今回は、株式会社かほくらし社のラボ事業部に勤務する菊地航平さんをお招きしました。
これまでのキャリアの歩み、日本の地方に深く関わるようになった経緯について伺います。
「顔が見える関係」「貢献実感の大きさ」が働きがい
–所属している会社について教えてください。
株式会社かほくらし社のラボ事業部に勤務しています。かほくらし社は、ミッションに「河北町の産業をマーケットイン視点で再構築、再発展を促します」と掲げ、河北町の地域産品の開発・販売促進に取り組む地域商社です。
アンテナショップ「かほくらし」の運営、河北町の地域産品の販路拡大等を通じて東京や関東にも河北町の地域産品を届けています。
–地域の特徴を教えてください。
山形県河北町には最上川と寒河江川という大きな河川が2つ流れていて、かつては「最上紅花」の名産地として知られていました。全国的には知名度があまりない地域ですが、食と農の魅力に溢れていて、本当に何を食べても美味しいんですよ。そうした潜在的なポテンシャルを活かし、今後河北町が知られていくきっかけ作りをしていきたいと思っています。
–仕事内容を教えてください。
ラボ事業部に所属して働いています。農業体験や地元農家との交流を軸としたツアー開発、国産のイタリア野菜の販売やワイン等の地域産品を活用した特産品開発等に従事しています。
また、地元学生の活動も支援しています。河北町では町、企業、高校が連携協定を結び、町をあげて地域人材の育成に取り組んでいて、高校生による日本酒製造・プロデュース等が行われています。1ヶ月で1000本売れた実績もあり、地域の方に支えていただきながら少しずつ活動を展開しています。
–働きがいを感じる瞬間はありますか。
特産品販売・企画に取り組んでいて、生産者に感謝されること、頑張っている生産者を応援できることが嬉しいですね。町のサイズがコンパクトなので、自分の行動による貢献実感が得られやすいです。
片道2時間以上。通い続けた町で得た成長・実績
–子ども時代について教えてください。
高校までは皆勤賞で、サッカー部でも熱心に取り組みました。勉強はそれなりに真面目に取り組み、成績は平均程度。
家族のなかでは、三兄弟の次男。サッカーがうまい弟と人脈が多い兄に挟まれ、「自分には(2人のように)尖ったものがないな」と感じてコンプレックスを抱えていました。
–進学先の大学はどのように選びましたか。
偏差値から考えて地元から通える距離だったこと、経済に少し興味があったことから山形大学への進学を決めました。
在学中は、地域おこしに関する企画実践やボランティアを行うサークル「チーム道草」での活動に取り組みました。
–サークル活動について教えてください。
学生の「やってみたい」と地域の「やってほしい」を掛け合わせ、地域を舞台に、様々な実践活動を行うサークルでした。熱心に取り組むようになったのには経緯がありました。
大学1年時、とあることがきっかけで学校へ通えなくなってしまった時期がありました。友人が心配して何かきっかけを作ろうとしてくれて、「チーム道草」の活動への参加を誘ってくれました。
その時に、「チーム道草」の活動で山形県の金山町という町を訪れ、地元住民の方や友人に色々な悩みを打ち明ける事ができました。自分の話を親身になって聞いてくださる地域住民の方がいて、そこに感じた温かみに感動したのを今でも覚えています。
「このサークルのために頑張ってみよう」と思い、大学に復帰しました。
ところが、大学2年生になった頃、サークル解散の話が持ち上がりました。ボランティア活動が多くなったことやサークル側で動く担当学生が年々変わると地域側がやりづらいこと、活動のマンネリ化などが理由でした。
自分自身がちょうどやる気になったタイミングだったことに加え、「サークルとしてもせっかくここまでやってきたのに…」ともどかしい気持ちが湧いてきて、「解散する前に、一度自分が中心となって何とかサークルを立て直したい」と思い始めました。
その後、まずは地域の方々とのコミュニケーション量が足りないと考え、授業など以外の時間で現地に通うようにしました。大学からは片道2時間かかる距離がありましたが、毎週地域へ通い続け、次第に関係性が出来上がっていきました。
関係性ができてくると学生がやりたいことに(地域住民の方々が)協力してくださるようになり、地域で音楽フェスを開催したり、プロモーション動画制作をしたり、自分を含め、メンバーが本当に「やってみたい」と思える活動ができるようになっていきました。この時に制作したプロモーション動画は賞を受賞し、その後サークルメンバーの数も100名ほどから150名まで増えていきました。
