建築を通した社会貢献。<プログラムアーキテクト>辻繁輝さんが考える仕事とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第350回目となる今回は、プログラムアーキテクトの辻繁輝(つじしげき)さんです。 大学在学中に自分の進路について見つめ直し、現在ではフリーランスとして、ユニークな肩書のもとで様々な活動をされている辻さん。これまでの出来事や自身の性格について振り返ってもらいながら、辻さんの考える仕事や、自分だけの肩書の作り方について伺いました。 東大で感じたギャップと方向転換 ーまずは現在のお仕事と自己紹介をお願いします。 2021年の3月からフリーランスとして、主に不動産の企画と建築設計の仕事をしています。建築の設計だと住宅をリノベーションして欲しいという依頼が多いですね。古い建物を内装から設備まで手掛けることもあれば、住む人にとって心地よい暮らしを一緒に考えるということもしています。僕の場合は、カッコいい建物をつくるというよりも、今の時代には何が求められていて、建築を通して社会に貢献するためにはどうすればいいのかを常に考えて活動しています。 ー建築や不動産には元々興味があったんですか。 いえ、高校時代は環境問題に興味があって、大学は農学系の学部を中心に受験していました。高校生の頃はあまり本を読む習慣がなかったのですが、テレビで氷河が溶けていく映像を見た時に衝撃を受けて、地球環境に関する本だけは読んでいたんです。お金を稼ぐだけではなくて、当時から何か社会に貢献できる仕事をしたいと思っていたんです。 ー高校生の頃から社会問題に対して敏感だったんですね。大学での生活はどうでしたか。 進学した東京大学では2年生の秋に学部を決めるので、農学部を選択できる理科二類に在籍していました。正直なところ、大学では学問や研究に明け暮れたというよりも、バイトやサークル活動に積極的に参加することで、できるだけ外との関わりを持つように意識していました。 意外かも知れませんが、東大生のなかには入学することが目的になっていて、肝心の学生生活を受験後の燃え尽きた状態で過ごす人が少なくありませんし、同じ東大生にも関わらずマウンティングしてくる人もいます。僕は横浜にある中高一貫校出身なのですが、同じ年に30人くらいは東大に進学していました。もちろん合格した時は嬉しかったですが、同じような人を何人も知っていたのでそれほど特別な存在であるとも思っていませんでした。でも中には地方の高校出身で、地元では神童と言われていたり、同じ高校から一人しか東大に合格していないという環境の人もいます。彼らが威張っている姿を見ていると、入学前に期待していた東大とは大きく違っていて、半ば絶望した状態で学生生活が始まったという感じでした。 ー東大と聞くと、明確な目的があって研究に没頭している人ばかりかと思っていたので意外でした。辻さんの場合、なぜ環境問題から建築へと興味がうつったんでしょうか。 1,2年生は教養科目を中心とした時間割で、皆が同じ講義を受けることが多いですが、選択可能な環境問題に関する専門的な講義にも出席していました。興味のあったからこそ主体的に勉強できた一方で、環境問題については、僕一人の力だけでは社会に対して貢献できることが少ないとも感じました。取り組むべき課題が沢山あることは間違いありません。とはいえ、研究者同士が空中で議論を戦わせている姿を見ていると、僕が今から勉強したところで大人の言い合いに混じるだけになってしまうと思ったんです。 ーひと筋縄ではいかない問題ですよね。ところで、建築を選んだのには何か理由があったんですか。 元々インテリアやデザインに興味はありましたが、最終的にはなんとなく直感で選んだというのが実際のところです。でも、勉強していくうちに自分の性格や考え方と合っていることに気付いて、徐々にのめり込んできました。 「コンセプトづくりと言えば辻」という共通認識 ー辻さんご自身の性格や考え方に合っていたという点について、具体的に教えて頂けますか。 まず、建築学科それ自体の気質が僕の性格と合っていました。東大の建築学科では出された課題に対して基本的には一人で取り組むのですが、受験と同じで個人プレイではあっても同じ方向を向いて一緒に進んでいく仲間がいます。また、建築というとカッコいい建物をつくることに興味がある人が多い中で、僕は最初の段階であるコンセプトをつくるプロセスが好きでした。例えば図書館をつくるにしても、外観のデザインを考える前にどういう図書館をつくるかを考える必要があります。地域にはどういう課題があるのかを調べた結果、教育機能がある図書館が必要だということになるかも知れません。社会に対して貢献するという目的は、環境問題でなくても、建築であっても果たすことができると思ったことでより前向きに取り組むことができたのだと思います。あと、高校生の時は両親から勉強に対して褒められることがあまりなかったので、教授たちが自分の提案や考えを評価してくれたことがシンプルに嬉しかったですね。 ー建築学科では、例えばどういった課題が出されて、どのように進めていくのでしょうか。 東大では一度だけ3人のチームを組んで取り組む課題があったので、それを例にお話します。世田谷にある桜上水の駅前を開発するという課題で、広い敷地が与えられるだけで何を建てるかは自由。ただし周辺にある住宅にとって好ましい建物という制限がありました。チームで作業を分担する時に、僕はコンセプトの部分を考えることになりました。自分から言った訳ではなくて、周囲からも「辻はコンセプト考えるのが得意だよね」と思われていたようで、顔に出ていたのかも知れませんね。 ー学生の間では、辻さんの強みが既に共有されていたんですね。 何かきっかけがあった訳ではないと思います。一つの設計課題には、具体的な図面を書く前にリサーチした結果や考えたコンセプトを発表する中間発表と、最終的な図面や模型を見せて提案を説明する最終発表があるんですけど、僕の場合は対象となる地域を徹底的に調べた上で課題を洗い出してから提案をしていたので、特に中間発表での評価が高かったんですよ。他の人の提案に関して、学生は教授の意見を参考にするので、自然とコンセプトづくりがうまいと思ってもらえたのかも知れません。 建築へ没頭した結果、社会との接点が生まれた ー就職ではなく大学院へ進学されていますが、なにか理由があったんでしょうか。 学部生の頃は、バイトやサークル活動に加えて建築の課題も忙しくて、最後の卒業設計の時期には一ヶ月近く学校に泊まって作業をしていました。大学院で進学したのは、腰を据えて自分のやりたいことを突き詰めるためというのが大きな理由です。大学院では授業数も少ないので、起業している友人のサポートをしたり、建築系の学生が集まるワークショップに参加したりして、学部の頃よりも学外との繋がりを強く意識して活動していました。 一番印象に残っている出来事は、研究室の仲間と一緒につくった仮設の建築です。5月に文化祭があるんですけど、社会人も含めた学内のコンペを毎年開催していて、僕の設計案が優勝することができました。自分たちで設計したものが実際に建った初めての経験だったので、いま思い返せば大きな転機でしたね。 ー仮設の建築といってもけっこう大きいんですね。どういうコンセプトだったんですか? コンペのテーマは「文化祭の休憩スペース」をつくることでした。僕たちのチームは木を組み合わせてドーム状の形をつくり、間から日の光が差し込むように設計しました。休憩所というとベンチが一般的ですが、そこに木漏れ日や木の香りを取り入れたことで、体験型の休憩スペースとして評価してもらえたのかなと思います。 文化祭で展示している期間中に偶然、表参道にギャラリーを持っている方の目に留まり、そこで展示させてもらえることになりました。その展示がきっかけで夏フェスの運営をされている方からは使わせてくださいと声をかけてもらったりと、徐々に自分のつくった物が世に出ていく様子を側で体感していました。 地球環境に興味を持っていた時からずっと、社会に対して何らかの貢献をするという目的は変わっていなかったので、意識的に学外へと目を向けていましたし、だからこそ色んな方々に声をかけて頂けたのかなと思います。 大学院では並行して研究活動もしてはいたんですが、やればやるほど、建築が社会と直結しているにも関わらず、研究の成果があらわれるまでには長い期間がかかることにもどかしさを感じ始めていました。もちろん、長いスパンで考えれば研究活動はとても意義のあることだとは思いますが、僕自身が求めていたスピード感と合わないと感じたんです。だからこそ、コンペや展示に力を入れることで学部の時以上に、社会により近い学外へと繋がりを求めにいったのかも知れませんね。 ー外の世界へと目を向けていたからこそ、学内でも評価されたということなんでしょうか。 学部の頃と比べて、大学院の活動では現実社会をしっかりと見据えた上で提案ができていたのかなとは思います。学部の課題だと例えば、宇宙にお墓をつくる案が優勝するような世界なんです。僕の場合は、ある自治体が出している報告書を読み込んで現実に即した提案をしていたんですけど、大学院では実際に見聞きした内容を踏まえた提案をしていました。小さいことだけど誰もが感じている疑問や課題が提案に反映されていたからこそ、良い評価に繋がったのだと思います。 未来を見据えて、今ある仕事には全力で取り組む ー就職活動ではどういった業界に焦点を絞っていたんですか。 基本的には建物のコンセプトづくりから携われる不動産の企画職を志望していました。カッコいい建物を設計するのではなくて、社会に求められている建物でかつ事業として利益を生み出せるものをつくりたいという思いが強かったからです。ただ、大手の不動産デベロッパーのように20年後の街全体を考えるという長いスパンでの仕事ではなく、小さいスケールでもスピード感のある会社を選んで就活をしていました。不動産以外だと、設計とマーケティングの会社も同時に受けていましたね。 ー設計やマーケティングを志望したのは、不動産とはまた違った理由があったんですか。 設計に関しては、大学で学んだ知識やスキルではまだまだ実務レベルの仕事をするには力不足だと思っていたんです。マーケティングについてはほとんど何も知りませんでしたが、絶対に必要だとは感じていました。学生、特に学部の頃の設計だと実現は難しくても面白いアイデアやユニークな企画が評価されますが、一方で数字のことはほとんど考えていませんでした。でも、実際に不動産の仕事をするとなれば、社会のニーズに応えた上で事業として成立することが必要だと思ったので、事業の作り方を学べる会社も受けていました。 ー明確な目的意識があったんですね。最終的にはどういった会社を選ばれたんですか。 オープンハウスという、東京を拠点にして全国で不動産開発事業を手掛けている会社に入社しました。始めは、役員と一緒に事業戦略を考える部署に加えて設計の仕事もさせてもらい、最終的には人事の仕事までしていました。1年半勤めましたが、3部署にまたがって仕事をしながら最終的には150棟以上の設計を担当させて頂いたので、企画力と設計力は相当身につきました。 ー期待をされて3部署を兼任されていたということですが、仕事に求められる量も質もかなり大変そうですね。 求められていたことは確かに沢山ありましたが、重要なところだけはいつも外さないように気をつけていました。沢山ある情報の中から大切な部分と譲ってもいい部分を見極めて、優先順位をつけて仕事に取り組むことは、コンセプトを考える作業に通じるところがあるので、自然と上手くできていたのかも知れません。時間が限られている中で何から手を付けなければいけないのかという整理はもちろん、つくるものが決まれば素早く手を動かすということも徹底していました。ただ、おっしゃるとおり働きすぎていたのも事実で、体調を崩していた時期もあります。 ー無理をしてまで仕事をされていたのには、何か理由でもあったんでしょうか。 あくまで自分のやりたいことは不動産の企画だったので、そのために必要な事業戦略や設計のスキルはできるだけ早く身につけたいと思っていたんです。体調が悪い時は病院にいったり、鬱々とした気分の時は運動をしたりして、先の目標に早く向かうためにも、あまり長くは落ち込んでいられなかったですね。オープンハウスを辞めた後は、共通の知り合いが紹介してくれた仕事を通して、本当にやりたかった不動産の企画に携わることができました。 新しい感覚の建物を作り上げる喜び ーどういったお仕事だったのか詳しくお聞かせ頂けますか。 飲食店を経営しているSaltという会社から、新たに不動産事業に展開していきたいというお話に誘って頂き、2020年の7月に広尾でオープンしたばかりのEAT PLAY WORKS(以下、EPW)という施設の立ち上げに関わっていました。この施設は6階建てになっていて、1,2階はレストラン街で、中にはミシュランを取っているようなお店にも入って頂いていて、4階以上のフロアはコワーキングスペースがあるオフィスになっています。日本ではまだあまり例がないようなメンバーシップ制になっていて、レストランとオフィスに加えて、夏にはプールも使えるようにしています。仕事にばかり目を向けるのではなくて、遊びや食を通して人と交流することでいい仕事が生まれるという良い循環を生み出したいという思いから、そのためのハブとなる施設を企画させて頂きました。 ーやりたいことが実現できたということですが、なぜそのまま働くことはせずにフリーランスの道を選ばれたんでしょうか。 僕の仕事は物件の立ち上げまでだったので、EPWができた時点で自分のフェーズは終わったと思ったんです。次にまた面白そうな企画ができるチャンスがあればそのまま在籍しようと思っていたんですが、結局フリーで活動していくことに決めました。 ーEPWと並行して、9月には自宅の大規模なリノベがようやく完成したそうですね。自宅のリノベも、フリーで仕事をしていくきっかけだったんでしょうか。 そうですね。自宅であると同時にPOYOHOUSEという名前を付けて、広く色んな人に使ってもらっています。以前まではずっと賃貸に住んでいたんですけど、ある時ふと疑問に思ったんです。一般的な賃貸はできるだけ多くの人に住んでもらう、興味を持ってもらうために間取りや内装は標準化されています。つまり自分のために設計された家ではないということです。それ以来もう賃貸に住むのは辞めようと思って、物件を購入して自分でリノベーションすることを決めました。 完成した9月から半年ほどが経ちますが、既に700人くらいの人に来てもらっていて、実際に部屋の内装や自宅をオープンにしているというコンセプトには共感してもらえました。また、リノベーションの日本一を決める大会に応募したところ、結局賞は取れなかったのですが最終審査まで進むこともできました。 EPWもPOYOHOUSEも、これまでにない新しい建築の形だと思っていて、フリーで活動する際に名乗っているプログラムアーキテクトという肩書は、この2つの建築を手掛けた経験から着想を得た名前です。 ープログラムアーキテクト。聞き慣れない言葉ですがどういった経緯でつけられたんですか。 プログラムという言葉は建築用語で、「住宅」や「オフィス」といった建物の機能を表します。一般的にプログラムは設計する人ではなく不動産会社が決めるので、設計する人はプログラムが決まった建物のデザインをします。僕の場合、大学生の頃から建物のコンセプトを考える部分、つまりプログラムをつくることが好きでかつ得意だったので、コンセプトづくりから設計まで一貫した仕事をするという意味を込めて名付けました。 一方で、不動産のプログラムも建築のデザインも基本的には建物、つまりハコをつくることが目的ですよね。大学院生の時につくった休憩スペースをきっかけに、建物の中で何をするのか、つまり体験を企画することにも興味があると気付いたので、POYOHOUSEでは仕事や打ち合わせスペースとして貸し出すだけでなく、ギャラリーを企画して実際に開催したりもしています。 ーSNSではご自身の活動に加えてプライベートな一面も積極的に発信されていますよね。多忙な中で仕事とプライベートはどのように切り分けて考えていらっしゃいますか? 僕の中で、優先順位が高くしているのはあくまで仕事以外のこと全てです。特に、SNSを駆使して情報を発信することはフリーランスとして活動していくためには必須だと思います。でも、仕事を優先していると疲れて家に帰ってからSNSを更新しようと思うと、どうしても後回しにしてしまいます。 だからこそ仕事以外の部分、つまりSNSでの情報発信であったり友達との予定を先に入れて、残った時間で仕事をするように心がけています。いくら仕事が多くても、時間が限られていればそれに合わせてテキパキと進められますし、よくよく考えたらそれほど急ぎではない仕事も中にはあります。 プライベートを優先するライフスタイルをSNSで発信しながら仕事をしているからこそ、周囲からは仕事もプライベートもうまく両立していると思われていて、自然とセルフブランディングが上手くいっているのかも知れませんね。 ー優先順位をつけることで沢山の仕事をこなしてきた辻さんだからこそのスタイルなんですね。最後に、辻さんが仕事や生活の中でもっとも大切にしていることを教えて下さい。 直感に従うことですかね。こうあるべきとか、こうでなければいけないという考え方は自分を縛り付けてしまいがちです。もちろん、時には周囲の声を聞いたり反省した上で前に進む必要もありますが、基本的には自分の心の声を聞いて前に進もうと思っています。直感に従って生きてきた結果、本当に楽しいと思える仕事ができていますし、自分にとって大切だと思える人たちに囲まれて生活することができています。直感を大切にして物事の優先順位をはっきりさせる、そうすれば自ずと豊かな生活が送れるのかなと思っています。 取材者:山崎貴大(Twitter) 執筆:清水淳史(Instagram) デザイナー:五十嵐有沙(Twitter)

