今回は、美術大学を卒業後、ジュエリーデザイナーを経て、現在は国立台湾大学に通う芳山真由さんをお招きしました。
これまでのキャリア、社会人になってから留学を決意した背景について伺います。
国費留学生として台湾へ。シビアな環境を選び、新たな挑戦
–現在の所属について教えてください。
台湾の教育省(日本の文部科学省に相当)が留学費用を負担してくれる奨学生試験に合格し、国立台湾大学・語学センター中国語科で中国語を学んでいます。国費留学生として1年間過ごします。
–試験内容はどのようなものなのでしょうか。
試験の合否は推薦状、大学時代の4年間の成績、エッセイなどによって判断されます。
エッセイでは、「留学経験を将来にどう活かしたいのか」というキャリアビジョンと、1年間の綿密な学習計画について記入します。入念な対策を行い、かなり時間をかけて練り上げ、書き切りました…!
–留学先の大学を選んだ理由を教えてください。
国立台湾大学・語学センター中国語科で学びたかった理由はいくつかあります。
まずは、環境。台湾の最高学府の大学であり、講師の質が高く、クラスも少人数制のため密度の高い学習ができると感じました。自習室が24時間開放されているのには驚きました。
また、そうした環境を求めて入学してくる周りの学生のレベルや学習意欲も高く、互いに切磋琢磨できる姿がイメージできました。
授業スピードがはやい、試験や課題が多い、成績評価もシビア…とも言われていますが、ストイックに取り組み、スピーディーに中国語を習得したかった私にとっては理想の場所でした。
–現地での生活はいかがですか。
台湾は学生時代から行っていたので、生活にはすぐ馴染めました。一方で、中国語での会話がまだ難しく、言葉の壁に直面しています。自分の未熟さが悔しくて、自習室で遅くまで勉強した帰り道に泣いてしまったこともありましたが、努力して今後必ず乗り越えていきます!
私生活面では台湾人のルームメイトとのルームシェアをしていて、日頃の会話からも自分の語学力を向上させたいと思っています。休日は台湾の芸術、アートに触れるようにしています。
卒制表彰で惜しくも2位。悔しさを残した美大時代
–幼い頃はどのような環境で育ちましたか。
実家がお寺で、親戚も寺院に務めている方が多い家庭に生まれました。父は確固たる信念、道徳心を持って住職として務めていた人で、母は花道・茶道に精通した人。家の中で過ごしているだけで伝統文化を感じることが多い環境でした。
先代から受け継がれてきた陶器、置物、屏風などが常に身近にあり、「かっこいいな」と感じると同時にものの価値を尊重する精神も育っていきました。お寺の関係者の方々は古くからのお付き合いが多く、人との関係性も末長く大切に育んでいくものだということも(父や母、周りの大人の姿を通して)教わりました。
私自身は長い間踊りを習っていて、小学1年生からはヒップホップダンス、小学5年生からは日本舞踊を習い始めました。子どもの頃から自分のエネルギーを使って表現することが好きで、どちらも自分から興味を持ちました。
表現に対する愛や貪欲さは現在も変わらず、クリエイティブな活動の土台になっていると感じます。台湾に来てからは大学の部活動に参加し、中国の古典舞踊に挑戦しています。
–進学先の大学はどのように選びましたか。
子どもの頃から絵を描くことや工作が好きで、進学先は美術大学を志望しました。高校3年生から美術専門予備校へ通って受験をするも、目指していた最高学府である国立の芸術大学には合格することはできず、浪人を決意しました。とても悔しい思いをしましたが、やるからには最難関を目指したいという気持ちで再受験の準備を進めました。
しかし、翌年の再挑戦も実らず、第一志望大学への入学は諦めました。入学後半年くらいは悔しさを引きずりましたね。
武蔵野美術大学の工芸工業デザイン学科に入学し、金工(金属工芸)を専攻しました。金属を叩きながら成形する鍛金という技法があり、硬い素材に対して自分のエネルギーをぶつけてみて、ガツガツと受け止めてくれる感覚に惹かれました。
–在学中に経験したことで印象に残っていることはありますか。
在学中はコンセプト、デザイン考察、制作方法の検討、制作、展示、プレゼンまで全て自分でやり、工程ごとに求められる技術やスキル、全ての工程を受け持つ責任感などを身につけていきました。
卒業制作では専攻分野以外の教授も含めた方々からの投票で決まる表彰があり、惜しくも一票差で1位は逃しましたが、2位の賞を頂くことができました。
周りが祝ってくれる中、私は嬉しさの涙ではなく悔しさの涙を流していました。始発で登校し、帰りも終電で帰るくらい精力を注いで制作していましたし、日々興味があることを学べる環境に通わせてくれた親に1位を取ることで恩返しをしたいという気持ちもあったんです。
最後に望んだ結果を手に入れることはできませんでしたが、自分自身がさまざまなものに影響を受け、成長できた時期でした。
狭き門を突破し、念願のジュエリーデザイナーに就職
–卒業後の進路はどのように考えていましたか。
大学卒業後は企業に就職すると決め、国内大手ジュエリー制作会社のジュエリーデザイナー職を目指していました。
ジュエリーはご褒美や贈り物の品として選ばれ、幸せな瞬間に寄り添うことが多いアイテムであり、決意や思い出の象徴にもなるものです。世代から世代、時代から時代へ、時を超えて長く、大切に受け継がれていくところにも感銘を受け、ジュエリーを作る職業に就きたいと考えました。
高校生の頃から関心を持っていた一つのジュエリーブランドがあり、制作してきた商品やブランドコンセプトに惹かれ、入社試験を受けることを決めました。
枠が狭く、競争率も高いと言われる中でしたが、「絶対に入ってみせる」という気持ちで就活に臨みました!
