日常の積み重ねがよりよい社会になる。暮らしを灯すデザイナー・原田馨子が毎日の暮らしを大切にする理由

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第334回目となる今回は、暮らしを灯すデザイナーの原田馨子(はらだかおるこ)さんです。 暮らしが少しでも楽しくなるデザインをコンセプトに、大学生とデザイナーを両立する原田さん。ランドスケープ的思考やフェミニズムを研究しながら、日常や暮らしを見つめる彼女が大切にする核の部分に迫ります。   人とのつながりやプロジェクト経験が大きな一歩に ーまず最初に、自己紹介をお願いします。 慶應義塾大学の総合政策学部で学びながら、暮らしを灯すデザイナーとして、デザインを中心に毎日の暮らしが楽しくなるようなデザインを制作しています。 メインの活動としては、大学の友人と2人で、ほっと一息つく場をつくる「キッチンカーあったまる」のプロジェクトを立ち上げました。そのほかにも友人のプロジェクトにデザインや企画面で携わっています。 ー「暮らしを灯す」とは、どのような想いをデザインに反映しているのですか? 暮らしというと「衣住食」が中心で、身のまわりや日常に根付いているものです。人々の暮らしが少しでも楽しくなってほしい。人からもらった贈り物のパッケージが可愛いと幸せな気持ちになるように、そういう積み重ねが実は楽しい毎日につながっているのだと思います。 ー大学で2つの研究会に所属しているとお聞きました。どういった研究会に所属しているのかと、入ったきっかけを教えてください。 ランドスケープ的思考を専攻する研究会と、人文学系の研究会の2つに所属しています。 最初に所属したランドスケープの研究会では、研究会のなかでいくつかプロジェクトがあります。研究会でいろんなプロジェクトに挑戦していくうちに、自分がデザインを使ってなにをしたいのかわかってくるのではないかと思ったことがきっかけです。 人文学系の研究会はデザインとは別で、日常的にフェミニズムに関心が出てきたので、フェミニズムについて研究したくて入りました。 ーご自身の興味を行動につなげて、研究されているところが素敵ですね。高校時代はどのような生活をおくっていましたか? バトミントン部で、普通の高校生という表現がぴったりな学校生活でした。特に思春期だったこともあり、あまり楽しめないと感じていたように思います。 もちろん楽しいこともありましたが、今振り返ると縛られていた感じがしますね。 ーその後はAO入試を受けて、慶應義塾大学へ進学されたと伺いました。どういった経緯で進路を決めましたか? 推薦入試を考えていたのでAO入試対策に特化した塾に通い、そこで憧れの先輩に出会いました。その先輩が私には、芯がしっかりして、自分がやろうと思ったことに飛び込んでチャレンジができ、しかもそのチャレンジを続けられる人だと感じられました。クラスと部活動という狭いコミュニティにいた高校生の自分から見ると、外の世界で活動する先輩が素敵で、先輩のような大学生になりたい気持ちが芽生えました。 「自分もこんな人になれるのかもしれない」と希望を抱くことができたので、先輩と同じ大学に行こうと決めました。 ー希望の大学に入学されてから、大学生活はいかがですか? 過ごしやすい大学生活だと思います。中高時代の自分に比べたら、少しずつ自分を認められるようになり、昔から責任感が強くて抱え込むところがあったけど、分担して人に共有できるようになってきました。少しずついい方向に変化している感覚があります。 あと、私の悩みに付き合ってくれる友人が多いですね。深掘りにとことん付き合ってくれて、物事にきちんと向き合うことをコンスタントに続けられています。深い話ができる友人と出会えてよかったです。 ー「キッチンカーあったまる」のプロジェクトはいつ頃、どのようなきっかけで始められたのですか? 構想を始めたのはかなり早くて、大学に入って1週間経ったくらいですね。今一緒にやっている相棒と出会う前から、お互いキッチンカーをやりたいと周りに話していたんです。それを共通の友人がつなげてくれて、そこから一緒にプロジェクトを始めました。 実は私たちの前に、大学内でキッチンカーを出していた方がいて、その方にお会いする機会があったんです。人がキッチンカーカフェの前に集まって、おしゃべりするシーンを目撃して、自分でもやってみたくなったんですよね。人とのつながりを大事にしている姿勢が素敵でした。私も人とのつながりに興味があったので、そのような場を提供したいと思いました。 ーいつ頃から人とのつながりに興味を持ったのですか? 自覚したのは割と最近ですね。でも中高時代に居づらさや窮屈さを感じていたので、ないものねだりじゃないけど、そういう面でより一層つながりに興味が出てきたんだと思います。 自分にとって居心地のいいところというか、自分も相手も無理せず素直にフラットでいれる場所があるんじゃないかなと思っていて。このコミュニティではうまくいかなくても、きっと別のところがあるかもしれないし、コミュニティに属さない方がフラットにいれる人もいると思います。 ープロジェクトを始めたことで得た学びや、原田さんのなかにあった内面の変化について教えてください。 実際に手を動かすことで、デザインに興味が出てきました。あとは、思ったよりもいろんな人に助けられてプロジェクトが進んでいますね。例えば、研究会の先生や大学周辺の地域で飲食店を営んでいる方、それこそキッチンカーに来てくれる友達が応援してくれて、そういう人の支えがある関係性の中で私たちはキッチンカーをやっているんだと実感しました。   デザインは、なにかを実現するための手段 ー実際やってみて動いたからこそ、人の支えや関係性を実感できたのですね。デザインは未経験だったそうですが、大変ではなかったですか? そうですね。デザインはやったことがなかったので、少しずつ独学で勉強しながら勉強を兼ねて制作しました。 デザインに興味があることを周りに伝えたら、「やってみたらいいじゃん」と後押しをしてくれる友人や、デザインしたものに対して褒めてくれる人が多かったんです。肯定的な楽しい循環からスタートしたので、それがとてもよかったですね。続けられる一つの要因だった気がします。 ーそのあとは、インターン先でもデザインに関わったとお聞きしました。 本格的にデザインの勉強をするにあたって、社会でデザインを仕事にするにはどれくらいのスキルが必要なのか知りたかったんです。未経験のデザイナーでも受け入れてくれたインターン先で働きましたが、かなりのハードワークで、デザインを生業にすることの厳しさを知りました。 最初はデザイナーになりたい、デザインで食べていきたいと思っていたけど、インターンで働いてからは、デザインだけではなくてその想いやコンセプトを考えるところにも関心を持つようになりました。 私はものづくりがしたいというよりも、なにかのツールとしてデザインを役立てたいんじゃないかと気づいたんです。インターン先で得たスキルは、もちろん今でもかなり役立ってるし、それに助けられることも多くあります。 でもデザイン一本ではなくて、デザインがツールになるような方向に行きたいと思い、自分が何をしたいのかを考え始めました。 ーインターン経験を通して、なにをデザインしたいのか考えるきっかけになったんですね。具体的にどういうものをデザインしたいのか見つかりましたか? なにをデザインしたいのかは、今も探している途中です。 デザイナーになりたかったときは、自分の外側に自分を探していた気がします。何者かになりたくて、だからデザイナーのような肩書きがほしかった。今の自分ではない自分にならなきゃという気持ちがあって、外側に追い求めていたんです。でも、自分はなにをやりたいのか、自分はなにが好きかを考えるうちに、考えが自分の内側に寄ってきた。何者かになるより、自分に立ち戻って自分を深めていく作業に変わってきた感じがあります。答えは出ていないけど、目標を決めて動くより、さまざまな経験をしたのちに振り返ると「実はこういうことがしたかったのかな」という形の方向に寄っている気がします。 ー逆算ではなく、今の原田さんがやりたいと思った興味関心に沿って、いろんな行動を起こしていくイメージですか? そうですね。あとは、あまり興味がなかったけど、履修してみた授業がよかったこともあるし、偶然参加したプロジェクトでいいことが起きる出来事もあれば、逆にこれが嫌だとわかることもあると思います。そこから将来について考えることができたり、自分にとって楽しいと思えたりするのかもしれないですね。   自分自身と向き合い続けて見えてきたもの ーインターンをやめてからは、どのように過ごしていましたか? 実はインターンをやめようと思ったときに、デザイン以外の分野を勉強して、その分野にデザインを応用できたらいいなと感じていました。 ただその分野がなにかわからず、とりあえず時間ができたので学校の授業を受けて、ひたすら人に聞いたおすすめの本を読むことをしていましたね。