変化ありますか?

収入は、今のほうが会社員時代より少しだけ多いです。しかも自分の好きなことをして収入にしているし、経費で計上できて節税できますし!

フリーランスって、オトクな部分も多いですね。

ー特に、ワクワクするようなデザインの仕事はありますか?

会社のビジョンや経営方針、ロゴマークのデザインの仕事です。何かのコミュニティや会社の立ち上げ時に作るものはワクワクします!この会社は、今後どういう風に広がっていくんだろう!?と思いながら考えてアウトプットしています。

また、人の笑顔や愛の形、つながりがわかるようなウエディングフォトやムービー編集もすごく好きな仕事です。

ー各仕事のバランスはどのように管理していますか?

「自分は何屋さんなのか?」というのはちゃんと考え、お伝えするようにしています。自分は“デザイナー”という軸があって、その他にも色々な案件ができます、という感じです。

まずは自分の軸であるデザインのお仕事をして、余裕があればプラスアルファを考え、お仕事をいただくように意識しています。そうすることで、軸がブレなかったり、バランスを保てるようになります。

ー働く場所にも、ありりんらしい考え方がありますよね!

現在は新型コロナウイルスの影響で思うように動けませんが、芸能系のお仕事の関係で日本全国いろいろな場所で、ひと月ほど生活することがあります。

将来的には、東京と仙台の2拠点を中心に仕事をしていくんじゃないかなあと思います。地域や場所によって、私の1日の流れ・モードのようなものが変わっていく感覚です。そういった変化も楽しんでいます。

ーフリーランスになって2年…今後チャレンジしたいことを聞かせて下さい!

現在、保育士の資格を勉強中なんです!仙台の友人が結婚や出産をするようになってきたので、女性やお母さん達のキャリアアップ支援をしたり…そういう事業を、父の会社の新事業としてできないか?と考えています。

今後の未来は具体的にはまだわからないのですが、「生きていくってなんだろう?」という問いの答えを、今後もワクワクしながら、私らしく作っていきたいと思います。それが“生きがい”であると信じて。

ー素敵なお話、ありがとうございました!

 

▼五十嵐さんの過去の活動はこちら
bud(東北発☆未来塾の企画チーム)
IF I AM(NPO法人メディアージ内再生リスト)
宮城県とのプロジェクト「しらプロ」
Career Cheer Leaders
五十嵐さんのポートフォリオサイト

 

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取材:西村創一朗
デザイン:五十嵐有沙
文:Moe