マジシャン・精神科医・コーチ「思い込み」を操るスペシャリスト志村祥瑚の原点

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第270回となる今回は、マジシャン・精神科医・メンタルコーチという異色の肩書きを持つ志村祥瑚さん。

誰しもが捉われうる「思い込み」のメカニズムを利用した新しいマジックパフォーマンスやメンタルトレーニングを実践し、新体操日本代表のフェアリージャパンやカヌースラロームオリンピック日本代表などのメンタルコーチも務める志村さんに、その独自の道を切り開くまでの苦悩や葛藤をお聞きしました

マジックを始めたきっかけは、父の影響

ー本日はよろしくお願いします。まずは自己紹介をお願いします。

マジシャン、精神科医、メンタルコーチの志村祥瑚です。初めて僕の経歴を聞く方は、全てバラバラの仕事なのではないか?と思うかもしれません。ですが、僕の中では全て共通点があると考えていて、それはどれも「思い込み」を扱うという点で繋がっているんです。

ー「思い込み」を操るとは具体的にどのようなことをしているのでしょうか。

皆さんがよく目にしているマジックというのは「思い込み」を利用したパフォーマンスですが、この「思い込み」というのはマジックだけではなく、日常生活でも起こっているんです。例えば、「自分なんかダメだ」と考えてしまうとき、これはまさに「思い込み」をしている状態です。思い込みによって心にブレーキをかけ、前に進めなくなってしまうと、鬱になって、精神科にかかることになってしまいます。
これはアスリートや経営者などのハイパフォーマーの人たちも同じで、思い込みが原因で前に進めなくなったり、立ち止まってしまったりすることがあります。

僕はマジシャンとして培った思い込みを操る技術を使い、精神科医やメンタルコーチとして、思い込みを変えてあげるということもしています。

ー現在幅広くご活躍している志村さんですが、その原点となるマジックに目覚めたきっかけというのはなんだったのでしょうか。

マジックを始めたきっかけは、父の影響です。父は趣味でマジックをしていたのですが、それがかなり本格的で。家にはたくさんのマジック道具があり、それこそ鳩がいたり、コーヒーカップをひっくり返すとネズミが出てくるようなマジックも幼い頃から見せてもらったりと、常に身近にマジックがある環境で育ちました。

また、父は「弁理士」という特許権や商標権など知的財産に関する専門的な仕事をしていたこともあり、モノの仕組みというのが大好きで。「コピー機はどうしてコピーできると思う?」だとか、「FAXはどういう仕組みで出来ていると思う?」など、仕組みや原理に関する会話をよくしていました。その影響もあってか、僕もモノの仕組みについて関心を持つようになり、初めは「魔法かな?」と思って見ていたマジックの仕掛けに興味を持つようになりました。そこで、父に頼んで教えてもらうようになったことが、マジックを始めたきっかけです。

ーお父様がきっかけだったのですね。そこからより本格的にマジックにのめり込むようになった理由を教えてください。

僕が通っていた学校では「自慢大会」という催しが年に一度毎年行われていました。これは一芸を持つ学生が集まり、全校生徒の前で披露するという大会なのですが、僕はそこで初めて大勢の前でマジックを披露したんです。金属の輪と輪が繋がるマジックを披露したのですが、そうしたら600人ほどいた全校生徒が盛り上がったんです。そして、この発表をきっかけに周りの人に褒めてもらうことができ、もっと上手くなりたいと思うようになりました。

人は成功体験があると、もっと成長しようと脳が前に進んでいくことができるんです。これの体験をきっかけに、さらにマジックにのめり込むようになりました。

 

