化学反応を生み出すコミュマネ・野口 福太郎。不確実性を楽しむキャリア観の原点

今回は、南相馬市小高区にあるコワーキングスペース「小高パイオニアヴィレッジ」で運営事業責任者を務める野口 福太郎さんをお招きしました。

これまでのキャリアの歩みとコミュニティマネージャー就任の経緯について伺います。

 

他人が選ばない選択肢を通して得た経験

–自己紹介をお願いします。

宿泊できるコワーキングスペース「小高パイオニアヴィレッジ」で運営事業責任者を務めています。南相馬市小高区は、東日本大震災に伴う原発事故によって2016年7月まで5年以上避難指示区域となっていた地域です。多くのコミュニティが失われましたが、「ゼロベースから解決策を講じ、チャレンジを始めることができる」という無限の可能性がある場所だと捉えています。

また、地方での事業開発や移住を検討している方が県外からお越しになる際には、地域にある人、場所、コトを繋ぐ地域コーディネーターとして関わっています。

最後に、一般社団法人シェアリングエコノミー協会の東北支部副支部長も務めています。シェアリングエコノミーは、空間、移動、モノ、スキル、お金などを売買・貸し借り・共同所事業などを行う経済・社会モデル。シェアリングサービスの導入支援サポートなどに取り組んでいます。

–学生時代はどのような生徒でしたか。

誰もが一度は向き合ったことがあるであろう「自分の生まれた意味とは?」という疑問、問いを抱いていた時期がありました。

当時は、明日の部活動、目の前の宿題・課題があるのにその問いで頭がいっぱいになっていました。「いつか死ぬなら、その過程が全て無意味なんじゃないか」と思うと、さまざまなことに対して無気力になってしまいました。部活で怪我をして休んでいると、さらにその無気力感が増していきました。

–どのようにしてその状況から抜け出せたのですか。

部活の友人が声をかけてくれて、外に引っ張り出してくれました。部活で体を動かすようになり、次第に気持ちも楽になっていきました。

その後、大学1年生の頃に「嫌われる勇気 」という書籍に出会い、その内容を読んでより肯定的に捉えられるようになっていきました。

–高校時代はどんなことに打ち込んでいましたか。

高校に進学後はハンドボール部に入部しました。エンジョイ勢、未経験者など…部活に対する姿勢は人それぞれで、やんちゃなメンバーと先輩が衝突したこともありました。主力メンバーだった何人かが退部するということになり、戦力がダウン。なかなか試合に勝てなくなりました。

高校2年生になると1つ下の代に経験者が多く入り、スタメンに後輩が入るようになります。戦力は上がったものの、一方でこれまでスタメンだった同級生メンバー(未経験者)が居づらさを感じるようになり、自分達の代が3年生になるまでに同級生メンバーの退部が相次ぎ、部員数が減っていきました。その渦中で、実は自分も辞めようかと思っていました。

–なぜ辞めることを思いとどまったのですか。

「もうちょっとやってみたらどうか」とコーチが声をかけてくれました。その際はあまり気持ちが変わることはありませんでしたが、その後に先輩の引退試合を見ていると胸が熱くなって…試合が終わった時には「これからも頑張ります!」と号泣しながら宣言していました。

最終的には下の代のメンバー、戻ってきてくれた経験者の同期メンバーとうまく協力しながら、引退までの部活動生活を楽しむことができました。

振り返ると、もし辞めていたらできていなかった経験、当時辞める決断をしたメンバーとは異なる経験を多く得られたと思っています。

–貴重な経験ですね。

ハンドボールには、利き腕に対してプレーしやすいポジションがあります。自分はあえて利き腕ではプレーしづらいとされるポジションに挑戦し、自分なりのスタイルを確立しました。

この頃から人が選ばない選択肢、逆張りで選ぶというものに興味を惹かれることが多く、その先に新しい境地があるんだということを知れた機会でもありました。

 

ゲストハウス、地域の出会いでキャリア観が広がる

–どのような経緯で進学先の大学を選びましたか。

将来のビジョンみたいなものは何もありませんでした。教員、公務員のキャリアを歩んできた家族のもとで育ちましたが、自分自身は他の道を模索してみようと思っていました。

選択肢を広げようと考え、早稲田大学を志望し、文化構想学部に入学します。

–大学時代の出会いや経験の中で印象に残っていることはありますか。

アルバイトで大学生の予備校チューターをしていた頃の話になります。大学受験の事業部と大学生向けの英語学習事業部のスタッフを兼任していました。熱中して打ち込んでいましたが、途中で燃え尽き気味になってしまい、「引退します」と伝えました。