環境問題を自分で勉強したり、フェミニズムの本を読んでみたり、西洋美術史を勉強したり、自分がおもしろそうと思ったことや、友人の興味分野をのぞいてみました。 そのなかで、身近に問題意識を持つものがあって、その中の一つがフェミニズムです。 ーフェミニズムのどういったところが、当事者意識をもつようになったのですか? 『82年生まれ、キム・ジヨン』で、主人公のキム・ジヨンは、夫と自分で賃金を比較すると自分の方が低いから、働きたいのに育休をとらざるをえないシーンがあります。それを読んだときに、自分が将来働いて結婚してからも遭遇する可能性があると感じました。 それまであまり意識したことはなかったけど、実はまだ女の子だからとか、むしろ逆で男の子だからみたいな理由でバイアスがかかって、生きづらいことがあると思います。 あの小説がきっかけで、問題意識や当事者意識につながったのかもしれないですね。他人事じゃないと明白に思ったのを覚えています。自分ごとになった瞬間でした。 いろんな本を読んでみると、当たり前だけど現在進行形の問題が多いんです。勉強していると辛いこともたくさんあって目を背けたくなる。それでも背けちゃいけない問題だと思ったから、研究にすることで昇華できることがあると思いました。 自分の問題意識を研究にすることで、背け続けるんじゃなくて向き合い続けることを選びたいと思い、研究室に入ることを決めました。 ー研究テーマにすることで、ある程度距離感がうまくできるので、向き合いながら客観視できるのかもしれないですね。 そうだと思います。研究の場になることで、人と話しやすくなりましたね。日常生活でフェミニズムの問題を話しても、「敏感すぎる」「繊細すぎる」と言った反応がかえってくることもあります。だけどプライベートでなく、研究テーマとして発表すると、フェミニズムに精通した教授がいて、自分の考えを深く掘り下げてもらえるし、それに対してのフィードバックが実りあるものになる気がしています。 ー大学2年生に進級されてから、コロナで学校生活や授業、研究など環境が大きく変わったと思います。デザイナーの活動も含めて、どういうふうに生活が変化しましたか? 私は忙しい状態が好きというか、研究会やインターンもして、あまり自分と向き合うことや考える暇が本当にない生活を送っていました。自粛期間になったことで忙しさが少し減って、移動がない分、忙殺された日々から急にぽかんとした時間があって、いやでも自分のことを考えてしまう時期でした。でもそれが、今となってはよかったのかなと思います。 それまでは目の前にあるものをこなすことに必死すぎて、自分はなにが好きなのか、逆に怒っていることはなにかといったことに鈍かったですね。仕事をこなすことに精一杯になりすぎて、あまり日常や暮らしが見えていなかった。でも私は日常や暮らしをとても大事にしたいタイプだと気づいて、そこから自分で自分の機嫌をとるにはどうしたらいいのか、なぜ自分が落ち込んでいるのか、なにがストレスなのかを考えられました。 ーご自身と向き合ったことで、「暮らしを灯すデザイナー」に辿り着いたのでしょうか? そうですね。「暮らし」というものが実は自分と地続きで、日常をちょっと楽しくしたいということとつながったところにあるんですよね。そこでちょっとしたハッピーをつくるためのデザインができたらいいなと思い始めて、今は「暮らしを灯すデザイナー」でありたいです。 ー日常にハッピーをもたらせるデザインをするために、どのようなことを意識してデザインをされていますか? ケースバイケースですが、デザインは割と合理的なところがあるんですよね。自分がこうしたいといったセンス的な部分より、依頼してくださった人がどういったデザインにしたいかや、どのような人に伝えたいかを、ちゃんと聞いて汲み取れるようにしています。自分の好きなデザインというより、相手が大事にしていることを一緒に大事にできるデザインがいいと思っていますね。想いを汲み取り、それを形にできるデザインをしていきたいです。 ー「キッチンカーあったまる」のほかに、今までどういったプロジェクトに参加されましたか? 友達のWebサイトやポストカードの制作、研究会で展示会のデザインを担当させてもらったこともあります。ありがたいことに、周りも活動的な人が多い環境なので、やりたいことがあるからデザイン面で協力してほしいと言ってくれる人がいて、そこに参加する形が多いですね。 お声がけされたら、基本的に断らないようにしています。自分の興味軸だけで活動すると範囲が狭まってしまうのもあるし、純粋に声をかけてもらえたら嬉しい。そこからつながるご縁や発見があると思うので、あまり選ばないようにしています。声をかけてもらったら、苦手な分野だったとしても、相手と一緒に作っていきたいです。   自分の中にある核を大事に、日常や暮らしを見つめていく ー原田さんが日々の暮らしで気遣っていることはありますか? 暮らしや日常の積み重ねに私たちがあって、その私たちの積み重ねで社会全体があることを、フェミニズムについて学ぶなかでより強く実感するようになりました。 傷ついている人やこの問題で困っている人がいる話をニュースで聞くけど、どこか他人事になってしまうことが多い。それでも目の前で転んでいる人がいたら、手を差し伸べてあげるように、身のまわりの人への想像力や心遣いの積み重ねが日常にあって、その日常や暮らしの積み重ねで、きっといろんな人が住みやすい社会にできるんじゃないかなと思います。 社会を変えようというのも素敵な心意気だと思いますが、今の自分にはしっくりこないんですよね。社会の前に、恋人や友達、知り合いなど自分の半径1メートルくらいの手が届く範囲の人に対して想像する心遣いや優しさがあるから、当事者意識が持てるのではないかと思います。だから、そういう意味でも暮らしを大切にしたい。日常や暮らしのフィールドを見つめることは大事ですね。 ー「日常を大切にして自分を見つめ直す時間」と、「対外的に頑張って何かを成し遂げるための行動」の両立は難しいという意見もあるかもしれません。それに対して、原田さんはどう思われますか? 「自分の中の小さな自分が伝えてくることを大事にする」。 友人から言われた、今でも大事にしている言葉です。 目の前のやるべきことに追われていると、なりたい自分はなにか見えなくなるけど、絶対これだけは譲れない大事にしたいことが実は誰にでも一つはあるんじゃないかと思っています。 私にも譲れない軸があると気づいたんです。それを大事にすることさえ守っていれば、対外的に頑張ることと、自分を大事にすることのバランスがどうあってもいいと思います。 自分を大事にしたいけど、今ここは踏ん張りどころだと思ったら私もよく夜更かしするし、食事もおざなりになります。でも結局は自分の軸は大事にしているから、自分に対して許せるようになりました。 ー今後、原田さんがやっていきたいことやビジョンを教えてください。 進路は迷っていますが、フェミニズムや自分が関心をもった領域に対して、考え続けていきたいです。そこにあわよくばデザインが混ざりあって、自分も含めて問題意識がある人だけではなく、誰かに寄り添えるデザインをしたいですね。私の場合、「やさしい人でありたい」というのが自分の中にあって、それだけは離さずにこの先も進んでいけたらいいなと思います。 取材:中原 瑞彩 執筆:スナミ アキナ(Twitter/note) デザイン:五十嵐 有沙(Twitter)

YouTubeチャンネル登録者数10万人に至るまで!堀口英剛さんの物事の考え方に迫る

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。今回は株式会社ドリップCEOとして活躍する傍ら、ご自身のYouTubeチャンネルでも積極的に活動されている堀口英剛さんです。  小さい頃からモノを集めるのが好きだったという根っからのモノ好き堀口さんですが、現在のインフルエンサーとしての活躍に至るまでの経験や考え方について、今回は伺いました。   YouTubeの面白いところは、双方向のやりとりにある ー簡単に自己紹介をお願いします。  堀口英剛と申します。今年30歳になるのでアンダー29ギリギリの歳です。株式会社ドリップという会社を経営しており、私を含めた様々なインフルエンサーさんとモノづくりをしている会社さんを繋ぎ、新しい発想と確かな技術を元にして今までに無かった製品や長く愛されるような製品を皆様に届けるお手伝いをしています。  それと並行して、「monograph」というYouTubeチャンネルを持っており、暮らしに関するお話や新しい電化製品やガジェットなどを紹介しています。自分の好きなものを発信する活動は、大学2年生から続けているので10年ほどやっていますね。初めは、ブログでテキストと写真を組み合わせての発信を始め、去年頃からYouTubeへ移行しました。本業で会社をやりつつ、複業としてYouTubeでの活動をしています。   ーまだYouTubeは始めて2年ほどなのですね。  はい。私の場合、ブログでの発信経験があったので立ち上がりも順調でした。