今回は、有限会社東京フードサービスの専務取締役を務める稲田安希さんをお招きしました。
これまでのキャリア、成長や変化に繋がった転機について伺います。
3代目として事業承継。コロナ禍には新規事業に挑戦
–現在の仕事内容を教えてください。
有限会社東京フードサービスは昭和44年に創業し、豊島区を中心に4店舗の飲食店、8台の冷凍自販機、オンラインショップを展開しています。
私は専務取締役として目指す姿を定め、現状とのギャップを埋めるための施策運用をはじめ会社全体の数字管理、新規事業などに取り組んでいます。
個人的には大学院にも通っていて、フードシステム論を専門とする教授のもとで、食と地域・社会・文化などの繋がりを学び、地域アイデンティティと食文化の研究をしております。
–現在のお仕事を通じて実現したいことはありますか。
お客様、スタッフなど…関わる方々が食を通して笑顔になっていただけることが嬉しくて、ひとつでも多くの笑顔を作っていきたいと思っています。
また、3代目の事業承継者としては時代が変わっても愛され続ける会社・お店を作りたいと思っていますし、経営者としても食を通じた社会作りを行いたいとも考えています。
–やりがいを感じる場面について教えてください。
ビジョンに向けてスタッフと一丸となって取り組み、価値がお客様に届いたときはやりがいを感じます。その例として、新たに冷凍事業所とオンラインショップを作った当時のことをお話しします。
私がまだ前職のIT企業で働いていた頃、新型コロナウイルスが流行し始めました。飲食店が突如危機に晒され、消費者も外出を自粛し、自宅で過ごす日々が続きましたよね。作り手が「温かくて美味しい料理を届けたい」と思ってもそれができず、多くの飲食関係者が悶々として過ごしていたと思います。私も、愛され続けてきた家業の飲食店からお客様が消えた瞬間を目の当たりにしました。
事業承継後、そのような事態をただ見ていることしかできなかった当時の自分の気持ちを思い出し、飲食店に足を運べない時でも美味しい料理を食べられる冷凍食品の開発とオンラインショップの立ち上げを行いました。
以前にニュース等で目にしていた急速冷凍技術、冷凍自販機から着想し、スタッフと共に1年かけて実現しました。
–実際に取り組んでみて、大変だったことはありましたか。
最初は社長である父に提案するところからスタートしました。父としては今までのやり方や過去の経験があり、厳しい局面も経験してきただけに当初は「そう簡単にできるだろうか」と懐疑的なリアクションでした。
まだ若手と言われる年齢の自分としては「難しい挑戦だとしても、夢を持って努力したい」という気持ちがあり、それを父に伝えました。次第に父も理解してくれて、まずは私と父の二人三脚から始まりました。
最初は思ったように進まず、朝5時から夜11時まで働くような日々でした。その姿を見たスタッフに本気の気持ちが伝わり、全体で協力体制を築くことができました。実際に形になった時は嬉しかったですね。みんなで一緒に喜びました。
もともとは「夢は見るものだ」と言っていた父も、新しく入社した方に向けて「夢がある職場にしたい」と言ってくれるようになり、挑戦を通じて(私も含めて)関わった人たちの変化、成長に繋がった実感がありました。
体調不良を経験後、時間をかけて自分軸を再構築
–子ども時代はどのような生活を送っていましたか。
母親が音楽大学出身だったことがあり、4歳からピアノを習っていました。現在プロとして活躍されている方もいるような環境で、練習に打ち込んでいました。
当時は子どもなりに忙しい日々を送っていて、運動会を終えた後に急いで車に乗ってピアノ教室へ向かい、またその後日本舞踊の祭事に参加する…という1日もありました。
さまざまな習い事を通じて自分自身の可能性が広がる実感があった一方で、周囲からの期待感や「やるからには全力で…」という自分に対するプレッシャーから常に緊張した状態で過ごしていました。
–小学生の頃、体調を崩されたことがあったと伺いました。
小学5年生の夏休みの終わり、宿題が終わっていない焦りとその他の出来事が重なり、パニック発作の症状が出てしまいました。その後、突然発作の症状が起きることが怖くなり、電車に乗れなかったりクラスで真ん中の席に座っていられなくなってしまったりする症状が残りました。
それをみた母親が「稽古をやめよう」と言ってくれたんですが、その時に自分が「やめていいの?」と言ったのを覚えています。それまではずっと日々稽古があるのが当たり前だったので、そもそもやめるという選択肢がなかったことに加え、やめてしまうと自分にとってのアイデンティティを失うような感覚があり、怖かったんです。まさか自分がそんな症状を経験するとは思っていなかったので、当時は戸惑いましたね。
–その後の学生生活はいかがでしたか。
