「自分を変えなくても幸せになれる」石川峻が社会に見つけた居場所と小商い

今回は、アウトプット型・探究学習塾エイスクールで講師・人事として働きながら、個性を活かした小さな商いを作る「コアキナイゼミ」には運営メンバーとして携わっている石川峻さんをお招きしました。

これまでのキャリアの歩み、自身の個性を活かして作った小さな商いについて伺います。

 

自分を変えなくても、幸せになれる方法はある

–自己紹介をお願いします。

アウトプット型・探究学習塾エイスクールで講師として働いていて、主に人事業務と幼児〜大人向けに探究学習ワークショップデザインを行なっています。ここでいう「探究」とは、探索を通して物事に対する好奇心が広がっていくこと、自分なりの答えが出るまでやりきる追究を合わせた意味を持つ言葉として扱っています。

エイスクールのワークショップは、「仕事」をテーマにしてアウトプット重視の内容であることが特徴です。例えば、世の中の仕事の何に算数が使われているのか理解できる「おしごと算数」、ビジネスからアート、エンジニアリング、医療まで、幅広いテーマを学び、子どもたちの視野を広げ、「好き」を仕事にする力を養う「なりきりラボ」などがあります。

「学び方が楽しければ、学ぶ側が吸収しやすい」という考え方のもと、定期的にオリジナルプログラムを企画しています。

–やりがいを感じる瞬間はありますか。

学校の集団の中で周りのクラスメイトと足並みを揃えて行動することが難しい子がいた時、その子に合わせたサポートをして、特性を活かしたアウトプットができる機会を作れた際にはやりがいを感じますね。

もともとクラスに馴染めずに悩んでいた子でも、学校に行けるようになったりリーダーになったりする変化、成長を遂げることもあります。周りと調和しづらい「らしさ」も、個性や強みだと思えるようになるとこうした変化、成長が生まれるんです。

–本業の仕事上で心がけてることはありますか。

「この場では正解不正解は関係ない。君たちの答えが知りたいからね」と声をかけるようにしています。自分が言ったことを聞いてもらえたという体験、うまくいかなかったときに丁寧に一緒に振り返りをしてもらえたという体験を得て、妄想の中の失敗イメージや恐怖から抜け出すことで、どんどん人は変わります。

–「コアキナイゼミ」の運営に携わる中でやりがいを感じる瞬間はありますか。

個性を活かした小さな商いを作る「コアキナイゼミ」では、運営メンバーとして講師、広報、ゼミ設計、卒業生のOBOGが参加するコミュニティマネジメントなどに携わっています。

「コアキナイゼミ」では、(受講生が)得意なことや強みを活かすだけではなく、自分と同じことを苦手、弱みと感じてきた人に深く共感し、立場や気持ちがわかるからこそ提供できるコンテンツがあると気づく体験をします。

その体験の中にある「自分はこのままでいいんだ」「世の中に求められている姿にあわせて無理に変えなくてもいいんだ」と思える瞬間に立ち会えた時にやりがいを感じますね。

 

「らしさ」と表現方法を模索した学生時代

–子どもの頃のご自身のことで覚えていることはありますか。

子どもの頃は、仲の良い友達に付いていって英語塾に通っていました。塾の中で行われる英語のゲームや試験などを通して、自分が周りよりもできない(スムーズにできない、成績が低い)ことに気づき、ゲームで負けた時は泣いていたのを覚えています。

習い事以外の日は仲の良い友達と集まって、よくカードゲームやTVゲームをして遊んでいました。

–中学校〜高校時代はどのような学生生活を送っていましたか。

中学時代は市内で一番厳しいと言われていた野球部に入り、部活に打ち込んでいました。当時は、朝6時に集合して10キロ走ってから練習をしたり試合に負けたら必ずきつい筋力トレーニングをしたりするような環境でした。その中にあった理不尽さや体力的な辛さなどが心に残り、次第に野球を楽しめなくなっていきました。

一方、音楽が好きで、バンドに憧れを抱いていました。叔父の部屋に楽器やCDがあり、叔父にギターとベースを借りるところから音楽に触れ始めました。

高校時代には幼なじみと高校で出会った友人、それぞれと2つのバンドを組み、ライブをしたりオリジナル曲を作って演奏したりしていました。

–バンド活動を通して気づいたことはありましたか。

ライブハウスで毎週のように年上の方々のバンドと対バンして、多い時は月10本ライブをしていました。レベルの高いバンドとの対バンを重ねていくと、オーディションを通過して大会で優勝するようなバンドになるには、技術に加えて人間としての尖ったアイデンティティを持っていることが不可欠であると気づきました。