誰とも比較されないマジックが心の拠り所に

ー志村さんはその後、マジックのコンテストにも参加するなどより本格的にマジックに取り組まれますよね。コンテストに出場しようと思った理由はなんだったのでしょうか。

初めはコンテストのことなどは全く意識せず、普通の学校生活を送っていました。僕の家は教育に熱を入れている家庭で、中学受験で慶應義塾普通部に入学、そして、母方の家がクリニックを営んでいることもあり、医者になるよう熱心な教育のもとで育てられたんです。
そのため普通の学校生活といっても、「勉強では100点以外を取ってはいけない」と言い聞かされ、習い事は週に10個掛け持ちしていたので、学校が終わると校門の前で待つ母の車に乗って、習い事をはしごするような生活でした。習い事でも結果や能力を厳しく評価されたり、他人と比較される。そんな毎日を送っていた僕の唯一の逃げ場がマジックでした。マジックは周りにやっている人が少なく、比較されることもない。「これは自分だけの強みなんだ」と感じるようになり、より一層マジックに没頭するようになりました。

 

自分の可能性を試すため、マジックコンテストに挑戦


ー他人と比較されることなく、自由に楽しめるマジックが心の拠り所だったんですね。

そして高校に入ると、より一層マジックキャラを押し出すようになりました。なんせ、全校生徒2000人、クラスがA組からR組まであり、言ってみればお客さんがたくさんいる環境だったので、毎日休み時間になると他のクラスに行ってマジックを披露していました。

ー同学年にそんなにいるんですね!

そうなんです。また、高校にはマジック部という部活があり、一貫校のなので慶應の大学生が教えにきてくれたりもするんですね。マジックを通して大人と触れ合うことが出来たことで、視野が少し広がったんです。つまり、自分の一つ上のステージにいる人たちと話すことで、自分が成長したらこうなるのだろうと、なんとなくイメージがついたわけです。
自分のマジックで盛り上がってくれる観客がたくさんいて、さらに、大学生と話すことで視野がどんどん広がっていく。そのような環境で学校生活を送っていたこともあり、だんだんと自分の可能性を試したくなりました。そこで、国内のマジックコンテストに自分のビデオを投稿したところ準優勝を獲り、「もしかしたら自分にはもっと大きな舞台で活躍する可能性があるかもしれない」という自信がついたんです。

ーこの準優勝という結果も、志村さんにとっての成功体験だったんですね。

そして、さらに高みを目指してコンテストの情報を集め始めたところ、ラスベガスで世界中の子供たちが集まるジュニアのマジック世界大会があることを知ったんです。ラスベガスの世界大会と聞くと出場するハードルは高いように感じるのですが、当時知り合ったイリュージョニストのHARAさんという方に参加を後押ししてもらったことで、この大会への参加を決意しました。
一方で、ラスベガスに行くためには飛行機代がかかることもあり、両親の許可と援助なくして参加することはできませんでした。そこで、両親にも相談したところ、慶應大学医学部への進学を決めたら参加してもいいと条件付きでの許可を得ることができたんです。

僕は必死に勉強をして、無事に医学部進学を決め、このコンテストへの参加も認めてもらったのですが、結果は惨敗でした。国内のコンテストで準優勝した実績を過信して、きっと大丈夫だろうと少し調子に乗っていたんですね笑

そうしたら、HARAさんに激怒されて。

ーと言いますと?

マジックへのパッションがないと叱られました。アメリカ・カナダ・ヨーロッパ、アフリカなど、世界中の子供たちがこのコンテストで「アメリカンドリーム」を死ぬ気で掴みにきている。航空券を買うために必死にバイトをして、その合間にマジックを練習し必死の思いでこの大会に臨んでいる子供たちが大半を占める中、僕は医学部に通い将来が保証されている環境で、「趣味」でマジックをしている。だから、他の子に比べてパッションが足りないんだと。
僕は号泣しながらHARAさんの言葉を受け止めていたのですが、そこで初めて自分の思い込みというものに気づいたんです。

幼い頃から「医者になりなさい」と育てられたので、マジックは僕にとって「趣味」でしかなかったのだと、そこで初めて自覚しました。それまでは、親が敷いてくれた「医者」になるためのレールを歩かなければいけないという観念に支配されていたのですが「人生にはレールなんてないんだ」「僕もマジシャンになれる可能性があるんだ」と思い込みが一つ外れた瞬間でした。

 

マジックに没頭しすぎて留年、そこから鬱に

ーその思い込みが外れた後、マジックにはどのように向き合ったのですか?

