キャリアチェンジの末、救急系NPOを共同創業した前原俊彦。救急搬送の課題解決から「共助」が広がる社会へ

今回は、一般社団法人OPHIS(オピス)で副代表を務める前原 俊彦さんをお招きしました。

▽一般社団法人OPHIS 創業ストーリー
https://prtimes.jp/story/detail/rl6L8aI5gMB

これまでのキャリアの歩み、望む社会のあり方について伺います。

 

多様な関係者とともに新たなシステムを共創する

–一般社団法人OPHISが取り組んでいることを教えてください。

消防救急車の出動件数は年々増加しています。それに伴い救急車が現場に到着するまでの時間も延伸していて、次第に現行の救急搬送システムの継続は難しくなることが予想されています。実は、既に従来の救急搬送システムが破綻してしまっている地域もあります。

こうした事態を受け、一般社団法人OPHISでは少子高齢化時代においても持続可能な新しい救急搬送システムの構築と普及に取り組んでいます。

現在、行政、消防、医師会、民間患者等搬送事業者、介護・福祉機関など地域のステークホルダーの間に入り、新しい仕組みを作るためのルール作り、ビジネスモデルづくり等の推進、政策提言等をおこなっている段階です。

私自身は2024年1月の創業時から副代表を務め、経営周りや事業開発〜運営、資金調達をはじめとした様々な業務を担当しています。2〜3年前は業界との関わりがなく、救急現場が逼迫していたり体制の持続化が困難になっていたりすることは知りませんでした。

–やりがいを感じる点を教えてください。

人命救助、救急救命を担う救急隊員の皆様の仕事は誇り高く、社会にとって必要不可欠な仕事。その仕事を支え、隊員の方々が活躍できるより良い仕組みを作ることができれば、救える命が増えることに繋がり、社会は良くなると信じています。日々、その実感を持って仕事に取り組めていることはやりがいに繋がっています。

–仕事上、心がけていることを教えてください。

まださまざまなことを試行中の段階ですが、関わる多様な方々の立場や事情を理解して取り組むことが常に求められます。新しい仕組みを実現するためにかかる負担が特定のステークホルダーに偏ってしまうことは避けなければいけないですし、ある人には利益があっても、一方である人が不利益が発生してしまう可能性にも気を配り、丁寧に、全体最適の視点で進めていかなければいけません。

時にはあえて目指すゴールを決め打ちせずにミーティングに臨み、目の前の人の話に耳を傾け続けることで場面が打開していくこともあります。

そうした中に関わる個人としては、目の前の相手を常に尊重することを心がけつつ、自分を相対的に見て「自分が考えていることが全てじゃない」と気づけるように、日頃からバックグラウンドの異なる多様な方と対話の機会を設けることを大切にしています。

 

挑戦と失敗を重ねてたどり着いた想定外のキャリア

–学生時代はどのように過ごしていましたか。

都内の高校に進学し、ラグビー部に所属していました。私立の強豪校を倒すことをひとつの目標として掲げ、朝4時半に起きて朝練に出る日々でした。

私自身は部長を務め、器用ではないながらも運動量と体を張るプレーでチームに貢献するようなスタイルでした。

もともとは部活も勉強もほどほどの努力でそれなりにやりたいというタイプだったのですが、日々のきつい練習を乗り越え、ずっと負け続けていたライバルチームに最後勝つことができた時はとても嬉しかったです。それまでの日々が報われる気持ちになったと同時に自信も付き、「何かに打ち込めば打ち込むほど、それによって得られる経験は大きくなるんだ」と学びました。

–進学先はどのように決めましたか。

熱心に部活に取り組んでいたこともあり、あまり勉強をしておらず…実は学年最下位の成績を取っていました。ラグビー部の指導者に大事なことを教わり、人生を変えてもらったと感じていたので、学校の先生になることを目標として定め、その指導者と同じ大学を進学先に選び、ギリギリでなんとか受験勉強を乗り越えました。

–大学在学中はどのようなことに打ち込んでいましたか。

大学入学後もラグビーを続けていましたが、他にもさまざまなことにトライしました。

まずは、教育について学ぶ自主ゼミ組織のゼミ長。40年以上の歴史を持つサークルで、活動を通してテーマであった学校教育に対する理解が深まりました。ゼミ長として組織運営、リーダーシップを学び、実践する機会を得ることもできました。

次に、キャリア支援団体の立ち上げ。全国47都道府県の117の大学(2023年時点)で活動するキャリア支援NPO法人「en-courage」の中央大学支部初年度の活動に参加したことが最初のきっかけになりました。内定者の同期と「自分達が教わってきた分、後輩たちに還元できることをやろう」と学生団体と立ち上げ、就活生に向けてキャリアビジョンを描くサポートをしたりイベントを開催したりしていました。