–就職活動はいかがでしたか。
一般的にクリエイティブ職はポートフォリオを持って就活するのですが、ファイルや資料だけでは魅力を伝えきれないと思い、両手いっぱいに作品を抱えながら持ち込んで、面接で見せていました。その裏側では、作品を抱えながら満員電車に乗ると作品を頭の上にあげて乗らないといけないなど…とても大変でした。
採用いただくことができたのですが、後から採用理由を聞くと「面白かったから」とのことでした(笑)「やる」と決めたら目一杯熱量を込めるのが自分のやり方なので、それがいい方向へ運んでよかったです。
一方で、毎回うまくいくわけではなく、熱量をかけた分プレッシャーが自分にかかったり結果に繋がらなかった時にはしっかり落ち込むこともあります。「不器用」というのでしょうか。
–当時の仕事内容を教えてください。
一言で言えば、ジュエリー制作の中で主にデザイン工程に携わる仕事です。扱う素材を決めた後、紙に手書きのアイデアスケッチを描き、それをPCでデザイン画に描き起こして上司へ提出。選出され、上司の許可が出たものが実際に制作され、ジュエリーとなって販売される流れになります。
制作過程では、工程ごとの各担当者の方と綿密な話し合いを重ね、制作を進めます。自分のデザインが選出された時に嬉しいのはもちろんですが、たくさんのプロの方と協力し長い時間をかけて制作されたジュエリーが完成した時は感激します!
–退職を考えた背景を教えてください。
憧れていた仕事に就けたわけですが、入社後少しずつジレンマを感じ始めました。
ラグジュアリー製品を制作する業界に憧れがあったので、当初はとてもやりがいを感じていました。一方で、ブランドという一種のステータスに肩肘を張らなければならない自分に違和感を覚え、ガツガツと荒削りな精神でものづくりに徹してきたこれまでの自分とのギャップも感じていました。
また、企業のいちインハウスデザイナーであるために、自分が制作に携わった製品が世に出る際にデザイナー個人の名前は伏せられること、デザイナー自身と購入者との接点がほとんどないことにももどかしさがありました。自分にとって、クリエイターとしてのやりがいを掻き立てられるものが満たされていないように感じていました。
–台湾を留学先に選んだのには理由があったのですか。
感じていたジレンマに対し、自分自身が大事にしたい価値観を問い直した結果、その先に「台湾」が浮かんできました。
というのも、台湾には学生時代から行っていて、芸術面の魅力やクリエイティビティを感じていたんです。
台湾は小さな国でありながら特異なバックグラウンドや歴史があり、そこが目に見えない団結力となって、国民のアイデンティティーはひとしおであると感じています。クリエイターとしてのアイデンティティーが揺らいでいた自分にとって、どこか羨ましく、もっと深く知りたいと思うようになりました。
(台湾には)好きなプロダクトスタジオもあったことから、そうしたエッセンスを今後に向けて取り入れたいとも思い、今回の留学先に選びました。
些細なことでも価値観に根ざした決断を日々重ねる
–これまでのあゆみの中で、ご自身の中で大事にしていたことはありますか。
もともとはかなり慎重派ですが、打ち込み始めると一心不乱に集中してしまう性格です。それによって大きな成果を得られるととても嬉しいのですが、力を注いだ分の成果が得られない時にはしっかり落ち込みます。今でも落ち込むことはありますが、早々に立ち直り、次の行動に活かすことができるようになってきました。
器用とは言えない生き方ではありますが、どんな些細なことでも自分で選択し、決断することを大事にしてきました。失敗や挫折も重ねながらも続けていくことで、自分の価値観が見えてきて、自信も身に付いてくるのだと思っています。
–今後挑戦したいこと、目標はありますか。
留学中の第一の目標は、中国語を身につけ、語学力を向上させることです。また、台湾での芸術活動に積極的に参加し、視野を広げることで1年後の自分に豊富な選択肢を与えてあげたいです。
留学終了後は一度台湾に拠点を置き、クリエイティブな仕事に携わりつつ、個人としても金工の作品制作を再開し、発表したいと思っています。
将来的には、ものづくりを通して人の暮らしに寄り添ったプロダクトを作り、提供していきたいです。
取材・執筆=山崎 貴大