より一層、マジックにのめり込むようになりました。大学の食堂に通ってマジックショーを開き、トランプやら何やらを消し続け、マジックに没頭していたところ、そのうちだんだんと単位までも消すようになってしまい笑
あまりにマジックにのめり込みすぎたので、その結果、留年をしてしまいました。

ーそのくらい、マジックに打ち込んでいたんですね。

はい、しかし留年というのは、当時は本当にショッキングな出来事でした。
というのも、慶應大学医学部に内部進学するというのは、約2000人の中から上位20人に入らなければならず、熾烈な競争を勝ち抜いて進学するということなんです。ノートを盗まれるような話がザラにあるくらい、そのくらい激しい競争社会を勝ち抜いて医学部に進学した僕が留年したとなると、周りからは落ちこぼれだとレッテルを貼られ、さらに友達だと思っていた人たちは周りからサーッといなくなりました。

また、僕自身も、100点を取らないといけないと言われて育ってきたこともあり、「決して消えない赤点がついてしまった」とひどく思い詰めてしまったんです。そこで、僕は鬱になってしまい、文字通り1ヶ月くらいベッドと一体化していて。このような思い込みによって、視野がかなり狭くなっていました。

ーその後、どのように立ち直っていくことができたのでしょうか。

ベッドと一体化して1ヶ月くらい経つと、だんだんと見返さないといけないなと思い始めたんです。
つまり、勉強で留年した分は、マジックで取り返そうと。
そこからは、道を歩きながらトランプの練習をしていたり、夜の電車の窓は鏡に近い状態なので、それを使って角度の研究をしたり。さらに、「マジックキャッスル」というハリウッドにあるマジックの殿堂に行くため、語学留学という体で近くの学校に籍を置いて毎晩マジックキャッスルに通い、お手伝いをしながら一流マジシャンのショーを盗み見して技術を研究していました。

ーすごい行動力ですね。

死に物狂いでした。溺れないように必死に泳いでいた感じです。そして20歳のとき、ラスベガスのジュニアマジックコンテストに再挑戦し、優勝することができました。「本番までにあと何日あって、それまでにあと100回通し練習ができて、観客を入れた状態であと何回練習ができるか」などと必死で考え、練習をしたことが結果に結びついたんです。

ー世界大会での優勝後、心境や周りの状況に変化はありましたか?

優勝したからといって何か変わったことは起こりませんでした。むしろ、鬱がひどくなってしまったんです。
プロのマジシャンとして生きていくのであれば、その先の可能性は無限大だと考えられたかもしれませんが、プロのマジシャンとして生きていくことを親が許すわけがない。また自分自身も、マジシャン一本で生きていけるとは思えない。さらに、今後大人が参加する大会で勝っていくためには医学部の勉強と両立しながら続けるのは厳しい。かといって、医学部の勉強も好きになれない。

こんなふうに、自分がやりたいことと、自分が置かれている環境にギャップを感じ、非常に息苦しい状態になってしまったんです。もう生きている意味なんかないんじゃないか、というくらい。

今振り返ると、当時の僕は「思い込み」にはまっている状態なのですが、悩みの渦中にいる人からすると、本当に絶望してしまっているんですね。

 

師匠との出会いがきっかけで、これまでの人生の見え方が変わる

ーそうだったんですね。その後、志村さんの「思い込み」はどのように解けていったのでしょうか。

李さんという方と出会ったことが思い込みから立ち直るきっかけでした。
当時、鬱のどん底だった僕ですが、「自分は病んでいない、絶対にメンタルクリニックには行きたくない」という、謎のプライドがあって笑

かといって、心理カウンセラーに行って悩みを赤裸々に話すのも恥ずかしいし、留年で友達もいなくなった。親に言えばきっと黙って勉強しなさいと言われるだろうと考えると、八方塞がりの状態だったんですね。

