「もう一度、日本を世界で輝かせたい」海外起業した藤崎拓深を突き動かす原動力

今回は、Nexus Health Asia Pte.Ltd.を創業し、代表取締役を務める藤崎拓深さんをお招きしました。

これまでのキャリアの歩み、海外起業の経緯について伺います。

 

日本企業・製品を海外医療現場へ届ける

–現在経営する会社の紹介をお願いします。

Nexus Health Asia Pte.Ltd.はシンガポールで登記した会社で、私は自社のことを医療商社と称しています。主に医療・健康領域で、日本の製品やサービスの海外進出をサポートしています。具体的な事業内容としては、日本企業向けのコンサルティング事業、遺伝子検査事業、メディカルツーリズム事業などがあります。

–ご自身の業務内容を教えてください。

代表取締役として全体統括とコーポレート業務を担っています。医療分野でサポートしてもらっているベトナム人の医師、コンサルティング・セールス担当、メディア担当、翻訳・通訳担当のメンバーと一緒に働いています。

–日本の医療は、海外からどう見えているのでしょうか。

日本は世界で寿命が一番長いことで知られています。それを支えているのは健康的な習慣であり、医療です。人口100万人あたりのMRT・CTの数が多く、医師の技術や経験してきた症例の数なども他の国に比べて豊富に持っている国です。

人間ドッグを受けるために来日してくださるお客様と話していると、日本に対する「信頼」を感じます。人間ドック自体はアジア諸国でも受けられますが、クオリティの高さを求めてわざわざ日本へいらっしゃるのです。

–やりがいを感じる瞬間はありますか。

医療・健康領域における海外進出は難易度が高いですが、規制等のハードルを越えて日本企業が挑戦できる場づくりをしています。

先日は日本の企業とベトナムの国立病院のマッチングイベントを行いました。「海外に出る大きな一歩になりました」と感謝の言葉を頂き、 日本企業の海外進出の最初の一歩を作り出せたと思うと嬉しいですね。

 

家族の背中を見て学んだ「行動力」「マインド」

–幼少期の経験の中で、今に繋がっているものはありますか。

医療に関しては、父が心臓外科医だったことで接点が身近にあり、早くから興味を持ちました。

事業や経営に関しても、自営業の母がいたことで接点がありました。母はもともと専業主婦なんですが、現在ではもう10年近く経営を続けています。兄は留学から帰国してバスケに没頭し、一度就職するも現在は起業を経てフリーランスエンジニアとして活動しています。行動力やオープンマインドを持った2人の姿を身近に見てきて、「常識や当たり前とされるものだけが選択肢じゃない」と気づきました。

それに比べると父は保守的で、希望の進学先を伝えたところ反対されたこともありました。当時は悔しい気持ちでしたが、今となっては息子である自分のことを考えてくれた上での助言だったのだと理解できます。

–大学時代、インターンシップに参加するようになった経緯を教えてください。

大学に進学後、当初授業を受けていて具体的に将来に活かせるイメージが湧かず、次第に「このままでいいのかな」という漠然とした焦燥感を感じるようになりました。

その後、新しい機会を学外に求めてインターン先を探し始め、医師と病院のマッチングを行う会社でのインターンシップを始めました。

次にスタートアップデータベースや転職支援サービスを提供する会社でもインターンシップを始め、リサーチャーとHRマネージャーを務めました。

当時働きながら、もともとは世界でもトップクラスだった日本企業の価値がどんどんグローバルに追い越されていることを知り、悔しさを覚えました。また、日本のものが世界に求められていないのではないか…という気持ちにもなりました。近年日本から生まれたイノベーションがあまりないことも踏まえると、危機感が募りました。

–海外で起業をした経緯を教えてください。

複数のスタートアップ企業でのインターンシップを経験した後、一度は就職をしようと考えました。

考え直すきっかけがあり、就職以外の道を模索していた時に、現在では弊社の株主でもある人物と再会し、海外で起業をしてみるように助言を受けたことがきっかけで海外での起業を検討し始めました。最初は驚きましたが、よく考えてみると良い選択肢だと思い、その2日後には海外で起業することを決めました。

