「誰もが可能性を持ち、熱狂できる」イップスや起業後の苦悩を乗り越え続ける伊藤優太の信念

今回は、株式会社JINBEIを創業し、代表取締役を務める伊藤優太さんをお招きしました。

これまでのキャリアの歩み、スポーツを通じて学んだ人や社会の可能性について伺います。

 

成長し続けるためのマインドセットを大切に

–会社について教えてください。

株式会社JINBEIでは「熱狂できる社会の実現」を目指し、現在は主にSNSマーケティング支援、PR支援、コンサルティングを行なっています。編集、撮影、企画、コンサルティング、運用代行などの担当が分かれていて、6名程度で事業を推進しています。

社名には、漫画「ワンピース」に登場するジンベイというキャラクターの生き様のような在り方を体現し、貫きたいという思いを込めています。

–事業や自身を通じて伝えたいこと、実現したいことはありますか。

サッカー経験、コーチ・指導者・フィットネストレーナー・経営者とキャリアシフトしてきた中ではご縁によって成長してきた経緯があり、自分自身も経営者としてご縁を大切にしつつ、同じ思いで働く方々ともまたご縁を深めていきたいと思っています。ゆくゆくはそうした姿勢を次世代にも伝えていきたいと思っています。

自分自身はまだ器の大きさに不足を感じていて、経験を通してマインドセットを磨き続けている最中です。あらゆることを自責と捉え、成長機会に変えようという心構えで過ごしています。

–普段から心がけていることはありますか。

例えば、コンサルティング案件に取り組む時には“言いにくいけど、言うべきことを伝えないといけない時”があります。伝える側の言い方や在り方次第では受け取る人のモチベーションを削ってしまうことがあると理解した上で、ご本人が主体的に一歩踏みだし、自走し続けられることを目指し伴走サポートします。

ここで重要なのが、「右肩上がりにずっと成長していけるわけではない」ということを前提にコミュニケーションを交わすこと。自分とは年代も価値観も異なる方に対し、オフライン会議・オンライン会議・チャット…どの状況でも人を動かし、導ける人間でありたいと考えています。

インフルエンサーとしての実績、結果、自信を土台としながらも、上記のようなコミュニケーション能力、在り方を磨き続けていきたいと思っています。

 

スポーツから得た喜びと挫折、そして熱狂

–子どもの頃からサッカーに夢中だったと伺いました。サッカーを始めたのはいつ頃ですか。

小学生2年生の頃に学童に通っていて、そこで初めてサッカーに触れました。すぐにサッカーチームへ入り、その2週間後にはもう練習試合に出場していました。その試合でフリーキックを決めた時、チームメイトと喜びを分かち合えて嬉しかったことを覚えています。FW(フォワード)として出場する機会が多く、得点することで周りが喜んでくれることがやりがいでした。

次第に「もっと上のレベルに挑戦したい」という思いが募り、中学校時代からプレーする環境にこだわる意識が強まっていきました。

中学入学後は1年生の頃から結果を出すことができて、より高いレベルを求めて県外へ出ることを考え始めます。高校生になると具体的にプロサッカー選手を意識し始め、周りには「この人には勝てないかもしれない…」と圧倒されるようなレベルの同世代選手から刺激を受けながら練習に打ち込みました。

「まさか、このチームには勝てないだろう」と尻込みしてしまうような場面に発破を掛け、前評判を覆して勝てた瞬間は嬉しかったですね。子どもの頃から最初から決めつけられることは嫌いでした。

–以降はどのようにしてサッカーを打ち込んでいったのですか。

中学3年生の頃にイップスを発症したことは、自分のスポーツ人生にとって大きな試練でした。急にトラップができなくなり、ボールに触れると嗚咽が生じるようになってしまったんです。

病院に行っても明確な対処法は見つかりませんでしたが、高校時代もサッカーは続けました。周りからの期待と自分のクオリティの乖離を常に感じながらもプレーし続けるしかなくて、チームを引っ張っていかないといけない立場からすると葛藤が尽きない日々でした。