必要に迫られて起業?株式会社フラミンゴ代表・金村容典が語学事業で起業するまで

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第357回は株式会社フラミンゴ代表取締役の金村容典さんです。大学時代に英会話事業で起業された金村さんが起業をされるまでの経緯など、過去から遡って現在に至るまでのお話をお聞きしました。あまりご自身の過去の話を公の場でされてこなかったという金村さんの過去のお話、必読です◎ 英語初心者の悩み解決をするコーチング事業に注力中 ーまず始めに現在のお仕事について教えてください。 2015年6月に設立した株式会社フラミンゴという英語学習のサービスを提供している会社の代表を務めています。 株式会社フラミンゴでは主に3つの事業があります。1つ目は英会話レッスンをカフェで受けられる教師と生徒のマッチングプラットフォームです。2つ目は法人向けのレッスン、そして3つ目が昨年4月から始めた英語学習コーチング事業です。 ー英語コーチング事業についてもう少し教えていただけますか。 英語コーチングではマンツーマンで学習のサポートを行うことで一生使える英語学習の習慣と理論を身につけてもらうことをゴールとしています。英語を学ぶ時の課題として、身近に英語学習について話せる人がいなかったり、一緒に英語学習を頑張れる仲間が見つからないといった悩みがあると知り、コーチング事業の立ち上げを決めました。 というのも、僕たちがお客さまにインタビューを実施していくなかで、市場に、英語初心者のシリアスな課題解決(例:真剣に英語を伸ばしてキャリアに活かしたい)にこだわったプロダクトが少ないことに気づきました。英会話スクールはカジュアルユース(例:外国人と仲良くなりたいから通う)を許容する必要があるため、シリアスな方にこだわったサービスを届けることが苦手なようで… ー英語コーチング事業を提供する会社は最近増えているのでしょうか。 そうですね。「英語コーチング」の需要は伸びており、人気のスクールには数百人の方々が順番待ちをしているような状況です。ただ、家事や育児に忙しく、移動や自習の時間を確保することが難しい方は、「英語コーチングは初心者向けに感じない」、「スパルタな雰囲気がしんどい」というような心理的なハードルを感じているようです。 実際、弊社サービスにお申し込みいただく方の多くは、英会話スクールや英語コーチングサービスを経験するも、自分にはあわなかったという感想をお持ちの方が多かったです。オンライン学習の体験が急速に浸透しはじめている今、初心者に寄りそったサービスにチャレンジすることで、大きな価値を生み出せる可能性を感じています。 ーこのコロナ禍で事業や経営方針などに影響はありましたか。 英会話レッスンについては、このコロナ禍ということもあり、自発的にオンライン対応をする先生方が増えました。やはり対面レッスンに不安のある方は多いので英語コーチングについてもオンライン化に力をいれています。   多感な時期に見つけた夢は外交官だった ー過去に遡って現在に至るまでのお話をお聞きできたらと思います。金村さんの幼少期のお話などお聞かせいただけますか。 幼稚園の時は天真爛漫で活発な少年でしたね。小学2年頃から中学受験のために塾に通うようになり、徐々に外で遊ばなくなりました。 株式会社フラミンゴの創業に関わる出来事としては、小学3年の時に両親が海外出身だと知ったことがあります。周りの子とは違うという特別感を感じられて嬉しかった反面、外国籍だというだけでいじめられたり、差別を受けたりしている人がいることも知っていたので複雑だったのを覚えています。外国人にやさしい社会を目指したいという想いはこの時の体験からきています。 ーそうだったんですね…!中高生活はどのように過ごされていたのですか。 受験をして中高大学一貫の共学に進学し、当時野球が好きだったので野球部に入りました。が、入部してすぐに椎間板ヘルニアになってしまい…野球どころか、近くの病院に電気治療をしに行く日々を送ることになったんです。痛かったのも辛かったですが、それ以上に辛かったのは練習をサボっていると周りに思われていたこと。そこから品行方正から真逆の方向に走ってしまいました。朝から授業をサボって友達とボーリングに行ったり、むしゃくしゃして窓ガラスを割ってしまったり… ーなんと!それは高校生になっても続いたのですか。 高校からはめちゃくちゃ厳しい先生のクラスになり、更生しました(笑)先生に部活に入るよう言われたのでバレーボール部に所属したり、高校から入学した友人に任命され生徒会の風紀更生委員をやったりしていましたね。 高校では特に友人に恵まれ、友人が教えてくれた台湾留学プログラムにも参加しました。これをきっかけに台湾で将来生活をしたいと思うようになり、当時外交官をテーマにした「アマルフィ」を見ていたことが重なって、台湾駐在の外交官になりたいと思うようになりました。 ーということはそれを軸に大学の進路も選択されたのでしょうか。 そうですね。外交官を目指すことを考えて法学部に進学したのですが、入学後にキャリア形成関連の授業を履修したところ、実際の外交官の仕事が自分が想像していた外交官の仕事と違うことが分かり、入学早々外交官を目指すのは辞めてしまいました。   マッチングサービスで起業、学生生活との両立 ーそれでは大学生活はどのように過ごされたのでしょうか。 大学では学園祭の運営に関わっていました。大学3年では学園祭の運営代表も務めた他、大学の生徒会長も務めていました。大学4年でも両方続けることはできたのですが、なかなかハードな日々だったので最後の1年は違うことに時間を使ってみることにしたんです。そして友人が教えてくれたスタートアップウィークエンドという2泊3日のプログラムに参加して初めて起業やアプリ開発に触れることとなりました。 ーそこから少しずつフラミンゴ創業に繋がっていくんですね。 そうですね。スタートアップウィークエンドの参加をきっかけにアメリカでのインターンにお声がけいただき、現地を訪問した際にAirbnbやUberといった便利なサービスに出会いました。個人と個人のマッチングによって安くサービスを受けることができる仕組みがいいなと思い、同じようなものを自分も作りたいと思ったんです。 ー英会話レッスンに着目したのはどのような背景があったのでしょうか。 友達に外国人留学生が多くて、彼ら彼女らに人気だった仕事がカフェ英会話講師だったということがきっかけです。気軽に英会話レッスンを受けたいという需要が日本人側にはあるものの、英語で直接先生とコミュニケーションを取るのが苦手などといった理由から無断キャンセルが起きるなどといった現状を聞いていたのでそれを解決できるマッチングサービスを始めることに決めました。 ーそして起業されたんですね。 実は初めは起業する気はなかったのですが、レッスン代金を先生に送金するにあたり法人の銀行口座が必要となり、そのためには法人登記しないといけないと分かり…結果的に会社になっていたという感じです(笑) ー起業するつもりではなかったのにはびっくりです。大学4年で起業されていますが、卒業後の進路については何か考えられていましたか。 進路については迷っていました。大学5年生をするか、大学院に行くか、卒業するか。迷っていることをゼミの先生に相談したところ「金村くん、ほとんど勉強してなかったよね」と言われ、確かに大学生活であまり勉強した記憶がなかったのでもう少し勉強しようと思い、大学院への進学を決めました。 ー大学院と会社の経営の両立はいかがでしたか。 大変でした。そしてやっぱりどちらかに集中した方がいいかもと思った時に、やっぱり会社に集中したいと思い、大学院は途中で辞めることにしました。退学後上京し、今に至ります。   友人に刺激を受けて取り組んできたけれど、ここからは自分で自分の未来を描く ー会社経営に専念したことで気づきや学びなどはありましたか。 初めは良い会社を作ることよりも、良いサービスを作ることに注力していたのですが、徐々に良いサービスを提供するだけではなくて良い会社ではないとと思うようになったのは大きな気づきでした。根拠のない自信が強く、自分に対する過大評価があったのですが、良い会社を作るにあたって他者理解の能力が不可欠だということ、そしてその能力が自分には欠如していることも実感しました。 だからこそ、フラミンゴにジョインしてくれる仲間には「言葉にして教えてくださいね」と伝えていますし、どちらかというと我の強い人を採用するようにしています。わがままを言ってくれる人を集めて、その人たちが働きやすい環境を作るのが一番かな、と。 ーU-29世代にも起業を考えている方や、就職などの進路で迷っている方がいるかと思うのですが、何かそんなU-29世代へのメッセージをお願いできますか。 尊敬している方の言葉を借りるならば「こんな僕でも社長にはなれるよ!」ですかね。どちらかというと流れ、友人がくれたきっかけで起業することになった僕でも社長としてチャレンジできていることを知っていただき、「自分もできるかもしれない」と思ってもらえたらと思います。 ちなみに最近は起業家としての目標も明確になって、きちんと逆算して計画的に生きるようになりました。周囲のおかげで起業6年目を迎えることができましたが、ここからは自分の意志を強く持って、自分の未来を描いていこうと思っています。 ーありがとうございます。最後に今後の展望やチャレンジしてみたいことをぜひ教えてください! なかなか英語の勉強が続かないといった人たちにもっとフラミンゴの英語コーチングを届けていきたいです。今年中には、英語初心者が脱初心者するなら、フラミンゴの英語学習コーチングだよね、というような事業にしていきます。 仕事以外の個人的な目標としては、最近バッティングセンターによく行くんですが、マイバットもゲットしたので140キロの球をしっかり捉えられるようになりたいです!目標達成に向けてYouTubeをみてコツを勉強するや、とにかく打ちまくるなどができると思うんですが、それって会社経営にも応用できると思っています。日々細々としたこと・地味なことを淡々とやる中で今見えてないものが見えるようになると思うんです。目の前のことにしっかりと取り組みながら、1つ上の視座で物事を見られるようになりたいと思います! 執筆者:松本佳恋(ブログ/Twitter) インタビュー:高尾有沙(Facebook/Twitter/note) デザイン:五十嵐有沙(Twitter)

大企業で働きながらバンライフを送る木下雄斗にとって旅も、人生も、何もかもが正解?!