–サークル活動を通じてご自身が得られたものは、どのようなことがありますか。
県内に多くの地域がある中でも、特に金山町で多くの活動実績を残すことができました。自分自身も熱心に活動していましたが、外から訪れた学生を迎え入れてくださった町民の方々がいてこそできたことが多かったと思います。
自分にとっては、それまではそれなりに友人がいて、それなりに楽しくて…という日常を繰り返してきて、初めて情熱の向け先、コミットできるものが見つかった瞬間でした。また、尖った特徴がなくて活躍できる場所もない…と思っていた部分に対しても、成功体験を通して自信を得られた機会になりました。
–どのような軸で就職活動をしていましたか。
地域創生関係の職場に着目し、ある会社に興味が湧き、面接の機会を頂きました。話をしてみると、「うちに来てもいいけど、地域に伴走してサポートする仕事だから自分起点で地域を動かすことは難しい。それだったら、一度地域に入って経験を積んだほうがいい」とアドバイスを受けました。
一方で周りを見てみると、当時は一度東京に出てUターンする人が多い印象でした。新卒でいきなり地域に入って活躍できるイメージも湧かなかったため、「30歳になった時、地域に何を持ち帰れるか」という軸で将来を考えていました。
その気持ちを伝えたところ、「地域で新卒から働いて活躍してる人が少ないのであれば、自分がそのロールモデルになればいいじゃないか」と言われたんです。その一言から視点が変わり、現在携わる会社の方を紹介いただき、河北町に来ることになりました。
–これまでに葛藤した時期、迷った時期はありましたか。
大学時代は、地域と学生を繋げる難しさ、チームマネジメントの難しさと向き合った期間でした。就職に際しても、社会人基礎力がまだない中で地域の中での活動の仕方、周囲との関係の作り方などについて迷っていた時期がありました。というのも、今所属している会社は自分が河北町に来てから出来た会社で、0→1のフェーズ。あるものよりも無いものの方が多かったんです。手取り足取り何かを教われる環境でもなかったですが、その分次第に自由なフィールドや機会を活かそうと考えて挑戦できるようになりました。
町の外と内が交わる新しい拠点運営をしていきたい
–町が抱えている課題には、どのようなことがありますか。
今は地域の中で元気なリーダーとなる方がたくさんおられますが、その方々が高齢化してきていることが一つの課題です。町内の出生率、人口は低下していて、学校の学級数も減っていく中、「持続可能な体制を構築するために必要な後を継ぐ層の人材をどのように創出するか」は考えなければいけないテーマです。
そうした背景もあり、県外から若い方が来てくださった時に利用できる宿泊拠点の立ち上げを考えています。宿泊施設があることで滞在が可能になり、宿が一つのハブとなることで地域住民の方々との交流や接点も創出できると考えています。
–どんな若者が地域に合うと思いますか。
地域での暮らしに興味がある人は一定数おられますが、「移住した地域で今の仕事を続けられるイメージが湧かない」「地域に仕事があるか不安」という声も多いと感じています。それに対しては、専門的なスキルがなくても地域で活躍できるチャンスはたくさんあるということをお伝えしたいです。関東都心では当たり前に成立していることが地方では成立しておらず、当たり前にしていること、例えばSNSを活用できるというだけでも喜ばれる場面がたくさんあるんです。さらに、これは自身の成長のために挑戦できるフィールドがたくさんあることも意味しています。
多世代間のコミュニケーションや交流が好きな方がいれば、ぜひ一度ご自身に合う地域での暮らしを探してみていただきたいです!
–今後の展望を教えてください。
現在の仕事も上手い形で引き継ぎながら、来年には宿を中心にしたスペース活用を開始し、町の外と内が交わる拠点運営をしていきたいと思っています。
河北町はもちろん、日本全国に魅力的な地域がたくさんあると思うので、今後は他の地域との関わりも増やし、幅広く活動し続けていきたいと思います。そして、そんな活動を展開していく事で、将来的に地域で挑戦してみようと思う同世代や次世代の若者がもっと増えると嬉しいです。
取材・執筆=山崎 貴大