 

Japan as No.1をもう一度。日本を再び世界で輝かせたい

–実際に海外に出てみて、現地で感じる日本の存在感はいかがですか。

海外で暮らしてみると、各国の国内産業の強化とEVブームを背景に昔流通していた日本のメーカーの車を見かけることは少なくなりました。スマートフォンや家電等も同じです。

これは私が軸足を置く医療業界でも言えることで、米国や韓国で作られた医療機器、サービスが多く入ってきていて、次第に日本企業の参入が難しくなってきている現状があります。

–海外での生活、起業を経験してみて得られたことはありましたか。

日本人が海外で暮らすということは、マイノリティになるということです。自分の場合は普段ベトナム人やアメリカ人と打ち合わせをしていて、日本語を使うことはありませんし、慣習も日本のものとは異なる中でビジネスをしています。こうした環境に身を置くことで磨かれる能力や姿勢があると思っています。

例えば、マイノリティの環境にいると自分から動かなければ居場所を作れないですし、仕事もありません。自然と自分を売り込めるところや活躍できるところを探さなければ…となり、そのための施行回数が増えていきます。この過程を通して、自己分析能力やポジショニング能力が高まっていきます。

そのうちポジショニングが定まると、あるところから強く求められるようになります。「この件なんだけど、日本人のあなたに意見を聞きたくて…」と相談されるようになると、人脈が広がったり新しいビジネスが構築できたりするようになっていきます。こうした経験と能力は日本にいては得られないものだと思います。

–海外で生活、起業をしてみて大変だと感じたことはありましたか。

まず、もともと海外現地に繋がりがないところから始めていますから、孤独でしたね。言葉が通じない中で苦しいこともありました。次に、日本と異なる商習慣に戸惑ったこともありました。

商習慣に関しては次第に慣れていき、現地で生活・経営をする中で人と知り合ううちに孤独感も薄れていきました。

–日本人の若者が海外に出なくなっていると聞きますが、どう思いますか。

10年後までには、日本の全国民が海外を意識しないと生きていけない時代が来ると思っています。日本市場がシュリンクしていくことがわかっている中、もう抗えないことです。たとえ海外に関わる仕事をしていなくても、普段から何かしら触れるようにすることは必須。

ベトナム、インドネシア、タイのような伸びている国の現地に住む若者に会ってみると、その意味をより体感できるはずです。彼らは毎日に期待をして生きていて、エナジーに溢れています。将来の不安の解消のために生きている雰囲気が強い日本と比べると、そのメンタリティの違いは明らかですし、生み出せるものが大きいのは前者だというのは誰が見てもわかると思います。

–海外に挑戦したい若者がいたとしたら、どのような方法があるでしょうか。

自分のようにいきなり海外で起業するケースは稀だと思いますが、海外に進出している日本企業に就職して海外挑戦するという方法が最もわかりやすいんじゃないでしょうか。若くても、現時点のスキルが未熟でも、意外と現地の日系企業はグローバルで挑戦する若者を求めているという所感があるので、海外に挑戦できるチャンスは常に開かれていると思います。

–ご自身の目標、今後の展望を教えてください。

引き続き医療・健康分野を軸として、「日本企業を世界(まずは東南アジア)で勝たせたい」「Japan as No.1と言われた時代があった時のように、日本が再び世界で輝く国にしたい」と考えています。

具体的には、官民一体となって日本の企業・産業の輸出支援を進めていき、東南アジアに居住しているという地の利を活かしたネットワーク、および施策展開を通じて、地道ながらも日本企業のプレゼンスを上げていくことに貢献したいです。「医療・健康関連で東南アジアに進出するなら、とりあえずこの会社に相談しよう」と思っていただけるような会社に育てていきたいですね。

個人のキャリアとしては、今は自分の興味とバックグラウンドから医療・健康産業を選択していますが、将来的にはいろんな産業に手を広げ、海外進出の支援をしていきたいです。また、スタートアップ支援環境の整備が進む福岡、アジアに近い沖縄などでインキュベーション施設、アクセラレーション施設を作っていきたいなとも思っています。

 

取材・執筆=山崎 貴大