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第375回は大企業で働きながら、車上生活(バンライフ)を行われている木下雄斗さんです。幼少期から旅好きだったという木下さんが旅とは遠い電機メーカーへ就職を決められた理由とは。これまでの人生のターニングポイントを振り返ってお話しいただきました! 大企業で働きながら好きなことに挑戦中 ーまずは簡単な自己紹介をお願いします。 総合電機メーカーのパナソニック株式会社で海外マーケティング及び海外新規事業の立ち上げを行っています。また、1つ上の従兄と共に起業し、VanWavesの共同代表としても働いています。バンライフカーの製作・テントサウナの製造、新規事業のコンサルなど副業内容は様々です。 現在はコロナによってリモートワークが中心となっているので働きながら車で生活する、バンライフも行っています! ーいろいろ順番にお聞きできればと思いますが、本業についてまずはもう少しお伺いできますか。 本業ではシンガポールを中心としたアジアの販社の方に新しい事業の提案する業務を担当しています。なのでマーケティングよりかは企画に近い仕事ですね。これまでモノを売って終わりだったところから、悩みや課題に合わせた解決策を提案しようという流れでの業務になります。アジアの販売会社に対してディスプレイを売るだけではなくそれに使われる配信システムやソフトウェアを組み込んでの販売を提案したり、顔認証ビジネスをシンガポール政府に対して提案するなど、コア技術を他の商材やサービスに組み込み、より付加価値を高めた提案を現地の販売会社と共に行っています! ーそして本業を持ちながら、車上生活を送られているんですね ! バンライフは昨年の3月にコロナの影響で基本テレワークになったことから始めました。もともと、アメリカなどで著名人がバンで生活しているというのを知ってからそのようなライフタイルには憧れがあったのですがオフィスワークとの両立は難しくコロナのおかげで実現したような形になります。 バンライフと言っていますが、車自体がベッドルームのようなイメージで、基本は外で生活するので自然がリビングのような感じになります。また、家(ハウス)という機能がないだけで、住む場所(ホーム)はあるのでよくハウスレスだと私たちはよく説明しています。   旅好きは幼少期の頃からずっと変わらず ー木下さんに大きな影響を与えたターニングポイントに沿って現在に至るまでのお話もお伺いできればと思います。幼少期の頃で現在の木下さんに影響を与えた出来事はありましたか。 幼少期で記憶に残っているのは5歳の頃、小学1年生の初めての夏休みに従兄と2人で隣町まで電車で行ったことですね。隣町ではありましたが、小学1年生にとっては大冒険で刺激的な1日だったのを覚えています。それまで車で行ったことがあるところに自転車と電車を使って自分の力で、保護者なしで行ったんです。 その時以来、夏休みは毎年従兄と出かけるのが恒例になりました。これが旅が好きになったきっかけであり、今のライフスタイルができたきっかけだと思います。 ー中高時代はいかがでしょうか。 中学1年の春休みに行ったカンボジアの植林ボランティアでの経験も自分にとっては大きなターニングポイントだったなと思います。カンボジアへは自分の意思ではなく両親に勝手に登録されて止むを得ず行ったのですが、現地でスラム街や孤児院にいた子どもたちに出会って、自分よりも恵まれていない環境にいる子どもたちが笑顔なことにびっくりしました。その時に自分はずっと周りと比べて不幸だと思っていたけれど、子どもたちの笑顔を見て、人と比べるのはやめようと思ったんです。 というのも、1歳の時に両親が離婚し、10歳の時に母親が自分と12歳しか変わらない父親と再婚。本当の父親のことを覚えていないことを不幸だと思ったり、周囲に離婚・再婚した家庭がなかったためずっと周りと比べて劣等感やコンプレックスのようなものをを感じていたんです。 カンボジアで、与えられたものに満足した心豊かな人たちと出会ったことで、自分の考え方を改めることができ、感じていたい劣等感を克服することができました。人生において与えられた役目がそれぞれあり、与えられた環境でどうやって自分らしく前向きな気持ちで頑張るかが大切だなと今でもずっと思っています。 ー貴重な体験を中学1年ですでにされていたんですね! 中学から海外に行く機会があったのはとてもラッキーだったなと思います。カンボジアに行った際、学校で学ぶこととは違う学びや気づきが海外では得ることができると知り、15歳の時にはオーストラリアに留学しました。これが初めての海外での長期滞在でした。英語科に進学していたものの、英語は苦手科目だったため、ホームステイ先でも初日から怖くて泣いていましたね。1年経っても英語が全く話せていない夢もみたりしました(笑)幸い、仕方ないと諦めて楽しめるタイプの性格だったので、前向きに英語の勉強に取り組むことを決意し、学んだことをどんどんアウトプットして英語を身につけていきました。   ハプニングも楽しみながら新しい挑戦を続ける ー大学時代はどのように過ごされていましたか。 大学ではとにかくいろんなところに旅行に行きました。 大学1年の時にたまたまテレビで見た「大阪から東京まで1ヶ月歩いて旅したイギリス人」の影響を受けて、従兄と大阪から東京まで1週間かけてママチャリで旅行しました。夏だったので暑く、特に箱根の山を越えるのが大変でした。コンビニのるるぶの単行本を見て、自分が着々と東に移動していることを確認してモチベーションを保っていましたね。大学生になった時点ですでに国内はほぼ行きつくしていたこともあって、ママチャリの旅や海外へバックパッカーするなど大学在籍中は一風変わった旅をすることが多かったです。 ーそんな中、旅とは関係のない電機メーカーを就職先に選ばれた理由を教えていただけますか。 パナソニック創業者の松下幸之助の「物を創る前に人を作る」という言葉に共感したことと、1番最初に内定をいただいた会社だったことが理由です。実は初めから1番に内定をくれたところに就職しようと決めていたんです。起業してみたい気持ちも全くなかった訳ではないですが、祖父や母が高卒だったことでしないでもいい苦労もしてきたと聞かされていたこともあり、まずは就職してみようと思い、就活をしていました。 結果的には、やってみたかった新規事業に関わらせていただくことができ、大企業の仕組みなども知ることができたのでよかったです。 ー今後の目標などは何かありますか。 明確な目標はありませんが、新しいことをやり続けていきたいなと思っています。新しい趣味を開拓してもいいし、新規事業を初めるのもいいですね。綿密に計画をたて、目標を順番に達成していくことにやりがいを感じる人もいるかと思いますが、自分の場合は計画外のことがあった方が面白いと感じるタイプなので、ご縁を大切に、運も頼りながら、目標をその時その時で柔軟に変えて自分の好きなことをやり続けていきたいと思っています! ー最後に、旅をたくさんされてきた木下さんだからこそのU-29世代へのメッセージがあればぜひお願いします! 旅の特徴は何もかもが正解になることだと思っています。目的地に予定通り着くことも、予想外のハプニングが起こることも、道中での出会いも含めて全てが旅の醍醐味であり、旅のあるべき姿なんですよね。これは人生においても言えることなんじゃないかなと思っています。大変なことや嫌なことがあっても、まずはその状況を楽しんで、面白そうと思うことができれば素敵な気分で過ごせると思うので、ぜひみなさんもそんなことを日々の生活の中で意識してみてくれればなと思います! インタビュー:増田稜(Twitter) 執筆者:松本佳恋(ブログ/Twitter) デザイナー:五十嵐 有沙 (Twitter)

喜多村若菜がミートキャリアを通して行う、多様な働き方の実現に向けた社会へのアプローチ

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第361回は株式会社fruor(ミートキャリア)の代表取締役CEO、喜多村若菜さんです。コンサルティング会社・教育系企業を経て、オンラインキャリア相談事業で起業をされた喜多村さんのこれまでについてお伺いしました! プロにキャリア相談ができるミートキャリア ーまずは簡単に自己紹介をお願いいたします。 ミートキャリアというオンラインキャリア相談の事業を行う株式会社fruorの代表を務めております、喜多村若菜です。関西で育ち、大学卒業後はITコンサル事業を行うアクセンチュア株式に入社。その後教育系事業を行うスタートアップを経て2019年1月に現在の会社を創業しました。 ーミートキャリアについてもう少し詳しくご紹介いただけますか。 ミートキャリアはキャリアに関するあらゆる相談に対して、人材業界で経験の長い方や人事経験の長い方々にオンラインで相談できるサービスになります。転職するか悩んでいる方や、今後のキャリアに不安を持っている方、上司との関係性構築に困っている方、副業を始めてみたいと考えている方などから日々ご相談をいただいています。 オンライン相談サービスは増えつつありますが、ミートキャリアの特徴は出産や育児などといったライフステージの変化に関する相談に強い点です。というと、女性の方から相談が多いと思われることが多いですが、実際には育児休暇を取りたいが上司からの理解を得ることができないという相談を男性の方からいただいたりもしています。性別に関わらず、ライフステージに合わせたキャリアチェンジ・キャリアアップに関するご相談に対応させていただいています。 ー創業から2年程たっていると思いますが、会社の規模としてはどれくらいなのでしょうか。 現在はカウンセラーを含めると50人規模の会社で、メンバーのほとんどがカウンセラーになります。フルタイムメンバーは数人で、ほとんどは複業でされている方が多いです。 事業スタート当初はTwitter経由でカウンセラーを募集させていただいたり、直接Twitterでカウンセラーさんにお声かけさせていただいていましたが、最近はWantedly経由で応募いただくことが増え、相談案件数の増加とともに、メンバーもどんどん増えていっています。 初めての挫折経験から見つけた没頭できること ー起業に至るまでのお話をお伺いさせてください。現在の喜多村さんを形成した人生の最初のターニングポイントはいつになりますか。 小学4年生の時かなと思います。それまで英会話や水泳など毎日異なる習い事を5つくらいしていたのですが、どれも鳴かず飛ばずで才能がないのかなと感じるようになったことをきっかけに習い事を全て辞めて、中学受験を目標に塾に行くことを決めました。 そして塾に通うにあたって、入塾試験を受けたのですがその試験に落ちてしまい…大して勉強せずに受けたので当たり前の結果ではあったのですが、塾に通うことすらできないことにショックを受けました。この時が自分の中で記憶にある初めての挫折経験でした。 ーそこからどのように立ち直られたのでしょうか。 父から「失敗した時はそのままにしてはいけない」と言われてたので、落ちた塾とはまた別の塾の入塾試験に再度チャレンジすることにしました。次は絶対合格するつもりで、過去問を何度も解きしっかり対策した結果、無事合格することができただけではなく、一番上のレベルのクラスに入ることができました。 これをきっかけに勉強が楽しくなり、残りの小学校生活は勉強ばかりしていました(笑)何事も中途半端だったところから、没頭できることを見つけることができて嬉しかったんです。 ー勉強の結果、中学受験では志望校に合格できたのですか。 はい。でも受験で合格するという目標を達成してしまい、入学後は目標を失ってしまいました。中高一貫校に入学したため、次の目標は6年後の大学受験と考えると先すぎて頑張れないと思ってしまったんです。また、進学校だったので当たり前ですが周りの子たちが皆優秀で頑張っても成績トップではいられなくなったんですよね。そのため中学入学後は特に何も頑張ることなく、なんとなく毎日を過ごしていました。 卒業後の進路に不安を感じ、休学を選択 ー高校生活もそれは続いたのでしょうか。 高校入学後は行きたい大学が見つかり、再び大学受験に向けて再び勉強し始めました。行きたい大学が見つかったとはいっても、どうしても勉強したい分野などがあった訳ではなく、消去法で見つけた大学だったのですが… ー消去法とは? 中学受験の時に、大学までエスカレーターでついている学校があるのをみていたので、大学がついていない学校に行くのであれば、エスカレーターでいけないような大学に行きたいと思っていたんです。その上で実家から通える距離にある大学で、自分の学力で目指せそうな大学を逆算して志望校に選びました。 ーなるほど…そうやって選ばれた大学での学生生活はいかがでしたか。 中高一貫だからこそあった文化・環境から解放され、一気に世界が広がりましたね。やりたいことが多すぎてどうしよう状態で楽しい大学生活でした。ログハウスを建てるサークル、スキーサークルなどやりたいことは盛り沢山だったのですが、結局3年間はスキーサークルに時間を費やしました。夏でも筋トレやインラインスケートの練習をする活動日の多いサークルだったので、他のサークルと掛け持ちする時間を作るのは難しかったんです。 大学入学後は自然と就職活動が数年後に待ち構えていることを感じて、やりたいことが特になりことに不安を感じたり、社会ともっと触れ合う機会を持つべきなのではないのかと思うことが多かったです。サークルを辞めて留学することも考えたりしたのですが、中高時代にみんなで何かをするという経験をしたことがなかったので、サークルは最後までやりきるこを決めました。そして代わりに、サークル卒業後、1年間大学を休学することにしたんです。 ー休学中はどのようなことにチャレンジされたのですか。 社会・世界をもっと知りたいという思いからシンガポールに行きました。現地の語学学校に通いながら、人伝で見つけた株式会社ベネフィット・ワンでインターンをさせていただきました。福利厚生を提供する会社だったのですが、ちょうどシンガポールに進出が決まった状況でインターンとして雇っていただき、現地の飲食店やホテルにテレアポをしたり、アポがとれたら商談に行ったりしていました。 また休学中はできるだけ多くの働いている方のお話を聞きたいと思い、シンガポールにいる日本人の方にその仕事をしている理由や仕事との向き合い方などについて聞いたりしていました。その中で、会社の立ち上げや起業、スタートアップに興味を持つようになりました。   起業も見据えて就職後、働き方に関心を持つように ー帰国後、就職活動となったかと思いますが、どのような考えでアクセンチュアへの入社を決められたのでしょうか。 スタートアップを中心に見ていたのですが、ここだと思う会社に出会うことができず、それならば、将来スタートアップに行くための準備をするのに最適な会社に就職しようと思いました。就職した会社は、転職をする人や起業する人が多かったので、そんな先輩たちがたくさんいる会社に就職すれば、将来やりたいことが見つかったときに挑戦できるのではないかと考えたんです。 ーそこから転職され、起業されていますが、転職した理由は何だったのですか。 マネージャーに育児と両立されている方がいなかったことなどが転職のきっかけです。出産・育児などのライフイベント後はバックオフィスに回るのが当たり前という現状を知り、ライフステージに関係なく働き続ける方法はないのかなと考えるようになりました。そういった課題感を持っていたので、キャリアで挑戦できるのは自分がライフステージを経る時までなのかもしれないと考えて、転職を決めました。 ー転職先はどのように選ばれたのでしょうか。 教育系事業を行っている会社だったのですが、親御さんに余白のある生活を過ごしてもらうのがコンセプトとなっていることに惹かれて入社を決めました。例えば1時間、子供の習い事を見て過ごすのではなく、習い事中は親御さんの自由時間として使ってもらう、といった感じです。 働く中で親御さんのキャリアの悩みなどを聞くことが増え、ライフステージが変わることでキャリアアップが難しいのを改めて感じる機会が増えました。また、採用や事業開発を担当していたのですが、採用活動をする中で改めて働き方の選択肢が少ないことに疑問を持ったことから今の事業での起業を決意しました。   多様な働き方が可能な社会を目指して ー「ライフステージにあった働き方を実現する」をミートキャリアではビジョンに掲げられていますが、この2年弱で変化はありましたか。 ユーザさんの中では、実際に社内で働き方を交渉して自分に合った仕事・働き方を実現する方や、転職や副業を通して自分の目指すキャリアに近づく方も多くいらっしゃりました。 一方で、わたしたち自体はフルリモートで自由な時間に仕事をすることが可能にしていますが、社会全体ではそういった取り組みをされている企業はまだまだ少ないのが現状です。なのでまだまだ取り組まなければいけないことがたくさんあると感じています。   ーライフステージにあった働き方を実現するにはどういったアプローチがあると考えられていますか。 ミートキャリアでできることは主に2つあると思っています。 1つはキャリア選択に関して、第三者の立場から相談にのること。転職エージェントなどではどうしても選考に通りやすい求人を勧められたり、柔軟な働き方をしている会社を紹介してほしいとリクエストをしても「そんな会社はないです」と言われてしまったりします。そんな時にミートキャリアが一緒にキャリアの選択肢を考えることができます。 もう1つはキャリア形成において長期的な視点も含めてアドバイスをしてあげること。例えば出産というライフステージを迎えた時に、どうやって上司とコミュニケーションを取り自分の希望を伝えるかを一緒に考えることができます。 様々なライフステージがあるため、ニーズはどんどん多様化していると感じています。育児参加したいけれども会社の理解が得られない方、介護で休職して現場を離れてしまったことによってキャリアに悩んでいる方、夫婦ともに転勤が多い中でどうすれば夫婦二人でキャリアアップできるのか模索している方などなど。特に育児休暇関連でいうと男性の方が周囲に事例が少ないため相談できる方がいないことからミートキャリアにご相談いただくことが多いです。まだまだ、ミートキャリアにできることはあるなと感じる日々です。   ー最後になりますが、今後の目標などがあれば教えてください! 今は自由な働き方を体現しながら事業を運営していますが、今後会社が大きく成長していった時に今の形で続けられるのか、正直分からない部分は多くあります。会社の成長に合わせて「ライフステージにあった働き方を実現する」というビジョンを体現する会社であり続けたいと思っています。 また現在は個人支援がメインですが、将来的には企業にもアプローチし大企業の働き方を変えていきたいと思っています。性別や世代関係なく、すべての人たちが自由な働き方ができる社会を実現することが目標です! ー本日は貴重なお話、ありがとうございました! 執筆者:松本佳恋(ブログ/Twitter) インタビュー:増田稜(Twitter) デザイナー:五十嵐 有沙 (Twitter)

