バー経営者 小野田 萌子が国産クラフトジンのストーリーを全国・世界へ伝え続ける理由

今回は、国産クラフトジンを90種類以上取り揃えるバー「キタール」のオーナー・小野田 萌子さんをお招きしました。

これまでのキャリアの歩みとバー開業の経緯について伺います。

 

国産ジンのストーリーを伝え続けるバー「キタール」

–自己紹介をお願いします。

四ツ谷近辺で国産クラフトジン専門のバーを運営しています。常時75本以上の日本のジンを置いていて、お好みのジンをセレクトして差し上げたり飲みくらべをご用意したりしています。時期限定商品を仕入れることもあります。

新型コロナウイルスの影響がまだ尾を引いていた2022年の年末に開業し、店名は「キタール」と名付けました。「キタール」とは「脱ぐ、取り除く」という意味です。普段抱えている社会的な役割や肩書きなどを脱ぎ去り、忘れ、人と人が出会える場所を作りたいという想いを込めています。

ある時は悩みを抱えている方がフラッとお越しになり、またある時は家に帰る前にどこかで一杯飲みたいなという方が来てくださったり。

–お店の特徴やこだわりを教えてください。

日本各地にあるジンを、国内で一番人口が多い東京で提供することにこだわっています。地域の特色や生産者の話を交えながら話していると盛り上がります。例えば、「これ、山梨のジンか!ちょうどこの前出張で行ったばかりでさ…」「私の地元のジンだ!こんなお酒あるなんて知らなかった」なんて会話が飛び交うイメージ。ジンがいろんな話題を引き出すきっかけになって、面白いですよ。

最近は外国人の旅行者の方も立ち寄ってくださることがあり、日本のジンを飲んで「美味しい」と言っていただけたり産地に興味を持ってもらえたりすると嬉しいです。

これからもクラフトジンが持つストーリーを伝え続け、国産ジンの魅力を知っていただける場にしていこうと思っています。

 

異色の環境で気づいた「当たり前」とその有り難み

–子どもの頃はどんな環境で育ちましたか。

幼い頃は岡山で暮らしていました。両親は共働きで、兄弟は3人。兄弟全員が異なるアレルギーを持っていたので、両親は大変だったと思います…。

というのも、市販のものを食卓にそのまま出すというのはできなくて、親が仕事を辞めて畑をやり始めたことがあったんです。野菜を作り、お弁当もいつも作ってくれて…。当時はまだ子供でしたが、親の背中を見ながら「自分だったらここまでできないな」と感じ、感謝をしていました。

–印象に残っている出会い、出来事はありますか。

私が通った高校はチャイム、校庭、制服…高校だったら当たり前にあるだろうというものが無い高校で、変わった環境でした。生徒にも外国人がいたりアスリートがいたりもしました。

ある時からガブリエラちゃんという子と仲良くなりました。1つ年上のチリ人の女の子です。ラテン系の考え方や雰囲気が好きで、彼女からいろいろな話を聞きました。

「母国に帰るために渡航費は自分で貯めている」

「家族は日本にいるから、母国に帰りたい気持ちがあるけど悩ましい」

自分の環境と比較すると、自分が置かれた環境が恵まれたものであり、当たり前と思っていたことが当たり前じゃないんだと気付かされました。生まれた国と家族がいる国が同じであることも、家族や地元が身近にあることも、次第にありがたいと感じられる気持ちが湧いてきたのを覚えています。

–進路はどのように考えていたのですか。

高校以降の進路について考えた時、はじめは岡山大学に行こうとしていました。「いい大学に入り、いい会社に入りなさい」と親から言われていたことが判断基準でした。一方で、「いい会社って何?いい大学って何?」という気持ちもあり、納得はできていませんでした。最終的には、高校卒業後は進学をせず、アルバイトをしながら暮らし、20歳になる頃に語学留学でLAに行きました。

–留学先ではどんな生活を送っていましたか。

8ヶ月間滞在しました。最初は英語が話せず、授業以外の時間も猛勉強しました。授業がある日でも6時間は自習時間にあてていたと思います。3ヶ月経つと急に英語がスムーズに話せるようになり、飛び級でクラスを上げることができました。

この期間意識していたのは、「日本人と絡まない」ということです。せっかくLAにきているんだから…という気持ちが強かったです。現地の方々が集うコミュニティに入り、コミュニケーションを取りたいという想いが原動力でしたね。

 

コロナ禍に開業。オリジナルスタイルを貫いた

–開業の経緯を教えてください。

20代の前半くらいの年齢の頃、すでにバーを開きたいという気持ちがありました。開業を目指すなら勉強しなければ…ということで、帰国後はOLとして働きつつ、ウイスキーバーでも働くようになりました。

そこに新型コロナウイルスの流行、それに伴う外出自粛期間があり、飲食店にとっては辛い時期がやってきます。不安でしたが、意外なことに…飲みにきてくださる方々がいらっしゃったんです。それをみて、「人が場や繋がりを求める気持ちは消えないんだ」と気づき、バーの必要性を確信しました。

–開業してみていかがでしたか。

2022年の年末に開業しました。最初の3ヶ月間は本当にしんどかったです。ジンを仕入れても、「ジンなんて飲まないよ」と言われ、仕方ないのでウイスキーを出していました。

SNSで根気強くジンに関する発信を続け、お店の経営を続けていると、半年くらい経った頃からジンのお店だと認知してもらえるようになりました。次第にジンを目当てに来てくださるお客様が増え、今ではジン以外を注文されるお客様はほとんどいません。

仕入れや資金繰りに苦労した時期もありますが、今はお店でイベントを開けるくらいの余裕が出てきました。このスタイルを貫くために固定費や原価を見直し、一経営者としても成長できました。

–なぜ、国産のクラフトジンに特化することになったのですか。

もともとジンの味が好きでした。1年半前はジンに特化したお店もほとんどなかったこともあり、「他の人がまだやっていないこと」「人の役に立てること」を掛け合わせ、ジンに特化したお店を開くことにしました。

お店を開いてみると、生産者と繋がれたり外国人に日本の魅力をアピールできたり…やりがいを感じられる出来事がたくさん生まれました。今年(2024年)の年明けにあった北陸での地震に際しては、北陸産のジンを飲んだ分だけ寄付するというチャリティープロジェクトも実施しています。

 

人と人の違いを受け入れ、化学反応が生まれる出会いを

–今後実現したいことはありますか。

今後は、ジン専門の「検定」のようなものを作りたいと考えています。ワインやウイスキーの検定を受けたソムリエ・資格取得者が認知や文化を広めていっているようなことができれば、ジンを好きになってくれる人、関心を持ってくれる人が増えると思うんです。

ジンのことも押し付けたいわけではありません。人と人が違いを抱えていることを受け入れ、もっと一人ひとりがマイペースに生きることがしやすくていいのに…という気持ちが(私の)土台にあります。それぞれに好きなことがあって、出会った時に生まれる化学反応を楽しめるのが理想です。

共感いただける方、ちょっと気軽に立ち寄れるバーをお探しの方がいれば、ぜひ一度キタールへお越しください。お待ちしています。

 

取材・執筆=山崎 貴大