始めてからの伸びが早いのがYouTubeの良いところではないでしょうか。ある程度コンセプトや質がしっかりしていれば、YouTube側が勝手に集客してくれます。コアな層にはブログ時代にアプローチできていたのですが、より広いマス層にYouTubeを通して知ってもらえたと感じています。  ブログでは物撮りが多かったので基本的に顔出しをしていなかったのですが、YouTubeでは顔出しが基本なので、街で声をかけられることが増えました。顔だけでなく声で気づいていただくことも多く、動画だと五感を通してコミュニケーションが取れるので面白いです。   ー他のSNSではなく、YouTubeならではの面白さなどはありますか?  沢山ありますが、双方向のやりとりができるのは面白いです。ブログの頃は読者からの反応を知れる機会は多くはありませんでした。しかしYouTubeではチャンネル登録機能や、コメント機能によって段違いに反応をいただく数が増えたので、それがやりがいに繋がっています。  また、YouTubeの方が分析機能も充実していますね。例えば直近であげた10本の動画のうちどれがどのような層に人気なのか、などを事細かに教えてくれるんです。そしてその分析を踏まえて改善していくと確実に再生数も伸びていくので、ゲーム感覚で楽しめます。   ーどのような比率で本業と複業をおこなっていますか。  本業:複業が、5:5か6:4くらいですね。時間でいうと圧倒的に本業の方が長く働いていて、朝や夜の空き時間にYouTube用の動画撮影や編集などを行なっています。合間の時間にYouTubeをしているような感じです。   自分のペースでも、やることをしっかりとやっていれば結果は自ずとついてくると気付いた学生時代 ー幼少期はどんな子どもでしたか。  思えば、小さい頃から好みの本質は変わっていなくて、物を集めたり何かを作ることが好きでした。小さい頃の夢は発明家でした。昔は機関車トーマスや魚、今は植物を集めてみたりと、その時々で興味のあるものを収集する癖は変わりません。  モノづくりと言っても、かかと部分が無いダイエット効果が期待できるスリッパのような今までにない新しいアイデアの製品を作るのが夢でした。今のお仕事では新しいアイデアを持った人と物を作ることが出来ているので、夢が叶った部分もあります。   ー小学生の頃は、剣道をされていたとか。  はい。剣道は何となくで始めました。当時はとても楽しかったのですが、いま思うと剣道は大人になってからの使い所が無いなと思っています。学生時代に球技などにハマっていたら、もう少しスポーツを続けていくことへのハードルが低かったのかなとも思います。  もちろん、剣道をやっていて良かったなと思うことはあります。剣道は基本的に1対1の個人戦なのですが、決勝へ勝ち進んだときに沢山の人から注目される場面で声を出して緊張に打ち勝ちながら力を発揮して相手を倒すという経験から、人前で何かをしたり話すことへの場慣れが出来たと感じています。チーム競技ではなく個人競技ならでは、周りから注目されることへの耐性が付いた気がします。   ーその力に気付けているということも素敵ですね。そのまま剣道を続けていたのですか?  いえ。高校は男子校に通っていて、チームで何かをやりたいなと思ったので吹奏楽を始めました。当時通っていた高校の吹奏楽部がとてもかっこよく見えたからです。楽器であれば今後の長い人生で続けていけることや、音楽は生活の中にも取り入れることが出来ることなどが選んだ理由にありますね。本当に楽しかったです、まさに青春でした。   ーちょうどこの頃に自分のペースを掴むことを学んだとお伺いしています。  当時通っていた高校が「自主自立」を大事にしていたので、制服も校則もなく、全てが自己責任の学校でした。当時、私は朝にすごく弱かったので昼から登校して、出席しなかった分は自分で勉強して補っていました。その時に、型にハマらずともやることさえしっかりやっていれば結果も出るし、認められることを学びました。おかげで、社会人になってからも自分のペースで仕事や生活が出来ています。   ー周りに流されないようにするコツはありますか。  やることをやっていないと、他のことを心から楽しめていないと気付けるかは重要かもしれません。「あれをやらなきゃ、これをやらなきゃ」と気にしている時間が勿体無いので、気になる前にさっさと終わらせてしまえば、効率も生産性も上がって一石二鳥です。   大切なのは、こなす量と継続すること ーその後、大学へ進学されて、ブログを始められたんですね。始めるきっかけとは、何だったのでしょう。  そうですね。ここが私のターニングポイントだったと思っているのですが、当時の通学時間が片道2時間半ほどありました。初めの頃は当時流行っていたパズドラをずっとやっていてたのですが極めたら飽きてしまって、何か別のことをしようと思いmixiを始めました。そこで映画や漫画の感想などを発信していたら周りから好評で、友人しか見ることが出来なかったmixiよりも、さらに多くの人に見てもらえるようにとブログを開設しました。とにかく時間があったので、多いときは1日で5記事ほど書いた日もありました。当時は大学の授業を受けつつ書いたりと、とにかくハマって書いていました。   ーネタが切れたりなどは、無かったですか。  元々、ネット上の記事を読むのが好きだったので1日に1000記事くらい普通に読んでいて、そうするとその中で1,2記事は確実に面白い記事があります。その面白い記事の紹介もしていたので、ネタが尽きませんでした。   ーそれぞれのスキルはどうやって磨いていったのですか。  一定のレベルまでは量で補っていました。自分の型を決めて目に見えないような1、2%の改善を重ねて少しずつ質を上げていった結果、自分の色が出てきました。これはスポーツも似ていると感じていて、例えば5球しか投げない時よりも100球を投げ続けた方が一定のレベルまで身体も覚えて改善しやすいですよね。  そこからは、続けることです。ブログやYouTubeの数字が跳ねたのは、全て日々努力を続けた結果に過ぎません。   一歩を踏み出す事が成功への近道 ー新卒での就職先はどのように決めたのですか。  2,3社から内定は頂いていましたが、最終的にYahoo! JAPANに入社を決めました。自分の性格と合っていて働きやすそうだと感じたからです。というのも私は、力を注ぐ一つの軸を持ちつつ他のことにも挑戦してみたくなってしまう性格なので、一社に全身全霊は捧げられないと思ったのです。   ーなるほど、当時からパラレルキャリアを意識されていたんですね。  そうですね。最近は複業OKの会社も増えてきていますが、実際は「業務は通常通りやった上で副業をしてね」という場合がほとんどです。例えば週3出勤がOKであったり、15時の退社が認められるなど、一定の自由が認められなければ本質的に副業OKとは言えないと思っています。その点Yahoo! JAPANは当時から副業に対しての理解があり、柔軟さがありました。   ーその後独立をされてますが、なぜ決断されたのですか。  Yahoo!JAPAN!では、新規事業をやるよりも既存事業で成果を出して親会社のソフトバンクに利益を還元する考えが根本にありました。しかし私は新規事業をやりたかったので、当時人事だった伊藤羊一さんに相談したところ独立を勧められ、起業を決めました。   ー一歩を踏み出すのは怖くなかったですか。  恐怖心はなかったですね。もともと好奇心が強いのもありますが、気になるものがあったらまずやってみる、現状維持よりは新しくチャレンジしてみることが成功への近道だと考えています。私の知り合いでも、「YouTubeってどんな感じなの?」と話だけ聞いてくる人と、面白そうだからやってみた人とどちらもいますが、後者の一歩を踏み出せる人の方が圧倒的に成功している印象です。  よく言われることではありますが、まずは一歩を踏み出してみて、そこで分かったことを元に改善していくやり方の方が最終的に成功する確率は高くなりやすいです。この事を実体験ベースで私は知っていたので、起業する事にためらいはありませんでした。   自分の中のポジティブな感情を大切にする ーどのようにして新しいことに挑戦し続ける原動力を生み出していますか。  自分が楽しいと思えることを意図的に集めて、パワーを出しやすい環境を自ら作るようにしています。例えば私自身は、オススメしたものを友達が気に入ってくれた時にとても楽しいと感じます。なので、仕事にもその要素を取り入れるようにしています。  Yahoo!JAPANで営業をしていた時も、取引先の方に「(当時から好きだった)家電やガジェットについてなら何でも答えられます」と毎回言うようにしていました。その結果、取引先の役員の方とドラム式洗濯機を買いに行ったこともあります。(笑)自分が楽しいと思えることを仕事に付け加えていくことで、自ずと力が出しやすくなり結果として仕事もうまくいく好循環が回り始めます。ぜひ皆さんも、自分が楽しいと感じる要素を見つけ、日常に取り入れてみてはいかがですか。   ー最後に、今後目指す姿や未来について教えていただけますか。  これまでは0→1ベースでメディアや会社をつくる経験をしてきたので、次はそれらを1→100に広げていくフェーズに取り組んでいきたいです。   ーありがとうございました!堀口さんのこれからの活躍を期待しています!! 堀口さんのYouTubeチャンネルはこちら👇 取材者:吉永里美(Twitter/note) 執筆者:たるちゃん デザイナー:五十嵐有沙(Twitter)