最後の大会となった高円宮杯に出場した際、最後の試合に大敗してしまいました。試合中、自分の目の前にボールが来たのにゴールを決められませんでした。悔しい気持ちはありましたが、自分の中で吹っ切れた瞬間でもありました。

–進学先の大学はどのように選びましたか。

同じチームで一緒にプレーしていた先輩の中で、特に尊敬していた方がいました。チーム全体を見ながら分け隔てなく接し、背中で引っ張る姿に惹かれていて、その方と同じ大学に進みました。

当初は単位は取っていたものの、大学に通うことにモチベーションを持てない日々が続きました。

–在学中に経験したことで印象的な出来事はありましたか。

大学2年生の頃、同じ学部で仲良くしていた同級生がいました。髪は緑色で、ちゃらんぽらんな外見でした。その友人が、ある日突然髪を黒く染め、服装もしっかりしたものに変わったんです。驚いて話を聞いてみると、「トレーナーになると決めて、教わっている人がいるんだ」とのことでした。

もどかしさを抱えながら大学に通っていて、自己啓発に触れつつ一定の行動をしながらもブレイクスルーできない日々を変えたいと思い、自分も一緒にトレーニングやビジネスを学びはじめました。

–大学生ながらトレーナーを目指す中で志やモチベーションが高まった出来事はありましたか。

通っていたコミュニティでドイツに行く機会がありました。現地のプロサッカーチーム「シャルケ」の試合を見に行った際、サポーターの熱量とサッカー文化が浸透した街とスタジアムの雰囲気に圧倒されました。現在会社を通して目指している「熱狂できる社会の実現」は、この時の経験から生まれた発想でもあります。

帰国後、在学中はパーソナルトレーナーとして熱心に働き、学びを深めました。

卒業後は海外のサッカークラブで働くことが決まっていて、ラオスに行く予定でした。そこに新型コロナウイルスの感染拡大があり、渡航ができなくなりました。それからは国内にとどまり、フリーランスのトレーナーとして働き、今年会社を設立しました。

 

可能性を信じ、最大限に発揮できる環境を作る

–起業の経緯を教えてください。

トレーナーとして結果が出ても、世の中や人に自分が知られることはないなと思ったんです。トレーナーとして得られる知識や実践機会に限界を感じ、SNSでの発信を始めてみたところ、集客課題を感じている方が多いことがわかりました。

その方々の役に立てればと思い、SNSマーケティング支援やアカウントの運用代行を開始。クライアントが増え、今後実現したいことや大事にしたい在り方がより明確になってきて、自身の器をより大きく育んでいくために会社の設立を決意しました。

–起業後に経験したことの中で、大変だったことや苦労したことはありますか。

正直にいうと、何度もフリーランス(として働き続けることを)を諦めかけました。それでもやり切れた理由はいくつかあります。

まずは、周りの同世代の人たちが頑張っているのをみて、「自分だけできないという言い訳はできないな」と思わせてくれたことです。次に、居心地の良さよりも成長できる環境を選ぶ意思を持ち続けたことです。最後に、家族の存在や本田圭佑選手のような先人の言葉も自分の力になりました。

クライアントから成果が生まれて喜びを分かち合える経験ができたり想いとロジックを両立させられるように心がけたりし続けたことで、次第にワクワクする気持ちとビジネス思考が混ざり合い、自分自身が熱狂できるようになってきました。

–今後の目標、展望を教えてください。

今後は、熱狂できる社会の実現を目指していきたいと思っています。そのためには一人ひとりに秘められた可能性を信じ、それを最大限に発揮できる環境を作ることが大事だと考えています。

特に人の可能性や熱狂が詰まっているスポーツには大きなポテンシャルがあると感じていて、やがては総合型のスポーツ施設やスポーツチームを作りたいです。

HP

https://jinbei-sns.com/

代表者SNS

 

取材・執筆=山崎 貴大