食卓からwellbeingな暮らしを。田中麻喜子が自分のものさしを築いた原体験とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第351回目となる今回は、株式会社TSUMUGI取締役の田中麻喜子(たなかまきこ)さんです。 高校時代のイタリアの田舎町での生活や、大学生のときにアメリカで体調を崩した経験から食の大切さに気づいた田中さん。実体験から自分自身のものさしを築く大切さや、食に対する想いについて伺いました。   体験から感じた料理の普遍的価値 ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。 株式会社TSUMUGIの田中麻喜子と申します。今は食卓を軸にwell-beingな暮らしをつくる共同体を会社でつくり、主に食関連の体験や企画を担当しています。 ー田中さんの現在の価値観も含めて、料理に対する想いを教えてください。 私のライフイベントの中で大事な気づきを得たときは、必ず料理や食につながっています。 過去に体調を崩して、体調管理のために料理をし始めたことがあったんです。当時留学中でさまざまな国の人たちと生活をしていたのですが、各自好きな時間に食べる、いわゆる個食の形をとっていました。でも、わたしが料理を始めたら、みんなが同じ時間に家に帰ってくるようになり、そこで初めて食卓がうまれ、みんなで会話をするようになったんです。食卓ができたことで、つながりによる心の安心や家庭みたいなものができました。その経験から料理は栄養面だけではなくて、心身ともに豊かにする力を持っていると感じました。 そのあと、株式会社クックパッドの海外事業部で海外事業の立ち上げを担当し、各国の食卓にインタビューに行く機会がありました。インドネシアやヨーロッパ、アジアなどさまざまな国の現場を視察する仕事です。料理がもたらす価値は国を越え、性別や年齢、文化や宗教を越えていくものだといった原体験を経て、食には普遍的価値があると感じました。   食の魅力を感じることができたイタリア留学 ーここからは、田中さんの幼少期を振り返ります。自然豊かな環境でのびのび育ったと伺いましたが、具体的にどういった学びがありましたか? 子どもは自然の中で泥だらけになって遊んでほしいという両親の希望があり、毎日東京の自宅から約1時間半かけて、幼稚園から高校まで森の中にある学校に通っていました。ここでの学びは今の自分の素地を形成していると思います。 特に人との関わり方ですね。人と関係を築いていく大事さや、つながりは小さなことが積み重なってできるんだと学びました。また、感覚や感情、人との繋がりや体験など、数値化できないものに価値があることに気づいたのもここでの大きな学びです。 ー大切な学びを得たのですね。16歳の頃に留学をされたとのことですが、どうして留学をしようと思ったのですか? 家庭の環境が大きいですね。家族で海外旅行に行ったり、小学生のときに両親がホストファミリーを始めたりして、海外の人たちを受け入れていました。家に帰るといろんな国の人たちがいる。自分が生きてる世界って小さいんだ。世界にはいろんな人がいて、いろんな景色があるんだと当時ふんわりと思っていました。そこから次第に自分も海外へ行きたい、世界を見てみたい気持ちに変わっていったんだと思います。 中学生のときには留学したいと両親に宣言していましたね。留学先や団体、どういった機会があるのかを探して親に説明し、最終的にイタリアに留学しました。 ーイタリア留学での生活はどん底だったと伺いました。実際にどのような経験をされたのでしょうか? 初めのうちは、簡単な挨拶と自己紹介しかできない状態でした。自分の周りに何が起こっているのかわからない。会話もわからないし、その人たちが誰なのかもわからない状態に飛び込んだことがなかったので、できることが圧倒的に少なくて無力感を感じる日々でした。日本にいるときと全く違う環境で、行きたいところに行けない、言いたいことが言えない、何も思い通りにいかず、自分の無力さに落ち込むこともありました。 言葉だけではなくて文化も壁もありましたね。家庭に入って家族の一員として過ごす際には、地域の文化だけでなく、その家庭の文化に適合する必要があります。さらに、ホストママが英語を一切しゃべれなかったので意思疎通ができない。だから困っていてもちゃんと説明できないし、コミュニケーションができない。私の行動だけを見られるので、その裏の思いが説明できないことが一緒に生活するうえでは難しいと感じました。 当時は一生懸命すぎて、自分が辛いことも気づかないくらい必死でしたね。ただ、その分全力で文化も吸収し、必死に語学を身に付けられたのはよかったと思います。 ーそうだったのですね......!でも食の魅力に気づき始めたのはイタリアでの原体験だったそうですね。 ホストママとどうやってコミュニケーションをとるか考えたときに、当時の私にできる最善の方法は料理でした。 料理はほとんど言葉がなくても、見よう見まねで手伝えます。「こうやって切ってね」と言われているんだろうなあと思って、横でそのとおりにしたら喜んでくれるし、ファミリーも美味しいと言ってくれる。唯一なにもできない私が人に喜んでもらえるきっかけでした。そこから毎日料理を手伝うようになりましたね。 留学先が人口2,700人の小さな村なので、スーパーやコンビニがないんです。だからお肉はお肉屋さんで買って、チーズは専門店に行って、といろんなお店をまわります。 イタリアでは、お店でひとつのお肉を買うのに一時間くらいかかるんですよね。挨拶から会話が始まって、店の人も食に対して熱量があるので、レシピやおいしい食べ方を教えてくれる。 それに、イタリア人は会うと食の話をするんです。食が中心にある国ですね。挨拶代わりに「昨日なに食べた?」と普通に聞くのでおもしろかったです。 ー食事の時は必ず家族みんなで集まって食べる文化なのでしょうか? 必ずと言っていいほどそうですね。イタリアの学校は午前で終わって、お昼は家に帰ってみんなで食べるんですよ。もしくは一回家に帰ってまた学校に行く。働いている人もそうなんですよね。お父さんもお昼に会社から帰ってくるんですよ。それくらい一人で食べるのはありえない国なんです。 ーイタリアで一年ほど過ごして、食以外になにか気づきや学びはありましたか? 人は一人ではなにもできない、なにをするのにも人がいないと自分の力だけではなにもできないことを学びました。人とのつながりの大切さですね。あとは、飛び込んでみることは大事だと思いました。飛び込んでみて初めて気づくことや、やってみないとわからないことばかりでした。当時はどん底だったので留学の8割は辛かったんですが、最後の期間はそれを遥かに上回る幸福感で帰国したので、やってみることの大事さを感じました。   アメリカで感じた食の大切さから、食卓や料理と関わる仕事へ ーイタリア留学から帰ってきて、次の転機ではアメリカに留学されたと伺いました。アメリカ留学はどうでしたか? アメリカ留学において一番の優先順位は勉強でしたね。毎日が新しい学びの連続で、充実していました。ただ、勉強に費やす分時間もなく、自分のお金を貯めて留学したので金銭的な制限もあり、食は疎かになっていました。安くて時間をかけないことに優先度を置いていた当時のベストは惣菜を買うか、外食するかの選択肢でした。それが原因で体調を崩すことが増え、最終的に入院して手術することになりました。 そのとき初めて食が大事なことに気がついたんです。母が20年以上毎日作り続けてくれていた料理が、自分のからだになっていたんだとわかりました。健康を失って初めて「健康はあるものではなく、築くものなんだ」と認識することができたんです。 それから意識して料理をするようになったことが大きかったですね。料理を始めたらポジティブな副作用がたくさんが出てきて、それまでの人生のなかにあった点が、料理の軸でつながって線になったんです。 料理の大切さや楽しさを伝えることが自分のライフミッションだと気づき、専攻をArtからFood Studiesに変えて、食の観点から社会や文化、歴史をを読み解く学問を現地で学びました。アメリカでの実体験を通して、それまでのさまざまな食に関する点が結びついた瞬間が、一番の転機であり気づきですね。 ー食の大切さに気づいて自分で料理し始めたことで、アメリカ生活がどのように変化しましたか? 料理をすることで、人がつながって食卓ができる経験をしたのは大きかったです。それこそイタリアみたいに、毎日一緒にテーブルを囲んで食べると心身が整う感覚ですね。毎朝体調がいいし、心が満たされている。「食卓からwell-beingを」というミッションで会社を経営していますが、この経験こそ食卓からwell-beingが実現できた瞬間でした。そのきっかけが料理だったので、料理をきっかけにアメリカの生活や日々の心身が変わったと思います。 ー日本に帰国後はクックパッドに入社され、新規事業を担当されて海外を飛び回っていたと伺いました。当時の思い出や体験を教えてください。 クックパッドの仕事では、ユーザーインタビューのために各国を訪れました。インドネシアでは、あまり豪華とは言えない一般家庭を訪問したことがあります。日本からは想像がつかないようなほぼ半開きの家で、マッチで調理の火をつけて、私たちが想像する豊かさとは少し違う空間でした。でもお母さんは子どものために料理をして、その料理のおかげで食卓があり、料理を囲んでいる家族がすごく幸せそうな姿を見たときに、「私が感じた料理の力は正しかった」と感じました。 イタリアでは国内各地をまわりました。実は北と南で文化が全然違うんですよね。南のシチリア島に行った際に、食卓は地域から出来上がっているんだということを感じました。 地域によって気候が違ったり、それまでの歴史文化が違ったりといった、複合的な要素が積み重なって食卓や食文化をつくりあげているんですよね。 ー例えば、どういったことでしょうか? 例えばシチリアの漁師さんの家では、お父さんが今朝漁でとってきた魚をさばいて食べていました。シチリアでは魚を使った郷土料理で定番のものがありますが、その料理に使うのは市場では売れない部位なんですね。日本語でいうと漁師飯のような一皿です。それが郷土料理になっているのは漁師さんがすごく多い町で、売れない部分を美味しく食べようと生み出された料理だからです。そのように、さまざまな人々の知恵や背景がひとつのお皿に詰まっているのはおもしろいですね。 ーとても興味深いです。イタリア駐在で、自分のものさしを築く大切さに気づいたきっかけを教えてください。 自分の幸せは自分だけが知っているんだと感じたことです。イタリア人は日本人に比べるとそれがはっきりしているので素直に行動できます。自分はこれだと幸せじゃないから「NO」と言うのは、彼らにとってポジティブなことなんですよね。 特に自分のものさしの優先順位が「家族」「健康」だという人の割合が圧倒的に高いんです。会社を遅刻もしくは休む一番の正当な理由が「家族」なんです。 きちんと自分のものさしを築いていかないと、周りの環境に埋もれて結局自分の幸せをつくれないと感じました。一人一人それぞれのものさしがあるのは当然なことで、それをしっかりと自分が持っていることは大事です。そのことを感じられたことは自分にとって大きかったです。 ものさしをどうやってつくるのかは、実体験が築いていくと思います。だから社会のものさしでも家族のものさしでもなく、自分のものさしを持つためには実体験から学びを得て、そこで落とし込んでいく作業をすることが大切だと思います。   「共給共足」で共に耕して共に食べていく未来を ークックパッドで田中さんのやりたいことを実現しているように感じましたが、退職されて株式会社TSUMUGIを立ち上げたのはどのような経緯や決断がありましたか? そうですね。クックパッドでは優秀なチームとやりたいことができて、毎日幸せでした。でもそれ以上にやってみたいことができたというのが一番の理由ですね。食について考えれば考えるほど、食はキッチンや食卓の周りだけでは終わらないということに気がつきました。 おいしい料理をつくるためには、やっぱりおいしい素材がないとつくれない。そういうおいしい素材はどのように生まれるのかというと、豊かな土壌や自然環境がないと育たないのではないか。食を深めたいと思ったときに、食卓の前後の風景をもっと見たいと思いました。素材が生まれて、食べられて、そのあとゴミになってどこへいくのか。生産や流通の部分を全然知らなかったので、学びたい気持ちがありました。 また、私のなかで食の「心身の健康を保つ」作用は一番大事な要素だと思っています。 TSUMUGIの代表は食養生研究家という、食養生のプロフェッショナルです。食養生というのは、毎日の食卓から体を整えて未然に病を防いでいくものです。食養生についてもっと深めたい、勉強したいと思っていたときに、代表から事業を手伝ってほしいとお話をもらい、一緒に立ち上げる形で今の会社にジョインしました。 ー株式会社TSUMUGIではどういった活動をされて、この活動が田中さんのものさしにどのようにつながっていくのでしょうか? TSUMUGIの一番のメイン事業は食の共同体というものです。私たちは「生活共同体」と呼んでいて、食卓を軸にしたコミュニティをつくっています。 コミュニティは、オンラインサロンのような一方向の関係ではなく、メンバーがWell-beingを実現するために一人ではできないことを助け合いながら、楽しく試すためにあります。農家さんと共同体メンバーで共に作物を育てる「共給共足」は、その一例です。自給自足だとすべて自分で学び実践する必要があるのでハードルが高い。でも「共給共足」だと、パートナーになってくださる農家さんと一緒に、畑をみんなで耕して食物を育て、収穫物や知見、リスクも含めて全部をシェアする。共に耕して、共に食べていくので、初めの一歩を踏み出しやすいです。 これは私自身もやりたかったことなんです。自分も作物を育て、食べ物をつくってみたい気持ちはあっても、都内で働きながらだとかなりハードルが高いですよね。 なので、同じ想いをもった人たちを募り、さらに生産者さんを巻き込んで、一緒に教えてもらいながらつくっていく。その代わり私たちは一定の額のお金を集めて、生産者さんの事業をサポートする仕組みをつくりました。これがリスクも学びや収穫物もシェアする「共給共足」です。 今年からは会社で田んぼと畑をスタートします。こんなに小さな種が、立派に大きく育ってくれたんだとやっていくなかでで感じますね。だからスーパーマーケットに並んでいるものが異様に見えてくるんです。なんで形が整っているんだろうとか、食に関する今まで気づかなかったことに気づくようになって、そこがまた私のものさしにつながるんだと感じます。 ー最後に今後の展望や、挑戦したいことを教えてください。 たくさんあるなかで今一番関心が高いのは田んぼですね。 日本人はお米をたくさん食べています。私も自分のソウルフードはおにぎりだと海外の人に答えるくらいお米が好きです。それほど食べているものをゼロからつくってみることで、自分のなかで何が変わるのかは楽しみですね。 共同体でやっていることは実験の繰り返しです。自分たちが気になることを実験していく場としての共同体なので、メンバーがやりたいことをみんなで実現するために試してみる。それを繰り返して学び、自分の答えを見つけていく。そういった体験をつくるのはとてもやりがいがあるので、これからも挑戦していきたいです。 取材:武 海夢(Facebook) 執筆:スナミ アキナ(Twitter/note) デザイン:五十嵐有沙(Twitter)