学生起業で「キャンプ」と「コーチング」2つの事業を運営!forent代表・塚崎浩平

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第226回目となる今回のゲストは、forent株式会社 代表取締役社長の塚崎浩平さんです。 国立東京高専卒業後、 筑波大学に入学し、サンフランシスコでVRべンチャーの立ち上げ、インドでは現地のべンチャー企業調査を経験してきた塚崎さん。そんな塚崎さんが、起業に至るまでの道のりについて伺いました。 第一志望の高校に落ち、高専に入学 ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。 現在、forent株式会社で2つの事業を運営しています。1つは、法人向けコーチングプラットフォーム『CoachBiz』です。法人企業様と、コーチの資格を持っている方をマッチングさせています。 もう1つは、キャンプ版Airbnb『ExCAMP』です。使われていない土地をキャンプ場として貸し出したり、コテージをキャンプ場として登録いただいたりしています。 ー25歳という若さで会社経営をしている塚崎さんの、幼少期から起業に至るまでのお聞かせください。 高校時代は、5年制の国立東京高専に通っていました。電子工学科だったので、ギークな人が多かったですね。 ー自身で選択して高専へ入学したのですか? 実はもともと、文武両道な公立高校に行きたかったのですが、落ちてしまったんです。当時高専に入学することは考えていなかったので、公立高校に落ちて「どうしよう」とかなり焦りました。 ーそこでなぜ、高専への入学を決めたのでしょうか? 高専は国立大学に編入できるという話を聞き、あまり親に負担をかけないようにするためにも、高専への入学を決めました。 ー実際に入学してみてどうでしたか? もともと行きたかった高校は、スクールカースト上位の子が集まっていましたが、高専は比較的オタクが多かったです。 入学式の時、「入る学校間違えたかな?」と思ったのを今でも覚えていますね。月日が経つにつれて、ハードウェア作りやロボコンなど、普通高校では経験できないことに触れてどんどん楽しくなっていきました。 1冊の本から、マネジメントに魅了される ー部活動は何をしていましたか? 運動は好きでしたし、できるだけ強い部活がいいと思っていたのでテニス部に入部しました。当時、テニス部では全国大会に出場している人もいて、高専の中で1番強かったんですよ。 ー実際に入部してみて、どうでしたか? 高専は5年制なので、15歳から20歳まで年齢層が広いんです。顧問から指示を出されるわけではなく、学生主体で練習を進めていく環境もすごく新鮮でした。 ある日突然、顧問から部長に任命されて。そのときに「これ今流行ってるから」と『もしドラ』を渡されました。 ー1冊の本を手渡され、初めて読んだ時の印象を教えてください。 『もしドラ』は、ドラッカーの考えを知ったうえで、部活動の課題をどう解決していくかを対話形式で進めていく本で。本での学びを部活動に活かせそうだな、と思いました。 先輩方の教えをそのまま活かすやり方ではなく、新しいインプットを得て部活動に活かしていくやり方に気づいたんです。 ー具体的にどのようなことを実践しましたか? 人によって熱量が違う中で、どうやったら全体のやる気を向上させるか、という課題があって。今までのMTGでは「今日はこれをするから」と一方的に伝えていたのですが、数人のグループに分けて意見を出し合う形に変えました。 一人ひとりが意見を言うのは当たり前だよね、という空気を作ったんです。すると、「いきなり全国1位は無理だから達成できる目標にしよう」「目標達成のためにはこういうメニューにしよう」と議論が活発化していきました。 結果的に、部員全員が納得感を持ってものごとを進めていける組織になりました。 ー会社のマネージャーのようですね。 この経験から、自分がマネジメントに向いていることに気づいたんです。 海外のスタートアップ企業で急成長 ー高校卒業後、進路はどのように決めましたか? 卒業後の進路として、就職か大学編入の道がありました。就職するとなると、電子工学のバックグラウンドから技術職に就く人が多くて。 私はマネジメント職に就きたいと思っていたので、まずは総合大学に編入することにしました。実際にいろんなキャンパスを見た中で、個人的に1番好きだった筑波大学を第一志望にしたんです。 ー筑波大学に入学して、やりたいことはありましたか? 当時、高専から筑波大学に入学した仲間で創業された、フラー株式会社に興味があって。私も筑波大学で良い仲間と出会って、起業してみたいと思っていました。 ちょうど高専5年生の夏に、「トビタテ!留学JAPAN」という留学プログラムを見つけて応募すると受かったので、大学入学後すぐに留学しに行ったんです。 ー留学先はどこですか? 起業に興味があったので、スタートアップ企業が集まるサンフランシスコや、最先端のIT企業が集まるインドのバンガロールへ行きました。 ー留学先ではどのような経験をしましたか? ベンチャーキャピタルからの資金調達のお手伝いをしたり、展示会へ行って投資家の方とお話したりしていました。会社の方と一緒に模索しながら、ビジネスモデルを作っていきましたね。 毎週水曜日に、投資家と起業家が参加するディナーに誘っていただき、毎回出席していて。何をやっている会社なのか、ピッチさせられるんですよ。 私はそこまで英語が上手くなかったので、「何を言ってるんだ?」という目で毎回見られて恥ずかしくて……それから英語を猛勉強しましたね。 ー過酷な環境ですね。その環境で気づいたことはありますか? 自分の向き不向きに気づけました。 プログラミングは高専でやっていましたが、私より圧倒的にすごい人たちは何人もいて。その人たちに、何でそんなにコードを書けるのか聞いたら、「今あなたはしゃべってるでしょ?それと一緒だよ。」と言われたんです。 息をするようにコードを書く人たちを見て、自分にはプログラミングは向いてないから、違う方向で勝負した方がいいな、と思いました。 逆に、どんな環境でもチャンスをつかみに行く行動力は、自分の強みだと感じていて。例えば展示会では、英語はそれほど上手くなくても、物怖じせずに初対面の人に話しかけに行ってましたね。 仲間を口説き続け、23歳で起業 ー帰国後はどのように過ごされていましたか? 「自分は何をやりたいんだろう?」と悩みながら就活をしていたのですが、やっぱり友達と一緒に作ったものを世に出したいと思って。 留学時に出会った友達に「こういうの作りたいんだけどどうかな?」と口説いたり、筑波大でも何人かに声をかけたりしていました。そこで共感してくれた仲間と一緒に会社を作ったんです。 ー今はキャンプとコーチングの事業を展開されていますが、なぜその2つを事業領域を選んだのでしょうか? まずキャンプについてお話しますね。海外にいるときに何度かキャンプに連れて行ってもらったことがあって、いざ日本でキャンプをしに行くと、人との距離がとても近く感じて。 「使っていない土地を有効活用して、貸し借りができないかな?」と考えたんです。あとは単純に、キャンプ自体が今後伸びそうだと思ったので始めました。 コーチングは、それこそキャンプ事業で土地を集める工程に苦戦しているときに、自分自身がコーチングを受けて。誰がいいのかわかりづらくて、いいコーチを探す作業が大変だと感じていたんです。 売り手と買い手がインターネット上で取引をする、“マーケットプレイス”というビジネス領域には知見があったので、コーチと顧客を集める方法はイメージできていました。そこで、自分の経験も活かしてコーチングの事業に挑戦してみようと思ったんです。 ー事業を成功させるには、市場の波をつかんで、日々挑戦し続けることが大事なんですね。 まさにおっしゃる通りですね。 私は日々、「体感時間を延ばしたい」と思っていて。多くの人は、時間は平等だと思っていますが、質的観点に落とし込むとけっこう違うと思うんです。 例えば留学へ行くと、新しい体験をたくさんするので、振り返ってみると「ああこういうこともあったな」「こういうこともあったな」と、時間が長く感じるんですよ。 一方で、慣れていることを繰り返し行っていると、1日や1年があっという間に感じられて。ということは、自分の時間を長くするためにはあらゆる挑戦をしたり、新しい体験をすることが大事なんだと思ったんです。 “体感時間を延ばす” 事業を作りたい ーマネジメントや経営をされている中で、コミュニケーションにおいて意識していることはありますか? 