先生や友人、両親の理解と支えがあり、中学、高校は日々の学校生活を楽しめるようになりました。一方で、自分の中ではアクセルを踏もうとするとまた体調に影響が出たらどうしようという恐怖心があり、「いつになったら以前のような自分に戻れるのか」という葛藤と「自分は周りに理解者がいてくれないと生きていけない。そのままでいいのか」という自立への焦りが入り混じる複雑な心境でした。
大学に進学してからは体育会、勉強、学生インターン、映画祭のスタッフ、の活動などに参加し、目の前のことに全力を尽くしながら自分のキャパや個性を知る機会を増やしていきました。
体育会での活動は自分にとって大きな挑戦でしたが、炎天下での練習や負荷のかかる合宿を乗り越えることができ、徐々に自信を取り戻すきっかけとなりました。
–在学中に経験したことの中で、自身の変化や成長に繋がったことはありましたか。
さまざまなことに打ち込んだ大学時代でしたが、近視眼的になると、目的と手段が入れ替わり努力の方向性がずれてしまうことがありました。その経験を経て、目標と手段を言語化し、正しい努力をすることの大切さを実感したと同時に、首席卒業などの結果を得られたことでコツコツと努力できる自分に自信を持てるようになりました。
先輩からは「やらないことリストを作りなよ」と言われたこともありましたね。助言をもらってからは、まずはやってみる行動力と行動量、やってみた結果違うなとわかったことは「やらない」と決めることを心がけるようになりました。
–卒業後の進路はどのように考えていましたか。
就職活動では、「そこにいる自分が好きかどうか」を軸に会社を選びました。
新卒で入社した楽天グループ株式会社との出会いは大学3年生の時で、会社に行ってみたところ興味が湧き、会社のことを調べるようになりました。調べるうちにワクワクしてきて、社長のお話にも共感する部分があり、「この会社の一員として頑張りたい」と気持ちが固まっていきました。
–家業を継ぐと決断した経緯を教えてください。
コロナ禍でお客様・スタッフの両者から「生活になくてはならない場所です」という言葉が届いたことがきっかけでした。改めて家業の会社を愛してくれるお客様やスタッフがいることを知り、嬉しく、幸せを感じました。ただ、家業である会社に戻るかどうかと考えると「自分はまだ若すぎる。まだスキル、実力がない。今戻るのは怖い。今の職場でも有意義な経験ができているし…」という気持ちがありました。
迷った末に、楽天で培ったことがきっと自分の支えになるだろうと思うことができ、家業に戻ることを決意しました。
自身を知り、自分の幸せの定義に沿って生きる
–社会人経験を通じて身についたことについて教えてください。
入社後は会社をあげた新規事業である「楽天モバイル」にて、基地局設置推進部の営業担当として働きました。
高い目標に対して、「無理」と言わず、できる方法を考え、思いを強く持ち続けながら実行し続ける。さらに、その過程を楽しむ。そんなカルチャーが根付く組織でした。
0→1のフェーズにおいて、自分自身で考え、動き続ける働き方を経験できたことで成長できたことはたくさんありました。また、同社に伝統的に根付く「やりぬくマインド」を獲得できたことも今の自分に繋がっています。
–現在のご自身が心がけていること、常に意識していることはありますか。
1つ目は、自分の幸せを自分で定義すること。これは、体調を崩した時に母に助言をもらってから大事にしていて、節目ごとに思い出しています。
他者の評価軸に自分の幸せを委ねていると、いつまでも自分は満たされません。自分自身の根本にあるものと向き合い、言葉にすることで、自分なりの幸せを実現する方法は自ずと見えてくるものだと思っています。
2つ目は、自分自身を知ること。自分なりの軸は他者との比較から気づくことがあれば、都度変化していくことでもあります。日頃から自分にとっての幸せを考え、常にハンドルを握り続けておくことを意識しています。
3つ目は、意識していること…というよりも以前から自分の支えになっている考え方があるんです。
「自分が笑顔でいること」
「どんな困難なことでも、乗り越えられるからこそ与えられている」
これまでもこの考え方を持っていたことで乗り越えられたことがありましたし、今後も大事にしていきたいと思っています。
–今後の目標、展望を教えてください。
2年前に前職をやめ、家業に入り、模索を続けながらも実現したいことを発信し続けてきました。今までは同業界から転職してくる方が多かったのですが、最近はHPから20代若手の業界未経験の方などが、夢を持って応募してきてくれるようになりました。
今後新しい方々に会社へ入っていただき、みんなで新しい価値を生み出し、多くの方に笑顔になって頂きたいです。
また、個人としても食を通して様々な方やもの・ことを掛け算できる人になれるよう、努力したいです。
取材・執筆=山崎 貴大