パッとみてわかる個性を持つバンドや魅力的な歌声を持つボーカルをみていると、後天的には動かしづらい要素があるんだと痛感しました。

大学入学後はサークルでバンド活動を続け、さまざまなバンドを幅広くコピーして演奏していました。レベルが高い演奏者たちと演奏できることを楽しんでいました。

–バンドを辞めた後はどんなことをしていましたか。

やりたいことがわからず、迷っていました。そこで、「1年間やりたいことをやる期間を作ろう」と思い、休学を決意します。

海外で生活してみたり営業職として週5日働いてみたり車で旅をしてみたり…。

そういうことをしていると、「今までは周りに合わせたり親に言われたからやっていたりしたことばかりだったんだ」と気づき、次第に「自分がやりたいことをやっていい」と自分自身に許可を出せるようになりました。

 

コンプレックスを昇華し、個性を活かした小さな商いを提供

–アウトプット型・探究学習塾エイスクールで働き始めた経緯を教えてください。

就職先を探し始めた当時は「自分みたいに、やりたいことがわからないという人がいなくなればいいな」という思いを軸に据え、やりたいことがわかるようになることで人生がワクワクしたものになっていくお手伝いをしたいと思っていました。

一度は人材系事業を営む企業に内定をいただいてキャリアコンサルタントとして働くことになったのですが、違和感を覚えて大学4年の10月に辞退 。改めて「探究」「マイプロジェクト」というワードをもとに就職先を探し始めた時、エイスクールと出会いました。    

入社の決め手は、2つあります。1つ目が、「アウトプット重視」だったこと。2つ目が、「仕事」をテーマにしていたこと。仕事をテーマにした探究学習は珍しく、子どもたちから生まれるアウトプットも異質で、面白いものでした。それをみていて、ここで働きたいという気持ちが固まりました。

–「コアキナイゼミ」の運営に携わるようになった経緯を教えてください。

「対話」「コーチング」を大事にしているシェアハウスに住んでいて、同居人を通じてコアキナイゼミの主催者と知り合ったのがきっかけです。

大学生で音楽の道を諦めたことをコンプレックスとして抱えていて、自分自身がコアキナイゼミを通して何かに昇華したり受け入れられるようになったりできれば…と考えました。

当時は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で家で過ごす時間が増え、シェアハウス内で小さな経済圏が生まれていました。アコギを買って弾き語りをしたり伴奏したりしていると、「自分で曲を作りたい」という気持ちが募っていきました。

「弾き語りと作曲は未経験だけど、対話やコーチングを掛け合わせられれば値段を付けられる小さな商いを作れるのではないか」と思い、『あなたレコード』という名前でテーマソング屋さんを始めました。依頼主と対話セッションを行い、想いを表現する曲を作成・提供するものです。

当初はnote経由で知り合った方に対して名刺の代わりにその人を表現する曲を作ってみたり、「コアキナイゼミ」の主催者が運営していたソーシャルバー「PORTO」のテーマソングも作ったりしていました。

▽あなたレコードの詳細はこちらをご覧ください。

https://note.com/artdeasobou/m/maf0c24196a59

自分でコアキナイを作った後、「コアキナイゼミ」の運営にも携わるようになりました。

–どのように作曲しているのですか。

まずはその人自身がどういう人か、何を大事にしてるか、これからどうしていくのか… などを聞きます。加えて、曲を通して伝えたいことを伺います。その後、時間を置き、作詞・作曲・レコーディングを行います。

時間を置く中で、日常生活を過ごしながら得られるヒントを通して(自分自身がその人の)話への解像度を高め、人それぞれにあるテーマを探っていくことで曲のイメージが出来上がっていきます。

–今後実現したいこと、目標を教えてください。

「幸せになるために、こんなテーマを持って、こんなことをしているんだ」と語る人を増やしていきたいです。現代はネガティブな話題やニュースが溢れていますが、自分がやりたいこと、楽しんでいることなどの話題で溢れるようになればいいなと思っています。

もし読者の方の中に自身のテーマを探している方がいれば、自分を知ることを大事にしてみてください。忙しない日々を送っていると、「自分が何を感じているか」に目を向ける機会が少なくなります。その結果、自分の価値観を見失ってしまうんです。

自分自身を知れば、きっとその活かし方も見えてくると思います。

 

取材・執筆=山崎 貴大