信頼関係を作るには、自己開示することが大事だと思っていて。まずは「私はこういう人です」と開示することで、相手も心を開きやすくなると思うんです。 あとは共通項を探すことも大事ですね。ニッチなことを話すのも良いのですが、自己開示の中で共通項を見つけることで、話題がどんどん広がり距離も縮められると思います。 ー学生起業して苦労したことを教えてください。 1番つらかったのは、創業メンバーとの別れです。一緒にやっていこう!と言っていたメンバーが抜けてしまうタイミングは、やはりきつかったですね。 ただ、こういったお話は学生起業ではあるあるなので、つらくても乗り越えて、事業を続けていく必要があるんですよ。続けられる力がある人は、起業に向いていると思います。 ーつらい状況を乗り越えるにはどうすればいいのでしょうか? 事業を続けなければいけない理由を作ることが大切です。 例えば私の場合、ベンチャーキャピタルやエンジェル投資家から資金を調達していて。自分だけのお金ではないので、中途半端なことはできないですよね。 事業を進めていくと関係者がどんどん増えてきて、そういう人たちを大切にしなきゃいけないという気持ちが芽生えて辞められなくなるんです。そういう状況を自ら作っていくことは大事だと思います。 ー学生起業をして良かったと思うことはありますか? 若さは武器だと思います。「まだ若いから可愛がってあげよう」と思ってもらえることもあるので、若さは利用するべきです。 あと、私はまだ25歳なのですが、高校生の間で流行しているものを見ても共感できないことがあって。若いときの感性は、すごく貴重なものだと思います。 ー若いだけでも武器になることはたくさんあるんですね。最後に、塚崎さんの今後のビジョンを教えてください。 「体感時間を延ばせるような事業を作る」という軸はブラさずに活動していく予定です。今はキャンプやコーチング事業をしていますが、それ以外の事業も展開していくので、ご興味ある方はぜひご連絡ください! ー学生起業に興味がある方も、ぜひ塚崎さんにご相談してみてはいかがでしょうか!本日はありがとうございました。 取材者:山崎貴大(Twitter) 執筆者:Moriharu(Twitter) デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter)

UXリサーチャー・松薗美帆さんに聞く!社会人学生として「好き」を貫く選択

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第148回目のゲストは、株式会社メルペイのUXリサーチャーとして働きながら、現役大学院生という肩書を持つ松薗美帆さんです。 株式会社メルペイでUXリサーチャーとして働きながら、大学院に進学した松薗さん。「社会人学生」として、自分の「好き」を貫く人生を生きている松薗さんに、UXリサーチャーの魅力と「好き」を貫く人生の生き方についてお聞きしました。 UXリサーチってどんなお仕事? ー本日はよろしくお願いします。まずは松薗さん経歴についてを教えてください。 もともと地元は九州で、大学進学をきっかけに東京に来ました。ICUで文化人類学を専攻。卒業までユーザーインタビューや現地のフィールドに実際に入って調査をするみたいなことをやっていて、卒業後は新卒でリクルートに入社をしました。その後、 UXデザインの中のさらに専門職であるUXリサーチャーという職種で、株式会社メルペイに転職して、今年の4月から大学院に通っています。   ーありがとうございます。ちなみに現在されているUXリサーチャーという仕事はどんなお仕事なんですか? プロダクトとかサービスの企画にあたってUXデザインはよく重宝されるスキルですね。 企画の時の大事なの考え方とか、うまくいくやり方の体系的な方法論みたいなものでして、ユーザー中心に考えてサービスをもっと良くしていくための方法ですね。 ユーザー中心に考えるためには、ユーザーさんに実際にインタビューしてみたり、考えている途中の企画を、ユーザーさんに実際に触ってもらってフィードバックをもらうことも。 企画を作るためのアイデアをもらうためのリサーチ、アイデアをもっとよくしていくためのリサーチをやっています。   ーUXリサーチはユーザーさんから直接直接お声をいただいたものを元に、サービスを良くしていくのですね。ツールを使って調査するのがメインなのかなって思っていました! そうですね。ツールを使うこともあるんですけど、ユーザーインサイトみたいなものをとにかく定性的に、定量的にも集めるっていう感じです。   ーなるほど。あくまでユーザー目線が大切になるってことですね。実際にユーザーインタビューのどんなところに、面白さを感じたのか教えていただいてもよろしいですか? 私は普通の人は誰もいないと思っていて、すべての人や場所にユニークなストーリーがあると思っています。インタビューをするたびに、毎回いろんな発見があって、自分の人生の見方が豊かになっているような気がして、それをお給料が貰える仕事としてやれるのがすごい最高だなって。 いろんな視点を知っておくと、電車に乗っている時も、乗客の人にもそれぞれ面白いストーリーが絶対あるんだろうなって思えるんですよ。仕事だけでなく、日常のワクワクにもつながっているのも仕事の面白さでもありますね。   ーすごい!自分の仕事が日常のワクワクにもつながっているというのはまさに天職ですね。UXリサーチャーの方は、ユーザーさんの生の声などを分析して実際の業務に反映すると思うのですが、どんな判断軸で業務に反映されてるのでしょうか? ビジネス上結果につながらないと、UXリサーチャーの存在意義はないと考えています。現在の課題を見つけてその課題を解決することを優先度高くやっていくので、学術的なリサーチとは違うんですよね。ユーザーの多様な意見の中の似ているところを見つけたり、同じ価値観を見つけて、実際の業務に反映させることが多いです。 あとはビジネス的な視点に加えて、今までは見つけられなかった軸で挑戦もします。単純に自分的に面白い発見だったとしても、ビジネスで成果が出なければ意味がないので、あくまでビジネスで成果を出せそうなことですね。   自分の好きな英語がコンプレックスに ーちなみに大学で文化人類学を専攻されてたってことなんですけど、文化人類学に興味を持ったきっかけはなんですか? 実は大学を選んだときは、文化人類学を知りませんでした。私はもともと途上国開発とか仕事をしたかったので、開発学を学びたかったんです。でも、私の大学は2年ほど、いろんな授業を受講して、3年目から自分の選考を決めるリベラルアーツ教育をやっている大学だったので、とにかくいろんな授業を取りました。 その中のひとつに文化人類学の授業があって、授業中に教授が、「人類学ってのは相手の目から見た世界を知ること」って仰っているのを聞いたのがきっかけですね。教授の話を聞いて、途上国開発を知るよりも、その国に住んでる人のを見てる世界とかを知りたい方が強かったなと自分でも気づきました。 あんまり聞いたことない学問だし、親には「文化人類学なんて金にならないと思うよ」って言われたんですよね。でも「研究者になるわけじゃないし良いかな」って気持ちで文化人類学を専攻することにしました。   ーそうなんですね!中学に入学して、まず最初にアメリカにホームステイをされたっていうことなんですけれども、こちらはどんなきっかけがあったんでしょうか? 中学生ぐらいのすごい前の話なんですけど、小学生ぐらいからずっと英語を勉強していましました。海外はテーマとしてすごく興味があったんですけど、自分の住んでいた鹿児島市に交換留学制度みたいなのがあって、応募したら受かったって経緯ですね。 私の知っているアメリカのイメージと結構違って、ヒスパニックの感じというかちょっと怖そうなお兄ちゃんって感じの方がいました。最初は自分も気づかなかったんですけど、よく考えたらお母さんいない家庭だなぁって。 よく遊びに来るお母さんみたいな人がいたんですけど、英語が話せないので、事情はよく聞けなかった。お父さんは移住してきた方なので、英語がほとんど話せず、お兄ちゃんにあたる人だけが頼りみたいな感じの家庭でしたね。   ーそこから国連のNGOなどに興味を持ったとのことなんですけど、ホームステイとどういうつながりがあったんですか? 実際にホームステイに行ってみて、全然英語はやっぱ通じなかったのがすごい悔しかったんです。もっとしゃべれるようになりたかったですし、海外に行きたいと漠然にそう思っていました。 あとは中学生の時に「世界が100人の村だったら」って本がブームでして、それのワークショップをやる機会がありました。実際に100人の村人になって、自分の役割を作るワークショップをした経験がすごい印象に残っていて、世界中の困っている人たちと関わる仕事がしたいと思っていたのです。   ー「世界が100人の村だったら」は当時流行ってましたよね!そこから国連やNGOに行きたいと思われて、大学にICUを選んだ理由は、国連やNGOを見据えていたからですか? そうですね。