関係性をデザインする!若者とまちが溶け合うまちづくりの仕掛け人・合同会社hataori代表 たかはし くうがさん

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第362回目となる今回のゲストは、学生と社会の関係性をデザインする合同会社hataori 代表の髙橋 空雅 (たかはし くうが)さんです。 学生時代にまちづくりに興味を持ち、鹿児島を拠点に学生や若者をターゲットに地域創生活動を行っているくうがさんが、合同会社hataoriを設立するまでの経緯をお話しいただきました。 サッカーを通じて “攻め”ではなく “守り” タイプだと痛感する ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。 初めまして、たかはしくうがと申します。現在は鹿児島で、合同会社hataoriの代表を務めています。 シティプロモーションや就職活動のお手伝い、オンラインでのワークショップの運営、ファシリテーションなど個人でも会社としても多岐にわたる活動をしています。 ーシティプロモーションとは、具体的にどんなことをするのでしょうか。 私は2年前から、鹿児島市のシティプロモーション事業に関わらせていただいているのですが、鹿児島市では鹿児島市内外にファンを作っていくことをシティプロモーションとして捉えています。 ー鹿児島市外だけでなく、市内にも目を向けているんですね。本日はくうがさんの過去を振り返りながら、まちづくりをするに至った経緯を伺えればと思います。小学校の頃、印象に残っている出来事があれば教えてください。 同級生がサッカーボールを自由自在に操っている姿を見て、「かっこいい!」と心底思って始めたサッカーでの出来事が印象に残っています。 小学4~5年生の頃は同級生が8人ほどいたのですが、転校や他のクラブチームへの移動により、小学6年生になるタイミングで同級生が僕を含めて2人だけになってしまったのです。その結果、私がキャプテンを務めることになりました。 ー実際にキャプテンをやってみていかがでしたか? 思うようにいかず、練習でも試合でも泣いてばかりでしたが、小学校でキャプテンを経験したことで、中学校ではサッカー部キャプテン、高校ではサッカー部ゲームキャプテン、大学では実習活動のプロジェクトリーダーを務めることができました。もし小学校でキャプテンになっていなかったら、その後も同じような役割は回ってこなかったと思いますね。 ー中学・高校のサッカー部時代、印象に残っていることがあればお聞かせください。 中学までポジションはボランチだったのですが、高校からセンターバックになり、攻めも守りもするポジションから守り重視のポジションに変わったことで自分の新たな可能性に気づくことができました。 味方の選手を動かしてマークにつけたり、逆に動かないように指示を出したり……相手チームとの駆け引きに派手さはないですが、頭で考えることがすごく面白かったです。 状況を見ながら適材適所で人材を配置する能力は、高校時代のサッカーで培うことができました。   「まちづくり」を知り、地域課題の解決に向けて奮闘する ー高校時代は進路について大きく悩む時期だと思いますが、くうがさんは当時、将来の夢をどのように描いていましたか? 高校の頃は、サッカーにずっと関わっていきたいという想いから、学校の先生になってサッカー部の顧問として働きたかったです。 ただ、いざ大学を選ぶ時期になると将来について迷い始めて……。先輩に相談しに行ったときに、「俺、まちづくりしたいんだよね」と言われて胸を揺さぶられました。 当時、 “地域活性化” や “まちづくり” というワードは聞いたことはありましたが、何をするかなんて知らなかったですし、ましてや自分がそこに関わるなんて想像もしていませんでした。「自分が暮らしているまちの発展に関われるかもしれない」と考えると、何だかワクワクしたのです。 ー先輩がきっかけでまちづくりに興味を持ち始めたくうがさん。大学はどこに進まれたのでしょうか。 福岡にある、北九州市立大学の地域創生学群に進学しました。 ー地域創生学群では、具体的にどのような活動をしていたのか教えてください。 商店街や農山村地域の方々と一緒に、地域課題を解決するという実習活動がカリキュラムに組み込まれているのです。単位をもらえなくても参加したいほど私にとっては魅力的でした。 私は九州の最北端にある門司港というエリアの実習に参加しました。門司には、門司港レトロという観光地があり、そこにはコロナ前は年間200万人の観光客が来ていましたが、門司港レトロの反対側にある商店街は見ずに帰ってしまうという課題を抱えていたのです。 私たちは門司に来る観光客の回遊性を高めることをミッションに、まち歩きや他の地域へのイベント出展を通して魅力を発信するなど、いろんなことに挑戦しました。 ーくうがさんたちの活動は、地域の方々からどのように思われていたのでしょうか。 私たちがいることに前向きで、協力的な方もたくさんいましたし、そうじゃない方ももちろんいました。商店街での商売がそのまま自分たちの生活につながっている地域の方々と、あくまでも授業の一環として他所から来ている学生には温度差があったと思います。全員が「まちづくりを学びたい」と思っているわけでもないので、学生の中でもモチベーションに差がありましたね。 それでも、続けていくことで応援してくれる人や、理解してくれる人は徐々に増えていきました。   『日本を創り継ぐプロジェクト』に参加。心の交流ができる友達と出会う ー大学時代のまちづくりに触れた経験は、今にもつながっているのですね。 実は大学生の頃、もう1つ転機となった出来事があって。 それは、東京で5泊6日で開催された『日本を創り継ぐプロジェクト』という合宿に参加したことです。合宿では、「デザイン思考」を使って社会課題を解決するアイデアを考えました。 ーなぜ参加しようと思ったのですか? 友達がTwitterでシェアしているのを見て面白そうだと思い、勢いで申し込みました。あと、今までずっと福岡で生活してきた私が、東京の学生の中に入ったらどこまでやれるのか試してみたかったのです。 ー実際に合宿に参加してみて、どうでしたか? 当時は「東京の学生はすごいんだ!」という先入観があったのですが、地方と都市でそれほど差はないかもしれないなと感じました。同じように悩むし、同じようにミスするし、同じ人間なんだなって(笑)。  1番の収穫は、合宿中に自分の想いを伝えて、背中を押してもらえたことですね。当時、「福岡から鹿児島に帰ってやりたいことがある」ということを大学の同期には恥ずかしくて言えなかったのですが、合宿で同じチームになった子たちにさらっと言ってみると、「めっちゃいいじゃん!」と共感してくれたのです。そのおかげで、「じゃあやってみるか」と思えました。   共感を軸にしたコミュニケーション手法 “NVC” に感銘を受ける ー合宿を終えてからはどのように過ごされたのでしょうか。 大学3年生の頃には就活をしていたのですが、「このまま社会に出ても誰の役にも立たたないし、むしろ足手まといになるんじゃないか」と思ったんですね。それと同時に、鹿児島で学生団体を立ち上げたいと思っていたので、1年間休学して、福岡から鹿児島に戻ることを決意しました。 ーなぜ学生団体を立ち上げたいと思ったのか教えてください。 福岡の学生は起業していたり、世界一周していたり、いろんな経験をしてる方が多いのですが、鹿児島にはあまりいなくて。「それってすごくもったいないな。大学生活ってもっといろんなことができるはずだよな」と思ったのがきっかけです。 無事、合宿の3週間後に鹿児島で学生団体を立ち上げ、鹿児島と福岡を行ったり来たりしながら月1でイベントを開催していましたね。 ー福岡と鹿児島のように、地方と都会の機会格差はどのようにすれば埋められるのでしょうか。 埋まる埋まらないはその人自身の意志の問題なので、埋まらなくても良い場合もあると思っています。やる人はやるし、やらない人はやらないと思っていて、やらない人に対して無理にやれと言うのは暴力だと思うのです。 機会格差って、噛み砕くと「(やりたいことがあってもなくても)挑戦できる環境があるかどうか」ということですよね。挑戦できる環境があったとしても、最終的にやる/やらないを判断するのはその人自身じゃないですか。やる人が増えることはもちろん良いことだと思いますが、悩んだ結果やらない人もきっといる。その人が攻撃されるようなまちには私は暮らしたくないので、やらない選択肢も肯定してもらえるまちになったら良いなと思います。 機会格差を埋めるためには「挑戦できる環境」を整えることが大事ですが、「挑戦できる環境」は、やる人のことを全力で応援してくれるだけではなく、やらない人のことも包んでくれることが条件かなって。ただ、まずは話を聞くことが一番大事だと思います!悩みの種を1つずつ紐解いていくことで視界が開けることもたくさんあるので。 ー環境を言い訳にせず、今いる環境で実行に移していくことが大事だということですね。休学中はどのように過ごされていたのかお聞かせください。 休学を決意した頃、高校生が市政に提言をする事業に学生スタッフとして参加させてもらいました。そのときのファシリテーターが “NVC” をベースにした場づくりをしていたことに衝撃を受けたのです。 NVCというのは「Non Violence Communication」の略称で、共感を軸にしたコミュニケーションのことです。 ーどのようなところが衝撃だったのでしょうか。 福岡はスタートアップのまちと言われるほどスピード感がある地域で、私はその雰囲気に慣れていたので、今までは「とりあえずやってみる」精神で動いてきました。 一方で、私が参加した事業のワークショップでは、目的に対してとても遠回りに思える場づくりをしていたのです。市政に提言することがゴールなのに、自分の人生を振り返るところから始めていて、最初は「そのプロセスは本当に必要かな?」と疑問に思っていました。 ただ、実際にやってみると高校生の顔つきがどんどん変わっていくのが目に見えてわかり、「こんな場づくりの方法があるんだ!」と心を打たれたのです。今でもNVCを軸にしたチーム作りや場づくりを行っているので、そのときの経験は今にもつながっていますね。   国内だけでなく世界から注目されるまち・鹿児島を目指す ー最後に、現在代表をされてる合同会社hataoriでの活動についてもお伺いできればと思います。どのようなことをされているのでしょうか。 ざっくり言うと、学生と企業や人と地域社会など、ありとあらゆるものの間にある「関係性のデザイン」しています。 具体的には、オンラインの合同企業説明会を企画したり、鹿児島の大学生と県内の学生への就活に対するヒアリング結果や、鹿児島で働く社会人のインタビュー記事を載せたフリーペーパー「material」を発行したりしています。 それ以外に行政案件も受けていて、最近は「鹿児島県のお茶産業と日本中の学生をつなげる」オンラインプログラムの企画や、鹿児島市の次期総合計画について若者が意見を出すワークショップの運営をしました。 ー活動内容は幅広いですね。くうがさんの今後のビジョンをお聞かせください。 ここ最近は、新卒一括採用主義を鹿児島からどう壊していくかを考えています。就活の仕組みは何十年も変わっていなくて、その仕組みが今の大学生や企業に合ってるかというと、フィットしてない部分も多々あると思うのです。 例えば、地域に飛び出して生活しているうちに地域の方と知り合って、気づいたらその方の会社に入っていたという流れこそ、就活になり得るのではないかと思っています。 ー長期的なビジョンはありますか? 鹿児島に大学を作りたいと思っています。大学と言っても学校法人を作るわけではなく、例えば、履歴書にも書けるような社会に認知されたプログラムを作ることで、社会に飛び出していくための踏み台にして欲しいです。 人口減少の社会で、鹿児島県内の方々だけに残ってもらえばいいかというと、そういうわけでもないと思っていて。「大学行くなら東京。働くなら東京」と思っている方々が多い中で、その矛先を鹿児島に向けられたらいいなと思っています。さらに言うと、世界からも注目される地域にしていきたいですね。 ー既存の就活システムを緩やかに壊していきながら、新しくビジョンを描いていくのがとても楽しみですね!くうがさんの今後のご活躍を応援しています。本日はありがとうございました。   取材者:大庭 周(Facebook/note/Twitter) 執筆者:Moriharu(Twitter) デザイン:五十嵐有沙(Twitter)