–就活中はどのようなことを考えていましたか。

大学入学時は先生になることを目指していましたが、就活を通して考え方が変わり、教育業界だけでなく人材やキャリアに関わる事業をおこなっている会社も調べるようになりました。というのも、高校時代のラグビー部の経験も大きく、仕事で大切にしたいことは「人の人生が良くなるきっかけをつくる」ことだと気づいたんです。それが満たされれば教育業界じゃなくてもいいと考え、それを軸に就活を進めました。

–1社目に入社してみていかがでしたか。

新卒では大手総合人材サービス会社へ入社しましたが、当初は自分の考えと現実の仕事との間にギャップを感じ、日々モヤモヤしていました。会社自体はとても働きやすい環境で、同僚や上司にもとても恵まれていたのですが、そもそも仕事とは?社会人とは?といった根っこの部分で悩んでしまった感じしたね…。

社会人1年目の秋を迎えると、たった一人の子である自分に多くの愛情を注いでくれた父が亡くなり、「人生は有限なんだ」ということを痛感しました。それと同時に、「このまま日々モヤモヤしながら働いていては、自分が自分じゃなくなってしまうような気がする。そんな生き方をしていては、ここまで愛情を注いで育ててくれた両親にも申し訳ない」と思い、もっと素直に、やりたかったことを仕事にしようと思うようになりました。

そこから情報収集を進める中で、福島県内で復興支援や人材育成事業を行う非営利団体と出会い、転職を決意し福島へ移住しました。そこで、奥会津地方の人口1,900人規模の町にて、地域・高校コーディネーターとして地域の特色を活かした公教育や地域づくりに取り組みました。この経験が後のキャリアの原点にもなっていると言えます。

–現在の仕事を始めた経緯を教えてください。

福島での仕事にて、これからの地域・社会課題解決のためにはIT技術が必要だと痛感したことに加え、少しコードを触ったことがきっかけとなり、プログラミングを学習してWebエンジニアにキャリアチェンジ。そのタイミングで新卒時代の友人から「救急をテーマとした会社を立ち上げる」と連絡が来て、エンジニアとして誘われました。福島での経験から、「社会が良い方向に向かっていると実感できる仕事がしたい」という自分の想いと合致する誘いだったので、参画することに決めました。

当初は、救急隊員向けのe-learningサービスを提供する事業を行なっていて、私自身は開発のリードやプロダクトマネジメント、営業など創業期の会社にとって必要な仕事はなんでも、幅広く携わっていました。進めていく中で、「救急現場において喫緊かつ重要な課題は、持続可能性を失っている119番通報時の搬送システムそのものにあるのではないか」と考えるようになりました。それからは、より公益を追求した事業づくりのために非営利団体へ。2024年1月に代表とともにOPHISを立ち上げ、現在進めている持続可能な新しい救急搬送システムの構築と普及に重点を移して活動しています。

 

共助の輪が広がり、助け合う社会になってほしい

–今後の展望を教えてください。

一般社団法人OPHISのmissonである「ステークホルダーの垣根を越え、持続可能な救急搬送システムを構築する」を実現したいと考えています。

具体的には、患者の状況に応じて公的な救急車と民間の搬送事業者(いわゆる民間救急)が連携して患者搬送を担う「官民連携型救急搬送システム」の実現に向けて地域におけるモデル事業、政策提言活動、大学のバックグラウンドを活かした調査・研究事業の3つを軸に活動しています。

このモデルは救急システムの先進国とされるアメリカのシアトルやシンガポールのモデルと類似していますが、日本には先例がなく、「どんなかたちなら法的・社会的制約を乗り越え、実現可能か」と試行錯誤を繰り返し、地域にとって最適なシステムを検討しています。

これが実現すれば救急隊の負荷分散により、本来救急車が必要な重症患者に救急隊リソースを集中させ、119番通報によって救える命が救われるシステムを維持し、より良いものにできると考えています。

自分自身のキャリアとしても、こういう仕事をしていると本気でチャレンジしている、業界を牽引するようなカッコいい人たちにたくさん出会えるので、そのご縁から何かにつながる不確実性、双発性を楽しんでいきたいと思っています。これから、官民の共創による事業づくりやルールメイキングについてさらに専門性を磨いていきたいですし、そうしなければいけないとも思っています。

最後に少し広く、大きな視点で言うと、ソーシャルセクターとして活動する身として、共助の輪が社会に広がっていったら嬉しいです。自己責任論に偏ることなく、困っている人や地域に対してフラットに互いを助けあえるような社会へ少しでも近づいていくことを願っています。

 

取材・執筆=山崎 貴大