でも第一志望は違う国立を目指していました。ICUは英語にかなり力を入れている大学で英語ができる前提の大学なんですよ。私は受験の時は英語が1番得意な科目だと思ってたし、テストで点数を取れる稼ぎ頭でした。でも大学には帰国子女や留学生の方が多くて、英語のテストで一番下のクラスだったんですよね。 海外経験のない日本人を「純ジャパ」って呼んでるんですけど、うちの大学では「純ジャパ」はどちらかというとマイノリティ。留学に行ってるか、子供の頃は海外で過ごしていた方ばかりでした。でも自分には受験英語しか経験がなくて「こんなにできないのか」て入学してすぐに、できない自分にコンプレックスを抱えるようになったのです。 大学は寮暮らしで、みんな日常的に英語コミュニケーションを滑らかに行っていました。でもその一方で、自分の思っていることをうまく伝えられない自分がいて、学校英語では会話がほとんどできないんだなってショックを受けた感じです。国連やNGOも、海外の大学院などに出なければ就職するのが難しい職種。バリバリ英語が話せる人たちと戦うと知って、ズタボロになりましたね。   ー英語を当たり前のように話せる方ばかりが周りにいると、劣等感を抱いてしまいますよね。今は英語ができないコンプレックスを克服できているのですか? 今も英語がそんなにできる方ではないと思っています。大学ではNPOで働くようにして、海外の途上国というテーマとはちょっと違うんですけど、引きこもりの支援というのを国内でやっていました。 英語がハンディキャップにならない環境の方が、自分の力が発揮しやすいって理由もあります。また思い描いていたテーマと違っても、自分が実際にやってみて、関心を持てるようになることならテーマってよりも、自分の働き方や仕事に打ち込めるかどうかの方が大切だなと。   ー英語を使わずに活動することで、自分のできることをどんどん見つけていったという感じですかね? そうですね。大学の途中から地方活性化みたいなテーマで論文を書くようになったんですけど、地域活性化と途上国開発は課題とか構造とかが似ているような所もあって、地域活性化にはまったっていう感じですね。   ー地域の活性っていうのは具体的にどんなことをされてたんですか? そうですね。島根県の津和野町という小さな町を拠点にしていました。津和野町は若い人を呼び寄せて地域おこしをやっている先進的な町でしたので、私はインターン生としてそこに携わるようになりました。 農業とや観光などいくつかのテーマごとに、学生たちがプロジェクトを作って、現地の人と協力して一緒にやっていく流れ。私は何かをやるというよりも、みんなの活動を観察して、こで得た知識や経験を論文にまとめていました。   リクルートで感じた仕事に対する違和感 ー地域おこしの活動を経て、リクルートに入社されたんですよね。なぜリクルートに入社しようと考えたのですか? 地域おこし協力隊の制度を使って町おこしを仕事にする道に進むか、リクルートを選ぶかの2択で、最後まで悩んでいました。会社に勤める選択肢だと、最初から自分がバリバリ仕事ができるいわゆるベンチャー的な企業が良かったんです。下積みが長いのは自分には合わないなと。だからすぐに活躍できるフラットな社風がいいなって考えていました。 インターンシップで島根に行っていた時にお世話になった方が、もともとリクルートの起業家の方で、当事者意識がすごくあってリクルートの社風そのままの人でした。 就活でリクルートと地域おこし協力隊の選択肢があって、最初は地域おこし協力隊にしようと、リクルートを断ったんです。でも当時のリクルートの人事の方に、「地域おこし協力隊を3年終えた後に自分ができるようになっていることを想像してほしい」と言われたのです。 地域おこし協力隊から中途でリクルートに入ろうと考えると、経歴が特殊なキャリアになるため、入れるかわからない不安もあります。さらに地域おこしを自分が生涯かけてやりたいテーマなのかどうかが確信を持てない自分がいること。そして、興味、関心がその時によって変わってしまうこと。 だからまずはリクルートに入社して、働いているうちに、地域おこしをやりたいと思ったら、そっち行けばいいと考え、リクルートに入社しました。   ー島根のインターンシップでの出会いがリクルートの入社に影響を与えていたんですね。新卒入社されて最初はどういったお仕事をしていたのですか? 最初は人材系のグループ会社で、タウンワークやとらばーゆをやっている企業のデジタルマーケティングをしていました。 最初は面白いと思っていたんですけど、億単位の予算の仕事を任されるので、ずっと数字を追うように仕事をしていたのです。あまりユーザー近くない仕事をずっとしていたため、なんのために仕事をしているのかがわからなくなってしまいました。   ー扱う金額が大きすぎると全体感として見れないっていう感覚はありますよね。仕事の意義が感じられないみたいな思い悩むところがあったと思うんですけど、そこから社内でジョブチェンジされたんですよね? デジタルマーケティングを勉強しているときは、新しいことを学ぶことは面白かった。でもしっくりこないと思っていた時に、「文化人類学を昔学校でやっていた」っていうのを社内で話す機会があったんですね。その時に上司に「UXデザインとかそっちの仕事が向いているんじゃない?」と言われました。その時はUXデザインをよく知らなかったし、開発に近い仕事はかなり専門性が高いので、経験のない自分は無理だろうなって。 でもいろんなタイミングが重なってUXデザインの部署に異動になったんですよね。   UXのキャリアの始まりと転職 ー部署異動から松薗さんのUXのキャリアが始まっていくと思うんですけど、最初はどんなお仕事から始められたんですか? 初めはエンジニアと一緒に開発の勉強をするところから始めました。UXをやりたいと言ってみたものの、やっぱり開発の知識プログラミングとかプロダクトは作れなかったので、まずは勉強し始めました。 でも勉強しているうちに「あれ?自分には合わないかも」と思うようになったのです。自分の運が良かったのか、WEBディレクターが足りないと社内でなりましてプロダクトマネージャーの方が合っていると感じ、少しずつシフトしていきました。 はじめはそのプロダクトの意思決定をするプロダクトマネージャーの見習いから入って、その中でUXの知識が必要だったので、少しずつ身につけていった感じですね。   ーなるほど。専門的な分野の知識習得って大変なイメージなんですけど、どうやって毎日学びを続けられたんですか? やはり、会社に教えてくれる人がいたのが大きいですね。あとは休みの日にウェブ上のサービスで学んだりしていました。専門的な知識をつけていくうちに、UXデザインが楽しくなりました。   ーそこから今の会社に転職されたのは、どういうきっかけがあったんでしょうか? そうですね。リクルートではプロダクトマネージャーにもいろんな業務があって、ディレクションや企画を作るなど本当に多岐にわたる業務があるんですね。業務の中で、プロダクトマネージャーとして突出した部分が必要だと思って、自分はそこには到達できないと感じました。 自分の強みがなければ、何でも中途半端にしかできない人でしかないと思うようになりまして。プロダクトマネージャーとして、自分が得意、好きだなと思えることを考えるようになりました。 ユーザー調査をしてから企画を考えることが大学でやってたことに近くて好きですし、他の人より得意かもしれないと思えたので、その分野でまずは突き抜けた方が、一本柱のあるプロダクトマネージャーになれるかなって思っていた。 ただリクルートにはユーザー調査だけの専門家の職種がなく、ジェネラリストであることの方が推奨される会社だったんですよね。自分がやりたいことは、UXデザインの中でも、UXリサーチと結構特殊な一業務のスペシャリストでした。 アメリカではUXリサーチの担当部署もあるんですけど、当時の日本ではUXリサーチ専門の人がいない状態。そんな時にメルペイが、UXリサーチをメイン業務としたい人を応募していたので、そこに飛びついたって感じですね!   ーこれからUXリサーチに挑戦してみたい人や、興味がある人に向けてアドバイスをお願いします! そうですね。UXデザインは企画やプロダクトに携わる人はみんな知っておいたほうがいいと思っています。プロダクトの企画に携わらなくても、セールスでプロダクトを売る相手をユーザーだと考えると、業界のリサーチは必ず行なっているはず。だからどんな人でも勉強しておいて、損はないかなって。   ー確かに業界のリサーチはどんなセールスでも行うため、必要なスキルになりますね。ちなみにどんな人がUXリサーチャーに向いている人だとお考えですか? リサーチのプロセスを楽しく感じられる人や、ユーザーインタビューを楽しんで続けられる人ですね。 UXリサーチは企画を作っていて、華やかなイメージを持たれがち。「UXリサーチャーになりたい」って声をよくいただくんですけど、思ったよりも泥臭くて、インタビューの為の日程調整やインタビューの文字起こしをして、分析をしています。