「嫌われたって、人の痛みに寄り添いたい」不条理と戦い続けるノンフィクションライター・ヒオカの信念

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第383回目のゲストはノンフィクションライターのヒオカさんです。 「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーに、貧困問題や格差に関しての執筆活動を行うヒオカさん。ご自身も貧困家庭で育ち、「新品の制服が買えない」「大学の奨学金が実家の生活費に使われてしまう」などの経験をしながらも、大人になるまで自分が貧困であるということに気付かなかったと言います。「自分にとっては当たり前だった」と語る体験を赤裸々に描写したnote「私が"普通"と違った50のこと〜貧困とは、選択肢が持てないということ〜」は、SNSで拡散され、たくさんの反響を呼びました。現在、本業である動画編集の傍ら、貧困をはじめとした社会問題に関しての取材・執筆活動を重ね、隠されてしまいがちな人の痛みにスポットライトを当て続けています。 SNSをきっかけとして出会いを広げ、人生を変えてきたヒオカさんの、活動に対する信念を伺いました。 「自分にとっては当たり前の日常」がバズり、人生が変化  ー本日はよろしくお願いします。ヒオカさんのことをnoteをきっかけに知ったという方は多いかと思います。現在のご活動を教えてください。 現在、25歳で、ライターとしての活動は2年目となりました。本業を持ちながら、エージェントと契約して執筆活動を行っています。これまで、現代ビジネスやビジネスインサイダージャパンに寄稿しています。 noteで記事を公開するようになってから、いろいろなチャンスに恵まれました。わたしにとって当たり前だった貧困家庭体験は、4,200以上のいいねがつき、コメントもたくさんいただきましたね。   ーライターとしてお仕事をするようになったきっかけを教えてください。 noteで公開していた「生まれつき白メッシュの私が受けた、黒髪信仰の圧力」という記事を転載という形で寄稿したのが、初めてメディアに自分の文章が載った体験です。その転載を提案してくれたのが、ライターの師匠でした。 もともと「憧れの人に会いたい」という気持ちが強く、TwitterのDMを利用して連絡をとり、いろんな方と出会っていました。そんななか、愛読していたメディアの元副編集長の方とも知り合うことができたんです。23歳のときでした。 とても親身になってくれて、散歩したりランチをしたりしながら話をじっくりきいてくれました。そこから親交が始まり、「noteであなたの体験を書いてみたら」とすすめられたんです。まさか自分の体験に価値があると思っていませんでしたし、そもそも貧困状態だったという認識もありませんでした。「自分の家であったことを100個書き出してみて」とアドバイスを受け、普通と違った部分を振り返るようになりました。 ちょうどその頃、新型コロナウイルスの感染が拡大し、給付金についての案が政府で議論されていました。10万円の一律給付は、発案された当初、対象を低所得者のみとする方向だったんです。そのことに、SNS上では批判の声があがっていました。「納税者を差し置いて、低所得者が税金を奪いやがる」「働かないから自業自得」。 わたしの父は障がいがあり、定職に就けず、家庭は貧乏でした。働きたくても働けない人はいますし、望んで貧困になっているわけではありません。そういう人たちのことは無いものにされてしまっているんだ、という現状を知り、自分の体験を書こうと決めました。 そして公開したのが、「私が"普通"と違った50のこと〜貧困とは、選択肢が持てないということ〜」という記事です。   ー反響はいかがでしたか。 さまざまな声をいただきました。同じように貧困家庭で育った人からの共感もありましたし、「何十年も生きてきて、貧困の現実を初めて知りました」という人にも届けることができました。当事者に直接聞きづらい話題ですから、知ることがなかったのでしょう。 また、拡散されたおかげで、自分がいままで憧れてきた人にも読んでもらうことができたんです。高校生の頃、塾にも行けず、中古の参考書で、環境が悪い中でも頑張って受験勉強をしていたわたしを励ましてくれた一冊の本がありました。その本の著者は、貧困家庭に育ちながら猛勉強をし、東大合格を成し遂げていたんです。その人が記事を読んでくれて、さらにシェアしてくれたとき、通知を見て驚きました。すぐに連絡をして、電話でお話させていただき、現在所属しているエージェントも紹介してもらったんです。   ー自分の経験、想いを言葉にしながら、チャンスを手にしてきたんですね。書くということの原体験はどこにあるのでしょうか。 中学生の時に参加した弁論大会で、言葉のもつ力を実感しました。 わたしはもともと活発な性格で、小学校のときはクラスの中心にいるようなタイプだったんです。しかし、中学1年生のときにいじめに遭い、5月にはもう学校へ通えなくなってしまっていました。 中学3年生のときに、学校の課題で提出した作文が弁論大会に出場する作品として選ばれたんです。不登校のわたしは、家では父親に学校に行かないことを責められ、怒鳴られ、ずっと息を潜めて暮らしていました。家庭でも、学校でも、透明人間であろうとしたんです。常にそんな状態だったのに、県の弁論大会の会場は500人は収容できる大きなホール。聴衆に向かって、それまで抑圧してきた自分の感情をぶつけました。 作文のテーマは「不登校のわたしの想い」で、いじめられて正気が保てなくなり、どんどん落ちていく過程を書いていました。それまでのたくさんの気持ちが乗っかていたんです。そのとき、「わたし、生きてる!」と感じることができました。さらに、わたしの言葉で涙を流してくださる方もいたり、感想を伝えてくださる方がいたりして、言葉のもつ力を実感しました。人が表現する意味を知り、「わたしの生きる場所はここだ」と思ったんです。   出会いが人間不信を変えてくれた ーいじめを経験されて、価値観にも大きな影響を残したかと思いますが、いまはヒオカさんから積極的に人とのつながりを作っていますね。 確かに、いじめによって人間不信に陥ってしまったときもありました。結局、中学3年間をとおして不登校のままだったので、地域の支援センターが運営しているフリースクールに通っていました。わたしと同じように不登校の子たちが集まっていたんですね。みんな、とても優しかったんです。それぞれ人に傷つけられた経験を持っているから、優しくあろうとしていたんだと思います。そこで自分を認めてくれる存在と出会うこともできました。 その後、進学した先の高校、中学では友人に恵まれましたし、SNSを通じて出会った方々にもまるで家族のように接してもらっています。不信を払拭してくれるだけの出会いがあったんだと思います。   ー学生時代は、将来の姿はどのように思い描いていましたか。 発展途上国に興味があり、大学も国際系も学べる学科に進学しました。将来はNPO法人で働くことを検討していました。社会を変えたいという気持ちがずっとあったからですね。 現在、活動を言論の場においていて、NPOと違って直接的ではありませんが、わたしにとって最適な形がライターだったな、と感じています。日の当たらないところにいる人たち、現場で活動している人たちにスポットを当てていきたいです。   提供するのは知る機会 ーヒオカさんのモットー、活動の先にある問題意識について聞かせてください。 「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーに、痛みや弱者性を可視化することを信念としています。コロナ禍において、自己責任論で切り捨てられる人たちが増加しました。ひとりの人の人生が、無いもののように扱われてしまう。その問題を解決したいです。 生まれながらにベースをもった無自覚の特権層の人々がいます。そういった方たちは、不可視化された人たちに目を向けない限り、自分たちが特権をもっていることに気付かないんです。そして、時に努力不足という一言で人を切り捨ててしまいます。そこに分断を感じるんです。 知ることで、想像ができます。想像力があれば、寄り添えます。出発点となる知る機会を提供することが、わたしの活動のテーマです。社会の隅に追いやられている人、怒りを抱えた人、その人たちの声なき声を拾い上げ、可視化する。痛みを社会に反映させるライターでありたいと思っています。   ー声を拾い上げながら、ご自身の体験も書き続けていらっしゃいます。自分のことをさらけ出すことに抵抗はありませんでしたか。 「国公立の大学に行けばいい」「就職して働けばお金が手に入る」そうすれば、貧困から脱することができると思われ、アドバイスを受けることがあるんです。それぞれの家庭の事情がありますが、多くの貧困や虐待家庭では、文化的資本も金銭も乏しく、そもそも選択肢がないんです。さらに、生活力や学習意欲など目に見えない負債も大きい。見えない貧困は、本当に見えないまま。じゃあもう、わたしが書いていくしかありません。知ってもらえるのであれば、いくらでも言葉にします。 無自覚の特権層から見ると、後天的な努力でカバーできると思えるのでしょう。しかし、地続きのどうしようもない、目を向けるだけでやる気が削られてしまうような生活がそこにはあります。特権をもつ人は、経験を積めば積むほど、掛け算で大きなものを得られるでしょう。しかし、わたしたちは違います。マイナスからのスタートなので、まずそれをゼロに戻さなくちゃいけない。やっとゼロになって、積み重ねても、なかなか大きな数にならないから、ひとつマイナスの出来事があるだけで一気に元の生活へ落ちてしまう…。 リアルを知ってもらわないと、自己責任論者は減りません。これまでも貧困をテーマにした記事は公開されてきたと思います。しかし、メディアという特性もあり、センセーショナルさが前面に出たエンタメ化されたコンテンツが多かったように思います。画にはならないけど、もがいている、生きた人たちのストーリーがある。エンタメ化された貧困へも、カウンターを撃ちたいです。   嫌われてでも社会を変えるため声を上げる ーヒオカさんが始動した「Spot Rightsプロジェクト」について教えてください。 本来、人がもっている権利に光を当てるためのプロジェクトです。「光を当てる」という意味と、「権利(right)」を掛けたプロジェクト名にしました。具体的には、痛みや弱者性を可視化するプラットフォームになります。Instagram上でいろいろな人の体験談をシェアするところからスタートする予定です。 SNSでは、強い人の積み上げてきたものや、キラキラした生活が好まれます。そういうものではなく、背負ってきた痛みや社会への怒りを可視化する場が欲しいと思ったことが始動のきっかけです。個人で声をあげていくのは、すごく難しい。わたしが誹謗中傷を受けているからこそ、困難さがわかります。プラットフォームが緩衝材となり、ひとりで衝撃を受けることがないようになればと考えています。また、言葉にすることでその人の傷を癒す手助けになれば嬉しいです。   ー誹謗中傷を受けることもあるということですが、そのような意見にどう向き合っていますか。 炎上している問題について自分なりの考えを発信すると、敵も増えます。誹謗中傷もあります。でも、わたしの性格ゆえ、「おかしい」と思ったものには立ち向かわないと気が済まないんです。それに、誰かが「おかしい」と声を上げない限り、いつまでも社会は良い方向へ変りませんよね。 今後も敵は増えるし、傷つくこともあると思います。それでも不条理と戦い続け、社会へ問いを立て続けます。そうやって、痛みを抱え、不可視化されている人たちに寄り添いたい。そのために、身を切ることが必要なんです。たとえ嫌われ役を買ってでも、声を上げ続ける人でいます。 ー戦いながら書き続けるヒオカさんの姿に胸を打たれました。ありがとうございました。 ヒオカさん(Twitter/note) 取材:山崎貴大(Twitter) 執筆:野里のどか(Twitter/ブログ) デザイン:五十嵐有沙(Twitter)

