今回は、株式会社 曽我部組を創業し、代表取締役を務める曽我部史夏さんをお招きしました。
これまでのキャリアの歩み、不登校経験を乗り越えて地域創生活動に取り組むようになった経緯について伺います
「医食同源」を根幹に据えた一次産業支援
–経営している会社について教えてください。
株式会社 曽我部組では、主に農産物の販売を行っています。農家の想い、伝統、技術などの情報をもとにして物語を生み出し、付加価値をつけて販売することが特徴です。
現在一番人気の商品は、大阪の山間地で収穫された「栗」です。もともとは他の有名な産地で採れた栗に隠れてあまり知られていなかったところ、レンジで簡単に皮が剥けるように処理して販売し始めて販売数が伸びました。
–事業や会社経営を通じて実現したいことを教えてください。
食を扱う仕事に携わる身として、「医食同源」という言葉を意識しています。一言で言うと「食べること=病気を治すこと」という意味で、未病につながる食習慣が大事なんです。
–やりがい、働きがいを感じる瞬間はありますか。
生産者の方々に感謝されるのがとても嬉しいですね。お付き合いが深まると、「うちで採れた野菜、持っていきなよ」と言ってくれることもあります。
こうした関係を築くためには、一緒に汗をかく経験をすることが大切です。
不登校経験を乗り越え、地域創生活動に打ち込む
–幼少期のご自身のことで覚えていることはありますか。
包み隠さずにいうと、生まれた家庭環境が複雑で、自分が生まれてきた価値を感じづらい日々を送っていました。そうした中でも、当時はLEGO、歴史の本などが好きでした。
–小学生の頃、不登校になった経緯を教えてください。
通っていた私立学校は生活の中心に勉強があり、大学を目指すために逆算した生活を送ることが求められました。過去に個人の主体性や自由な発想を重んじる理念を持つ幼稚園に通っていたこともあり、(小学校の雰囲気が)息苦しく感じていました。
学ぶこと自体は嫌いではなかったものの、テストで高い点数を取って評価されても嬉しいとは思えず、担任教師とのすれ違いがあったことを契機に不登校になりました。
(小学生のうちの)不登校の期間はさまざまな大人と出会う機会を得ることができ、それぞれの方の人生を聞くことで不安は薄れていきました。
中学校に進学後、最初は登校していたのですが、次第に不登校だったことが周りに知られてくると通いづらくなり、また不登校になります。家に閉じこもり、葛藤する日々でした。
–高校進学の際にはどのように考えていましたか。
中学3年の頃、今後の進路や将来のことを考えた結果、高校はアメリカへ留学しようと考えていました。そのタイミングで新型コロナウイルスの感染拡大があり、全ての渡航が禁止に…。
留学は断念して、知人が紹介してくれた高校の入学説明会にいくことにしました。そこでOB会の会長(冒頭で触れた栗の生産者)、教頭先生から廃校になった過去があること、地方創生の活動があることを知り、入学を決意しました。
入学後、新たな場所で挑戦したいと思っていた自分の意志と周りの後押しがあり、生徒会長になりました。
–取り組んでいた地方創生活動の内容を教えてください。
在学中は農業科に所属し、学校が持つ農場での実習も交えた勉強に取り組みました。また、さまざまな地方に出向き、それぞれの地域の地方創生の形を学び、学校での取り組みでアウトプットすることを繰り返しました。
都市部からきた身として地域の魅力を感じ、それを伝えたいという気持ちが原動力でした。
–起業の経緯を教えてください。
起業したのは、高校1年生の時です。地方創生の活動を約1年間していて、資金や組織母体が必要だったことに加え、地域の協力をより得やすくなり、高校の実績にもなるだろうと考えたことが背景にありました。
–拠点をおいていた地域を離れた経緯を教えてください。
ある時から、「高校生なんだから、もっと勉強しないとね」と言われることが増えました。地元の地域のために平日も週末も頑張っているのに、地元の地域の人たちに応援してもらえないというのは悲しいものでした。もどかしさ、不甲斐なさ、悔しさもあったと思います。
その後、高校を辞め、当時インターンを募集していた方のもとを訪れます。私にとっては、のちに“師匠”となる方です。
その方と過ごす日々を通じて、「人は1人では何もできない」ということを痛感しました。というのも、以前はなんでも1人でやろうとしていたんです。ただ、それではできることに限りがありますし、そもそも全てのことは人の関わりがあって成立しているんだ…ということに気づいた瞬間がありました。
それからは「いかにして人を動かすか」ということを学び、「想いを乗せて伝えること」「人と人の間には、上も下もないこと」「腹を括って打ち込むことで伝わる覚悟があること」などを教えていただきました。
–法人化の経緯を教えてください。
今年の2月に法人化しました。個人事業主として働いている間に信用を得づらい場面があったこと、これから規模を拡大するにあたって必要だと考えたことが主な理由です。
また、私の祖先には歴史上に名を残した「長宗我部氏」がおり、以前曽祖父が「曽我部組」という会社を作っていました。政治的圧力によって倒産してしまったのですが、その想いを継ぐ気持ちを込めて株式会社 曽我部組と社名を名付けました。
課題は未来への可能性。明るい未来を作りたい
–今後実現したいことを教えてください。
会社としては、市民、国民がより健康になれる新たな機会を創出していきたいと考えています。そのためには、「官民連携」は一つのキーワードになります。
個人としては、将来政治家になることを目指しています。日本全体や政治の状況を学び続け、一人ひとりには自分の力で国の未来を変えていける力がある、その先に明るい将来があると思ってもらえるようにならなければいけないと思っています。
課題は未来への可能性です。今後、自分の活動を通して明るい未来を作っていく仲間も増やしていきたいです。
–読者の同世代に向けてメッセージはありますか。
同世代を見ていると、無邪気さがないと思うことがあります。私自身は子どもの頃から勉強を強いられ、無邪気な気持ちを素直に出せない時期があり、その結果年齢を重ねるほどに反動として湧き上がる気持ちがあることを感じます。同じ経験を抱えている方がいれば、一緒に新しい機会や場づくりを行っていきたいです。
また、若者の中には「こういう世の中を作りたい」という志を持った人が少ないという印象もあります。この背景には「かっこいい大人を知らない」「どういう生き方があるかを知らない」などがあるのでしょう。良い大学、良い就職先を目指すことだけを考えている若者も多い中、いろんな人生の形、幸せの形があることを知ってもらいたいと思っています。
取材・執筆=山崎 貴大