その後、オーストラリアに語学留学に行き、帰ってきてから復帰することになります。

–復帰のきっかけは何だったのですか。

帰国後、以前チューターとして指導していた学生に会うことがあり、「自分も野口 さんと同じ進路に進むことを決めました!」と言われました。もうやりきったつもりでしたが、その言葉と熱量に触れてやる気が再燃し、「もう一度働きたい」と申し出ました。

–復帰後はどのような仕事に取り組んでいたのですか。

大学生向けの英語学習指導をする部署で働くことになります。以前まで高校生向けに指導してきた際に得られた複数のスキルや経験が掛け合わさり、価値を発揮できる実感が湧きました。

この頃から何かひとつのレベルを高め続けることよりも掛け合わせることで生まれる相乗効果、予期せず生まれる化学反応の方に興味を持つようになりました。

–就職活動にはどのように取り組まれましたか。

これまでの経験を振り返り、(自分の)価値基準の軸は「人」だと思いました。就活ではHR関連のベンチャー企業を探したものの、自分のやりたいことが明確ではなかったこともあり、これだ!という出会いはありませんでした。

ある時、考え方がガラッと変わる転機がありました。バイト、家、大学…とほぼ同じ場所に、同じリズムで行き来する日が5日続いた週のことです。「これは何かまずい」と感じました。「このまま、このルーティンで生きていくのか」と自分に問いかけ、明確に「それはいやだ」と気づきました。

当時の自分には「物を多く持っているより、豊かな経験を持っている方が良い」という価値観があり、偶然シェアリングサービスを活用しながら生活するアドレスホッパーの存在を知りました。「これは面白い」と思い、ひとまずバイト終わりにゲストハウスに行ってみることにしました。

そこには面白い生き方をしている方がいて、一緒に銭湯に行ったり飲みに行ったりしながら話を聞きました。自由で豊かなライフスタイルに惹かれ、安定・ルーティンというものを退屈に感じるようにもなりました。

次第に家に帰る日数よりもゲストハウスに泊まる日数の方が多くなり、たくさんの出会いを通して固定概念や枠が壊され、新しい情報をもとに再構築されていくような感覚でした。それがとても面白く、「未来は不確実な方が面白いんだ」と考えるようになりました。

–自身のキャリアについてはどのように考えていましたか。

アドレスホッパー仲間と出会っていくうちに、彼らの仕事は起業家やコンサルタントなどの「場所を選ばずに働ける仕事」が多いことに気づきました。また、彼らは地方で得た面白い出会いや経験についてよく話してくれて、「今、いろんなアツい地域があるんだ」と教えてくれました。

自分も興味が湧き、まだ世の中に出始めたばかりだった多拠点生活者向けのサービスを使って地方に出向いてみることにしました。

先進的なサービスに早い段階で興味を持つアーリーアダプターな利用者同士の出会いも面白かったですし、宿泊地がある地域で出会った現地の方々との出会いも印象に残っているものばかりです。

特に印象に残ったのは、地域に住む大人たちが「衰退する地域を今後どうしていくのか」と真剣に話し合っている姿です。お酒を飲みながら時には楽しく、時には真剣に地域の今と未来を語り合い、推進していく姿をみて「かっこいい生き方だな」と感じました。

 

新しい掛け合わせから新しい出会いをつくりだす

–現在の職場との出会いはどのような経緯でしたか。

若手社会人が地方経営者の直下のポストに就いて働く機会を提供しているエージェント「Venture for Japan」を通じて福島県南相馬市小高区で事業創出を行う会社と出会い、新卒入社。旧原子力被災地において起業家の集うコワーキングスペース「小高パイオニアヴィレッジ」のコミュニティマネジャーとして働き始めました。募集内容を見かけた時、「人と人の繋がりを作る仕事だ」と理解したと同時に「自分のための仕事だ」と感じるくらいにピンとくる感覚がありました。

最近はDJ練習会をしてる人に声をかけて大きめの箱でイベントを開催したり、満月の夜に浜通りの最強を決める相撲大会を開催したりしています。

–そのような企画を行う際に意識していることはありますか。

新しい掛け合わせを作り出す意識を持ち、エンタメが少ない地域で新しいエンタメを作り、新しい出会いや化学反応を生み出すことに挑戦しています。

あえて真面目すぎないイベントを作ることで多様な人が集まれる機会を作り、豊かな社会関係資本を育てていければと思っています。

–今後の目標、展望を教えてください。

今後も「コミュニティマネージャー」という仕事にコミットしながら、調整能力や関係性を作り出す能力を磨き続けていきたいです。人、場、コト、モノ…あらゆるものを編集できるようになれば、コミュニティマネージャーのロールモデルにもなれればと考えています。

また、今後人口減少が避けられない時代に、地域内外の人が強く惹きつけられる面白い価値を生み出す地域が増えていくことを願っています。

 

取材・執筆=山崎 貴大