コレキャン事業責任者・中村光にとってKOREWOKINIは「ウェルビーイングを高めてくれるサードプレイス」

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第365回は一般社団法人KOREWOKINIでコレキャン事業責任者を務める中村光さんです!キャンプ×サステイナブルをテーマに活動をされている中村さんが、キャンプに惹かれたきっかけや、サステイナブルを意識するようになったきっかけなどをお話いただきました。   家・職場以外のサードプレイスがKOREWOKINI ーまずは簡単な自己紹介をお願いします。 日系メーカーで海外営業として働きながら一般社団法人KOREWOKINIに所属しています、中村光です。KOREWOKINIではキャンプ×サステイナブルをテーマにしたキャンプイベント「コレキャン」の企画・運営責任者として活動している他、Instagramのキャンプメディア「korecam2020」のディレクターも務めています。 ー所属されている一般社団法人KOREWOKINIについてもう少し詳しく教えていただけますか。 KOREWOKINIは内閣府主催の国際交流事業プログラム出身者が集まってできた団体になります。2018年にスタートし、2020年に一般社団法人化しました。国内外で活動するグローバル人材に向けて、ミートアップイベントや学びを深めるワークショップを開催しています。人生におけるきっかけを生み出し、次の一歩を踏み出す「これを機に」を応援することを目的とした団体であり、人生のどんなフェーズにおいても居場所を感じられるコミュニティとなっています。 ー中村さんも2018年から運営側として関わられているのでしょうか。 2018年にKOREWOKINIができた時は参加者側としてイベントに参加しました。その時参加したイベントでは200名近くが集まり、キャリアや自分のこれからの人生についてそれぞれが考えました。 参加当時、ちょうど社会人2年目が終ろうとしているところで、仕事は順調だったのですが家と職場を往復するばかりの日々に少し物足りなさを感じていました。KOREWOKINIのイベントはそんな自分に良い刺激を与えてくれ、ここを自分のサードプレイスにしたいと思い、運営として関わることになりました。   やりたいを支えてくれる環境と仲間の必要性 ーKOREWOKINIは内閣府の国際交流事業プログラム出身者によって運営されているとのことですが、中村さんはいつそのプログラムに参加されたのですか。 内閣府の国際交流事業にもいくつか種類があるのですが、私は大学3年生の時に世界青年の船(通称SWY)という船上で海外の人たちと一緒に生活をし、異文化交流を図るプログラムに参加しました。 ー元々、海外には興味をお持ちだったのですか。 そうですね。両親が仕事はライスワークと割り切り、いかに家族との時間を増やすかを大事にするタイプだったため、長期休暇の時は家族で旅行に行っていたんです。英語や海外に興味を持つようになったのは家族で行ったハワイ旅行が初めのきかっけです。拙い英語ではありましたが現地の人と英語でコミュニケーションを取れたのが嬉しかったのを覚えています。 大学入学後にタイに友人と旅行で行ったのですが、その際に思うように英語が話せず悔しかったことから英語にゼミに入りました。また、大学で出会った先輩がニュージーランドに留学されていた話を聞き、自分も行きたいと思ってクライストチャーチに短期留学していました。 ーSWYの前にニュージーランドにも行かれていたんですね。ニュージーランドで何か今に繋がる気づきなどはありましたか。 ニュージーランドの家族を大事にする文化は素敵だなと思いましたね。ホームステイをしたのですが、ホストファミリーが必ず毎晩全員でご飯を食べていたり、週末は必ず家族で出かけていたり…また、ニュージーランドの自然をとても大事にする文化にも惹かれました。自然保護のため、キャンプはオッケーでも焚き火はだめなどのルールがきちんとあることには驚きました。 ーSWYでの気づきや学びもぜひ教えてください。 SWYではダイバーシティについて特に考えさせられました。例えばジェンダーについてであれば全ての人を女性・男性に分けることができないというのを全員が当たり前に知っている状況だったり、中東からの参加者もいたのでハラルフードに対する理解をみんなが持っていたり…今までみてきた世界がまだまだ小さかったことに気づき、固定概念を捨ててオープンな姿勢で誰とも接することの大切さを感じました。 また、船上ではやりたいことがある人を全力で全員でサポートする環境があり、その環境のありがたさも感じることが多かったです。応援の仕方はいろいろとあると思いますが、無条件に応援してくれる仲間がいる心強さをSWYでは感じることができました。   幼少期から今まで「環境」は1つの自分の軸だった ー中村さんの現在の活動においては「サステイナブル」がキーワードの1つかと思いますが、サステイナブルに興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか。 サステイナブルについて興味を持ったきっかけは、生まれた環境が大きかったと思います。工業団地の近くで生まれ、夏に近くの川から異臭がしたり、工場から出てくる煙で空気が汚かったりするのが当たり前な環境で育ちました。高校入学後、友人が家に遊びに来た時にそのことを指摘され、それが当たり前だったので指摘されたことに驚いたんです。 それ以来、環境については考えるようになり、大学でも人間環境学部に進学。大学ではCSRや公害について勉強しました。就活の時も、企業選びにおいて環境に貢献しているかどうかはチェックした上で入社を決めましたね。 ーそうだったんですね…!日頃から何か意識してされていることはありますか。 日々やっていることとしてはなるべくゴミを出さないようにしています。キャンプにいく時なども事前準備をしっかりし、なるべくゴミがでないように工夫をしています。 現状、日本では燃えないゴミなども燃料を入れて無理やり燃やしています。全然サステイナブルではない方法にかなりの税金をかけているので、小さいことではありますが少しでもゴミがでないようにするのは大事なことだと考えています。   キャンプのヒーリング効果に気づいたのはつい最近のこと ーもう1つのキーワードでもあるキャンプについてもお話を聞かせてください。キャンプはどのタイミングで興味を持たれたのでしょうか。 キャンプは実は小さい頃学童で年に1回行っていた程度で、その後は全然行っていませんでした。なので社会人になってからキャンプの魅力に気づいた形になります。 社会人2年目の時、韓国の顧客を担当していたのですが、日本と韓国を往復する日々が続いたことで身体を壊してしまった時期がありました。その時にYouTubeでたまたまキャンプ動画を見たんです。動画を見ただけでなぜか自然とリラックスできたので、興味を持ち、すぐにテントなどをネットで購入してキャンプにいってみることにしました。 初めてのキャンプはテントをたてるだけで2時間半程かかってしまったのですが、それすら非日常でとても楽しく…自然の中で過ごすことでデジタルデットクスもでき、キャンプにはヒーリング効果があると実感しました。キャンプで匂いや温度などを肌で感じてもらいたい、キャンプの魅力を知ってもらいたいと思い、それ以来、活動を続けています。 ーそれがコレキャンの活動になるんですね。 自分の好きなキャンプと、関心のあるサステイナブルを組み合わせてInstagramを初めて見たところ、9ヶ月で1万人の方にフォローいただきました。今ではそのInstagram運用経験とノウハウを生かして中小企業のSNSコンサルをさせていただくこともあります。 コレキャンとしては、現在新たにキャンプ商品を作ろうと考えて動いています。まだ具体的な商品などは決まっていないのですが、キャンプを通してサステイナブルについて考えるきっかけとなるような、環境と人に優しいプロダクトを作る予定です! ーすごいですね。Instagramを始められた際に大事にしていたことはありましたか。 発信し続けることは大事にしていました。SNSのアルゴリズムとも関係してきますが、まずは継続して更新することが大事だと思っています。今でもInstagramは1日に2回更新することをずっと続けています。   ウィルに従ってひたすら動く ーコレキャンの活動を続けるモチベーションはどこにあったのでしょうか。 始めると決めた時に、それを応援してくれる友人に囲まれていたから続けられたと思います。何か新しいことを始める時、やっぱり1人では難しいと思うので、そういう時に大事になってくるのがサードプレイスの存在だと思います。自分が自分らしくいれる仲間がいて、やりたいと思ったことが挑戦できる環境があるからこそ、今も続けられています。 KOREWOKINIは自分のウェルビーイングを高めてくれるサードプレイスです。 ー中村さんにとってのウェルビーイングとは何ですか。 自分らしくいられることだと思います。 高校時代までは固定概念に縛られた優等生だったんです。野球と勉強が自分の全てだったのですが、大学に進学してそれだけで人は評価されないことを実感し、自分らしさを大事にするように。そして留学やSWYなどいろいろ経験する中でやりたいと思ったことをやるという姿勢を大切にするになりました。 ー最後に今後取り組みたいことや目標などがあれば教えてください。 直近ではコレキャンの製品開発、ブランド立ち上げに注力したいと思っています。自分のことを受け入れてくれる存在がKOREWOKINIにはいるので、周りの協力を得ながら、人と環境が共存する社会を目指して、自分にできることを少しずつやっていきたいです。 また、仕事とコレキャンの活動の両立ももちろんですが、それ以外にもワクワクを感じたことには積極的に挑戦していきたいです。最近はアート思考にも興味があるので、アート系のワークショップはやってみたいと思っています。アートには正解がなく、思いや考えを自由に形にしてビジュアル化できるのは面白いですよね。ちなみにKOREWOKINIでもアート思考を取り入れた3ヶ月にわたる自己内省プログラムを実施予定です。自分のウィルを見つけるには内省の時間が大事だと思うので、一人で考えるのは難しいという方はぜひ参加をご検討ください!   執筆者:松本佳恋(ブログ/Twitter) インタビュー:武海夢(Facebook) デザイン:五十嵐有沙(Twitter)

人生行動あるのみ!DJにアドレスホッパーにメディア立ち上げ。やりたいことは全部やる、DJ mooleeこと森瑞貴

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第358回目となる今回のゲストは、株式会社AppBrewでアカウントプランナーとして働いている森 瑞貴(もり みずき)さんです。 「まずは行動」をモットーに、長期インターンやロックDJ活動、タイでのリモートワーク、アドレスホッパーなど、様々なことを経験。そんな森さんが、ワクワクするものを追い求め、行動し続けてきた経緯について伺いました。 大好きなバンドマンの死をきっかけに「やりたいことは全部やる」と決める ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。 株式会社AppBrewでアカウントプランナーとして働いています、森瑞貴です。「逆求人フェスティバル」という就活イベントを運営してる株式会社ジースタイラスで長期インターンを1年間行い、そのまま新卒入社で2年間働いた後に、4月1日から株式会社Appbrewで働いています。 Appbrewでの活動が本業で、それ以外にもロックDJをしたり、就活系コラムを寄稿していたり……あとは最近、音楽が好きすぎてバンドが好きな方にインタビューをするメディアを立ち上げました。 ー興味があるものに関してすぐに行動に移していますよね。 気づいたらまず行動することを心がけています。 ー行動の大事さに気づいたきっかけがあれば教えてください。 高校2年生の頃の出来事が起点となっていますね。もともと邦楽ロックの音楽が大好きで、Pay money To my Painというバンドのライブチケットを保有していたのですが、「今日はめんどくさいから行かなくていいかな。またいつか行けばいいし」と、チケット譲ってしまったのです。 その半年後、ライブに行こうと思ってたバンドのボーカルの方が亡くなってしまいました。「その方のライブを一生見れないんだ」と思うと、「なぜあのとき、チケットを持っていたのに無駄にしちゃったんだろう」とものすごく後悔しました。 それからというもの、やりたいことはすべてやるし、会いたい人にはすべて会いに行こうと決めたのです。大学生になってからも積極的に行動していたら、そこから広がる世界もあって楽しくて、どんどん活動的になっていきましたね。   ロックDJとして全国を駆け回る ー行動力をもった大学生活で、印象的な出来事があればお聞かせください。 大学1年から始めたロックDJ活動が印象に残っていますね。 ロックDJ界隈は男社会・年功序列社会という風潮も一部あって、当時18歳の私はナメられることがよくあったのですが、今では北海道から福岡までいろんなところからお声がけしてもらえるようになりました。 ーなぜロックDJに興味を持ったのでしょうか? 中学生の頃からロックバンドが好きで、当時ライブ先で友達になった子に、大学1年生のタイミングで「DJやってみない?」と誘われたのがきっかけです。 「ちょっと気になるからやってみよう」と軽いノリで始めたのですが、周りがどんどん辞めていく中で私はどんどんのめり込んでいって、今に至ります。 ー当時ナメられることがあったということですが、具体的にどんな出来事があったのか教えてください。 ライブハウスではお酒を酌み交わすことが多くて、ある日演者みんなで乾杯しようというときに、1人の共演者の方が「女がいるから乾杯しない」と言いだしたときがありました。 モヤモヤした気持ちはあったもののそれでもDJ活動を続けてこれたのは、可愛がってくれたり、応援してくれたりする方々の優しさを無下にしたくなかったからです。 ものすごく悔しかったので、足繁くいろんなイベントに通いましたね。   シェアハウスで学んだ「人を受け入れる力」の大事さ ー大学時代、ロックDJとしての活動以外で取り組まれていたことはありますか? 大学生の頃から、家を持たないアドレスホッパーとして生活することになりました。 長期インターン先で月の半分ほど出張することが多く、旅行好きで月の数日間は旅行していたので家賃がもったいないと思い、ゲストハウスやホテル、シェアハウスで暮らすことにしたのです。 ーシェアハウスでの生活はいかがでしたか? 23歳から25歳の間で合計3か所のシェアハウスに住んだのですが、どこに住んでいても入居者との距離が近かったです。 基本的にプライベートはなくて、ごみ捨てなどで揉めることもある一方で、具合が悪いときは助け合ったり、ご飯をシェアしたりするなど、プラスのことの方が多かったですね。 実はお仕事でご一緒させていただいた方から、シェアハウスを立ち上げる機会もいただいたのです。 ー森さんが立ち上げたシェアハウスはどのようなコミュニティが広がっているのか教えてください。 誰でもウェルカムな雰囲気で、多様性が溢れています。帰ってきたら知らない方がいるのが当たり前の生活ですね。 ーシェアハウスで生活されて、学びや気づきはありましたか? 「本当にいろんな方がいるな」というのが1番の気づきです。自分と合う人もいれば合わない人もいて、合わない方でもすべて受け入れて上手く付き合っていく必要があるということを学びました。   株式会社ジースタイラスで「とりあえずやってみよう」精神に ー大学時代に長期インターンをされていたということですが、長期インターンを始めたきっかけを教えてください。 就活イベントで長期インターンを始めたばかりの会社に、「長期インターンを1年間やってみないか」と偶然誘われたのがきっかけです。それまで考えたこともなかったのですが、「せっかく誘っていただいたし、やってみるか」と思い、挑戦することにしました。 ー行動力がありますね。長期インターンをしてみて、どうでしたか? 最初の数カ月は、香川県で就活イベントを立ち上げるプロジェクトを任せていただきました。ものすごく大変でしたが、達成できたことで自信につながりましたね。 ー結果的に、長期インターンをして良かったと思いますか? 私は良かったと思っています。就職活動でみんな「どの会社がいいんだろう」と考えるじゃないですか。でも自分で考えたり、周りから聞いたりして得られる情報には限界があると思っていて。 学生はバイト以外で働いた経験がないがゆえに、自分の適性について考え切れずに就職してしまい、実際に働いてみると現実と理想のギャップが生まれて悩む子が多い印象です。長期インターンをすることでそこのギャップは一部埋められると思うので、そういう観点では長期インターンをして良かったと思っています。 ー森さんの就職活動についてお聞かせください。 実は、長期インターンで働いていた株式会社ジースタイラスにそのまま入社したのです。「生き生きと人生を過ごしている人を広めたい」という自分のビジョンを達成するための1つの手段として、ジースタイラスが運営している新卒採用イベント「逆求人フェスティバル」を広げていきたいと考え、就職することを決めました。 ー入社後、学んだことはありますか? 最初の1年半はキャリアアドバイザーとして、その後の1年半は法人営業として働き、「仕事を仕事として割り切るのではなく、結局は人と人との付き合いだ」ということを学びました。今週末も来週も、元クライアントの方と飲みに行きます。今でも関われる方が増えましたね。 あと、「とりあえずやってみることが大事だ」というマインドセットを手に入れました。香川県でイベントを立ち上げる経験を経て、頑張ればゼロイチで立ち上げることができることを知りましたし、タイでのリモートワークを経験して「無理だと思うことでも、発信をすれば叶うこともある」ことも知りました。 ータイでリモートワークをされてたのですね! 約1年前に、タイにあるプログラミングスクールに通いながら1か月間リモートで仕事をさせていただきました。タイへ行くタイミングでジースタイラスの社長に、「正社員から業務委託に切り替えたい」というお話をすると、「正社員のままやってみて良いんじゃない」と提案をもらったのです。 とりあえず言ってみたら何とかなりましたし、ありがたいことにクライアントの方々にも面白がっていただけました。それから、とりあえずやってみるべきだというスタンスに変わりましたね。   「こうあるべき」にとらわれず、ワクワクを追い求め続ける ーとりあえずやってみて、上手くいかなかった経験はありますか? もちろん想定より上手くいかなかったことはありますが、上手くいかなかったということがわかったので良い経験だったという捉え方をしています。経験自体が価値ですし、再度チャレンジするときに成功確率が上がるというプラスの面もありますよね。 「上手くいかないとしても、まずは行動してみる」ことが、人生で大切にしている価値観です。 ー行動したいけど、一歩踏み出せない方はどうすれば良いでしょう? 普段もよく聞かれるのですが、相談されたときはいつも3つのことを伝えています。 1つ目は、本当にやりたいのかどうかです。やりたくてもやっていないということは、心からワクワクしていない可能性がありますよね。 2つ目は、1歩踏み出すには勇気が必要ということです。勇気はなかなか出るものではなくて、成功体験を積み重ねることで自信が生まれ、その自信が勇気につながるので、まずは小さなことでもいいから成功体験を積んでいくよう伝えています。 3つ目は、心理的安全性が大事ということです。自分の心理的安全を確保できる環境や人がいれば、そこに身を置けばいいですし、もし見つからなければ色々な場所や環境を探してみると良いと思います。 ー森さんが、心理的安全性を築くために意識していることがあれば教えてください。 人と話すときに、本音をぶつけるよう意識しています。初対面の方には必ず最初に自己紹介をするのですが、そのときに失敗経験を伝えると、身近に感じてもらえることがありますね。 ーまずは自分からオープンになることが大事なのですね。森さんはご自身がワクワクするものを追い求め、行動し続けていると思いますが、自分がワクワクするもの・好きなものがわからない方はどうすれば良いでしょう? 日常生活の中で、自分の心に沿って生活していることもあると思うので、時間があれば1日の行動を振り返ってみると良いと思います。「何でこういう行動をしたのだろう?」と考えることで、自分がプラスに思っていることを見つける方法がおすすめです。 ー行動は一番正直ですよね。 昔上司に、「全て言霊だから、やりたいことがないって言わない方がいいよ」と言われたことがあって、当時はイメージできなかったですが、最近はまさにその通りだと思います。 まずは「やりたいことがない」と言わないようにすること。あと、やりたいことがないときに考えてもしょうがないので、その時にできることをやってみれば、世界も考えも広がって自然とやりたいことが出てくると思います。 ー「こうしなければいけない」という発想が自分を苦しめてる場合が多いですよね。 こうあるべきだという固定観念にとらわれず、ぜひおおらかな気持ちで構えてみてください! ーやりたいことに取り組み、自分らしく生きている森さんは生き生きしてますね!森さんの今後のご活躍を応援しています。本日はありがとうございました。   取材者:武海夢(Facebook) 執筆者:Moriharu(Twitter) デザイン:五十嵐有沙(Twitter)