そんな時に、知人にあるセミナーを紹介してもらいました。藁にもすがる思いで行ってみたら、それは気功のセミナーで笑
真ん中にグレーのロン毛の男の人が立っていて、気を練っている。当時の僕は「やばいところに来てしまった」と、ドン引きしていました。その胡散臭さに唖然としていたところ、その気を練っている人が僕のところに来て「お前はどうしてやらないんだと」雷を落としたんです。
初対面の僕にいきなり雷を落としたこの人が僕の人生を大きく変えるきっかけになりました。彼は「この世の中には、科学で証明されてないことなど山ほどあるんだから、一度頭で考えるのを止めて、本気でやってみなさい」と言いました。

それまでは、「どうしてこんな非科学的なことを、やらなきゃいけないんだと」と穿った見方をしていたのですが、言われた通り、一度本気で気を感じてみようと思ったんです。そうしたら、本当に気を感じて。それも、ビリっと。

自分が気を感じようと思って真剣に取り組んだら、本当に気を感じた。つまり、自分の「思い込み」次第で、感じ方も変わるんだということに気づいたんです。
これが僕にとってのパラダイムシフトになりました。

ー師匠からの助言がきっかけで、新しい発見をすることができたんですね。

それからセミナーが終わった後、李さんに自分のよもや話を打ち明けてみたところ、それまでは不動明王のように怖かったのに菩薩のように優しく語ってくれて。
「お前は常に『こんな自分じゃダメだ』と思い込み、優越感と劣等感の間だけでこれまで生きてきたんだろう。これからは、自分の人生に100パーセント『YES』と言ってみなさい。そう捉えるようにすれば、変わってくるから」と。

その頃から、僕自身の思い込みも解けてきて、「医学」に対しても思い込みをしていたのだと気づき始めました。僕はそれまで「身体的なケア」にはあまり興味を持てなかったのですが、図書館に行くと「精神的なケア」を扱う精神医学のコーナーには目がいくようになったんです。そして実際に本を取ってみたところ、「これってマジックと同じじゃないか?」と思いました。つまり、精神医学はマジックと同じで「思い込み」を操る職業なんじゃないかと発見したんです。

 

マジックと医療が繋がり、自分だけの新しいパフォーマンスが生まれる

ーこれまで没頭してきた「マジック」と、大学で学んでいる「医療」が繋がった瞬間ですね!

それからは、マジックのタネ明かしを交えながら、人はいかに「思い込み」に左右される生き物なのかを体感させるパフォーマンスを披露するようになりました。
すると、この噂が広がり、だんだんテレビからもオファーが来るようになって。そこから、僕のこれまでが繋がってくる感覚が生まれました。「親が厳しかったから、医学部に入れた」「その厳しさがあったから、マジックにのめり込むことができた」などと、オセロの表と裏がひっくり返るように、これまでの自分を肯定できるようになっていったんです。

そして、25歳のときに朝の情報番組「スッキリ」で思い込みを扱うパフォーマンスをしたところ、出版の依頼や、スポーツ選手のメンタルコーチの依頼もくるようになったんです。そこが始まりとなり、現在、精神科医・マジシャン・メンタルコーチという「思い込み」を扱う仕事をするに至っています。

ーこれまでの人生の切り取り方を変えることで、全てに意味を見出すことができたんですね!志村さんが考える「思い込みを外す上で大切なこと」とはなんですか?

思い込みをしているときは、自分ではなかなかその状態に気づきにくいんです。だからこそ、「自分は思い込みをしているんじゃないか?」と、疑うことから始めないといけません。マジックも同様で、一見魔法のように見えるものでも、タネがあるんじゃないか?と疑うことで、タネを解くことに繋がりますよね。それと同じイメージなんです。

ー最後に、志村さんが掲げている今後のビジョンについて教えてください。

今後も、引き続き「思い込み」を解放するためのマジックパフォーマンスを続けていき、テレビでも診療でも、アスリートのメンタルコーチとしても、思い込みを変えていく時間がどんどん増えていくといいなと思います。また、思い込みが解けるマジックショーの世界ツアーに挑戦して、このパフォーマンスを世界に広げて行けたらと考えています。

ーありがとうございます!志村さんの今後のご活躍を期待しています!

取材者:えるも(Twitter
執筆者:青砥杏奈(Facebook) 
デザイナー:五十嵐有沙(Twitter)