だから、泥臭いことを楽しめる人が、向いているんじゃないかなと。 UXリサーチはスキルやものの考え方とかも書籍やインターネットで学べるので、実際に学んでみて、面白そうと思ったら自分は向いているかもと分かるかもしれないなと思います。   社会人学生という道を選んだ理由 ー松薗さんの個性というかあの形作るものをとしては社会人学生というところなのかなって思うんですけども、就職したまま学生になろうと思ったきっかけはなんですか? 自分が大学生の時は、自分が大学院に進むとは全く思ってなかったんです。でもUXデザインをやっていく中で、UXデザインを専門的にで学んでたわけじゃなかったので、そういう学部出身の方を見ると全然知識が足りないなぁって。 もちろん実戦経験はありますが、専門的な知識を深く知らなかったり、体系立てて深く理解しているわけじゃないので、たまたまうまくいっただけで再現性がないんじゃないかなとかそういういうところを考えた。 あとは海外に住んだり、学んだりしたいって気持ちがずっと残っていて、自分の英語力にコンプレックスもあったので、それを克服したいなと。   ー学生時代のコンプレックスを克服したいと考えられたんですね。いつ頃から社会人学生になろうと考えていたのですか? リクルートで働いていた時です。最初は海外のデザイン学校に行って、1,2年UXデザインを学ぼうといくつか海外の学校を調べていました。知り合いがデンマークにあるCIIDに行って「面白かったよ」って言ってくれたので、夏休みの2週間だけ授業を受けられるサマースクール期間に社会人5年目ぐらいの時に応募して行ってみました。   ー実際に短期留学をされていたんですね。留学という選択肢があった中で、留学を選ばなかった理由はなんですか? CIIDはいろんな国から来ている学生と1週間プロジェクトをやりながら授業をやるという感じでした。でも自分の英語力では、現地の人に英語でインタビューして深く聞けなくて。自分の強みとしていたUXリサーチが、海外に行くと逆に弱みになってしまいました。 言葉の壁が大きかったのと、インタビューひとつ取っても、現地の人をよく観察しないとわからないですし、文化背景が分からない、言葉もちょっと拙ないだと全然浅い感じになっちゃうなあっていうのが改めて思いました。実際に行ってみて、英語力がなければ、現地だと何もできないと感じてしまいました。 あとCIIDで学べることが自分のやりたいことと違ったっていう理由もあります。社会人でUXデザインについて学べる学校に行けるといいなぁと思ったので、今通っているJAISTっていう大学院と、武蔵野美術大学の社会人コースの2つを検討しました。その結果、JAISTに行くことに決めたのが去年の話ですね。   ーいろいろ検討して決められたと思うんですけど、両立が大変そうだなって思っていて、社会人学生になる決断を下す上で、迷ったことや悩んだことってありますか? そうですね。自分のキャリアやライフステージが変わったりとかを考えると、30歳ぐらいまでにどうしてもキャリアを積み切らないとって思っていました。 たとえば子供が欲しいと思った時に、実質的に距離的が離れて学校に行けなくなったりなどですね。そんなことを考えていると早く行かないといけないってずっと思い込んでいました。自分の中で焦りがあったため、社会人をやりながら大学に行く人を紹介してもらいました。   ーそうなんですね。お会いした方の中で印象的なお話はありましたか? はい。海外のデザインスクールに行く女性の方がいて、その方はお子様がまだ1歳ぐらいだったかな。その女性は子どもと夫を置いて、留学に行っていると知った時ですね。   「そういうやり方もあるんだ!」と年齢や環境は言い訳にしかならないと気づきました。やっぱり自分のやりたいことにチャレンジした方が悔いが残りませんし、自分の30代のキャリアにも絶対いいなと。いったん国内の大学院に行って、留学制度を使って海外に行くとかも無理ではないっていうのにいろんな人の話を聞いて気づけた。   ー松薗さんは社会人学生として、好きを貫く選択をしていると思うのですが、年齢が思い込みだったと気付いた後にいくつになっても大学院に行けると先延ばしする人も多くいます。自分の好きなことを今やろうと思った理由はありますか? そうですね。悩む暇があるならまずやってみるみたいなところはあります。実は、研究としてこういう領域をやるのが好きっていう自信はありません。それよりも早くやりたいことを試した方が、向き不向きを早く知ることができるのかなと。自分の好きなことを仕事にした方がいいのか。それとも学術的に極めた方がいいのかを早く判断したかったのが理由です。   ー松薗さんのこれからのビジョンについてお伺いできますか? 実は、正直先のことをあまり考えることがありません。っていうのもその時に、自分の興味ややりたいことが変わるからです。だから今はテーマを色々変えつつも、UXリサーチャーを極めたいと思っています。 業界を代表できるようなUXリサーチャーになりたい。もし学術的な方が面白ければ、博士課程も受けてみたいですね。とにかく今は先のことを考えず、UXリサーチャーを極めていく時期だと考えています。   ー今はプロフェッショナルを極めていきたいと考えつつも、先のことは気の向くままに進めていきたいということですね。本の執筆もされているとお伺いしたのですが、プロフェッショナルを極める中での一環というイメージでしょうか? UX デザインの本は結構出てるんですけど、海外発のものを訳したものが多いんです。知識を受け取るだけじゃなくて、自分が培ってきた知識を世の中に発信していきたいなとずっと思っていました。実際にUXリサーチャーを1年ほど経験し、知識や経験が溜まってきた自負があって、そこでとあるご縁で本の執筆の機会をいただけたという感じですね。   ー松薗さんの、今後の挑戦に期待しています。本日はありがとうございました! === 取材:中原瑞彩(Twitter) 執筆・編集:サトウリョウタ(Twitter/note) デザイン:五十嵐有沙(Twitter)

「彼氏の会社、買収したい」病み体質で不登校、貢ぎ、ナイトワークを経験した高桑蘭佳の変化してもブレない野望

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第82回目のゲストは株式会社メンヘラテクノロジーCEOの高桑蘭佳さんです。 株式会社を設立、自分と同じように悩む女性の悩みに寄り添っている高桑さん。現在、東京工業大学の大学院生と起業家というふたつの顔を持ち、精力的な活動をされてますが、高校時代は彼氏への依存を引き金にして不登校や引きこもり生活を経験していました。 「彼氏と別れるなら死ぬ、と思っていました」と自身の過去の恋愛を語る高桑さんが、仕事に自分の意味を見出し、抱えてきた課題をビジネスに昇華させていった過程に迫りました。   誰かの悩みに寄り添う存在「メンヘラせんぱい」 ー本日はよろしくお願いします!まずは自己紹介と、メンヘラテクノロジーで提供しているサービスについて教えてください。 高桑蘭佳です。「らんらん」という愛称で呼ばれています。1994年に石川県金沢市で生まれました。神奈川大学工学部に進学し、現在は、東京工業大学大学院修士2年です。 学業の傍ら、フリーライターをしています。また、2018年8月に株式会社メンヘラテクノロジー設立しました。 メンヘラテクノロジーでは、「メンヘラせんぱい」というチャットサービスを提供しています。気軽に相談できるチャットサービスで、30分300円から利用が可能です。 「誰かに悩みを聞いてもらいたい」という時、選択肢はいくつかあると思います。カウンセリングを受ける、無料の公共サービスを利用する、身の回りの人に相談をする…。ただ、どれも完全とは言えません。カウンセリングは私と同世代の人たちにとっては金銭的なハードルが高いです。無料の公共サービスは利用希望者が多いタイミングだと、自分が欲しいタイミングで受けられない場合があります。身の回りの人には、相談しづらいことってありますよね。相手への負担を気にしすぎたり、身近だからこそ言えない悩みだったり…。   ーそいう方にとってメンヘラせんぱいが新しい選択肢になるんですね。 若い子だと、最近はマッチングアプリを利用して話を聞いてくれる人を探すみたいなんです。でも、多くのマッチングアプリは異性同士でつながる仕様になっているので、弱っている女の子の気持ちに漬け込もうとする人もいます。それで、トラブルに巻き込まれてしまったという話もよく耳にするんです。その手段を選ばなくてもいいようになれば、という思があります。   ーだからこそ価格もこれだけ抑えて提供しているんですか? はい。ただ、相談を受ける側の「せんぱい」のことも考えると、価格は今後の課題ですね。 暗い話題もあるので、せんぱいの負担も考慮しています。サービス構想の時点では、電話対応も検討していたのですが、「電話だと場所が限られてしまう」「相談を受けるハードルが高い」という声からチャットスタイルになりました。   