「社会貢献のチャンス」と起業ゼミに参加。投資金額200万円を獲得した中学生起業家・堀内文翔の力量に迫る

起業すれば、自分にも社会貢献のチャンスが生まれる――そう考え、飲食店の売上向上と食品ロス削減のための「リアルタイムクーポンアプリ」を創り出したのは、ドルトン東京学園中等部3年生の堀内文翔(ほりうち・あやと)さんです。 2019年に設立されたドルトン東京学園では、ガイアックスのスタートアップスタジオと手を組んで「ガイアックス特別ラボ起業ゼミ」を開講。その中でアイデアをピッチした生徒のうち、堀内さんが200万円という投資金額を手にしました。 どのようなきっかけでサービスを思いついたのか、なぜ堀内さんのアイデアが200万円を獲得できたのか、そして将来にどのようなビジョンを持っているのか。ユニークキャリアラウンジ特別編として、堀内さんと、ガイアックス スタートアップスタジオ責任者の佐々木氏、ドルトン東京学園の木之下先生にお話を伺いました。   家族で通う飲食店の食品ロスをなくすため、クーポンアプリを開発 ――堀内さんが考えた「リアルタイムクーポンアプリ」とは、どのようなサービスですか? 堀内さん:居酒屋やカフェなどの飲食店が、必要なタイミングですぐにクーポンを作って即発行できるアプリです。一般的なクーポンは、多くのお客様にお店に来てもらうため、1ヶ月など長い期限を設けて発行します。しかしリアルタイムクーポンは「客足が減ったときの食品ロスをなくすため」に発行するものなので、発行してから1〜2時間だけ有効なのが特徴です。 ――食品ロスにも目を付けたのが素晴らしいと思います。アイデアを思いついたきっかけは何だったんでしょうか? 堀内さん:家族でよく行く「絆(きずな)」というお店で、客足に波があると気付いたことがきっかけでした。タイミングによっては私たち以外に誰もいなかったり、逆に満席ですごく混んでいたりするんです。 そのお店は、余った食べ物を常連客に無料で提供してくれることがあったんですが、本来は売上を上げたいはず。客足が少ないからと売上が減り、食品も無駄になってしまう点に課題を感じ、それを解決したいと考えました。 そして、「処分するくらいならセール価格でも売りたい」と考えるお店側と、「セールをしているなら食べに行こう」と考えるお客側、両者のニーズを満たせるものがあればいいのではないかと考え、このアプリを思いついたんです。 ――起業ゼミに入ってすぐにアイデアを思いついたんですか? 堀内さん:いえ、アイデアを思いついたのは検討期間の締め切りギリギリでした。他に3つのアイデアを考えていたものの、どれもイマイチですごく悩んでいました。それでやっと「リアルタイムクーポンアプリ」を思いついたんです。検証費用の5万円を獲得してMVP(最小限のプロダクト)を作り始めてからは、すごくワクワクしながら進めていきました。 ――「リアルタイムクーポンアプリ」はすでに多摩市内の数店舗に導入されているということですが、実際に使われているんでしょうか? 堀内さん:アプリのきっかけとなった「絆」では、すでに常連さんがクーポンを使ってくれています。「お店に食品が余って困っているなら助けに行きたい」と、クーポン発行後すぐにお店へ行ってくれたそうです。今はまだお店に対してユーザー数が少ないので即効性はないものの、お店の役に立つ使い方がされていて嬉しいです。 ――アイデアを形にするまでに苦労した点はどこでしょうか? 堀内さん:クーポンを発行するお店と、アプリを使ってくれるユーザーを増やすことに、開発中も今も苦労しています。「リアルタイムクーポンアプリ」では、非常に短い期間のクーポンしか発行されないので、クーポンが発行されていないタイミングが生まれやすいんです。そうすると、ユーザーも使うのを諦めてしまいます。 ユーザー数が少ないと、お店側は「クーポンを出してもお客様が来てくれない」となってしまいます。この状況を解決するために、お店とユーザーを増やしていかなければなりません。 ――課題を解決するために、今後どのような取り組みをしていく予定ですか? 堀内さん:お店の数を増やすために、多摩市経済観光課と多摩市活性化サポーターによる「たましめし応援隊」という団体と手を組み、お店を紹介してもらっています。お互いに「多摩市の飲食店を助けたい」という思いがあるので、一緒に活動を拡大していけたらと思っています。また、起業ゼミで投資してもらうことになった200万円はユーザー獲得のために使いたいです。   「巻き込み力」に成功を確信し、200万円の投資を決断 ――「ガイアックス特別ラボ起業ゼミ」で、堀内さんに投資を決めた理由は何ですか? 佐々木さん:16名の参加者のうち、最も動きが良く、唯一成果を生み出せたのが堀内さんだったからです。勉強や部活で忙しい中学校生活の中、自分で時間をコントロールして事業アイデア出しから事業検証まで積極的に取り組めていた点は、私たちの期待以上でした。 加えて、堀内さんは周りの大人を頼るのがすごく上手なんです。担当メンターやご両親、お店の方など、ステークホルダーをどんどん巻き込んで影響の輪を広げていました。仮に今回のビジネスモデルが上手くいかなかったとしても、彼の巻き込み力をもってすれば、今後必ず成功します。そう確信を持てたので、200万円投資することを決めました。 ――周りの大人を巻き込むことは、堀内さん自身も意識されていたんでしょうか? 堀内さん:そうですね。「起業ゼミ」という普通では得られない環境にいるからこそ、課題にぶつかったときは自分一人で悩まず、周りの大人の方に頼って進めることを心掛けていました。 ――周りに頼れることは、これからも重要になってくる力ですね。堀内さんはもともと起業に興味があったんですか? 堀内さん:いえ、はじめは「起業」の言葉の意味もよく分かっていませんでした。だからこそ興味が湧いて、起業ゼミの説明会を聞くことにしたんです。起業について話を聞くうちに、「自分にも社会貢献できるチャンスある」と感じました。また、起業は何歳からでもできると聞いて挑戦してみることにしました。   起業ゼミは単発イベントで終わらせず「ムーブメント」にしたい ――学校側から見て、今回の堀内さんの活動はどうでした? 木之下先生:彼にはレジリエンスがあると感じました。もしくは、起業ゼミを通して身につけたのかもしれません。事業検証を進める中で、上手くいかないことや壁にぶつかることは、参加者全員が経験しています。その中で、アイデアを形にするところまでやり抜けたのは彼だけ。彼のレジリエンスが、出資を獲得できるかどうかの差だったと思います。 また彼が出資を獲得したことは、周りの生徒にも大きな影響をもたらしました。事業検証が停滞していたグループや他の参加者のモチベーションが一気に高まったのです。彼のおかげで、今後の起業ゼミの流れも変わっていく気がしています。 ――「堀内さんに続きたい」と思う生徒さんは多いでしょうね。そもそも、堀内さんがドルトン東京学園に入学することを決めた理由は何ですか? 堀内さん:「新しい学校の一期生になる」ということにワクワクを感じたからです。もともと親の勧めで中学受験をすることにしていたのですが、通っていた塾で見かけた雑誌にドルトン東京学園開校の記事が載っていました。それを読んで、「もし入学したら一期生になるのか」と入学後の生活を想像し、自分たちで学校を作っていくことに魅力を感じたんです。 ――入学前のイメージと比較して、入学後の生活はどうですか? 堀内さん:想像していた生活と違うな、と感じることが結構あります。入学前はただ「楽しい」イメージだったんですが、実際は自分たちで一から作っていくことにプレッシャーを感じることも多くありました。 小学校までの生活とは全く違って、新しいことにどんどんチャレンジできるのも、想像以上でした。それも徐々に慣れて、今は楽しめるようになったと感じています。 ――堀内さんの、今後のビジョンを教えてください。 堀内さん:まずは「リアルタイムクーポンアプリ」を活性化させるために、登録店舗とユーザーを増やしていきたいです。また、今回の経験を活かして今後もさまざまなアイデアを生み出していきたいと思っています。起業家は、将来の夢のひとつです。 ――堀内さんのアイデアで社会がどう変わっていくのか、これからが楽しみですね。 木之下先生:起業に関する取り組みは、「企業側の問いに学生が答えるプレゼン」という形の単発のイベントとして終わりがちです。しかし、私たちドルトン東京学園と佐々木さんは、「実社会と繋がる」ことに重点を置くことで意気投合しました。 起業ゼミは、夏休みの特別授業などではなく、カリキュラムの一つとして自由に入っていけるよう常設されています。学校がコワーキングスペースになっているイメージです。今後は、ガイアックスさんをフラッグシップ企業として、また私たちをフラッグシップ校として、コンソーシアムのようなものをつくれたらと思っています。 佐々木さん:私たちガイアックス側も、ドルトン東京学園さんと同じ気持ちで取り組んでいます。弊社が運営する「スタートアップスタジオ」では、スタジオ側が中学生以上の方にゼロから伴走して仲間集めまでサポートしています。一般的な親子起業と異なり、会社が支援して中学生と一緒に企業する仕組みです。 ご両親の資金援助ではない形で起業する取り組みは、日本でも非常に珍しいはず。これはスタートアップスタジオだからこそできることだと自負しています。 ――学校という枠を取り払ってコワーキングスペースのように仕事ができるというのは、非常にユニークな取り組みですよね。起業ゼミから未来の起業家がたくさん生まれることを期待しています。こちらまでワクワクするようなお話、ありがとうございました!   取材:西村 創一朗(Twitter) 文:矢野 由起

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