「頭の良い子が好き」彼氏の言動に追い詰められる ー大学院生としての学業に、起業と、とても精力的な印象を受けます。昔からそうだったのでしょうか?  高校生の頃は、不登校でした。当時、お付き合いしていた彼氏の言動が原因です。 もともと女子のコミュニティが苦手で、好きな人のことで頭の中がいっぱいになっているような女子高生でした。彼は、わたしのことを「面倒くさい」とよく言っていて、待ち合わせに来ず5時間も待たせるような人だったんです。それでも、別れたくなくて、嫌われないように努めていました。   ー高校生の頃から恋愛体質だったんですね。不登校になったきっかけはなんですか? 彼は「頭の良い人が好き」と言ってましたが、わたしは勉強が苦手でした。頑張っても、そんなにすぐに成績が上がるはずもなく…。「東大や京大に行くような女の子がいい」と言うので、志望校をそこに合わせて模試を受けるも、当然のようにE判定。その結果に、彼氏がさらに追求してきて、勉強への苦手意識が強まりました。 やがて、テストを受けることが怖くなり、中間テストの日から学校に通えなくなってしまったんです。彼氏にはそのことを隠し、塾や彼の学校へは行くものの、昼間は同じく不登校の子と遊んだり、ずっと寝ていたり…そんな生活でした。日を追うごとにどんどん落ち込んでいって、深夜に友人と出歩き、補導にあったことも何度もあります。   幸い、両親はわたしを理解してくれる存在だったので、「ストレスが増えるなら、受験はしなくてもいいんじゃない?」と言ってくれました。そして、進学先が決まらぬまま高校を卒業し、浪人生活に。相変わらず勉強は苦手でしたし、受験会場で涙が止まらなくなってそのまま帰る…なんてことも。それでも、神奈川大学の工学部に合格して、実家を出て新生活がスタートしました。   ナイトワークで稼ぎ、彼氏に貢ぐ日々 ー苦労しながら受験も乗り越え、大学生になられたんですね。新しい生活はどうでしたか? 大学へ進学しても相変わらず人間関係を円滑に進めることは苦手でした。新しくお付き合いする方もできましたが、「お金ないから奢って」と催促するような彼氏で…。ガールズバーやキャバクラなどのナイトワークで稼いで、多い月で30~40万円ほど貢いでいたときもありました。 そもそも精神的に安定していなかったので、ふつうのアルバイトができなかったんです。かといって、接客業が得意なわけではありませんでした。お客様とのコミュニケーションや、日中も届く連絡に、ストレスが募っていきました。   ー辛い時期だったことが伝わります。転機はなんだったのですか? 大学2年生のときに、イベントでお酒を売るアルバイトをしていました。そのイベントの手伝いで来ていた男性に一目惚れしたんです。それが、現在の彼氏です。 彼と付き合いはじめるときに「辞めてほしい」と言われて、辞めることにしました。しかし、稼ぎの良いアルバイトだったので、わたしの金銭感覚も狂ってしまっていて…生活に困るようになって隠れて再開しようとしました。    それがバレたときには、当然、彼はとても怒っていました。「辞めないなら、別れるよ」くらいの剣幕で迫られたものの、わたしも自分の生活があります。辞めたくても、辞められなかったんです。そしたら、彼氏が「らんらんは何がしたいの?」と、本質的な部分から聞き出してくれました。   もともと作文が得意で、ライターとして活躍されているさえりさんに憧れがありました。「ライティング、やってみたい」と口にすると、彼氏が「そっちを磨いた方がきっと稼げるようになるよ。将来にも役立つだろうから、挑戦してみなよ」と後押ししてくれました。   ライティングの仕事で、「必要とされている」と実感 ーらんらんさんときちんと向き合ってくれる恋人とのお付き合いが、良い方向へ導いてくれたんですね。具体的にどうやってライターの道に進まれたのですか? 最初はメディアを運営している編集部でインターンをして、記事を書いていました。それが、とても楽しかったんです。そして褒められることが嬉しくて堪りませんでした。書いた記事がスマートニュースにピックアップされて、PVが跳ね上がり、また褒められて…。 段々と、直接、執筆依頼をいただくようになったんです。インターンよりも高い報酬でライティングのお仕事ができるようになり、フリーライターとして実績ができていきました。 お仕事を通して誰かに必要とされることで、「生きていていいんだ」と思えました。彼氏に必要とされることが何より大事だと思っていたのですが、彼氏以外にもわたしは価値を提供できるんだと体感し、自信につながったんです。   ーライターとしての才能が開花していく一方で、大学ではどのような研究をされていたのでしょうか? 彼氏のツイートにリプライを送っているユーザーから、彼氏との親密度を探るというTwitter分析を行っていました。大学の助教授に、「彼氏のことを束縛したい」と話していたら、「それを研究テーマにしてみたら」とアドバイスをいただけたんです。 周りの工学部の友人の多くが進学することから、特に悩まずに自然とわたしの意識も大学院へと向いていきました。学歴コンプレックスをずっと拭えずにいたので、だめもとで、偏差値がより高い東京工業大学の大学院を受験します。わたしが所属している文理融合コースは、個性的な研究計画を歓迎する傾向にあり、わたしの研究はウケが良く、予想と反して進学できることに決まりました。   「彼氏の社員旅行に同行したい」束縛から起業へ ー過去に負ったコンプレックスを、自ら払拭したんですね。起業されたのは大学院へ進学してからでしょうか? はい。起業のきっかけは、ビジコンへの参加と、彼氏を束縛したくてです。 彼氏を束縛するネタの記事と、わたしの研究テーマを知ってくださったある企業の方との繋がりでサマーインターンのビジコンに参加することになりました。よく趣旨も分からぬまま参加したのですが、そこでのアイディアが選ばれ、数百万円の出資と共に法人化する権利を得ました。当時は起業するつもりは全くなく、お断りするつもりでした。その後、あることで彼氏と喧嘩をしたんです。 彼氏は会社を経営していて、本当は、その会社の役員になりたかったんです。そして、会社の社員旅行に同行したくて…。でも、彼氏が許してくれませんでした。それで喧嘩になり、そうしたら「起業して実績があったら、メンバーも役員になることを認めてくれるかも」と彼が言うので、出資を受けてメンヘラテクノロジーを立ち上げました。   ーそのような動機で起業を志した方、きっと他にいないでしょう…。では、事業内容が固まっていたわけではなかったのですか? はい。そのため、経営者の方に相談をして、「自分が抱えている課題を解決するために作られたサービスは強いよ」とアドバイスをもらい、まずは自分の内面と向き合いました。お話したように、わたしは人間関係や恋愛でのもつれを多く経験していて…。その悩みにアプローチするようなサービスの開発をしようと思い至りました。 とは言っても、起業がしたいという思いが先行していたわけではないので、会社経営へのモチベーションはあまり高くなかったんです。変化があったのは、出資していただいた資金の底が見えてきて、次の選択を迫られたタイミングです。 メンヘラせんぱいの前身となったサービスはあって、テストユーザーからのポジティブな声が届いていたんです。それがなくなってしまうのは寂しい、と思い、それからは意識を切り替えて、真剣に事業と向き合うようになりました。   ーこうやって、現在の高桑さんにつながっているんですね。今でも、彼氏の存在をきっかけに病むことはあるんですか? それが、忙しいとあまり病まないんですよ。気分が落ち込むことは昔と比べて減りました。むしろ、安定しているので感情の起伏がないことを悩んでいます。「逆に病みたい」って気持ちです。   ー気持ちが安定しているのは良いことですね。今後は、やはり彼氏の会社の役員になることが目標なんでしょうか? まさか彼は本当に起業すると思っていなかったようで、「やっぱりそれはできないよ」と伝えられてしまいました…。 そこで、新しい方法を考えたんです。企業は、買収されると、もともとの株主が持株を売却できないように立場を固定することができる「ロックアップ」という制度があるんです。通常だと数年ですが、わたしは100年にして、彼氏の企業を買収してしまおうと考えています。 経営者の知人にも「結婚よりいいじゃん!」と背中を押されています。それができたらいいなあ、と考えていますね。   ーどこまでもブレない高桑さんの今後の躍進も楽しみです。本日はありがとうございました!   ユニークな価値観を持つ29歳以下の世代(U-29世代)のためのコミュニティ「ユニーク大学」を運営中。29歳以下ならどなたでも無料で参加できます。 ユニーク大学に参加してみる   === 取材:西村創一朗(Twitter) 執筆・編集:野里のどか(ブログ/Twitter)

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